90歩 「対武田戦(2)」
「……お嬢。大丈夫か」
前将さんに「ポン」と、肩を叩かれた。
正直、そうしてもらったおかげでどうにか我に返れた。
「気を引き締めろ。イチゾー殿の言う通り、今からはホンキで掛からんと死に申す」
「うん。分かってる」
いつもより重く感じる胸当てに手を当てた。深く、自分に言い聞かせるようにうなづいた。
前将さんと又左を見渡し。
「……いい? 前将さんと別れてから300秒後にわたしがここからドローンを飛ばす。その10秒後に又左がこのあたりに火を放って逃げる。その300秒後に約束した場所でふたたび3人が落ち合う。これでいいね?」
「承知」
「分かった」
前将さんがいつにない軽妙な動きで姿を消した。
この建物の屋根に這い登ったのだ。
わたしたちは同じ建物の床下に潜んでいる状態だ。
「藤吉郎。お前の作戦、絶対成功させてやる」
「ありがとう。……又左」
又左から、つい目を逸らす。ジッと見詰めてくるものだから。
「藤吉郎」
「何?」
「香宗我部殿を気絶させたこと、怒っているか?」
「……怒ってないよ。ああでもしないとアイツ、本気で付いて来そうだったから」
チラ……と自分の腕時計を気にする又左。その彼の手をとる。
「……ごめん。ホントウにごめん。……悪者にさせて……」
「悪者? そうじゃない。オレも当事者のつもりだ」
「……又左」
……当事者、か。
あのときの言葉。
あれ、やっぱりプロポーズだったんだよね?
又左なりの。
「藤吉郎、そろそろ時間だ。続きはあとで話そう」
「……そう、だね」
モニターの電源を入れ、コントローラーを握る。
プロペラ音とともにドローン本体が浮き上がる。
「行くよ?」
「ああ。ちょうど時間だ」
又左に念押しし、空高くドローンを舞い上げる。
それを見送った刹那、又左が消える。
「行ってらっしゃい」
無視していたがわたしの耳に届いていたものがある。
誰と知れぬ読経だ。それがピタリと止んだ。
ここは宗教関係のお堂だった。
般若心境だか何だかの代わりにざわつきが聞こえだした。
床を走り回る音がひっきりなしに起こる。
モニターを凝視していたわたしはある一点に視線を寄せた。
「コイツだ。――武田信玄」
家康ちゃんが送ってくれた写真通りの人物。
「……わたしと同じか、ちょっと年上くらい……」
観察していて息を呑んだ。背中がゾクリとした。
彼の眼は、しっかりとドローンを捉えていた。
……そのことじゃない。
コイツ、ちょうどわたしの真上に立っていた!
モニター越し、ドローンを見上げていたコイツの目線が足元の床に落ちた。
――わたしの隠れている床下に。
信玄、槍を持っている。
身の危険を感じたわたしは、ある物を手に取った。
その瞬間だった。そのある物に槍の穂先が命中した。
「――!」
床下を転げて抜け出したわたしは、床上を振り見た。
床に突き立てた槍をそのままにして、けん銃を構え直す少年が無表情でわたしを見ていた。
「……女、か?」
「アンタ、武田信玄だよね?」
着流しの着物の上に分厚いジャケットを着こんでいる。縒れた野球帽が頭に乗っかっている。見るからに異常なナリだった。
口にくわえていたタバコをハラリと落とした彼は、少しどんよりした目で、
「それフライパン?」
「ええ、そーよ。槍喰らっちゃってへこんだけど」
「なかなか度胸あんな。敵陣の真ん中に乗り込んで来たってわけだ? ……織田の仲間?」
関心無さそうなカオで質問重ねんな。簡単に答えると思ってんの?
「変わったモン、飛ばしてんねぇ。アレ、何? 偵察機?」
「……わたしは木下陽葉、アンタは武田信玄だよね?」
もう一度チャレンジ。答えてくれたら御の字。
「そー、オレ武田信玄。オマエは未来人か?」
「昭和52年生まれ、15歳。アンタは?」
「昭和10年生まれ、16歳。へぇ若いねぇ」
お礼のつもりで答えたが少々驚き。戦前の生まれなんだ!
「……武田信玄さん。悪いけど戦国武将ゲームはわたしが勝たせてもらうよ?」
「へぇ? アンタここで死ぬのに? それにオレ、影武者だけど?」
「――へ?」
影武者?!
影武者ってあの影武者?!
「アンタ、アンカープレイヤーだろ? 調べはついてるぜ?」
「な?!」
何の躊躇もなく銃を持ち上げた信玄は、わたしを撃った。
同時にわたし、その空間から掻き消えた。
コインシャワーがタイムアップしたからだ。間一髪だった。




