乙女ゲームの情報通サポートキャラに転生しましたが、あなたには教えません
『ファインドダヴ』
ジャンル:女性向け恋愛シミュレーションゲーム
メインキャラクター
・モニカ・ターナー(名前変更可):本作の主人公。優しく、天真爛漫な性格の努力家。学院での過ごし方により様々な才能が開花する。
・アリア・アンダーソン:主人公の親友であり、学院の情報通。持ち前の好奇心と友情と明るさでもって主人公の恋をサポートしていく。
・セシル・フィリップス:学院の生徒会長を務める。欠点らしい欠点がないが、昼行灯を装う親友兼乳兄弟に振り回される姿がよく見られる。
・
・
・
「お願いだから教えてください、セシル・フィリップス様のことを」
放課後の教室、夕陽を背にぼろぼろと涙を流すその姿はとても美しいと思った。正面からこちらを見つめる瞳。決して顔を隠しながらの頼み事はしないという意地が見えた。嫌いじゃない。
「お願いします」
同時に、何でわたしがそんなこと、とも思ってしまった。何でわたしが、あなたのために、そんな労力を。
「アンダーソン」
隣にいる男がほんの少しの批判を滲ませてわたしを呼んだ。この男、たまにこういう声を出す。彼女を応援するのは個人の自由だが、そこにわたしは関係ないだろう。
そもそもだ。そもそも、なぜわたしなのか。
「モニカ・ターナー嬢。そのお願いは叶えられないです」
「どうして、……いえ、非常識でした。当たり前ですね。男性の情報を教えろなどと、淑女に頼むことではありませんでした」
一瞬の絶望の表情のあと、彼女はふっと笑んだ。諦めなのだろうか。わたしに対してではないように感じた。
彼女の言は確かにそうで、わたしが彼女に教える義理なんてひとつもなくて。けれどそろそろ、さすがに勘違いを解きたいなと思ったので。
「そも、わたしはフィリップス会長の情報なんてひとっつも知りやしないんですよ。名前と役職しか知らないし、専攻もわからないし、誕生日も──いや誕生日は知ってるか。知ってます。とにかく、絶対にあなたの方が詳しいと思う」
鳩が豆鉄砲を食らった、とはまさにこういう顔を言うのだろう。エッという間抜けな声が隣から聞こえてきたのもわけがわからないが。
「本当に、まったく知らない」
もし、前世の記憶があると他人に伝えたら、頭がおかしくなったと療養のために休学させられるだろうか。こんな心配、普通の人間はする必要ないのだが、わたしはする必要があった。なぜなら前世の記憶が本当にあったので。
アリア・アンダーソン。王都学院の高等部に通う子爵令嬢。色の薄い茶髪とヘーゼルの瞳を持つ十六歳の女学生。それが今のわたしだ。
生まれたときからなんとなく違和感があり(この時点でおかしかったのだと今ならわかる。赤ん坊は普通こんな風に思考できない)、幼少期から大人びた子供と称されていた。この世界で一年過ごす間に、だいたい二年分の前世の記憶を思い出してきた。十歳で思い出せる記憶はなくなったので、たぶん二十歳頃に死んで、この世界に生まれ直したのだと思う。今際の記憶もきっとあるのだろう。精神的な負担により思い出せないだけで。
前世は科学と娯楽に満ちた世界だった。前世のわたしは運動が好きだったが、友人に漫画や小説が好きな子がいたので、いわゆる異世界転生という物語があるのは知っていた。
転生したこの世界は前世で言う中世から近代の頃の西洋によく似ていた。そこにファンタジー要素が加わっている。剣と、少しの魔法の世界。
わたしの人生に前世の影響がないとは言えない。一般的な令嬢に比べて身体を動かすのが得意なのは前世でスポーツが好きだったからだろう。算数はどこの世界も変わらないらしく、幼い頃は理解が早いと大変褒められて嬉しかった。口調も令嬢にしては粗雑な方だ。
それでもわたしはまごうことなきアリア・アンダーソンとして生きてきた。それ以上でもそれ以下でもない。
勉強のために王都に生活の基盤を移したのはこの年の春だ。広い敷地内で走り回れる田舎が離れがたくずっと領地で暮らしていたが、貴族の子女は最低三年は王都学院で勉強をしなければならないのだ。
貴族らしい社交の場かつ婚約者の選定の機会でありながら、研究職や騎士職になるための知識と技術、一生の宝となる横の繋がりを得られる場所。親の許可があり、強く希望するのであれば女性でも就職先の斡旋をしてくれる、至れり尽くせりの学校だ。わたしにとってはモラトリアムでしかないが。
穏やかな領地での生活に比べると、王都は何もかもがきらびやかだった。新しい出会いもあった。そのうちのひとつがモニカ・ターナー男爵令嬢であり、まあ、バレット・ロバーツ伯爵令息も数に入れてよいのだと思う。
モニカ・ターナー男爵令嬢。一言でいえば頭脳明晰な金髪碧眼の美少女。ふわふわの長い髪をハーフアップにし、さっぱりとした印象を与えながらもかわいらしさは失われず。光の加減で色の濃さが変わって見えるエメラルドブルーは白磁の肌にとても映えて。淑女らしい教養を備えながら、かと言って堅苦しくもなく、生徒会の一員として誰しもに平等に接するその姿に憧れる者は数知れず。これが学院に入って一年が経とうとしている彼女に対する周囲の評価だ。
でもわたしは、ちょっと変な人だなと思っていた。
高等部編入組として同じクラスになり、隣の席になったのは本当に偶然だった。この頃はまだ彼女の優秀さも判明していなかったので、あくまで普通に、新たな級友として初めましてをしたのだ。
入学式後のホームルームを待つ僅かな時間の会話だったが、彼女はなぜか妙に興奮していて。ほんの少し瞳を潤ませながら、この学院の有名人の話をしてきた。元より他人にあまり興味のないわたしはぽんぽん出てくる人名にビビりつつ相槌を打つばかり。
