八話 ポジティブ・ランナウェイ
「おーい、師匠飯ができたぞ~!」
「おう、ちょっと待ってろ」
師匠の不満そうな声が小さい柄の中に響き渡る。
師匠に弟子入りが認められてから、もう四年という長い時間が経過していた。
始めはどうなることかと思えたこの非日常も慣れてしまえば、変わりない日常へと変わった。
研究資料に織を付け、師匠が席に着く。少し物の散らばったままの机を二人で囲む。
「それで決まったか?これからどうするか?」
「うん……決まったよ」
「そうか」
そんな食事風景もこれが最後だ。
「それでどこに行くんだ。」
「……少し早いけど、旅に出ることにしたよ。まずは旅をする。」
僕の答えに師匠はお前らしいと一言呟くように口に出してスープを一気にたいらげる。
昨日突然だが僕は旅立つことになった。以前から決めていたわけではなくそれは本当に昨日話して始まった計画。
師匠からそれは突然に告げられた。
「イアル。お前、そろそろここを出ていけ。」
何かしてしまっただろうか。と思い返しても何も思い出せない。やらかしたことといっても昨夜の晩飯を少し焦がしてしまった事だろうか。
「何で、何で僕が出ていかなきゃいけないんだ。だいたい昨日の晩飯よりもいつも作る師匠の晩飯の方がよほどまず……」
「あー、違う違う。イアルはもうここでやれること大体終わっているだろう。」
「あ…あぁ、それもそうだね」
確かに僕が僕のためにできる研究の内容はここではもうないだろう。つい先週までやっていた、新しい魔法の研究もひと段落付き、今では全く関係ない新薬開発なんかを行ってしまっている。
そんなことにも気づかずに、次は何の研究をしようかな。などと研究者魂のようなものまで芽生えてしまっていた。
「どうした、ボーっとして。旅立ちまであんまり時間ないだろ」
「あ、いやなんでもないよ」
皿洗いをする僕の後ろで師匠に心配されながらも作業を終える。
自室に戻った僕は見慣れたカバンを見つける。底は穴が開く寸前まで擦れて毛糸が飛び出し、中もボロボロに汚れていた。
「そういえば、このカバン。長い付き合いだもんな」
僕が旅立ってからずっと使ってきたリュック。持っていく研究資料を詰めていく。しばらくぶりに見たカバンはやけに小さく見えた。最近は遠出をしていないし、背も大きくなった。
「イアルちょっといいか」
背を向けた後ろのドアからノックが聞こえる。
「師匠?何?入っていいよ」
入ってきた師匠はどこか少し面映ゆさが感じられた。らしくない。
手を後ろに組んで何かを隠している。
「イアル。そういえば渡し忘れたものがあってな」
「うん?」
「ほら。」
そう言って、手渡されたものは見たことのない小さな鞄。
僕の持っているカバンとは違い、肩掛け用の小さい鞄。強いモンスターの革でできているのだろうかゴツゴツしていて丈夫そうな鞄だ。
――なるほど。
ふと目線と師匠に戻すと、顔を赤らめた師匠がそこに立っていた。
ああ、ほんとに…らしくないな。師匠っぽくないよ。
少し微笑んだ僕は渡されたカバンの意味を知っていてなお、それを問う。
「これは?」
「た、旅立ち祝いのプレゼントだ。受け取れ。イアルのカバンもかなり昔から使っているからな。そのカバンじゃ。旅立ちには心許ないだろ。」
差し出された鞄を受け取りそのまま肩にかける。余り重さを感じない旅に丁度いい鞄だ。
「ははは。師匠ありがと」
「まあ弟子の旅立ちだしな、昨日言った悪口もチャラにしてやる。」
覚えてたのかよ。本当に僕が出ていったらこの家の料理はどうなるのか。
そんな与太なことを考えて、表情を誤魔化しながら僕はカバンを開けた。
「えっ……このカバンって」
僕はどんな顔をしていたのだろうか。そんなことも分からないまま、カバンの中身を見続けていた。
焦った顔?驚いた顔?
