73歩 「知多半島攻防戦(4)」
すり減るんじゃない? ってほど、おでこを地面に押し当て、ひたすら耐えた。
そんなわたし以外にも、農村、漁村問わず、近隣在郷の民らが、次代の支配者の臭いを嗅ぎ付けて献上の品々を我勝ちに付け届けしていた。
彼らも例外なく、わたしと同ンなじように皆這いつくばって恭順の意を示している。おそらく全員、自村を代表して来貢してるんだろう。その数、2、30人。
みな、理不尽な仕打ちを受けないよう、必死に安寧の想いを伝えてるんだ。
――今川義元に。
「御屋形様は大いに満足しておられる。遠路、感謝申す」
上からねぎらいの声が降りた。但しカオを上げていいとまでは言われなかった。
出来ればご尊顔拝して、来る戦闘時の役に立てたいって願ったが、そりゃどうもムリそうだ。
草摺りの音とともに、スッと、頭上あたりに香木の薫気が流れた。義元が通りすぎたんだなと判った。
「こたびの祝いの品々、まことにありがとうでする」
こんどは若い女の子の、どこかで聞いたような妙な言い回しのお礼が過ぎ去り、後から多数の武者らの怒涛の足音が延々続いた。
ほんの今まで陣地だった場所は、一気に閑散としたただの草木地になった。それからひとり、またひとりと、弛緩した表情の民らが身を起こし、もと来た道へと引き返していった。
一方で今川軍の、無数の旗指物を押し立てた優美華麗な隊列が、荒天にかかわらず、ゆったりした足並みで軍道を北方向に進み、消えて行くのを見届けた。
「大軍は去った。これで無事に織田が着到できれば、戦は勝ちじゃな」
前将さんがやれやれと、袖口で膝やおでこの泥をぬぐい落しながら息を吐いた。
「だね」
うなづき、戦国武将ゲームのカードの画面を眺める。
恰幅の良い中年のオジサンがあおり気味にハッキリと映っている。
その横で片ひざをついている女の子。
――徳川家康ちゃん。
こちらの隠し撮りに気付き、こっそりピースを送ってる。
今川本軍、知多半島から退去。
乙音ちゃんにメッセージを送信。
織田美濃の果敢な意志が招き寄せるだろう強運を祈り、わたしは、小雨にかすむ浜辺を見渡した。
雲の切れ間はだいぶ近付いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
半日が経った。
「清須に戻るぞ」
上陸ポイントに帰着し交替で仮眠していると、突然前将さんに揺り起こされた。
「沖に織田勢があらわれたそうだ。ワシらの役目はめでたく完了じゃ」
言われた方向を睨むものの、無限の宙空に黒々した潮のぶつかる音しか聞こえない。
「織田美濃さまが来たのなら、わたしらの活躍もこれからでしょ」
そう返すと頭をチョップされた。
「藤吉郎お嬢の冒険に付き合うのもここまでじゃ。こたびはここらあたりで満足しておけ」
「ナニ言ってんの! これから戦いが始まるわけでしょ、わたしも戦うよ」
「そんな無防備ないでたちで戦場に出ると? ……ダメだ、止めとけ。軍勢同士のぶつかり合いが始まれば、逃げたくても逃げられなくなる。今のうちに立ち退くぞ」
足手まといになる前に、――と前将さんが付け足した。
ぶーたれたが仕方なく折れた。
たしかに武器も防具もない。丸腰じゃ何もできない。気合いだけで戦えりゃ世話無い。
そうこうするうちに内陸側の丘陵が少しずつ白みはじめ、大海の面立ちがじんわりと浮かび上がった。
墨入れした必勝ダルマのように括目したわたし。
「来た、来たぁぁぁああ! 乙音ちゃんだーーっ!」
狂喜してる間に、先陣のゴムボートがどんどん浜に乗り上げ、すし詰めの足軽部隊が爆ぜるように陸に解き放たれた。ボードを引き除け、素早く後続船を誘導する。
中学の制服の上に、防刃ジャケットを着重ねた乙音ちゃんが、わたしのすぐそばを走り抜けた。その瞬間の目配せだけで、彼女のねぎらいと感謝の意が強く伝わった。
身震いしたわたしは前将さんに「帰ろう」と一言ふりしぼった。妙な感激で喉がつまった。
1里以上東方にあるはずの敵の付け城が早くも赤く染まりだした気がした。
無言で押し進む兵らの足音が、身中を熱くさせた。
あたりの空気は一変している。
ほんのさっきまで当地を覆い尽していた闇と静寂は、今はみじんも残らない。
衝撃的でセンセーショナルな一日の幕開けを告げる朝日を肌で感じながら、わたしと前将さん一行は、激戦地となるだろう知多半島を一足早く後にした。
陽葉(ブクマ15件目御礼……じゃなかった)