話題に出てきたのはキラキラの権化の王太子に騎士団長の息子、すでに魔法省に出向している天才などだ。特に先程の入学式で祝辞を述べた生徒会長のことを熱心に話すモニカ・ターナー。
そうしておそるおそるといった様子で、かつ期待混じりに一言、「アンダーソンさんは彼らのことにお詳しいのですよね」と聞いてきたのだ。
令嬢らしからぬ顔をしてしまった自覚はある。なに言ってるんだろうという疑問が思いきり顔に出てしまって、ぽかんと開いた己の口に気付くまでに時間がかかった。
「え?」
「え? うそ、……違うのかな。いやでもそんなはず」
その後ぶつぶつと自分に入ってしまった彼女のことを変な人だと思ってしまったわたしは何らおかしくないはずだ。ここでなんとなく微妙な雰囲気になってしまったため、彼女とは級友以上の関係にはなっていない。それでも彼女はわたしに話しかけてくることが多かった。
その聡明さで早いうちから学院の有名人に挙げられるようになっても、初学年の途中で生徒会に異例の抜擢をされても、能力により生徒会長に重用されるようになっても、嫉妬から嫌がらせをされていると噂が流れても、それを自力で解決したらしいと話題になっても、彼女は不定期にわたしに話しかけてきた。級友としての和やかな世間話と、声を潜めた話題とで。
「あ、あの、セシル・フィリップス会長のことについて聞きたいのですけれど」
この話題でわたしに話しかけてくるモニカは、普段のぴしっとした態度からは思いつかないほどおどおどしていて。それに返すわたしの言葉はいつも同じで。
「どうして?」
どうしてわたしが会長のことを教えなければいけないんだ、どうしてわたしが会長のことを知っていると思うんだ、どうしてバレットが近くにいるときに限って話しかけてくるんだ、どうしてバレットに恨みがましく見られてるんだ。全部引っくるめてのどうしてを、彼女はその度にそうですよねと愛想笑いで受け止めて引き下がった。
モニカがこんなことをしているのを知っているのは、当事者であるわたしと、入学してからなぜか事ある毎に近寄ってくるバレット・ロバーツくらいだろう。その最終形態が今日で、彼女にとっては最後のチャレンジだったのだと思う。
わたしとモニカ、そしてバレット以外には誰もいない教室には変な空気が流れていた。今の今まで言うのを我慢していたことを伝えただけなのに、なぜ。
王都学院の生徒会長、セシル・フィリップス公爵令息。銀色の髪とバイオレットの瞳を持ち、モニカ以上の美貌と頭脳とカリスマ性でもってこの学院を束ねている。王太子と親友で、乳兄弟。生まれた日もなんと同じ。今年で卒業であり、早いうちに公爵家を継ぐという噂もある──先程わたしは何も知らないと言ったが、さすがにこれくらいは知っていた。というか、知らないで生きることの方が難しい。
馬術の授業でバレットと勝手に競争をしていたら教師にキレられて、教員室で反省文を書き終えたのが十分前。荷物を取りに教室に戻ったら思い詰めた顔をしたモニカが立っていて、セシル・フィリップスについて教えてくださいと泣きながら請われたのがついさっき。そして今のこの雰囲気だ。
涙の止まったモニカはぱちりぱちりと数度瞬きをしている。窓ガラスから入り込む夕陽を金髪が反射して綺麗だ。無意識に一歩下がったらしい彼女の足が綺麗に並べられた机に当たってこつんと音がした。
「わたしも聞きたいです。教えてください。どうしてわたしが会長の情報を知っていると思ったんですか?」
「それは」
口ごもるモニカは普段の隙のない姿とはかけ離れている。はっきりしない態度だ。
「あ、あなたが情報通って聞いたから」
「えっどこで?」
「どこでと言われても……」
「だれが?」
「だれというか……」
多少なり被っていた猫も剥がれ、口調が粗雑になっている自覚はあった。追い詰めているつもりはないのだが、モニカの声がだんだん小さくなっていく。俯いたおかげで彼女の頭の天辺がこちらに向いた。髪を結っていても傷んだところが少しも見受けられない。
単純な疑問だった。わたしは少し運動神経が良いだけの子爵令嬢だ。しかも今までほとんど領地で暮らしていた。都会の流行りのファッションも人間関係の移り変わりも、そう簡単に耳に入る場所ではなかったし、興味もない。王都に親しい友人もいない。この学院に入ったのも高等部からだし、件の会長と同様に初等部から通う子女の方が詳しいに決まっている。初対面で情報通と判断できる要素はないはずだ。それなのに、彼女は初日からわたしに尋ねてきたのだ。
知りもしないことを聞かれてもわかるわけがないだろ、とそこまで思って、モニカの質問が自分なりにストレスだったのだなと気付く。なんだかどっと疲れた気分になった。
彼女の涙は確かに美しかった。胸を打たれる何かがそこにあった。でも、わたしには応えられないのだ。知らないのだから。
「というか情報通って、漫画やゲームじゃないんだから」
令嬢らしい丁寧な言葉を維持するのも面倒になり、素の口調で独り言を呟く。吐き出さなければやってられなかった。この世界には漫画もゲームもない。聞こえないように言ったつもりだが、聞こえても誤魔化せる範囲だろう。
と思ったら、モニカがまたしても鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてこちらを見ていた。
「漫画やゲームを知っているの?」
「え?」
「……あーゆーじゃぱにーず?」
「いえすあいどぅー」
