005 本願寺顕如(2) ダメカップル
空想歴史ファンタジー。
「陽葉。面倒事が増えた」
プレイヤーカードから耳を離した香宗我部イチゾウが、電車に乗り遅れて遅刻確定したような渋面をつくった。
「ソイツの本妻を名乗る女がこっちに向かってる」
ソイツ――というのは無論、本願寺顕如。
竹中半兵衛の助言に従い、あらかじめイチゾウは信者の中に多数の間者を紛れ込ませていた。いざとなった場合の脱出の援けをしてもらうためである。その者たちからの一報だった。
「ヨメを名乗る女? ひょっとして」
木下陽菜に報告したそばから、広間に通じるふすまを蹴破る勢いで駆け込んで来た者がいた。
きらびやかな着物を着ていなければ少年か? と見紛うほど、凛と眉を引き締めた、目鼻立ちのくっきりした容貌の少女である。年のころ14、5と言ったところか。
「如春尼イ! コイツら、ボクをイジメるんだよォ」
近くに寄ると割に小柄と判明した少女だったが、勇敢にも短めの黒髪を揺さぶって本願寺顕如の前に割り入った。
「わたしが来たからには、顕如っちに指一本触れさせはしないからっ」
如春尼は「キリリ」と陽葉らににらみを利かせつつ、近場にいた僧兵から槍を分捕る。それをクルクルと振り回した。槍術の心得があるのだ。
それに対し、彼女の前面に立ちはだかったのは前田又左。彼は足元に昏倒した僧兵の剣をヒョイとすくい上げると、上段の構えで正対した。
暫らく静止するふたり。
――と、何故だか、如春尼が不意に槍を降ろした。
「わーん、ごめんムリ。この子、相当強そう」
顕如のカオが途端に蒼白になった。そうして青筋を立てる。
「何だとォ、オマエそれでもボクのヨメかっ! 指一本触れさせないなんて言っときながら、何だよ、そのざまは!」
「だってー。そう言っても本当に強いんだよ、この少年。わたしもう2回くらい斬られちゃったしい」
実際に斬られたわけではない。仮想決闘で敗れたと勝手に言っているのである。
半泣きで彼に謝る如春尼。
「泣くな如春尼! オマエならやれる! オマエならボクのために死ねる!」
「うん死ぬる。好き。顕如っち」
「わぁお。相当なダメカップルじゃな」
前野将右衛門が大仰に驚く。相当面白がっている。
「ねぇ。あの子もプレイヤーなの?」
「違うみたいよ」
斯波義銀と木下藤吉郎陽葉がコソコソ話。如春尼の素性を話しているらしい。
「アイツは本願寺顕如のヨメの教光院如春尼。あまたのカノジョたちから一等飛び出た存在だ」
「ガキのクセに何とも羨ましい。……あ、いやケシカラン!」
イチゾウの解説に前野将右衛門がコメント。陽葉らは相手にしていない。
「わたし、命を張って敵からあなたを守るから!」
「当たり前だ、オマエはボクを守るために生まれてきたんだからな!」
ベッタリくっつこうとする如春尼をうっとおし気に押し戻す顕如のカオは、熟したリンゴのように赤い。かたや、すっかり置いてけぼりになった他のカノジョたちは、白けた様子で広間を出て行く。
「おいッ?! オマエら、いったいどこへ行く?!」
「あなたさまは、やはりわたしたちの上さまではありませぬ」
「正直、ただキモイだけ」
「奥さまと末永くお幸せに」
「ああ。吐き気してきた」
「なっ、なにおう……?!」
「お給金分の役目は果たしましたので、これにてお暇します。では」
「お、おいいっ!」
彼がカノジョと称した女性たちはひとりを残してすべて立ち去り、彼はそれをただ茫然と見守った。やがて、
「何なんだ、アイツら! 信頼も何もあったもんじゃないぞ?! 戻って来たいっても絶対に赦してやんねーからなっ! こんにゃろー! クソー!」
などとまったく自分勝手な理屈で吼えた。
如春尼が、そんな顕如に、
「だから言わないコト無かったでしょ? ホントウにあなたのコトが好きなのはわたしだけ。反省した?」
「ウルセー! ボクはもっといろいろな女の子と付き合うんだ! ひとりの女に縛られたくないっ」
言い切らないうちに彼は平手打ちをかまされた。
殴った相手は斯波義銀だった。
「なっ、なにすんだ?!」
「あんたさー。ナニをビビってんの?」
「び、ビビってる……だと」
いったん顕如をムシし、如春尼を上から下までジーッと眺めて再びヒトコト。
「さっきから見てたらさぁ。あんた、そーとーヘタレだよね? どーしてこんなカワイイ子に指一本触れないの?」
「怒るトコそっち?!」
脱力の陽葉。
一方、バカにされたと思ったのか、顔を赤くして斯波義銀に怒鳴りかけた顕如は、彼女の真顔にぶち当たって固まった。2、3歩よろめくと如春尼がサッと手出しし支えた。
そんな如春尼は恥ずかしそうに俯いている。「わあっ」と悲鳴っぽい狼狽を見せて顕如が彼女から離れる。
初心な男女の構図を見せつけられた斯波義銀は「フーン」と目を細めたまま、「やっぱしドウテーか」と、アゴに手を当てての観察スタイルで所見した。なお、自分で言っておいて、当事者のふたり以上に赤面している。
中学生の斯波義銀からすれば、付き合う前後のカップルはだいたいこのようなものか? と納得がいったし興味が尽きないが、その一方で、もどかしいふたりにイライラが生じて口出ししたようだった。
「アンタさぁ。この子がキライなわけ?」
「なっ?!」
「やっぱドーテーだからコワイの? だから強がってんの? だから浮気っぽい言動してんの? そーなの? どーなの?」
マジマジ……と擬音が鳴りそうなほど美少女に近付かれ、限界までのけぞった顕如は後ろにひっくり返りそうになる。
間に入ったのは如春尼。
そして、斯波義銀に背を向けて、鼻がすれ合うくらい顕如に接近した如春尼は。
「そろそろ、しっかりしようよ!」
と彼にビンタした!
さらに間髪入れず、両頬を腫らして絶句した彼の唇を奪う。
成り行きを傍観したままモブになっていた木下陽葉に、香宗我部イチゾウが鋭い一報を入れた。
「坂本龍馬が、――いや、織田信長の兵が堂内に乱入し、付け火している!」
「な、なんですって?!」
南面での雑賀孫一ら、紀伊鉄砲衆の発砲に驚いた信徒らは反対の北側に逃げたが、そこに待ち構えていた織田信長隊が放火とともになだれ込み、無差別殺傷を始めたのである。
嚇怒した木下陽葉は又左、前野将右衛門らをひっぱって現場に飛んだ。
すでに北面一帯は業火で埋め尽くされ、手のつけようが無かった。逃げ惑う人らと追い掛け斬り捨てる兵らで入り乱れていた。
さらに轟音と震動から、九鬼水軍が後方から艦砲射撃をおこなっているとも知れた。
「信長さんっ! これはゲームなのよッ! 何を血迷ってるのよッ?!」
陽葉は雑賀孫一に連絡し、助勢を求めた。
場合によっては旧主信長を退治しようと決意した。
――が、孫一が一隊を率いて参陣したころには、信長は、九鬼の艦隊とともに大坂湾へと去ってしまっていた。
暴徒らに置き去りにされた石山本願寺は、伽藍のほとんどを焼失させ、延々と煙を吐き出すだけの、灰に埋もれた廃墟と化していた。
「な、――なんで……」