クリーンハンズ
陰で、変なあだ名をつけられていた。
『ゾンビ』。それが、私がいないときの私の名前だった。
中学生のときのことだ。いま思えば、ゾンビというあだ名をつけた意図がよく分からない。私自身もなにがそんなに嫌だったのか、わからない。
同級生たちは、わざと私が気付くように、こそこそ話をしているところを見せつけるようにしてきた。決まって、それをするときは、私からは横顔しか見えない。彼らは別の同級生と私の悪口を言いながら、瞳だけをこちらに向け、口角を少し上げている。
その下卑た表情をよく覚えている。
いきなり、後ろから股間を蹴られた。
その日の体育は、武道場で行われた。柔道の授業だった。私たちは、20m四方程度の武道場に散らばって、準備体操をする。
開脚の準備体操をしていたとき、私の股間に激しい痛みが走った。何かをぶつけられたような、痛みだった。
「ごめん、間違えて蹴っちゃったー」
なにを間違えたのか?蹴る動きなんか、準備体操にはないだろう。私は、そんなことを考えたが、ただ静かに黙って、見つめることしかできなかった。
そのあと、保健室に寄ってから教室に戻ると、「ゾンビの痛覚実験」という言葉がどこからか聞こえてきた。
財布から、金を取られた。
私は母から、月にいくらか夕飯代を渡されていた。母はシングルマザーで、夜遅くまで仕事をしていたからだ。
あるとき、お金が見るからに目減りしていた。
彼らが、机に座って、これ見よがしに千円札を何枚かヒラヒラさせていた。私が文句を言ってくるのを待っているのだろう。文句を言ってきたら、証拠がないとでも言うつもりなのだ。
私は、黙っていた。
制服に泥をかけられた。
鉛筆を折られた。
上履きを汚物入れに入れられた。
私の提出物を捨てられた。
鞄の中にヘアスプレーを吹き掛けられた。
あれから30年。
私の心は、中学生のときから成長していない。進むことができなかった。
私は、勉強だけはしてきた。その結果、まともな学歴を得て、就職は思うようにはいかなかったものの、地元の地域の小学校の教員となった。
心は中学生のときのまま、決して時は進んでいないが、仕事はこなしていた。
それに気がついたのは、生まれ故郷である市の、隣の市の小学校に赴任したときだった。
一つ下の学年の名簿に、私をいじめていた男の苗字が名簿に書いてあった。
調べると、たしかにあの男の、子のようだった。生まれ育った市と隣の市に、家庭を築くのは、なんともモデル的、悪くいえば典型的な生き方だ。
私のやることは決まっていた。
その子を、教員の力を使って、徹底的に追い詰めた。
細かな行動をあげつらって成績を下げた。
提出物に薬品を擦り付けて劣化させ、白紙提出扱いにした。
他の教員の私物をカバンに入れて泥棒の濡れ衣を着せた。
体育着にトイレの尿を塗りたくった。
筆記用具を犬の汚物塗れにした。
特に、尿や汚物は効いた。
小学生は匂いや汚れに敏感だ。あの男の子供はすぐに、汚染物扱いされいじめの対象になった。
私は胸がすく思いだった。
男の子供が、男の大切なものが、追い詰められていく。傷つけられていく。私の手によってだ。
これほどの快事はそうはない。
罪のない子供を巻き込むのはどうか、というのはごもっともな意見だ。
では、いじめられた私にはなんの罪があったというのか?私がやつに蹴られて負った怪我は、なんの罰だったのか?私が盗まれた金は私がなにをしたからだったのか?
私に罪はない。
あの男は、罪のない者を傷つけることを首肯したのだ。
私は、あの男の価値観に則って、行動をしているだけだ。
あの男のルールでは、罪のない者を傷つけることは許される。であれば、私が今あの男の子供を傷つけていることは、責められようもない。
近いうちに、あの男も気がつくだろう。私が彼の大切なものを傷つけているということに。
そのときは、証拠がないとでも言うつもりだ。
この主人公に対し、いかなる倫理的批判が考えうるか興味があります。
ぜひご意見を伺いたく思います。