「そこdoじゃないと思いますよアンダーソンさん」
そこ突っ込むところじゃないと思いますよターナーさん。隣でわざとらしく溜め息をついたバレットがわたしたちに着席を促した。何なんだお前は。
「ロバーツ様は帰っていいですよ」
「アンダーソンを家まで送っていけと先生に頼まれている。馬車はもう返しただろ」
「ターナー様と話をしたいのです。関係ない方がいると話しづらい」
「俺のことは空気と思ってくれていい。さっきまでとほとんど変わらない。他言もしない。神と王と剣に誓って」
騎士職を目指すバレットにとってかなり重い誓いの言葉から始まった三者面談は、皆の憧れモニカ・ターナーの奇声を聞ける珍しい機会となった。
奇声の理由は本人いわく、先程まで本当にバレットが目に入っていなかったこと、焦りによって暴走したうえに情けない泣き顔を見せてしまったこと、戒めていたはずの”ノンプレイヤーキャラクター扱い”を無自覚にしていたことへの羞恥と後悔、らしい。
「つまり、この世界は乙女ゲームの世界であると」
「わたしの記憶に間違いがなければ、そう」
プレミアムな奇声の鑑賞後、わたしたちは学習机で三角形を作って頭を突き合わせた。モニカの言う記憶は、当然”前世の記憶”だ。間抜けにも程がある確認をし合ったわたしとモニカの間に敬語はなくなったし、家名呼びもやめた。お互い貴族の子女であることは捨てていないが、この話題まで飾り付けて話す必要もない。
乙女ゲーム。女性を主人公とした女性向け恋愛シミュレーションゲームの総称。今世はもちろん、前世でも関わりがなかったものだ。友人がオタクでなければ乙女ゲームという単語さえ知らなかっただろう。友人、ありがとう。ものは試しと押し付けられたゲームをクリアだけはした自分も、ありがとう。
モニカにこの世界のことを教えられても、わたしは意外とすんなり受け入れることができた。今まで深く考えたことがなかったが、前世と今で母国語が同じなのは普通ありえないことだし、物の単位なども前世のものが使用されている。それに、この世界の科学のレベルを考えれば迷信めいた民間療法が蔓延っていそうなものなのに、技術はさておき、一般的な医療の知識は前世のものと遜色なかった。恋愛に主軸を置いた物語の舞台として、二十一世紀の日本国で構想された世界なのだと言われれば至極納得がいく。
近くで見たモニカの目元はまだほんのり赤かった。けれど、はっきりしっかりと現状を説明する姿はみんなのモニカ・ターナーそのものだ。聞けば彼女の前世の職業は秘書だったそうだ。生徒会の一員として会長を補佐する姿が様になるのも当然だろう。
「まあ気付いたのはこの学院に入ってからなんだけどね」
彼女いわく、その乙女ゲームは世界を救うとかヒロインに出生の秘密があるとかの壮大なものではなく、シンプルに好きな男性を落とすために自分を磨くストーリーなのだという。そしてゲームのヒロインは、だいたい予想はつくが、モニカ・ターナー男爵令嬢なのだそうだ。
「入学式でフィリップス会長を見て思ったの。あ、この世界はあの乙女ゲームの世界に似てるって。そうして今のわたしの容姿がヒロインそのものってことにも、わたしの名前がヒロインのデフォルト名そのままだってことにも気付いてしまった」
転生と前世については生まれたときからの付き合いであるし、そのこと自体は今更どうこう感じるものではない。ただ、前世で見たものが今に関係している(どころかある意味では自分が世界の中心)と知った瞬間の衝撃はどれほどのものだっただろうか。初日の彼女の興奮っぷりもなんとなく理解できる。
ゲームの中のヒロインは学院での過ごし方によってステータスが変化するらしい。テストや成績、交友関係などもステータスに左右される。特に顕著なのは恋愛方面で、運動をがんばれば騎士団長の息子からの、魔法をがんばれば現役魔法省からの、社交をがんばれば国を背負う王太子からの好感度が上がるようだ。
それを踏まえ、モニカ・ターナーの現状を鑑みると──
「で、モニカはフィリップス会長を攻略しようとしているわけだ」
そう言うと、モニカはゆっくりとわたしから目を逸らした。なんともいえない表情だ。”攻略”という言葉に後ろめたさがあるらしかった。
「当たり前だけど、わたしはゲームのヒロインとして生きてきたわけじゃない。前世の記憶があっても、今生を一人の人間として暮らしてきた。でもそれは他の人たちも同じなの。ゲームのキャラクターなんかじゃないのに」
ふるりと頭を振ったモニカに合わせて、橙色に染まった金髪も揺れた。わたしの彼女の第一印象は「変な人」だったけれど、普段の立ち振舞いや今のやり取りから、彼女が真っ当で澄んだ心を持つことはわかっている。自分の無自覚の扱いを開き直れる性質ではないということだ。
大変だなあと他人事のように思う。そうでなければ生徒会なんて務まらないのかもしれない。
「別にいいんじゃない。誰に迷惑がかかるわけでもなし。当人がよければ問題ないと思う」
生身の人間を機械的に攻略していると感じることもあるかもしれないが、それはモニカ自身が消化すべき葛藤だ。相手がその対応を不快に思っていないなら、周囲が口を出すことではない。
そんな気持ちも込めて言葉を返すと、今までおとなしくしていたバレットがかぱりと口を開いた。
「いや、迷惑はかかってたんじゃないか? アンダーソンに」
わかっているのかいないのか(いや絶対わかっていないのだけど)、世間話をするような口調で話すバレット。彼の指摘にコンマ二秒の苦しみの表情を見せたモニカが改めてこちらに向き直る。
