031 千里ケ丘決戦(午前②)
摂津国(=現大阪府)
―現在の吹田、大阪万博会場あたり―
木下隊本陣
遠目にも鮮やかな猩猩緋色(=深紅)の陣羽織をはおった少女が、床几に腰掛けている。
戦いのはじめからずっと、彼女は同じ姿勢を保ち続けていた。
右手に強く握りしめた軍配が汗でツルツルし、やもすれば落としそうになっている。時折左手に持ち替えたり、手拭きでその汗をぬぐったりしていた。
そんな彼女の目線は前方のノート型パソコンに集中している。
時折目を閉じ、開いて、しばらくしてまた閉じて……を繰り返している。
視覚だけではない。いななく馬、そこかしこで上がる鬨の声、けたたましく起こる爆発音、銃声、怒号、法螺貝……。様々な音も耳で嗅ぎとろうとしていた。
目を閉じ、身じろぎせず唸っていた彼女は、ふと気配を感じてビクンと身を震わせた。
「なんだ、半兵衛さんか。敵かと思った」
「ハハ。わたしのいる限り、陽葉どのの周囲に敵は来させません」
「なにソレ。そんなコト言われちゃホレてまうやろー。……なんて」
ニッコリした竹中半兵衛は真顔に戻った。
「アレは本当に便利な道具ですね」
ーー彼が見上げた空にドローンが浮いている。
空撮により戦場の様子が手に取るようにわかる。
空色に塗装しているのは射落とされないための工夫だが、空と同化し見失いそうな分、操縦はそれだけ困難になる。
先日の友ヶ島海戦において、東神連合は100機近く有していたドローンを7割方失っている。
一機一機が貴重なため、仕方のない対応だった。
「半兵衛さん」
「なんですか?」
床几から腰を上げた陽葉は半兵衛に正対した。
身長差があるので立っても陽葉は頭一つ分低い。どうしても上目遣いになる。まるでそれが助けを求めているか弱き娘のようで、半兵衛は内心、わずかにたじろいだ。
「わたし、覚悟を決めてこの戦いに挑んでる」
「……ええ」
「だいぶ人が死んでると思う」
「……そうですね」
「……本当にこのゲームが終わったら、みんな生き返るの?」
そんな事を問われても半兵衛自身、戦国武将ゲームがどのようなシステムで運用されているのか、具体的な仕様を把握しているわけではなく。推論を組み立てられるだけの材料を揃えているわけでもない。
だが彼は胸を張って答えた。
「もちろんです。だからこそわたしは、この戦いを陽葉どのに進言したんです」
それでも陽葉は励まされた。
あの、竹中半兵衛が言うんだもの、と。
「……だよね。じゃあ、ぜったいにアンカープレイヤーのわたしが勝たなくちゃね」
「ええ!」
竹中半兵衛は「それについても任せてください」と言わんばかりの頼りがいのある表情をつくって、パソコンを覗き込んだ。
「秋月軍と伊東軍が崩れ出したんだよ」
「……ですね」
「いよいよアレをするのかなぁ」
「はい。仕掛けて来るでしょうね」
「【釣り野伏せり】」
「ええ。――恐らくは」
◆◆◆
時間が遡り、昨夜。戌の刻4ツ(20時半)頃。
摂津高槻城に東軍の大将格が集まり、事前の最終軍議をおこなった。
「――釣り野伏せり?」
「ええ。島津はじめ、九州の武将たちの得意戦法です」
竹中半兵衛の言葉に織田御市が首をかしげた。
黙したままの浅井長政に代わり、それはどんな戦法なのか? と質問する。
「簡単に言うとオトリ戦法です。戦闘中にわざと退却し、調子づいた敵が深追いした頃合いに、伏兵で囲い攻めするのです」
「うぬ、マジか……」
呻いたのは長政。
その罠に引っ掛かってしまう自信が満々だったので思わず声が漏れたのである。彼は生来人見知りの気があるので、いっそ寡黙な人柄を装って心の壁を作っている。本当はお人好しで情に脆いんだとボロを出さないようにしているところがある。しかし時々こうして隙を見せる。
彼は不自然な咳払いで誤魔化した。
「夜が明けないと視認できませんが、島津の陣は十中八九その態勢で臨むでしょう」
「オトリ戦法……だな。承知した」
◆◆◆
秋月、伊東の崩れたちは見事の一言に尽きた。
ドラが鳴り血相を変えて逃げ出す。
浅井軍諸将は沸き立ち、鬨の声をあげて前進した。
「長政さん、分かってるんだよね……?」
「分かっていての性分でしょう」
パソコン画面に食い入る陽葉。
「見たところ、伏兵らしい人たちは居ないよ?」
「ハハハ。それじゃあカクレンボになりませんから」
勢いづいた浅井先手に中軍が連なり、秋月伊東両隊に喰らい付く。
先頭には浅井長政が、中軍には織田御市がいる。
一時飛び出していた磯野員昌および雨森弥兵衛隊が今度はその後続を引き受け、軍後尾を鉄壁にガードしている。
現在のところ、この浅井軍が合戦の趨勢を左右していると言ってよかった。
全軍、縦長の隊列で島津に切り込んで行く。
「島津の前線部隊が動きました」
「う、うん。秋月伊東隊の援護に入ったね。……あ、秋月のしんがりが踏み止まった?!」
「――そろそろ仕掛けますね」
島津前衛部隊と秋月伊東隊が重なり合って、追う浅井に向かって反転した。
――と同時に、浅井軍の両脇から島津の伏兵が襲い掛かる。
それはまさに不意打ちだった。
「来た!」
それでも浅井軍は前進する。
鋭角を維持した体勢で島津・秋月・伊東の反転部隊に突っ込む。
巨人に丸呑みされたドジョウが、錐に変身して巨人の胃に孔を穿とうとしているようだった。
「――よし!」
モニターにガッツポーズをとる陽葉。
想定戦場に事前準備を施した成果があらわれたのだ。
浅井を包囲殲滅するはずの島津伏兵が、進路途中に掘られた溝に落ち往生している。
その溝は言うまでもなく、木下土木部隊他の東軍どもが罠として仕掛けたものである。
浅井がナゼあえて長細い隊列を組んだのかと言えば、それは自分たちがその溝に落ちないようにするために他ならない。
溝は深く、残酷な殺傷具も備えていたため、島津伏兵部隊は機能を著しく失った。
さらには島津伏兵部隊を外側から攻撃した部隊がいる。
朝倉義景軍と上杉景勝軍だった。
伏兵の背後に忍び寄り、襲い掛かったのだった。
「釣り野伏せり返し、どうにか成功だね」
「そんな簡単なものではありませんが。ひとまずは防ぐことができ、わたしも一安心です」
木下陽葉は本陣を前に進めることにした。
足利将軍に遣いを飛ばす。
「わたしは先に前線に戻ります。毛利戦線も気になりますので」
「わかった」
竹中半兵衛を見送ってスグに前田又左があらわれ、話しかけてきた。




