61歩 「乙音ロードの往く先」
ひとまず前将さんの根城、松倉城で人心地ついたわたしは翌日、前将さんと又左を伴い、ふたたび清須城に乙音ちゃんを訪ねた。しかし残念ながら不在だった。
城門前の溜口でふたりして弱っていると、たまたま丹羽五郎左さんが通りかかった。池田勝三郎恒興さんも一緒だった。
初登場の勝三郎恒興さんは、信長さまの乳兄弟だそうだ。
ところで乳兄弟って何だ?
よく分かんないけど、仲のいいカンケイってことなのかな。わたしよりかいっこ上のセンパイ。インテリ調の五郎左さんとはまた違ったタイプのモテ男さんである。
その彼が乙音ちゃんの所在を知っていた。
「美濃姫さまなら熱田湊じゃ。日暮れまで帰って来ぬそうだ」
前将さんとカオを見合わせる。
「わたし、熱田湊に行く。ツネオキさん、案内してください」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
乙音ちゃんは、愛車のバイクにまたがったまま、浜辺で海を眺めていた。峰フジ子ちゃんばりにカッコイイじゃん。
供は3人ほどしかいない。沖から迫り来る大波が、彼女のほんの手前で力尽きて砂に吸い込まれているのが目についた。
「――この海の向こう、知多半島の反対側にある緒川城の規模は5000平米。清須の半分もないのに、城主の水野藤七郎信元は必死のパッチで今川の大軍を食い止めてくれてます。けどもう持たへんです。ボヤいてる守兵らが目に浮かびます。もし緒川城が陥ちたら。……あっという間に尾張国も陥ちてまうと思います」
乙音ちゃんは、水野から届いていた救援要請の手紙を握り締めた。
「わたし、一刻も早く尾張国を完全掌握したいです。尾張の全兵力を今川退治に費やさなければ……」
前将さんが乙音ちゃんの眼前に進み出た。
「お嬢。織田孫三郎信光が那古野入城の際に襲われ死んだんだが、これはお嬢の差し金か?」
孫三郎信光はフトッチョのプウちゃん。前回登場した人だね。
前将さんの問い掛けに対し、わたしも乙音ちゃんの返答に耳をそばだてた。
直接の加害者とされるのは、坂井孫八郎という人物。
その日催した城主就任祝の宴に紛れ込んでいた坂井孫八郎は、背後から信光さんに近付き、致命的な一刀を浴びせて即死させ、自らもその場で果てた。
遺書とかは無かった。
二者間の色恋沙汰のもつれとか、無実の罪をきせられ謹慎処分を受けたからとか噂が立ったが、その一方で勘十郎さん、または那古野城を明け渡した乙音ちゃん陰謀説が重臣らのうちでひそかにささやかれてた。
「ウワサは事実ですよ。黒幕はわたし、演者は兄の織田勘十郎信勝です」
勘十郎さんの負の感情を利用し、フトッチョさんの那古野入城を阻止させたのだという。那古野という要地を欲していたのはフトッチョさんだけじゃなかったってコトだ。
「陽葉センパイ。わたしはもう、昭和に帰るためにはこの戦国武将ゲームを完全クリアするしかないと覚悟を決めています。以前センパイが見せてくれた教科書、憶えてますか?」
「う、うん。憶えてるよ」
逢坂の変という聞いたこともない事件で乙音ちゃんが死んだ、などと記述されていた。
「あの家康がくれたガイドブックにも。わたしはいい線まで行ったけどダメだった、みたいな」
「それは……そうだったね」
「あれ、わたし何となくですが予感してたんです。このままセンパイが現れなかったら、わたしはどうなっていただろうって……。間違いなくあの教科書やガイドブックの記述通りになってたと思います」
「……そ、それは」
「センパイが居なければゲームをクリアできず、昭和に帰れない。それは紛れもない事実だと」
彼女のバイクが夕日を反射し、わたしは眩しさに目を細めた。
「それでもわたしは、わたしのやり方でしか前に進めません。だからセンパイはセンパイのやり方を貫いて、全力でわたしを援けてください。そしてわたしを昭和に返してください。そう約束してください」
「……乙音ちゃん」
わたしは殊更力強くうなづき、彼女との間に僅かな隠し事も無くしたいと思い、これまで胸につかえていた疑問を率直にぶつけてみた。
「乙音ちゃん。乙音ちゃんは戦国武将ゲームのリピーターだったんだよね? どうして前にわたしが教科書を持ち出したときに初めて知ったような反応をしてたの? あのときわたしを試したの?」
「いーえ。それがヘンなんです。言われてみれば確かにわたしは以前、今回と同じ経験をした気がします。でもどうしても思い出せないんです」
嘘を付いているようには思えなかった。
このあたりのモヤモヤは元康ちゃんか氏真にぶつけ解消するしかないだろう。何か特殊事情が生じた可能性だってあるかも知れないし。
だいたい18歳縛りなんて。そんなに短時間で戦国時代を終わらせるなんて、実際限りなく不可能に近いじゃないか――?
神さまか、選ばれしゲームプレイヤーでもない限り――。
乙音ちゃんの足元に波が打ち寄せた。彼女はそれを避けるどころか、さらに海にむかって一歩、二歩と踏み出した。
「とりあえずわたし、尾張統一ごときでは満足せんです。記憶はないけど前回同様、天下に覇を唱えて今度こそ最終勝利者の名乗りを上げて昭和時代に凱旋します。陽葉センパイとともに」
まぶしい。
正直にそう思った。それに尽きた。
時に鬼になるのも厭わない彼女の魂の強靭さと危うさも、痛くわたしの心に突き刺さった。
「乙音ちゃん。わたし、木下藤吉郎になりきって、あなたを天下人にする」
「どうか頼みます。陽葉センパイ」
「うん。心配ご無用だ、乙音ちゃん」
空でも海でもない、どこか遠くに目線を向けた乙音ちゃんは、こう言った。
「今日限りで兄、織田勘十郎信勝と決別します。清須から那古野に兵を進め、兄の籠る末森城を攻撃します」




