030 千里ケ丘決戦(午前①)
摂津国(=現大阪府)
―現在の吹田、大阪万博会場あたり―
さて、東西両陣営の内訳は次の通り。
【東軍】東神連合
総大将 足利義昭 幕府軍 1000
盟主 木下藤吉郎陽葉 木下軍 3500
織田美濃 織田軍 12000
徳川家康 徳川軍 8000 ※今川氏真は家康軍に所属
浅井長政 浅井軍 10000
斎藤道三 斎藤軍 500
朝倉義景 朝倉軍 3200
上杉景勝 上杉軍 6500
山内鹿之助 山内軍 50
黒田官兵衛 黒田軍 1000
別所長治 別所軍 600
荒木村重 荒木軍 350
総勢 28700
【西軍】西国大名合同軍
総大将 島津義久 島津軍 14500
毛利輝元 毛利軍 7000
吉川元春 吉川軍 6000
吉良親貞 長宗我部軍 2500 ※長宗我部元親の名代
三好長慶 三好衆 2000
十河一存 十河軍 300
河野通直 河野軍 100
秋月種実 秋月軍 600
伊東義祐 伊東軍 50
総勢 31500
数の上では西軍がやや優勢となっている。
◆◆◆
現在、吹田にある万博記念公園はこの当時、草木が生い茂る丘陵地帯だった。
木下陽葉は未来で土木建築技術を学んだ蜂須賀小六を工事奉行に任命し、大掛かりな土地開発を実施。
街道を整備し、大軍の駐屯が可能な軍事拠点、すなわち【駅】を構えた。
特に吹田あたりが主戦場になると想定し入念に舞台を整えたのである。
そして今まさに、彼女の目論見通り、吹田城塞、駐屯駅付近で歴史上稀に見る大戦が始まろうとしていた。
西軍の大将、島津義久は摂津岸部村(=現吹田貨物ターミナル駅付近)に本陣を置き、安威川をはさんで井高野(=現東淀川区井高野)の毛利軍本陣と両翼の構えを為した。
そのそれぞれの大部隊の前衛には四国および九州の、彼らに恭順した大名衆がほぼ横一線に並んでいる。
ちなみに島津軍の盾となっているのは伊東義祐と秋月種実。
同じように毛利の方は十河一存と河野通直。
(全員ゲームプレイヤー)
これら主力軍を軸として、別に遊撃軍の体を為しているのが吉川元春軍と長宗我部元親軍、そして三好長慶の上方軍だった。
彼らは主力軍より少し先行した位置にいる。
3キロほど離れた千里が丘あたりまで突出し、現在の樫切山の勾配に陣を構えて東軍の動きに備えていた。
――そして東軍、東神連合側。
こちらは、鶴翼の布陣である西軍に対して一点突破の攻撃型、いわゆる魚鱗の陣を敷いている。
一群の中央に足利義昭将軍を据え、その周囲を魚の鱗のように三角形に重なりあう――という陣形だった。
三角形の一番尖がった部分は敵の総大将、島津義久のいる本陣をまっすぐに捉えており、猪突猛進の愚を犯すように見えなくもない勢いを見せている――が、これはこれで、東軍諸将が考え抜いた戦法なのだった。
午前8時(辰の刻)。
浅井軍部将の磯野員昌と雨森弥兵衛隊が織田美濃軍を横目に前進を開始。
迎え撃つ秋月種実軍の鉄砲掃射から戦闘が始まった。
浅井長政の号令で突撃を始めたのを機に、織田軍が遅れじと前進。
織田軍の前方に待ち構える十河一存軍と河野通直軍は馬防柵の内側から長槍を繰り出し応戦する。
頃合いと見た毛利軍麾下、吉川元春軍が安威川を総軍で渡河。
織田軍と真正面からぶつかった。
この頃、島津軍はまだ動かない。
浅井を相手に、盾となっている秋月と伊東義祐の善戦を見物している。
午前9時。
織田軍の後方から徳川家康軍と斎藤道三軍がせり出し、吉川軍の左右を揺さぶりだした。
いったん川岸まで押された吉川軍はその後徐々に押し返し、戦況は拮抗した。
だがここで、島津軍の前衛を担っていた秋月と伊東がじわじわと押されだす。
「まだ動かんのか?」
焦燥の色を滲ませた言葉を掛けたのは島津歳久。
しかし大将の島津義久は「ううむ」と唸ったきり、指示を出そうとはしない。
「すべて義弘に任せちょっでな」
「――またアレをやるのか?」
腕を組み、瞑目する義久。
「当然な。遊戯とはゆうてん、勝たんにゃ、ご先祖に申し訳が立たん」
「ともあれ、すべては秋月と伊東に掛かっちょっな」
その秋月と伊東が後退を始めた。
浅井が追い討ちを掛けるため、勢いを増した。