「アリア・アンダーソンさん。わたしはあなたのことをゲームのキャラクターとして見ていました。申し訳ありませんでした」
おもむろに立ち上がったモニカが頭を下げた。突然のことにこちらも動きが止まる。モニカの言葉が間違いでなければ、わたしもゲームの登場人物の一人ということか。
最敬礼し続けるモニカに対して、どうすればよいのかがわからない。なるほどあのしつこさはわたしを見ていなかったからか、とか、想定と違っていたんだろうな少し悪いことをしたかも、とか、だからってわたしはやっぱりわたしでゲームのキャラクターじゃない、とか。数秒の間に複数の感情が脳内を巡って、とうとうわたしは観念した。
どうしてわたしがセシル・フィリップスの情報を知っていると思ったのか、という問いに対しての彼女の答えがこの謝罪なのだ。真摯な対応には真摯に応えるべきだ。被害者ぶりたくない、というのはただの幼稚なエゴなのだから。
「ゲームの中のアリア・アンダーソンがどんな人か知らないけど、わたしは生身の人間です。確かにあなたの振る舞いはわたしにとって迷惑でした」
言葉をかけ、僅かに視線を上げたモニカに手で着席を促す。隣のバレットがなぜか満足そうにしていた。わたしが令嬢でなければ脛を蹴り上げていたところだ。何も理解していないくせにいらんとこだけ的確に指摘しやがって、と思いつつ、彼が口にしなければわたし自身この蟠りをスルーしていただろう。感謝はすべきなのかもしれない。
わたしが謝罪を受け入れたことを汲み取ったモニカは、再度一礼をして席に着いた。
「ほんとうにごめんなさい。あなたがゲームのアリアとは違うというのは初日から感じていたのだけど、つい」
「もうそれは終わったでしょ。ゲームのアリア・アンダーソンが情報通だったんだ?」
「そう。ゲームのアリアは初等部から学院にいて、いろんな情報を持っているっていう設定なの。まあメタ的な話をすると、ヒロインのサポートキャラなのよ。攻略に詰まったときにイベントに絡むヒントをくれたり、現在のキャラクターからの好感度を占いで教えてくれたり」
「へえ」
今のわたしとはまるで違う自分の話にびっくりする。ゲームのアリア・アンダーソンは交流関係が広く、かつ並外れたバランス感覚を持つ人間で、聞き上手なのだろうと推測できた。いろんな人が好意からアリア・アンダーソンに声をかけ、話をする。そんな風に自然と情報が集まってくるくらいでなければ情報通などと呼ばれたりしないはずだ。
はっきり言って他人としか思えない。ゲームの中の自分を否定するわけではない。だが、実際にこの場にいるアリアはわたしで、占いの代わりに最近は馬術に精を出している。占いで好感度はわからないが、馬の機嫌は耳でわかる。そんな人間だ。
だが、ここでわたしは新たな疑問が湧いた。初日からゲームと生身のアリアが違うと察することができていたのに、なぜあれほどまで情報通のアリアにしつこかったのか。ノンプレイヤーキャラクター扱いも確かにあっただろうが、それだけではないような気がした。
「わたしがサポートキャラとして役に立たないことはなんとなくわかっていたんでしょ?」
「言い方」
「だからそこはもういいんだって。サポートキャラはあくまでサポートキャラでしょう? 結局はヒロインの行動で好感度は決まるはず」
「まあ、そうね。フラグが立つのはあくまでイベントで、そこにアリアは関係ないと思う」
「生徒会に勧誘されたスピードもすごかったし、最初からフィリップス会長を攻略しようとしてたんでしょ。もしかして前世からの推しだった? モニカなら前世でも記憶力良さそうだし、自力で会長を攻略できそうだけど」
ヒロインが選択肢を間違えなければ好感度は順調に貯まる。前世で一回だけプレイした乙女ゲームもそうだった。伏線はそこかしこに張られていて、フラグの立て忘れさえしなければサブイベントを数個飛ばしても問題ない。大抵のシミュレーションゲームはそういう風にできている。
そして、こういうゲームは周回が前提でもある。バッドエンド、グッドエンド、トゥルーエンド、大団円エンド。呼称や数はそれぞれ違えど、やり込みにシナリオの周回は必須だ。好きなルートなら何周もするだろう。オタクの友人は大好きなゲームであればそらでトゥルーエンドに辿り着くことができた。
一直線にセシル・フィリップスを攻略しにかかったなら、きっと前世から好きなキャラクターに違いない。ならばハッピーエンドの道筋など覚えているものではないか?
言外の問いを込めて推しの確認をするが、なぜかモニカは俯き、ぶつぶつと何か唱え始めた。何を言っているのか、まったく聞こえない。こちらに聞かせる言葉ではないらしく、自分の考えをまとめるための独り言のようだ。
なんだなんだと引きながらも、モニカが明瞭な言葉を発するのを待つ。と、ふいにバレットが後ろを気にかける様子を見せた。目だけで後方を窺う姿は珍しくキリリとしている。
「どうしたんです」
「何でもない。気にしないでいい」
「無理を言わないでください。だいたいあなたはいつも」
「ほら、モニカが喋り出すぞ。俺のことはいいから」
小声での会話はモニカの意識にまったく引っ掛からなかったようだ。不思議なことに、モニカは本当にバレットのことを空気か何かだと思っているらしい。わからないなりに話を途切れさせまいと打たれる相槌は適度なリズムとテンションが保たれ、わたしもモニカも多少はそのおかげで会話できているというのに。
モニカに限らず、この男は時折そういう扱いをされる、と解せない気分のまま、バレットが言う通りモニカが口を開いたので彼女に向き直るしかない。
「……推しなわけないじゃない」
「へ」