そのカバンは時空鞄と呼ばれた特殊なカバンだった。旅人ならだれもが欲しがる、大容量で軽量な特殊なカバン。
仕組みはかなり複雑な上、その数は希少。相当な金額がする代物のはずだ。
はっと我に返り、師匠を見ると僕に背を向け、部屋から出ていった。もう作業に戻るのだろう。
――まったく、素直じゃない人だな。
そう思いながらも僕はそのカバンに身支度を始めていく。
これは師匠と出会ったばかりにした魔法の研究か…
これは新しい医療品を作った時の資料か。
これは僕が初めて一人で魔法を開発したときの資料。
みるみる内に研究資料がカバンの中にしまわれていく。
その一枚一枚の一文字一文字が思い出を想起させて目頭が少し熱くなる。
見ないようにして詰め込んだ時空鞄の容量は資料だけで既に四分の一を占めていた。
僕が村で訓練に使った期間は三年。竜の山での生活はその倍近い年月が経過していたのだ。少し思い出に更けるのも無理はないし、悪くない。
師匠との狩りにでかけたこと、師匠と思いもせずに新薬の開発が成功したこと。師匠が飯もまともに作れなくて僕が教えたこと、町に二人で買い物に行ったこと、はじめて研究を成功させたこと、今は忘れたくらいの些細なことで喧嘩したこと。
そのどこの思い出にも師匠という存在が張り付いていて、
――邪魔だった。複雑だった。
何度も何度もこの感情を押し殺していた。昨日から、いやもっと前からかもしれない。
けれどそれがさらに大きくなってしまった。ここを旅立たせる足枷になる。
「ずるいよ。師匠。自分ばっかり、僕に優しくして」
ぼそっと呟いて吐いたセリフと共に僕は自分の足で立ち上がった。
そうだ。僕はいつでもそれ(・・)を支えにして生きてきた。僕の背中を無理やりに押す強くて勇敢な意志。
首にかけたボロボロな石を見て僕は部屋を出る。
僕の部屋の目の前。研究資料を広げている。四年前は魔女だと思った。恐怖の権化でこうなりたいとか考えていた。羨ましいとか考えていた。
けれど、この四年でその考えは消えた。
「師匠!」
「ん。なんだ」
僕に背を向けたまま、研究に没頭する師匠。
楽しかったです。師匠と魔法を語り合えた期間は。
嬉しかったです。師匠にいろいろな魔法について教えてもらえて。
頼りになりました。師匠がついていた狩りは。
多分……いや、きっと。必ず。
「今までありがとうございます。僕は…」
あふれ出る感情を押し殺す。きっとここでこの感情を出したら今の決断が揺らぐから。唇をかみしめて肩が震えるのを防ぐ。
「僕は英雄になります」
そういって家を飛び出した。師匠の顔も見てないし、自分の顔を鏡で見られない。返事も聞かないままに飛び出した。
適当なお別れ。けど、これでいいのかもしれない。師匠と僕のお別れは、互いに利を産むから組まれた師弟関係。ただそれだけだったのだから。
そういえば、僕がなぜ研究になんて没頭して英雄のことを二の次のように考えていたのか気になっていた。次は何の研究をしようかなどと研究者魂のような心が…って、そんなに根付いてないよな。そんな心。
ふと師匠のちらっと見せた照れた顔や、怒った顔、笑った顔が浮かんだ。
僕が旅立たなかったのは、あるいは……。
「いや、あり得ないな」
飛び出した外の世界は薄暗い。今度の旅立ちは昼でも夜でもなく、早朝だった。
まだ登り始めた太陽が煌びやかに山を照らしていく、山頂から照らすその日の出に負けないくらいに速く、僕は山を下って行った。
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旅と言ったらここだな。多くの建物が立ち並ぶ。大都会。道行く人々は筋骨隆々なものから、ローブを身に着けたものまで千差万別。まさに冒険の始まりの町だ。
竜の山を出て三日。体力回復のためにと走っていたら目的よりも早くついてしまった。
少し研究で訛った体をほぐすために急いだことが裏目に出てしまった。着ていたローブは少し汚れて泥が付き、僕の体も何だか少し臭い。
町は少し賑わい、活気もほどほどある。村や竜の山の近くにあった町のどれとも違う。やはり町と名の付くほどの立派な地域にはこれほどの人が集まるものなのだな。
ただ僕がこの町を始まりの町と決めたのにはもう一つ理由があった。
「おいおい、そこのガキぃ。そのローブ魔法使いか?ちょっと面かせや」
僕の肩が強くつかまれる。舐め回すようなトロトロとした話し方。振り向くとガラの悪い男がそこにはいた。
少し早いが、まあいいか。
この町は他の町と比べても周囲のモンスターの盗伐難易度がかなり高い。その難易度は国一番の難易度とも呼ばれる、噂では王都近辺の「魔境の震域」にも匹敵し得るほどに。おかげでこの町は、このように栄えている。
ただ、その栄え方は良い方向とは言えないかもしれないが。
ここは冒険者に人気の町だ。それも戦闘大好きな。狂った冒険者にとっての憩いの場なのだ。
