006 本願寺顕如(0) プレイヤーとその子
空想歴史ファンタジー、本日は更新!
大人しくて人懐っこい。
ユーモアがあって面倒見がいい。
それが小学校時代のクラスメートの、彼に対する印象だった。
彼の人生が狂い始めたのは中学に入ってすぐのころ、ある日、何とはなしにジャンケンに負けて、友だち数人のカバン持ちをしたのがきっかけだった。
彼はジャンケンに負けた悔しさを隠すため、友だちにこう大口をたたいた。
「オレいま、実は体を鍛えてんだ。何ならこんなの毎日持ってやるよ」
その日から、当たり前のようにカバン持ちをする毎日になった。
それが1ヶ月も経った頃には登下校中だけの使役でなく学校内でも使い走りになり、半年もすればクラス男子全員の便利屋になった。気付けば2年生の初めには登校しなくなっていた。
卒業式は担任が証書をもって彼の家を訪ねたが、その教諭は母親にそれを筒入りのまま渡しただけで玄関から先に上がろうともしなかった。彼はついに直接声を掛けられることも無く、最終学年の担任に一度も対面することもなく、一枚の紙切れをもって義務教育の終了を通告された。
彼は少し怒りを覚えたが、同時に清々した気分になっていた。これでこれから煩わしい現実社会と関わらなくてもいいと考えた。勉学という国民の義務を果たしたんだからと達成感すら感じていたらしい。
事実、彼は家庭内では劇的に明るくなり、両親の帰宅の時間に合わせて夕食を作ったり、毎食、共に食事するようになっていた。以前からするとウソのような変わりようだったので母親が尋ねると、彼は「やっと晴れた」と答えた。
だがそれも長い期間では無かった。
彼の父親が交通事故に遭いあっけなく他界、母親が家計収入のため残業に明け暮れるようになった。再び彼は孤独にも増して社会的責任に圧迫され始めた。しかしそれを果たすべく仕事に着こうともせず、部屋から出なくなる日々が再来した。唯一の慰めは深夜のラジオ番組となった。
そしてある夜、母親の寝静まるのを待って数年ぶりの街に出た。
ラジオで、時間跳躍できると噂されていたコインシャワーに興味を持ったためである。どこでもいい。どこか知らない世界で勝手気ままに生き直したい。
後日、行方知れずになった息子の部屋で、母親が見つけた彼の殴り書きのノートに小さく走り書きされていたのでそのように推察された。
『せんごく武将ゲームぅ。あなたの好きな戦国武将をひとりだけ挙げてくださいぃ』
「オレは……、ボクは、女子たちにモテたい。黙ってても勝手にハーレム状態になってる武将がいい」
『具体的にお願いしますぅ』
「うーん。じゃあそーだな。――本願寺顕如なんてどーだ? 宗主さまとかモテモテそうだし。それって可能か? ダメなら徳川将軍の誰かでもいいぞ? 大奥も興味深いしな」
『徳川将軍は戦国武将じゃありませぇん。本願寺顕如、りょうかぁい』
こうして彼――本願寺顕如は戦国武将ゲームの永禄年間に跳んだ。
◆◆
「ウンウン唸って。酷い寝顔だったわよ?」
見知らぬ少女にカオを覗き込まれて、本願寺顕如は飛び起きた。
仏画の描かれた格子が嵌まった高い天井。恐ろしく広い、畳の部屋。
すべてが彼にとって未知の世界だった。
「ボクは……」
「また悪い夢でも見たの? それとも何かに憑りつかれたとか?」
少しつっけんどんに話す少女は小柄で彼と同じかやや年下に思えたが、目鼻立ちがキリッと引き締まっている、少年っぽい美形だった。彼は息すら忘れ、その容姿にくぎ付けになった。
「な、何なのよ。気持ち悪い」
「あ、い、いや。別に」
泳いだ目はまだ彼女を何度も捉えていた。両親以外の人間と話すのは小学生以来……。そのことにも気付いていない様子だった。
「キミ……は、名前は……?」
「はぁ?! 如春尼だけど? アタマ打ってオカシクなっちゃった?」