「だってわたし、各攻略対象の出会いイベントまでしかプレイできてないのよ? ゆっくり遊ぼうと思っているうちに、し、死んじゃって、パッケージとマニュアルの説明でしか彼らのことを知らないの!」
ワッと顔を覆ったモニカは彼女に憧れる同級生が見たら幻滅しそうなほど震えていて。いやあんだけ堂々とこの世界の説明してたじゃん、とつい突っ込みたくなるが、言われてみれば深堀りされたものではなかった。世界観の概要と攻略対象のラベリングを読み上げただけだ。
「でもしょうがないじゃない! 好きになっちゃったんだもの!」
結い上げたハーフアップのおかげでモニカの真っ赤な耳が丸見えだ。ぴるぴる震える様は子猫のようで、同性ながら不覚にも頭を撫でたくなってしまう。これがヒロインの魔力、と一瞬思ったが、これはたぶんモニカ・ターナー(前世持ち)自身の反応だ。
「ゲームのキャラクターなんかじゃなくて、現実のフィリップス会長を見て好きになっちゃったのよ! モニカ・ターナーなら攻略できるって知ってて、好きな相手のこと諦められますか!? 歪んでるってわかってたけど、好きなんだもん! いっそゲームとして割り切れれば楽なのに、ゲームの知識もないからそれもできなくて! ゲームのモニカみたいに天真爛漫な性格じゃないし、今世でもなんかみんなに遠巻きにされてるし、わたしなんかが会長に好かれる自信なかったけど、わたしだってモニカ・ターナーなんだもの! 諦めきれないでしょ!?」
怒濤の勢いでぶつけられたそれらの言葉は、この一年モニカなりに悩んできた証なのかもしれなかった。
逆ギレじゃん……とぼそりと呟いたバレットはさておき、湯気が出そうなほど顔を赤くしているモニカは大層混乱しているようだ。誰かにこんな風に恋心を暴露するだけでこの様なら、このモニカという少女、だいぶ恋愛事が下手ならしかった。わたしも恋愛には免疫がない(というか恋をしたことがない)ので言えた立場ではないが。
どうどうと両手のジェスチャーでモニカの興奮を宥める。普段のモニカは大人びて、それこそできる女のオーラが隠しきれていないけれど、涙目でパニックになっている姿は年相応だ。おそらく前世では十は年が離れていただろうに、かわいらしく思えてしまう。
「説明書にあったお近づきになるには生徒会に入るべしっていう文言を信じて必死に勉強したの。でもそれ以上のことは何にもわからなくて、だから、ゲームのアリアとは違うとわかってはいても、藁にもすがる思いであなたに何度も声をかけたのよ」
「なるほど、理解しました」
「結局情報は得られなかったし、生徒会に入ってからも特に進展はないし、ラブっぽいイベントも皆無だし、あと一ヶ月で会長は卒業しちゃうし」
「そうだね」
「一応この乙女ゲームのハッピーエンドのヒントは知ってるの。パッケージに書かれてたから。卒業パーティーの夜に教会から飛び立つ白鳩を見た二人は幸せになるんだって」
この学院は貴族が多いので、卒業資格の授与式とは別に卒業パーティーも催されるのだ。学院の敷地内にある教会は小さいが、そのような行事の際には厳かに鐘を鳴らす。そんな場所にそんな伝説じみた噂があるとは、まるで乙女ゲームだ。乙女ゲームだった。
だが、卒業パーティーで二人きりになるのは至難の技だろう。ましてやセシル・フィリップスであれば周りが放っておかない。ダンスホールに引っ張りだこであるのは想像に易い。そこから連れ出すには最初からエスコートの約束をしているくらいの相手でないと──
「あ、エスコートの締め切り、明日か」
「そうよ。明日までに相手を決めて提出しないと、抽選になる」
貴族社会のダンスパーティーはエスコート相手がいて当然。だが、憧れの先輩のエスコートを願う後輩は数知れない。人望ある卒業生を巡って血みどろの戦いが繰り広げられた過去のある学院では、卒業パーティーのエスコートは卒業生からの事前の申請により決まっていた。申請がなければ希望者を募り、くじ引きだ。婚約者がいるものなどはとっくに申請を終え、まだ決まっていない人気者の周りは締め切り日までが戦いだった。そう言えば、セシル・フィリップスはまだ相手を決めていないようだった(たまにすれ違うと金魚の糞がたくさんついていたので)。
本当に最後のチャンスなのだろう。これを逃したら想い人と伝説を遂げることはできなくなる。乙女ゲーム的に言えば、ハッピーエンドがなくなるのだ。友情エンドは可能かもしれないが、恋情を抱いた相手と何もならずに終わるというのは失恋と同じだ。
モニカは諦めきれないと何度も言っていた。ゲームのモニカじゃないから会長に好かれる自信はない、攻略のためのイベント発生方法もわからない、自分なりに生身で好かれようとしても発展しない。どんなに情けなくてもわずかでも情報を欲しい、と生身のわたしにすがりついた彼女の焦りたるや。
モニカ自身が、ゲームと現実の狭間でたくさん悩んだに違いない。自分自身のこと、わたしのこと、キャラクターではなく人間として好きになったのに、キャラクターとして攻略するしか結ばれないだろうセシル・フィリップスのこと。今日でだめなら恋心はすべて捨てるつもりなのだろうことは雰囲気で察した。
「でも、もういいです。結局、あなただけじゃなくフィリップス会長のこともノンプレイヤーキャラクター扱いしていたのよ。ひどいよね」
「会長が嫌がってないならいいんじゃない?」
結局わたしは先程と同じことしか言えない。相手の気持ちなどわからないのだし、そもそういう扱いをされたという自覚がなければ気にもならないことではある。
ただ、それよりも重要な問題がまだあるんじゃないのか?
