15歩 「教科書(1)」
昭和63年冬――。
――もし。
もしもだよ、このままわたしが消えてしまったら。
などと考えてみた。
……いったいどうなるのか?
そう考えてみた。
たぶん。
泣いてくれる人は……いる……かな。
冷静にかんがえてみて、ふたりくらいは。
どこかの街の隅っこで、人知れずナミダする。
ああイヤだ、イヤだ。だいたい暗い。暗すぎる、そんな想像。
もっとライトに。もっと前向きに。もっともっと、楽しく。
んー、そうだねぇ……。
――わたしはたくさんの人に慕われたい。そんでもって調子こいて、いい気になりたい。
――わたしのことを邪険にするなんてとんでもない。
もしもそんな夢のような世界をゲンジツのものにしてくれる人がいるのなら。
わたしはきっとためらいなく、その創造主に初キスを捧げるだろうさ――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
昭和63年夏――。
「わぷッ」
カオに、ビシャビシャと温水が降りかかってきたっ。
シャワーだ!
が、それはスグに止んだ。一秒ほどの仕打ち。
ずぶ濡れのわたしは、呆然自失を一分以上続けた後、シャワー室を出た。乙音ちゃんからもらった制服は着たままだ。
コインシャワーの内部は二つの間に分かれており、手前の空間は脱衣場になっている。
そこで機械的に服を仕替えたわたしは、ようやく出入り口のトビラを開錠した。脱衣所からあふれ出た湯気の中に、「ふわん」と人影がうかんでる。
誰かと思ったら。
酸素が欲しい金魚みたく、口をパクパクさせてる恋。
――妹だった。オドロキからいぶかし気な表情へと多感な変化をみせながら、こっちに目線をくれていた。
曰く、
「……ナニ大声だしてたの?」
じろじろ。じろじろ。
わたしが小脇にかかえている物に顔を寄せてくる。
あ……マズ。これはほんのさっきまで【しかたなく】着てた中学の制服。……つまり、妹とおそろ……か。だから気になったってのか。……まぁ、あなたのと違って、わたしのブツはいま返り血ベッタリなんですが(笑)。
これでもかというくらい小さく丸めて、手早く持参のバックに詰め込む。さぁ、どーすんのさ、コレ?
「……恋。いつの間に出現したのかな?」
わたしはわたしで、普段けっして見せない妹の驚き顔におどろきつつ、誤魔化すつもりで質問にシツモンを重ねてみた。
「虫でもいた? 異常な悲鳴だったよ? それともシャワー星人に連れてかれそうになった? それならいっそ連れてかれて脳改造してもらった方が、今よりまだだいぶマシになったかもだし、なんなら今からでもぜひお願いすればどうかな? 間に合わないかな」
……たくらみは成功した。いま妹の脳内はイヤミなセリフを生み出す勢力に100パーセント政権を奪われているだろう。ふう……やれやれ。
「いやいやぁ、いくらなんでもシャワー星人は無いよお。それに脳改造は痛そうだし」
恋が放つコトバイジメは昔からだし、なんとも感じない。いや、どころか、わたしは「照れ隠し」だと常日頃そう理解している。
「それよか、恋。帰るよっ!」
「え? まだわたし、シャワー入ってない」
わたしの有無を言わせぬ剣幕に気を呑まれたのか、「カッ」とするよりも困りごとを相談するがごとくニュアンス。
「じゃさ、さっさと入ってきな! さ、はやく!」
容赦なく追い立てる。
「え、ええっ?」
無事脱衣所に駆けこんだのを見送ったわたしは、近場のイスに座り。またすぐに立ち上がって……をなんども繰り返した。先刻のシャワー時のできごとが大波になって寄せ引きしているからだ。
これが興奮せずに居られようか!
――と、恋が置いて行った手提げバッグに目がいった。
「社会科の教科書……」
――新中学校、歴史――日本の歴史と世界……!
のわんだとぉ!
宿題を持参したのか? テスト準備のためなのか? ……コインランドリーはまだ回転し続けている。これを見張りながら待つ算段だったのだろう。
わたしは教科書を奪い取った。鼻息荒くページをめくる。