8幕 長島攻め
稲葉山城を大幅改築し、【岐阜城】と改めた城中で、織田美濃は不機嫌に扇子を扇いでいた。季節は初夏に入り、日に日に暑さが増しつつある。それが彼女のイライラを増長させていた。
「弾正忠信長がまたお金の無心をしてるって……?」
「はい。何でも黒船を造るとかで。堺に出向き、南蛮人と折衝しているからと」
「く~ろ~ふぅ~ねぇぇぇ?!」
「大殿からすると、大真面目な相談なのです。と言いますのも……」
明智十兵衛光秀がにじり寄り美濃に耳打ちする。彼女は驚愕の表情を見せたがすぐに平静に戻り、
「いいわ、アニサマの言い値を出しなさい。でもさ。黒船は行き過ぎよね。今は幕末じゃあ無いんだから」
「いえそれが。彼の木下藤吉郎が……」
「またその名前!」
いったん治まった彼女の癇癪が再びもたげた。しかし十兵衛光秀は淡々と続ける。
「旧日本海軍所属の沈没船を昭和時代から持ち込んで、上杉水軍を創設させたそうです。日本海の制海権を確保するつもりでしょうかね」
「……ナルホド。そういう手ね……クソぉ」
風聞を得た信長が途方もない空想を口走ったのはきっとそのせいだ――と美濃は決めつけた。恐らく彼の事だ、少年のように興奮して陽葉センパイをほめそやしたに違いない……そう邪念をふくらませ、勝手にむかっ腹を立てる。
「とにかくあらゆる手段を使って黒船を用意しなさい。上洛戦を開始する頃には是が非でもお披露目させる事。いいわね?」
「御意」
そばでふたりの遣り取りに聞き耳を立てていた男、村井貞勝が低頭しつつ近付いた。
「恐れながら。上洛戦を始める前に、まずは伊勢長島を手中に収めなされませ」
「――村井か。それどういうコト?」
「目障りな北畠家を駆逐するのです。彼の者の配下に九鬼嘉隆という人物がおります。その者を召し抱え、造船を行わせるのです」
「九鬼……義隆」
明智光秀が説明を加える。
「彼の者は志摩国の海賊衆ですが、【海の魔王】と恐れられています。味方に引き入れ弾正忠信長さまのお役に立てれば、黒船も夢ではないかも知れません」
進言しつつ、海の魔王とは盛り過ぎたかと十兵衛は内心舌を出したが、横の村井貞勝も大きく頷いている。ここはゴリ押しすべしと言葉を重ねた。
いずれにせよ調子づいた木下家を叩き伏せるには、それ相応の無理を通さねばならないのだから。と自己弁護し。
「九鬼に織田海防軍を作らせ、いずれ現れる木下艦隊を撃破させましょう」
「分かった。それでは明日、清須から3千の兵を進発させ伊勢を攻めるわ。村井と明智。大将はあなたたちよ。ただちに手配なさい」
「なッ!」
余りの事に驚きが漏れ、慌てて口を塞いだのは村井だった。明智は少なくとも表面上、動揺を見せなかった。
「ま、まさかワシ自身が……?」
「……村井。モンクがあんねんやったら別の仕官先を探すか?」
「めっ、滅相もございませぬ美濃さま! し、しかし、美濃衆は出さず尾張衆のみで対応すると?」
「上洛用の兵は温存したい。但し那古野の兵も動かしたらアカンで? 家康への防護壁は崩せんしな」
「ご明察、恐れ入ります!」
村井は床敷きに額を打ち付け、跳ねるように部屋を出て行った。
明智もソソと立ち上がり、一礼し去りかけた。
「十兵衛。新しく雇った滝川一益を連れて行き。――一益!」
「――は。これに」
マタギの様な格好をした小男が柱の陰からヌッと出て来た。
「恐らく十兵衛が知っての通り、一益は戦国武将ゲームのプレイヤーや。戊辰戦争で活躍した会津藩士やったそうで、期待してんねん」
「……滝川どの、ですか。前回大会までプレイヤーだと明かしませんでしたね」
「……。オリャ、遊びには興味ねぇだ。これを使えたらそれでいいだ」
見せたのは旧帝国陸軍の日本兵が使用していたとされる三八式歩兵銃。木製の銃床が黒光りしている。相当使い込まれている。第1回大会参加時から愛用していた物だ。購入先は武田兄弟らしい。
「その銃はこれまでに何人の頭を撃ち抜いてきたんですか……、いや失礼、愚問でした。では滝川どの、参りましょう」
◆◆
伊勢国、長島(現三重県桑名郡)――。
木曾、長良、揖斐川が複雑に入り組み、大小の中州を形成しているこの一帯は真宗本願寺の重要拠点になっており、織田信秀の時代には尾張西端の海西の地を巡って小競り合いを続けていたが、その後、織田弾正忠信長の当主時代を経て織田美濃が台頭してからは、津島年老衆の仲立ちにより、比較的友好な関係が保たれていた。
「要塞化した願証寺に立て籠もる兵は約100。うかつに近づくと弓矢と鉄砲の餌食になります。武士と見ると無条件で敵対する。まったく厄介な連中ですね」
他人事のように告げる明智十兵衛光秀に、村井貞勝は頭を抱え嘆く。
「ああ。ワシはなんとバカな進言をしてしまったのか」
「悲観するには値しませんよ。あなたは立身出世を目指してシャカリキになられただけで、それは才ある武将なら当然の行いです」
「が、ワシはあくまで吏僚。例えば柴田権六勝家どのに比べ、ひ弱で、ただ頭でっかちな男だ。ナゼ美濃さまはワシなんかを戦場に立たせたのか」
クスリと肩をすくめる十兵衛。
「村井どのは自分を過小評価しております。ひ弱武将と言うのならわたしもですよ。あんなクソほどモチベの高い信教者集団が集まった要塞をたった3千ぽっちで倒せるはずもないですし。つまりわたしたちは『アレを力でねじ伏せろ』と言われているワケではないんです」
「……と申すと?」
「だから。こうするんです」
一向宗門徒の一行が幕内に入って来た。先頭には、何処ぞ名刹の僧か知らぬが立派な法衣をまとった老翁が立っている。
「なんだお前ら?! 何故門徒どもがここにいる?!」
「わたしが招きました」
「明智どのが?!」
カオを寄せ、ひそひそ話す十兵衛。
「織田領内での一切の宗教活動を認めるのですよ。当然特別な税金は取らないし、朝廷が認めた既得権も認める。さらに貧しい者には救済措置も行うと喧伝します」
「じ、じゃが、そんな事をしたら――!」
「但し、自分たちで掟を作らせ、それを厳格に取り締まらせるのです」
「オキテ?」
「そうです。所謂法令です。僧として、人としての道を明文化させ公示させ、逸脱者に厳しい罰を与えよと。そのように指導します。遵法に位や身分など関係ありません」
村井貞勝はポカンとした。
「我々は定期に彼らの施政を点検する。問題が見つかれば朝廷の名のもとに断罪する。処罰対象はむろん信者たちでなく管理監督者、つまりは坊主どもです」
現代語を織り交ぜて説明する十兵衛の言に、半分も理解できない村井だが、それでも、
「では、ヤツらを野放しにすると申すのか?」
「いえいえ。……と言いつつ、油断した頃合いを見て、滝川どのに『ズドン』と。主要者を暗殺してもらいます」
「……わっるぅ、それ悪っるう。アリかそれこそ」
「ははは。戦国の倣いですよ」
乾いた嗤いをする十兵衛に追従笑いした村井は、背中が冷たくなった。