「というか、反省してるなら、生身の人間として会長にぶつかったらどうなの?」
「ぶつかる?」
「モニカは今までゲームをなぞろうとしてなぞれなかったんでしょ。それはまあ、もうしょうがないよ。今ここにいるモニカ・ターナーとして、フィリップス会長に伝えたことはあるのかって」
「それは」
モニカはぐっと唇を噛んだ。ないらしかった。話を聞く限り、ゲームのモニカと今のモニカは本当にだいぶ違うのだろう。わたしと同じくらいに。そうしてゲームではハッピーエンドがあると知っているからこそ、ゲームのモニカでない自分に対して消極的なのも理解できる。
だからってそれがどうした。人は急には変われない。突然前世を思い出して人格が入れ替わった、とかならあり得るかもしれないが、わたしたちは前世と寄り添って生きてきた人間だ。前世含めて今のわたしたちだ。ならば、今のモニカが努力してきたこと、抱いた想い、為したい願いは今のモニカでしか報われないはずだ。
「わたしに断れたからって諦めるんなら、会長にフラれてから諦めるのも大して変わんないでしょ」
「だいぶ変わるけどな」
「ロバーツ様は黙って。とにかく、どうせこのままでも成就しないんなら、当たって砕けた方がすっきりするんじゃないの。わたしたちあと二年もこの学院にいるんだよ? 今のうちに吹っ切ってしまった方が楽だと思う」
「他人事みたいに簡単に言うわね」
「他人事だもん」
くしゃりと泣き笑いの顔になったモニカの手をそっと撫でる。綺麗な手をしている。わたしは今まで彼女と向き合ってはこなかったけれど、彼女の周囲への貢献は知っているし、前世を持つという同じ境遇の人間として多少情を抱いた部分もある。ゲームのキャラクターではなく、生身のアリア・アンダーソンとして、彼女の恋が少しでも報われたらいいと思う。
机の上できつく握られていたモニカの拳がわずかに緩んだ。おそるおそるといった様子でわたしの手を握り返すモニカ。
「わたしをキャラクター扱いしたことを悪いと思ってるなら、同じくキャラクター扱いした会長に対しても誠意を見せろよって話」
「それを言われたら耳が痛いわ。……変なこと言っていい? わたし、あなたとは親友になれそうな気がする」
「情報通じゃないけどいいの?」
「わたしも天真爛漫じゃないけどいいかな?」
二人で小さく笑い合ってから、ぱしりとモニカの手の甲を叩く。痛みはないはずだ。
「そう言えば二人とも、時間はいいのか? もうそろそろ日が暮れるが」
「えっうそ。生徒会の仕事抜けてきたんだよね。そろそろ戻らないと幻滅されちゃう」
「さすがに幻滅じゃなく心配してるんじゃないの? ついでに会長に突撃してきたら」
「あは、そうする」
立ち上がったモニカの笑みはさっぱりしている。いろいろ吹っ切れたらしかった。わたしもストレスの原因がなくなったどころか、素敵な友人を得られたために気分がいい。
三角にした机を元の位置に戻すためにバレットと二人で動かす。モニカも手伝おうとしていたが、わたしが片手で追い払った。
「まあ、砕けることはないかもしれないが」
机を引き摺る音に紛れて聞こえたバレットの呟きに首を傾げる。荷物をまとめたモニカが教室の扉を開けたのを横目で見ていたときだった。
「きゃ、」
モニカの短い悲鳴と共に、バタンと大きな音が廊下から聞こえた。物が倒れたというより人が転んだような物音に、わたしは慌てて廊下に出る。
一足先に廊下に出ていたモニカの足元で、誰かが座り込んでいた。不審者かと思いきや、両手で口を覆っているその人物は今の今までわたしたちの話題の中心だったその人で。
「フィリップス会長……?」
「えっいや、あの、その」
さらさらの銀髪は乱れ、潤んだ菫色は夕陽を吸い込んでこちらを見上げ、白い肌は顔どころか耳や首筋まで真っ赤に染まっている。色気駄々もれのその様に、あらまあ、と初めて感じるときめきを覚えてしまった。いかがわしい想像が一瞬脳裏を駆け巡る。
それはさておき、状況を見るに、モニカからしたらとんでもない事態になっているかもしれない。
「……フィリップス会長、失礼ながら、淑女の会話を立ち聞きしていましたか?」
「し、してない、してな」
「モニカ・ターナーの好きな」
「あああアリア!」
モニカの叫び声がわたしを遮ったが、フィリップス会長の反応ですぐにわかってしまう。これ以上赤くなりようがないと思った白磁の肌はさらに茹で上がり、言語をなさない声が会長の口から漏れていた。
こんなセシル・フィリップスは見たことがない。怜悧な表情と冷静な対応が魅力と騒がれているはずの青年が、真っ赤に震えて泣きそうな顔をしているのだ。無礼を承知で言うならば、とてもかわいい。ついでに、モニカも会長と同じくらいに顔を赤くしていた。
「わた、私は、ターナーが帰ってくるのが遅いから、し、心配で」
「そうですね」
「だから、た、立ち聞きなんてするつもりはなくて」
「はい」
「彼女の好きな人とか、諦めきれないとか、ぜ、全然聞いてない!」
聞いたことのない大声を上げて、フィリップス会長は走り去った。陸上選手もびっくりのクラウチングスタートだった。わたしも久しぶりに走りたいなと思ってしまったほどだ。
走り去る後ろ姿にほれぼれしていると、いつの間にか後ろにいたバレットがぽけっとした声でモニカに話しかけていた。
「追いかけなくていいのか?」
「今めちゃくちゃ死にたいのですけれど」
「……そうだ。モニカ、追いかけて」
「絶対全部聞かれてたじゃない恥ずかしい死にたいむりむりむりむり」
「走れモニカ!」
「ううううう」
アリアのばか、と叫んだモニカが初速からトップスピードで廊下を駆けていった。コーナーも完璧だし、スカートも鉄壁だ。わたしも走りたい。跳びたい。彼女の恋が成就したら、恋のキューピッド権限で学院に陸上部を作ってくれないだろうか。
「で、ロバーツ様はフィリップス会長が廊下にいたこと、気付いていましたよね」
「まあな。これでも騎士の卵だし」
嵐が過ぎ去れば、放課後の校舎は静かなものだった。当初の予定通りロバーツ家の馬車に屋敷まで送ってもらうために、馬車が停まっているという裏門へ二人で向かう。
