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月の落とし方  作者:
2/6

002.月の味方




 どれくらい経っただろうか。

 思って、私は布団から伝わってくる振動がさっきまでと違うものになっていることに気付く。

 何だろう。

 くるまったまま手で探ってみると、スマホに指が当たる。何気なしにその画面に触れようとして──しまった──布団の中で青白く光るそれを見る前に目を伏せる。

 見ちゃだめだ。

 今頃、タイムラインで私の名前がどんなふうに弄ばれているか。私の、例えば学生時代の顔写真がどのように氾濫しているか。想像するだけでゾッとした。体を覆いきった布団なのに、私はさらに何かを求めてその端を強く握る。

 うーっ。

 低く、歯を食いしばったうなりが漏れる。

 それはスマホのバイブレーションの真似っこみたい。誰に聞かれたわけでもないのに小っ恥ずかしくて、「ん、んんん」と自分の声を打ち消す。布団の闇に裏返したスマホはそんな私の気持ちも知らずにうーうーとうなり続けていた。

 きっと電話だ。誰からだろう。

 いつの間にか私を震わせるのはこのバイブレーションだけになっていた。さっきまでは断続的に響いていたノックの音が止んでいる。乱暴に叩かれた扉の音を思い出して、口の端から小さく息が漏れた。

 なんで、こんなことに。

 私がなにしたっていうの? 何言ったっていうの?

 テレビに映し出された男のことを思い浮かべる。目出し帽で顔はほとんど隠れていたから、わかるとしたら声くらい? それだって思い当たるような知り合いは一人だっていなかった。そんな相手から『一緒になって』だなんて。やっぱり意味がわからない。

 でも──そっか。

 私、告白されたんだ。

 月の上から、月を人質に。

 状況を整理して、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いがこみ上げる。『事実は小説より奇なり』って本当なんだ。潜めた笑い声に、相変わらずスマホのバイブレーションが重なった。うー、うー。

 ……わかったよ。

 笑ってリラックスしたからか、さっきまでの恐怖はちょっとだけ引っ込んでいた。私は布団の暗がりで煌々と照るスマホのスクリーンに目を細める。わ。


「さッ、さくら。ごめん。出られなくて」


 スクリーンの表示を見てすぐ、私は通話口に向けて謝っていた。ずっと布団にくるまっていたからか、吐き出す息が思っていたよりもずっと熱っぽい。


「あーっ、やっと出たあ」


 通話口の向こうでは、大げさすぎるほどに大げさなリアクションでさくらが胸をなでおろしていることだろう。


「どんだけ電話したと思ってんのよー」

「ごめん。ほんとに。その、朝、家の前にいっぱい人がいたから、もしかしたら電話とかも、そういう人たちからかかってきてるのかな、とか。私」


 今も玄関の前で誰かが聞き耳を立てているかもしれない。思うと、自然声が萎んでいく。


「あーい、牡丹。わかったから。大丈夫、落ち着いて」


 さくらはいつも通りの声色を意識して私を元気づけようとしてくれているみたいだった。


「うん。さくら」

「あんた、テレビ見た? 告られてたみたいだけど。初恋だってさ」

「見たよ。朝やってたニュースだけね。……全ッ然、ワケわかんない」

「あらら。それなら誰が話し合ったって無駄だわ。昼からそんな番組ばっかやってるよ。見なくて正解。いい機会だし、テレビ捨てちゃえば?」

「そんな」


 やっと私は、声を気にせず、ちょっとだけ笑った。


「あんた、今どこいんの」

「アパート」

「そ。昼ごはん食った?」

「まだ……。朝ごはんも食べてない」

「バカあんた、ただでさえ細いんだから。ご飯抜いたらすぐ骨と皮だけになっちゃうわよ」

「うん、ごめん」

「ごめんじゃなくて……。あー、いいこと思いついた。この分じゃ、まともに外にも出られないでしょ? あんたのことだから食べるもんの買い置きだってほとんどしてないだろうし……。これからどうするか相談しようよ。今から車で迎えに行ったげる」

