ニホンアマガエル・蛙川
大きな駅の周りには空を覆うほどのビルが立ち並び、地面を這うモノや水路を利用して移動するモノ、羽を広げ飛行するモノが存在する。
僕のいつも見る光景だ。
”ヒト”の真似をし始めた生き物たちが、”ヒト”の絶滅により代わりを務めることになった地球は、今日も”ヒト”と同じように仕事をしてる。
ここは、ミツワシティと呼ばれる其の国の中心都市で、皆仕事のために毎日通勤する街。
朝は憂鬱な顔をして会社に出向き、夜はもっと憂鬱な顔して自宅に帰ってるのをよく見かける。
空を飛べるモノは優雅に朝を通勤してるが、飛べないモノは”ヒト”の残した電車を使い会社へ向かう。
”ヒト”とは違い、天井にくっつけるモノもいるので、ラッシュ時の乗車率は300%を超えるという。
(あんな生活、僕には向いてない)
そう思った僕は、5年前からフリーターの飲食店員として働いているのだ。
通勤ラッシュが終わった電車に乗り揺られること20分、歩いて10分の場所に僕の勤務先がある。
和風テイストの外観は、城下町にある店のような瓦の屋根に、中が見えるよう歩道に面してる壁はガラス張りになっていて、店に入らなくても店内の様子がわかるように工夫されている。
そんな外観とは裏腹に、似つかわしくない店舗名が入り口上の屋根看板に書かれている。
「ぼーのらいす ミツワシティ店」
イタリア語なのか、英語なのか統一してほしい飲食店名は、其の国に点々と店を構える和食チェーンだ。
店名通りお米を売りにしていて、ランチ帯は定食やどんぶりが、ディナー帯はお米に合うおかずを提供している。
値段はワンペーパーがあればお釣りがくる程度の価格で、学生からご年配の方まで利用できる、そんな僕の職場は今、戦となっている。
自動ドアのプッシュを押すとガラスの扉がスライドした。
昼時の店内はスーツを着たお客さんで賑わい、呼び出し音や会計をしたいお客様が鳴らした音、話し声で埋め尽くされている。
「いらっしゃいませー!あ、蛙川さん、おはようございます!」
そんななか元気に挨拶してくれたのは、新人パートでプレーリードッグの平原さん。
勤務し始めて半年、覚えることが苦手、マルチタスクが苦手な平原さんは今日も一生懸命声を出し働いている。
「おはようございます」
人見知りならぬ、生き物見知りの僕は小さく挨拶し、会釈をした。
同じ職場のモノでもなかなか心を開けない僕。
(悪気はないんです、ごめんなさい)
生き物の間を縫い、そのまま厨房に向かい、調理中の店長でグリズリーの熊本店長とお局で鷹の高山さんにさっきより大きな声で挨拶をする。
「おはようございます」
「おー、おはよう」
「おはよう」
まさに調理中の二人は、いつもどおり世間話話しながら作業していた。
熊本店長は、大柄の体型でTHE・店長と見た目で判断できるほどの威厳を持っている。
だけど性格はおしゃべり好きで少し抜けてる男性店長だ。
お局の高山さんは、長年ミツワシティ店に勤務するベテランで店のすべてを知り尽くしていて店長よりも店舗勤務が長い。
鋭い目つきで細かいことも指摘する少々怖い者だが、仲良くなればお茶目な一面が見られる女性社員だ。
勤務開始時間の15分前、スタッフオンリーの部屋に入り扉を閉めると店内の雑音が少しばかり小さくなった。
荷物を下ろしロッカーにかかってる制服に身を包むと自然と”飲食店員役”のスイッチが入る。
身だしなみを整え鏡を見ながら帽子を被り、舞台に立つ準備が整っていく。
「よしっ…」
勤務開始時間になり、ニホンアマガエルの飲食店員・蛙川が登板された。
再び大繁盛の店内に踏み入ると、先程オーダーを受けていたベテランパートでミーヤキャットの宮さんが料理を運ぼうとしていたところに挨拶をする。
「蛙川さん、おはよう」
ニコッと笑う宮さんは、高山さんと同様、長年ミツワシティ店のパート勤務として働いてる。
優しい雰囲気で接してくれ、宮さんには緊張せず話せることができる女性パートさんだ。
全員に挨拶を終え、手を洗い今日の連絡や品切れ等を店長に聞きに行く。
「今日は春のおすすめメニューがよく出ると思うから、じゃんじゃん売って
今日も忙しくなると思うからよろしくっ」
「はい」
僕の今日のポジションは”間”だ。
”間”とは、厨房とホールの手助けを行う作業で大抵は皿洗いに徹してる。
ちなみに今は、厨房を熊本店長と高山さん、ホールを平原さんと宮さんで回していて、後回しにされがちな皿洗いは開店1時間にも関わらず山積みになっていた。
さてと洗いますか、と袖をまくると、
「蛙川さん!オーダーお願い!」
宮さんがお会計に行くからと僕にヘルプを出しレジへ向かっていった。
平原さんというと別のオーダーを取っていて、すぐには手が空かないようだった。