モニカが駆ける姿を大爆笑で見送ったバレットは、やはりセシル・フィリップスの立ち聞きに気付いていたようだ。
「いやあ、おもしろいもんが見れた」
歩きながらにまにまと笑うバレットは少々性格が悪いのではと思ってしまう。いや、正直わたしもいろいろおもろいと思っているので同類かもしれない。
「もう何も言いませんよ。ああでも、教室でのやり取りは本当に他言無用でお願いします。あの誓いの言葉を破ったら、さすがに軽蔑しますから」
「言わない言わない」
廊下にわたしたち二人の足音が響く。時たますれ違う教師に礼をしつつ、この世界が男女の二人きりに寛容で良かったと今更ながら考えた。その辺りもまた、日本産乙女ゲームのご都合によるものなのだろう。この程度でいちいち噂されたらまともに暮らしていけない。
「というか、俺は呼び捨てにしてくれないのか?」
「する必要あります?」
「ターナーにはしていたじゃないか」
「モニカはまあ、秘密の共有者ということで」
「俺だって秘密を聞いただろう?」
「何もわかっていない人は共有者とは言いません」
「わかってるって。俺も前世持ち」
にかっと笑ったバレットをぽかんと見上げてしまった。鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔、と言われて慌てて口を閉じる。
「たぶん俺が一番このゲームのこと詳しいよ?」
何でもないことのようにさらりと爆弾発言を繰り広げるこの男は、もしかしたらある意味では前世のわたしよりも数倍ポーカーフェイスがうまいのかもしれなかった。
バレット・ロバーツ伯爵令息。短く刈り上げた鳶色の髪と、さらに濃い焦げ茶色の垂れ目が特徴の男。同年代に比べると成長が早いようで、女子にしては比較的身長のあるわたしでさえも結構な角度で見上げて会話をする。ただ、彼の特徴はそれくらいであり、勉学の成績も顔の作りも家格も中の中(と本人が言っていた)。騎士を目指す者らしく身体を動かすことは得意だが、それほど目立つ人間ではないだろう。
そんな彼が、わたしたちと同じく前世持ち。そんな素振り、まったく見せなかったではないか。
「信じられないか? あのゲームのスペック教えようか?」
そうして彼の口からつらつら出てきたゲームの情報が正しいかは擦り合わせができないが、対応ハードの名前や主題歌を担当したというアーティストの名前は前世の日本で聞いたことがある。もちろんこの世界ではまったく耳にしたことがない。それだけでも彼の言葉が真実だと判断するには十分だった。
なんというか、もはや呆れた。モニカとのやり取りも全部理解したうえで聞いていたのだ。わたしはまあそんなに気にしていないが、モニカはバレットが何も知らないと思っているからこそ、その場にいることを許したのだ。そのうえで、この男は自分も同様であると告げなかった。
「性格わるぅ」
「うーんわかりやすい口調の変化。やっぱり何だかんだ前世って影響しているよな」
「それは否定しないけども」
この話しぶりからすると、モニカがこの世界に気付くよりも先に思い出したのだろう。わたしがサポートキャラクターとしてまともに機能していないのも、初日で把握したに違いない。今思えば、バレットの恨めしそうな視線は「ヒロインが聞いてきてるんだからちゃんと答えろや」という意味だったのだろう。わかるか。
「じゃあロバーツ様も」
「バレット」
「……バレットもゲームのキャラクターだったりするの? 攻略対象の一人?」
玄関で靴を履き替えるとすぐに手を伸べられた。階段を下りるとき、馬車に乗るとき、その他諸々のタイミングで、貴族の男性は貴族の女性をエスコートしなければならない。それを嫌味なく自然にこなせるということは、バレットも前世と折り合いをつけてこの世界で生きているということだった。
ゆっくりとステアを踏みながらも、バレットはわたしの問いに心底おかしそうに笑った。
「俺はねえ、男子生徒Bだね」
それは、固有の名称のない群衆の呼び方だ。バレットのBな、と付け加える声に卑下の響きはない。
バレットが言うには、生まれたときからずっとそうだったのだという。特別に愛されたわけでもなく、虐げられたわけでもなく。何かしらの大きなハプニングが起きれば大抵その場に居合わせるのだが、それを引き起こす立場にも被害者の立場にも解決する立場にもなったことはない。それらの周りでなになにらしいよと事実と懸念を囁くことが役割、らしい。
いてもいなくてもさして変わらない、でもいると何かとスムーズにまとまる、それがバレット・ロバーツなのだと。
「今日もそうだったろ。普通、前世だの恋だの、人に聞かれたくない話をするときは部外者がいたら場所を変えたりするもんだ。でもモニカ・ターナーは気にせず話を始めた。俺が男子生徒Bで、空気とほとんど変わらないから」
わかるようなわからないような、と答えたわたしの口の中は乾いていた。彼があからさまに邪険にされているところは見たことがないが、かと言って積極的に誰かの話題に上がっているところもあまり見たことがなかった。周りに馴染んでいる。どんな場でも。それが長所であるのは確かだが──何とも思っていないようにこの話をするバレットにとってはどうなのだろうか。
気付かぬうちに神妙な顔をしてしまったらしかった。ぷっとまた笑われる。この男、案外笑いの沸点が低いのかもしれない。
「今日のもまあ、イレギュラーではあったけど、男子生徒Bの役割は果たしただろ。そういう意味ではゲームのキャラクターではあるんじゃないか? 前世でも似たようなもんだったし」
バレットは本当に気にしていないようだった。その態度が何だか腹立たしい。
「わたしにまとわりついたのも役割を果たすためなんだ?」
「まとわり、……人聞きが悪いな。まあそれも多少はある。この性質だからか、いろんな噂が勝手に入ってきてな。アンダーソンが答えられないなら俺が答えてやろうかって思ったときもあった。このゲームのことは嫌いじゃなかったし、ヒロインの恋は応援したかったから」
「いいんじゃない。わたしのこと睨んでたのは忘れないけど」
