5幕 武田信玄加担
木曽三川に通じる源流のひとつ、杭瀬川流域に位置する大垣の地は、しばしば発生していた豪雨洪水に抗して複合的な輪中を形成し、永禄期には西美濃の要衝として発展しつつあった。
つい最近まで当地は、美濃斎藤家に与する所謂【西美濃三人衆】の最有力氏族だった氏家直元(※卜全)が治めていたが、織田美濃の稲葉山城攻略の際に討ち滅ぼされ、いまは柴田権六勝家配下の柴田勝定なる人物が代官として入領していた。
「ここです」
後ろに従う木下藤吉郎陽葉と、前田又左衛門犬千代。
竹中半兵衛が案内したのは舂米屋。大垣産の米問屋を兼ねている。
ここでは玄米を仕入れ、白米に精米して流している。
彼は通い慣れた様子で店主に声を掛けた。
「へい。旦那なら今日も裏屋ですぜ」
母屋を抜け、井戸をはさんで並ぶ裏長屋に、武田兄弟が棲んでいた。
兄弟はせっせと密造拳銃を仕上げていた。
「見た顔だな。後ろに付いてる小娘とガキの方だ」
「な。アンタだってガキでしょ」
小娘と言われて、プッとふくれた陽葉が言い返す。
そしてギョッと内心慄いたのは、カオを上げた彼の左眼から頬にかけてが刀傷を受けて痛々しかったからである。整った右顔が余計にそれを感じさせた。
クククと肩を揺すったのは武田弟、左馬助信繁の方だった。
黒シャツの上にベスト着、下は濃紫のニッカポッカ。顔を隠すように深く野球帽を被っている。
「いつぞやは悪かったな。――で用はなんだ? 半兵衛」
「先日の件です。お二方の力に頼りたい。甲府にお戻りください」
半兵衛の要請に兄弟はぞんざいに応じた。
「ここらの飯は旨い。甲斐の食い物は飽きた。それに」
「小娘の方はともかく、目付きの悪いそっちのガキが気に喰わない」
ガキというのは、前田又左の事。
侮蔑の言葉を連呼され、又左はいきり立った。が、小娘――藤吉郎陽葉の方は朗らかな笑顔をつくって武田兄弟に対している。又左の肩を押さえつけ、
「正直わたしらは大事な仲間を殺したあなたたちを赦せません。けれども今日来たのはビジネスのため。お互いのくだらない感情は抜きにしましょう」
「ははぁ。ビジネスときましたかぁ。だったらなおさら、話を聞く気はありませんね。だって、こちらに利があるようには思えないからねぇ」
兄が言う。
彼は足軽雑兵のいでたちで寝そべっている。
「信玄兄はヒロポン(※薬物)のやりすぎでなあ。とてもとても、甲斐まで行けんのよ。悪いな」
誠か嘘か、いずれにせよ断るつもりのようだった。
「同行してくれるんなら【戦国武将カード】をあげるよ。ノドから手が出るほど欲しいんでしょ? 昭和時代に帰りたいんでしょ?」
「待て女。フザけてんじゃねぇよ?」
「わたしは木下藤吉郎陽葉。ここでフザけても、なーんも利なんてない。わたしらの要求は、武器の仲買いを引き受けて欲しい事。アンタらはこのカードで再び自由に昭和と戦国を行き来できる。どうなの?」
「カードに何か細工を?」
「自分の眼で確かめなさいよ」
兄弟に向かって躊躇なくカードを投げつける。
苦労して得た一枚だ。
半兵衛が目を細めた。
「武田のお二方。ひとつ言い忘れていたことがあります。……ここに武田残党が隠れ住んでいる事、通りがかりの番屋に報せておきました」
「はあ、何だと?!」
表の方が騒がしくなった。
戸外に飛び出すと表の通りで武者集団が指図し合っていた。
「木瓜の旗……織田直々か。ハメやがったな、テメエら」
「米を扱う商売って儲かるよねぇ。わたしらが通報しなくても目を付けられてたから、早晩同じことが起こったと思うよ? ちょっと敵を増やしすぎたんじゃない?」
「……嬉しそうにぬかしやがって。テメエらこそヤバいんじゃねえの? ほら見ろよ、織田美濃さまが直々にご推参だぜ?」
ドヤ顔から一転、驚愕した陽葉は、上げかけた悲鳴を又左に封じられた。
これは竹中半兵衛も想定外だった。
5人は否応なく協力し、逃げ退った。
「待ちなさいッ! 陽葉センパイ!!」
逃亡者一党の背中に大呼したのは、紛れもない、織田美濃だった。
「陽葉センパイ! 大人しくアンカープレイヤーカードを渡してくださいッ! もともと、わたしを勝たせるつもりだったんでしょう?!」
彼女の投げかけに、木下藤吉郎陽葉が応じる。
「乙音ちゃんッ! 今回のゲームの勝者はわたしだよ! わたしが絶対に勝つ! 乙音ちゃんより先に上洛して、天下に覇を唱えるから! ――そんで、――ッ?!」
乙音こと、織田美濃は言い返しの代わりに火縄銃を空に掃射させた。
「きひ。織田の暴走姫さんに向かって、よくも小娘の分際で堂々と啖呵切るよな。な、信玄アニキ」
「大望を抱くのはいい事ですよ。高転びした時の絶望感は他人には最高のツマミですし」
先程受け取ったカードをちらつかせながら、武田兄弟が高笑いした。
時間切れ、木下陽葉一党の姿が掻き消えた。