「え、悪いよそんな。って、車? さくら、車買ったの? 免許は?」

「まあーま、見てのお楽しみってことで。じゃ。……あ、そうだ。着いたらピンポンするから、それまで外出るんじゃないわよ。マスコミ共がビッシリ待ち伏せしてるかもしれないんだから。じゃね」


 ゾッとするようなことを言って、さくらは電話を切る。


「……もう」


 小さく溜息をついてスマホを枕元に放る。

 けれどその溜息はどこか暖かかった。

 私はむんむんと熱された布団からやっと這い出て、まずは部屋の時計を見る。もう三時を指そうかというところだった。どうりでお腹も空くはずだ。寝汗と冷や汗でぐっしょりのパジャマを洗濯かごに放って、クローゼットを開く。さくらが来る前に支度を済ませておかないと。私はまず目についた外行きのワンピースを取り出した。


「……派手、すぎるかな」


 鏡の前で体にあててみて、はたと気付く。

 今の私は果たしておしゃれなんてできる身分なんだろうか?

 ……勝手に名指しで告白されて、身分も何もないだろうけれど。それでも世間はそんなこと気にかけてはくれない。

 誰に見られたわけでもないのに恥ずかしくて、顔が真っ赤に火照る。ちょっとでもおしゃれをしようなんて考えたことを隠せないかと、手にしたワンピースをベッドの上に置く。できるだけ時間をかけて綺麗にたたんだ。

 ワンピースの代わりに、私は買ってからほとんど着ていなかったトレーニングウェアに袖を通した。春秋用の薄手のもので、長袖ではあったけれどサラサラと着心地が良い。

 うん。これくらいだ。私には、これくらい。

 ワンピースをタンスの元の位置にしまう。髪でも梳かそうかと洗面所に向かうと、丁度インターホンが鳴った。私は朝のことを思い出して肩を震わせる。すくんだ足を、しかしさくらの「おーい、牡丹、来たよー」という声が和らげてくれる。胸をなで下ろして扉の前までやってくると、のぞき窓の向こう、小さい体で手をぶんぶんと振っているのは間違いなくさくらだった。下駄箱のすぐ脇に置いてあった外出用のマスクを着けて扉を開けた。


「さくら。ありがとう。久しぶりだね」

「あいあい牡丹。マスコミ連は今いないみたいだったから……って、あんた何よその格好」


 指摘されて答えに詰まる。今の私がおしゃれなんて。そう言ったら、今度は自意識過剰に映るだろうか? 言い訳を探す間にさくらは軽い溜息を吐いて、「あんたそりゃ、そんな格好でも可愛いなんて反則だわ、ほんとに」と笑った。


「髪ももっとぼさぼさにしてやるぞー!」


 拍子抜けした私の頭をがしゃがしゃと撫でてから、さくらはグイと私の腕を引く。


「ほら、マスクしたね。下に車停めてあるから。見つかる前に行くよ」

「うん。でもさくら、車って」


 身長差もあって腕を引かれる度に右へ左へとよろけながら一階まで下りると、見慣れない深緑の軽自動車が一台停まっていた。運転席の窓が開いて男の人が顔を出す。マスクはしていなかった。骨張った頬はちょっとだけ魚のようで、口元に手を当てながら私とさくらとを見比べるようにする。


「こんちは、牡丹ちゃん? 大変みたいだね。とりあえず乗んなよ」

「ちょっとノリ、あんまし牡丹に馴れ馴れしくしないでよね。牡丹はあたしのお姫様なんだから」


 こいつ、あたしのカレシ。さくらは軽くはにかんで後部座席の扉を開ける。窓にはスモークがかかっていて、これなら人の目もあまり気にしなくて良さそうだった。『ノリ』に軽く会釈して車に乗る。カーステレオからは午後のラジオニュースが流れていた。アイドリングに入っていたエンジンが低くうなりをあげる。


