034 千里ケ丘決戦(午前③)
空想歴史ふぁんたじラブコメ。
摂津国(=現大阪府)
―吹田付近・主戦場【南東側】―
午前10時30分(巳の刻)。
毛利軍の主力を形成する吉川元春軍と、その両翼を護る十河一存軍と河野通直軍だったが、徳川家康軍と斎藤道三軍が遮二無二圧し出し、力負けした十河と河野が崩れた。
だがここで東軍に綻びが出た。
吉川軍の後方に回り込もうとした斎藤道三率いる軍勢の一隊が待ち伏せに遭い、四散したのである。
この一事は瞬く間に主戦場に伝播し、斎藤軍全体がつんのめった状態で混乱し、崩壊した。
斎藤軍と連携体制を敷いていた徳川軍は、瓦解する斎藤軍を取り込みつつ攻撃を続けたが、鋭鋒の一端が揺らぎだしたのをきっかけに隊列を乱し、吉川軍へのトドメが刺せないまま後退を余儀なくされた。
後詰に転じていた織田軍は斎藤、徳川の退路を護るべく一歩も引かない姿勢を貫き、吉川勢の猛反撃に耐え踏み止まる。
これら一連の戦いの経過で、毛利方・十河一存の家臣、東条新兵衛、大谷亀介、岡重長、矢野山城守、松田守興が戦死。
一方の東軍は、斎藤家では重臣の安藤守就と野々村三十朗、徳川家は内藤正成、織田家では森長可と菅屋長頼が相次いで命を落とした。
毛利軍総帥、毛利輝元はわずか8歳の少年だが自分と同じゲームプレイヤー・吉川元春の雄姿に感動し「参戦する」と無邪気に興奮して前線に躍り出た。
毛利本軍のお出ましに東軍諸将は色めき立ち、織田と徳川は気勢を上げ、防戦から攻勢に再びシフトチェンジ。敵味方が入り乱れる混戦状態に陥った。
◆◆
同
―吹田付近・主戦場【北西側】―
島津軍と浅井軍。さらに加勢した朝倉軍を交え、死力を尽くした戦いが続く。
均衡が破れたのは、それまで戦いに加わらず無傷だった長宗我部軍(大将は吉良親貞)2500と、三好長慶が束ねる三好衆2000が一斉に千里の丘陵地帯を駆け下り、足利義昭と木下陽葉軍に襲い掛かったタイミングである。
足利義昭は「関ヶ原の二の舞だ」と仰天して腰を抜かし、木下軍に至急の救援を求めた。
だが、あらかじめ予期していた木下軍は、臨戦態勢を整え待ち受けていた。
地形を存分に利用し、竹中半兵衛とともにいたるところに落とし罠を仕掛け、もしくは伏兵を配し、彼らの出鼻をくじいた。
その上で大攻勢を仕掛け、半刻もしないうちに長宗我部軍と三好衆は敗走した。
その有様を遠望した島津軍・当主島津義久は、まだ戦いを継続させている島津義弘を戦場に残し、撤退を始めた。
心得ていた島津義弘は、まるで捨て奸戦法を披露するかのように浅井軍の前に不動の構えで立ちはだかり、彼らの猛攻を跳ねつけた。
また明日に。