「ごめんて! あとは、アンダーソンといると、なんか楽だったから」
謝罪のあとに付け加えられた言葉はほとんど独り言のようで。魂を遠くに放り投げられたかのように手応えのない声音だった。
「つまり俺が言いたいのは、俺も君をノンプレイヤーキャラクター扱いしたことがあったっていうこと。だからその謝罪を込めて俺も打ち明けたということで」
「これで全員同じ立場ってこと。……謝罪だけじゃなく、誓いは守るということを念押ししたかったんでしょ。それくらいわかる」
そう言うと、バレットはぱちりと大きく瞬きをした。飄々とした様子が消えたのを見て、胸がすく。最後の一段をバレットの先導で下る。目の前にはロバーツ家の紋が入った綺麗な馬車が停まっている。
エスコートをされなければ馬車に乗ることはできないのだが、と立ち止まった彼の顔を見つめる。
「あー、ごめん。まさかそこまでバレるとは」
「わかりやすいけど」
「普通はモブの駆け引きの中身なんて気にしないもんだよ」
「あのさあ」
再度エスコートの手を差し伸べたバレットに、わたしは苛立ちをぶつけた。先程からずっとぐだぐだぐだぐだうるさい。それでいいとお前は思い込んでいるのかもしれないが、傍にいることが多かったわたしは堪ったもんじゃなかった。
「わたしはあなたのこと空気だとかモブだとか思ったことない。第一、あなたが空気なら今日だって反省文書かせられてないでしょう。わたしも一緒に居残り回避できてからモブを名乗れよ」
またしてもバレットの動きが止まった。アリア・アンダーソンだって、ゲームの中では脇役に過ぎない。主人公が話しかけてくれない限り出番はないのだ。脇役とモブが騒いだところで教師は目をつけないだろうに、見事に毎回補習を言いつけられているのだから、この世界ではそういう役割なんてないと思った方が気が楽だ。
いや待てよ、受け取り方によってはモブになれと言っているようなものか? いやそれも間違いではない(もちろん居残りが嫌いだからだ)が、と少しだけ焦ってバレットの顔を覗くと、大きく吹き出して笑い始めた。
「アハ、ハハハ、確かにそうだ! お前と一緒にいるときは絶対に見逃してもらえないもんな」
「そうだよ。わたしはいちいち空気を乗馬に誘っているの? 馬鹿じゃんそんなの」
「そうだな、ほんとにそう」
ひぃひぃと変な声を出しながらもようやく馬車に載せられたわたしは、正面に座る男が笑うのを小一時間強制的に見せられ続けた。何がそんなにおかしいのかわからないが、自分が笑われているのはわかる。わたしが令嬢でよかったな、手が出なくて。
あえて不機嫌オーラを隠さずにいると、ようやく笑いが収まったらしいバレットが前のめりになって問いかけてきた。膝の上に肘をつくその姿は長身のおかげかなかなか様になっている。
「アンダーソンは」
「アリアでいい。今更なにを家名で」
「アリアは学院出たらどうするんだ?」
「さあ? 決めてない。運良く婚約者でも見つかれば結婚するだろうし、見つからなかったら就職だね。できれば身体を動かす仕事に就きたい」
「ふーん」
バレットへの答えは本心だ。貴族の令嬢として結婚を嫌がるつもりはないけれど、両親は基本的にやりたいことをやってもいいと言ってくれているから、婚約者探しも本腰を入れるつもりはない。恋をしたこともないし、こういうものは縁だとよく聞く。どこかの誰かが気に入って婚約を申し込んでくれたら万々歳。さすがに家のこともあるので即答はしないだろうが、それなりに暮らせるのなら政略結婚でも構わない。学院のサポートもあるので、結婚できなくても将来に不安は抱えていなかった。
その後も少しずついろんな話をした。バレットの予想では、セシル・フィリップスも前世持ちの可能性があるということだった。モニカはフラグが立たないと嘆いていたが、実際はモニカ自身のスペックが高すぎてフラグを折っていたそうだ。本来であれば会長と共に解決する問題を一人で片付け、それを風の噂で聞いた会長が「どうして……ゲームと違う……」と呟くのをバレットは聞いたことがあるらしい。あれも傑作だったと続けるバレットはやはり性格が悪いと思う。
それなら、セシル・フィリップスにもいろいろあったのかもしれない。攻略対象らしく動こうとしたのに一向にイベントが起きそうにないとか、自分から攻略にはいけないとか。立ち聞きがバレたときの彼は困惑と動揺にまみれていて、それが突然本気の好きをぶつけられたせいで理想の攻略対象としていられなくなったからだと考えれば納得はできた。あくまで想像なので何とも言えないが、モニカの恋が叶えば裏話として出てくるかもしれない。
学院でもしているようなくだらない話を咲かせているうちに、ガタンと音を立てて馬車が停まった。アンダーソン邸に着いたらしい。乗るときと同じようにエスコートされて馬車を下りる。すでに日は落ちきり、街灯が馬車の屋根を照らしていた。
「ではまた明日」
別れの挨拶をしたあと、カーテシーをする。その間に馬車に乗り込んでいると思ったが、姿勢を元に戻してもバレットは目の前にいた。つい怪訝な顔をしてしまう。
「……ああ、また明日。お楽しみに、アリア・アンダーソン」
に、と見せた笑顔は今までのものとは違い、なんとなく意地悪っぽいものだった。夕闇の中のほとんど黒に近い瞳に、吸い込まれてしまいそうな心地になる。付け加えられた「お楽しみに」という言葉も相俟って、なんだか嫌な予感がした。
そうして週末に家に届いた求婚の書簡に、家族の目も憚らずに「どうやったらお前が空気になるんだ」と叫んでしまった。腹立つ。
・駒村小鳩:現役大学生であり、走り高跳びの強化選手。大腿二頭筋の十分の一でもいいから表情筋を鍛えたら、と友人に言われたことがある。
・桝本智恵理:とある企業の社長秘書を勤めるキャリアウーマン。近寄りがたく思われがちで、そのせいか恋愛経験が少なく、不得手。
・鈴木遼太:佐崎遼太という芸名でデビューした新人声優。一人で複数人を演じ分ける実力を持つが、声に華がなく、ブレイクはまだ遠い。
・羽場修介:オタクの姉に英才教育を施されたハイスペック男子高校生。姉の理想の男性探しに付き合わされて、いろんなゲームを遊んだ。