「牡丹、お昼何食べたい?」

「……あ。うーん。……うん、えっと」

「それならあたしが決めたげる。えーっとね」

「ちょいちょい、わりいけどさくらさん、一旦うち帰った方が良いんじゃないかね」


 片手でハンドルを握りながら『ノリ』はカーステレオを指さす。

 

『月面基地を占拠したテロリスト。私も今朝見てビックリしましたよ。これは今後どうなっていくんでしょうねえ』

『あたくし覚えていますよ。槻沢牡丹さん。彼女宛のラブコールでしたね。最初は適当な妄言かと思いましたが、どうもそうじゃないらしいんですよ。妄生禄を始めとして、週刊誌の方だともうその女性のアタリを付けてるんだとか』

『ああ、ああ、そういう言葉もありましたねえ。はいはいはいはい、資料ございました。……そっかそっか。その彼女に対して、一緒になってくれなきゃ月を落とすぞと、犯人はそう言っていたんですねえ』

『一緒になってくれ、ときた。メイ・ラバーズだ。もう二十年近く前のドラマなんですがね。あたくし犯人とはシュミが合うかもなあ』

『言ってる場合じゃないですよ。……とすると、もしこれが本当なら、その、ええと……? 槻沢牡丹さん、はこれから引っ張りだこになるでしょうね』

『そりゃあそうだ。週刊誌や新聞社、テレビだけに留まらんでしょうな。SNS上では、彼女を犯人に差しだせっちゅう声も上がってる。話によると官邸にも数十件、そういった旨の電話があったらしいですよ』


 ────。

 

 さくらがカーステレオまで身を乗り出してラジオを消した。


「そうして。ノリ」

「あいよ」

 

 §

 

 さくらと『ノリ』の住む家は越谷から少し北の幸手市にあった。行きすがら、ちょっと古いと聞いていたマンションはそれでも十分綺麗だった。地下駐車場で降りた私はなんとなくいたたまれなくて、車から降りてくるさくらを待った。


「マスクしてるから大丈夫。あんた心配性なんだから」

「まだ顔は報道されてねえだろうしなあ」


 スーパーの袋を持った二人が車から出てくる。私は慌ててさくらの持つビニール袋に手を伸ばした。


「あ、持つよ。私」

「あー良いって。うち四階ですぐだし」

「牡丹ちゃんは良い子だなあ。さくら」

「どういう意味」

「そのまんま」


 二人はほんの数秒にらみ合ってから小さく笑う。

 仲、良いんだ。思いながら、裏手のエレベータで昇っていく。さくらはともかく、大柄な『ノリ』の背中に隠れるようにして私は息をひそめる。その背中からはちょっぴり柑橘系の香りがした。さくらの好きな香りだった。

 405号室は南西向きの角部屋。扉を開けると窓の端に西日がちらと映った。


「部屋一個空いてるから、そこ使って……。あー、そっか」


 言ってから、さくらは私が荷物の一つも持たずに出てきたことに気付いたみたいだった。


「ごめんね、牡丹。いつでも戻れるからさ。言ってくれれば車も出すし」

「うん」

「あとは、会社に電話とか」

「大丈夫。さっきメールしたから」


 しばらくお休みをいただきたいです。メールの返事はまだ来ていなかった。

 お風呂上がりにはさくらの匂いのするバスタオルにくるまる。それはうちの羽毛布団よりもずっと薄いはずだったけれど、なぜかずっと暖かく感じられた。

 ちょっと早めの夕飯はつみれがたっぷり入ったお鍋。さくらの大好物だ。私のお椀はさくらのされるままに四杯、五杯とつみれや白菜がつがれていった。久しぶりにさくらと食べるご飯。ちょっとだけ無理をしてどうにか食べきった。

 眠るまで、テレビは点けなかった。

 



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