どうやら本当にゲーム世界に入り込んだようだと得心した彼は、妙に冷静だった。驚くことも無く、自然に状況を受け入れていた。
「ボクは……きっと本願寺顕如だな」
「……ホントに大丈夫? 何か本気でキモチワルイ」
「うーんたぶんボク自身、夢と現実の区別がついてないんだろうな」
如春尼を名乗った少女は気味悪がり、彼から距離を取り、もはや話し相手にならなくなった。恐らくさっきまでそのようにしていたのだろう、肩を落として俯き、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
「キミ、なんでそこでジーッとしてるの?」
「……」
「アレ? もう口きいてくれないの?」
「……ウルサイわねぇ。なんでジッとしてるのか、ですって?! この部屋から出ちゃいけない決まりなんだからしようがないじゃない!」
部屋から出てはいけない。そう言うが。
彼は首をかしげて廊下に出た。長くて薄暗い廊下が両左右にひたすら続いている。
「べつに監視されてるわけでもないよ? ちょっと探検しようよ」
「わたしにはわたしの使命があるの。勝手な行動はしちゃいけないの」
「使命? なにそれ?」
使命や義務という言葉は彼のもっとも嫌うものである。
「どんな使命なの?」
如春尼のカオが、これ以上ないほど赤く染まった。
整った相貌を崩し、歯をイガイガむき出してがなった。
「バカッ! バカバカバカッ! そんなコト、言わせんなあッ!」
初対面の女子にこれほどキレられたコトなどない。
それに、顕如はバカではない。瞬時にピンときた。そして彼も頬を紅潮させ慌てた。
「ごめんごめん、悪かった! そーかキミ、如春尼だったよね。デリカシーなさすぎた。ホント、ごめん」
このやたら広い部屋は、ある特定の目的のために用意されたもので、彼女はただその目的を果たせと命じられて、素直に従っているのだ。
あらためて顕如は如春尼を眺め、そして正視できずにそっぽを向いた。彼女は彼女で一切彼の方を見ようともしない。
部屋の隅に敷かれた一組の寝床が、まだ真昼間だというのに、彼の目に存在感を示しだした。さぁこっちに来い。ふたりで来いと誘っているように彼には思え、希望通りの展開にも関わらず、彼は妙な行動を取り始めた。
すなわち屋敷内の探索を始めようと彼女の手を引っ張った。
「如春尼。ボクはいまからガールハントに行く」
「があるはんと?」
「つまりナンパだ」
「ナンパ?」
「えーと……。ボクのコトを好きになってくれる女の子を探しに行く」
如春尼が固まった。
眉毛をユーの字に曲げている。
「カン違いすんな。キミはここにムリヤリ連れてこられたんだ。好きでもないオトコと仲良くなれと命じられて。――そうだろ? 勝手に決められた約束を果たす義務なんて無いっ」
「じ、じゃあ、どーしろと……?」
「キミはキミで好きな男を見つけるんだよ! ボクの知ってる限り、キミも相当に高貴な女の子で、きっとモテモテに違いない。キミを好きな男は山ほどいるはずだ。だから一緒に探そう!」
如春尼の口から小さく息が漏れた。開かれた眼が顕如のカオを捉えた。まっすぐ見つめられた彼はアタフタと彼女の手を離す。
「……できない。わたしには……ムリ」
「……」
部屋から一歩も出ようとしない如春尼。
気まずそうにアタマをかく顕如。
「――ま、いいさ。これだけ広大な敷地なんだ。女の子はゴマンといる。如春尼、キミは今から自由の身だ。好き勝手にしたらいい。ボクも好き勝手にする!」
「な……」
「ボクはハーレムを作るぞーッ! じゃあな、如春尼! 明日も来るから待ってろよーッ!」
「……は、はあれむ?」
――宣言通り、本願寺顕如はその後毎日、結局ほぼ半日以上、如春尼の話し相手になるべく部屋に通い詰めた。
木下藤吉郎陽葉が訪問する前日まで、そういう日課が続いていたのであった。




