71歩 「知多半島攻防戦(2)」
「オメエさまは物狂いしておられる。こんな日は船を出さねぇものでし」
うねりの激しい濃濁の海を背にして、漁村の長が首をふった。
「断るのなら隣村を当たるだけです。もし、隣村がこのお役目を受けて無事渡れたなら、あなたたちはウソつきって話で、村ごとお仕置きします。反対に隣村より先に受けてくれたら、あなたたちが望むだけの褒美と、今後の無税を約束します」
前将さんに手伝ってもらってその場で証文を書いたわたしは、半ば強引に漁船を出させ、沖に漕ぎ出した。
最初こそ「漁師も大げさなんだから」と楽観に捉えていたわたしも、やがて波の攻めが本格化すると恐ろしくて身震いが止まらなくなった。
がっちりと船の縁を掴み、筋肉痛になりそうなほど両腕に力をこめて集中した。
「又左。キミは平気なの?」
「……」
返事がない。さすがの彼もしかばねのようだ。
観察してるとようやく小さく首を振った。その眼はやっぱし死んでた。
「オッエェェェ」
わたしのとなりで前将さんが鮮やかな嘔吐をぶちまける!
ひーっ、キッタナー!
わたしは女子だ。
そんな姿を晒すわけにはいかない。
いかない……?
「オエエエエエ」
踏ん張ろうとしたとたんに吐いた。出航前に又左がくれた梅干し入りオニギリが全部、出た。きれいさっぱり海に恵んでしまった。
食事中のながら読者諸君、ごめんっ。
「ああ! 藤吉郎さま、言わんこっちゃない! ああ! 手ぇ、放しちゃなんねぇぎゃ、しっかりお掴まりくだせい!」
「だいじょうぶっ、行って、行って! おうえ!」
幸いにして黒雲はすでに遠くに去り、海原におだやかな表情がもどった。
待望の半島が近づき、岸に寄せ、陸地に足を掛けたとき、思わず涙がこぼれそうになった。これで渡海できることが証明できたワケさ。
目的地の横須賀村あたりだ。カードの地図機能が指し示していた。昭和は埋め立て地になってる一帯で、巨大な製鉄所が立ち並ぶ、堂々たる陸地だ。……などと感慨にふけってたら前将さんの指示が飛んだ。
「三手に分かれよう」
手分けして上陸に適したポイントを探査し、地形を観察して最適地の緯度経度を割り出す。すぐさまカードを拾い上げる。
「渡れるよ!」
『でかした、センパイッ!』
通話口で乙音ちゃんにホメられた。
「やった……、やったよ……」
前将さん、又左と手をたたき合う。
肩の荷がようやく下りた。安心したら急に空腹感に襲われた。さっき出しちゃったからな、オニギリ。「はぁぁ~」と大きなため息が出た。成し遂げた喜びと交換だ。しゃーなしだ。
「お嬢。治部大輔がいる!」
「ん? じぶ……? ダレ?」
「東海一の弓取りと豪語する、今川治部大輔義元だ。駿河に帰る途中だが、緒川城攻めの検分にたまたま寄り道しているらしい」
――な! 今川の義元ですと?
つまりは、あの氏真の親?!
歴史上の有名人!
「会いたい、会いたいよ! どこっ? どこにいるの?」
「アホウか。会うも何も、見つかった途端に胴から首が離れるわい。……むしろ大急ぎで隠れなきゃならんわ」
「でも、前将さんもカオ見たいでしょ? 又左もだよね?」
「何を言ってる。オマエは相当な馬鹿だ」
「ねーねー? ふたりとも?」
しつこくタダをこねる。
敵の大将を見ておくのは重要なんだよ?
「どーせ近いうちに戦場でまみえるでしょ? カオ知ってた方が有利になるかもじゃん?」
「……ま、まぁ……そりゃ、そーだがの」
「よっしゃあ、じゃ決まり。忍び込も」
陽葉と又左「乙女よ大志を抱け」(ブクマ14件目御礼)