ホールに出て天井近くにかかってる呼び出し番号を確認する。
(13番ね)
ハンディターミナル、通称ハンディと呼ばれる注文を入力し送信すると厨房に送られる画期的な機械を手に取り、呼び出された席へ向かい注文を取る。
「お待たせいたしました、ご注文をお伺いいたします」
4匹席を贅沢に使ってるスーツ姿のテングザル1匹が無言でテーブルに置かれたメニュー表をトンっと指差し、注文する。
目線も合わせず大きな態度をするテングザルに僕は眉をひそめそうになった。
「生姜焼き定食ですね、副菜をお選びください」
サラリーマンはまた無言トンっとメニューを指差す。
「きゅうりの塩昆布和えですね、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
自分のやるべきことはすべて終えたと言わんばかりに新聞を取り出し読み始めた。
「…失礼いたします」
内心、イラッとしたがこんなこと日常茶飯事じゃないかと言い聞かせ厨房へ戻る。
「注文お願いしまーす」
僕の掛け声とともに送られたオーダーは厨房に無事送られた。
「あいよーぅ」
熊本店長の低い声の返事が返ってくると、僕は皿洗いの続きを始める。
溜まった皿を淡々と、何も考えずにできるから僕の性格に合ってる気がするのだ。
汚れた皿を洗い食洗機へかける、洗い終わった皿はもとの白さを取り戻しまた料理が盛り付けられる。
(俺の接客に対するモヤモヤの汚れも洗ってくれないかな…)
5年も勤務し続けるといつもの作業が身にしみ、ぼんやりとした意識のなかでも手が動く。
生き物見知りの僕にとって、皿洗いは天職なのだ。
「蛙川!料理提供!」
高山さんの槍のような鋭い声に、ハッと目が覚める。
平原さんと宮さんはお客様に捕まっていて、すぐに料理が運ばれない。
ここで登場するのが、間の蛙川。
急いでお盆に乗った料理を運ぶ前に伝表に書いてある卓番を確認する。
(13番か…)
数分前に注文を取ったテングザルが座ってる卓番だった。
一度付いた第一印象はなかなか払拭されないので、鼓動が少しだけ乱れた気がした。
短い息をフッと吐き、ニッコリと笑顔の貼られたピエロの仮面を付け直す。
まわりのお客さんに気を付けながら、13番の席の前に到着し、
「おまたせいたしました、生姜焼き定食です」
まるでボイスチェンジャーを喉にはめ込んだかのような爽やか飲食店員ボイスは、目の前の新聞を読んでるテングザルに届いているのだろうか。
多分、絶対、100%届いていない。
テーブルに置かれた定食のお盆と同時に読むことを止め白米が盛られた茶碗と箸に手を伸ばし、食べ始めた。
「ごゆるりとどうぞ〜」
ピエロの仮面とボイスチェンジャーは誰に向けているのかと疑問に思うことは、とうの昔に捨ててしまった。
飲食店員を経験したことない生き物からすると、「客に決まってるだろ!」と罵声を浴びられそうだが、一度でも経験するとお客様ではことが多々ある。
今回のテングザルも例外ではない。
発せられた言葉は誰の耳にも届かず透明化し、やがて空気の一部となる。
無意識に息を吐く動作と同じなのだ。
(さ、天職の皿洗いに戻ろう)
厨房に向かうための一歩を踏み出した瞬間、
「一味唐辛子ある?」
だ、誰の声だ?!
おそらく僕を呼び止めた言葉だ。
口に何かを詰め込みながら話した声は、50代くらいの男性で僕の右耳から聞こえてきた。
答えは一つしかない。
このテングやr…テングザルのお客さんだった。
僕の顔を初めて見ながら、馴れ馴れしい口調でそう聞いてきたのだ。
(こいつ、話せたんか…)
真顔になりかけていた顔をピエロの仮面に戻し対応する。
「当店は七味唐辛子しか置いてないです」
今度はちゃんとはっきり聞こえたのか、ないことがわかると目線を落とし黙々と食べ始めたのだ。
(ありがとうの感謝くらい言えないのかこの客は
そのぶら下がった華をへし折ってやろうか)
…なんて直接言えたら、ストレスなんて溜まらずに仕事できるんだろうな。
ま、歯向かったら一発アウトで僕のクビとともに、店の評価はだだ下がりで社長に恨まれて一生表に出られないように細工される人生になる気がするなー。
厨房に入りシンク前に立つと、スポンジを手に取り先程より高く積まれた皿を洗う。
その後はパートの二人でもホールが回るようになってきて、僕の出番はなくなった。
ただひたすらに皿やコップ、箸等を洗い続け使用済みの食器は綺麗に戻っていった。
だけど唯一綺麗にならないものがある。
僕のこころだ。
毎度勤務する度こころが黒くくすみ、どんなガンコな汚れにも効く洗剤ですら取れない。
5年という月日が汚れの度合を物語っている。
生き物見知り、無口、仏頂面でニホンアマガエルのフリーター・蛙川は、今日も”飲食店員役”を演じるのである。