当然、僕はそこに訪れた格好のエサに見えたのかもしれない。新人に興味を占めすのは普通だろうし。
ただ、僕を見たその冒険者の目はまるで獲物を見るかのような目だ。予想よりもこの町は荒れているのかもしれない。
「はぁ……これは少し間違えたかも」
「あ、なんかいったか?」
「いいや、こっちの話」
「そうか。じゃあ俺と一緒に来てもらおうか!」
ニヤリと不気味に笑った男は腰から剣を抜き、そのまま僕目がけ振りかざす。唐突に襲ってきたが、剣の腹がこちらに向いている。さすがに殺し合いはしないわな。
僕はそのまま振りかざされた剣を横へと体をそらしヒラリと躱す。
「うん。体の調子は悪くないな」
警戒していれば躱すことも造作もないこと。男の胸元を掴んでそのまま地面へと叩き落す。僕に投げられた男は白目をむいて無様に地面を舐めていた。
「うわぁ、あっけないな……」
ベテラン冒険者といっても大したことはない。ただただ無策に年を重ねてモンスターを倒していただけの僕より背が大きいだけの大人。そんなものに英雄を目指していた僕が負けるのも不思議な話だな。
――ザワザワ。
騒がしくなってきた群衆の目を掻い潜りながら目的地へと急ぐ。名声を目指すとは言っても今は目立つのは避けたい。頻繁に戦闘狂たちに喧嘩を売られてしまっては流石に生きづらいだろう。
人の視線を避けるようにフードをかぶって。少し速足でその場を後にする。
目的地は他のどの建物よりも高くそびえたっていた事もあってかすぐに見つけることができた。
立派でビルのように高く、広大な土地に建てられた大きい建物。そのすぐ横には闘技場がある。
そう僕の目的地とは、伯爵領の冒険者ギルド支部だ。僕は村を出てからというもの学生でもなければ、労働者でもない。十二歳という年齢にまでなってそれはいけないだろう。
ということで、ここで手続きをして一旦冒険者としての資格を確立させておきたい。
扉を開けて中に入る。
「うわぁ……」
思わず声がでてしまうのもやむをえない状況だった。それほどに中の世界は別世界のように見えた。入ったとたんにバッと僕の方を見る目がいくつかあった。戦闘を生業とするものの多くにこうも視線を向けられると、さすがの僕も少し物怖じしてしまう。
殺意の篭った目だけでなく、品定めをする目や、同情の目が部屋の隅々まで並んでいた。
様々な視線を見ないように真っ直ぐにカウンターへ向かう。
右から四番目。冒険者資格への受付だ。どうやらこの町で受付をするような駆け出しの者はいるわけがなく、その受付カウンターだけがガラガラに空いていた。
「資格受けに来たんだけど……」
「あ、はい。えっと」
どうやら難しいような表情を浮かべて、目を泳がせている。
途端、周囲から笑い声とヤジが飛び交った。
「ここはガキが来るとこじゃねえんだよ」
「この町を知らねえのか!」
「素人が!」
受付の女性が慌てたように場を鎮めようとするが、鎮まる気配は無し。
なんというか、本当にこの町は脳筋しかいないようだ。礼節というどころかマナーすらかけている。
あきらめたようにため息をついた女性はそのまま僕への説明を開始した。
「冒険者登録はこの町の近辺の危険区域への討伐目的の立ち入りを許可するものです」
「最近できた仕組みで死亡防止のため討伐できる区域が決まっています」
「この町のランクはD、つまりベテラン冒険者ほどの実力が必要になる依頼ばかりなのですが…」
身長的に仕様がないが、見おろすように僕の前進を見る受付の女性。
「大丈夫、とりあえず試験を受けさせてくれない?」
僕の周りにいた冒険者のヤジは次第に大きくなり、その飛び火でだんだんと周りにいた僕に興味すら湧いていない冒険者までもがヤジを飛ばしてきていた。
「そうしたいところなのですが実は、資格を受けるに至っての試験官が本日休みでして」
「えぇ……」
――まじかよ。
すんなりとそれを言葉にすることで、なんとなくこの町の現状を理解する。
いや見落としていたことだったのかもしれない。この町の状況が状況だけに。
この町より強い危険区域がある場所は本部の王都。その王都では連日多くの人が冒険者資格を求めて、試験を受けに来る。
しかしそれは本部だからという話。支部でそれもここまで荒れた街にはそれほど試験を受けに来るものが少ないということだろう。
――本格的に来る街を間違えたくさい。きっとこの町の試験官の仕事は連日定休日だな。
「じゃあ、坊主俺が試験官代わりになってやるよ」
どうしようもなく、頭を掻く僕の後ろで低く空気を震わす声が聞こえる。
振り向くと渋くて眉毛の太い濃厚な顔に、背中には大剣を携えたおじさんが立っていた。
自信ありげな顔。年齢的にも冒険者人生の最高潮と考えていいだろう。
「僕としては嬉しいけど、ギルド的にはどうなの?」
「もちろんダメですよ!!」
支部とは言え、国にはしっかりと管理されているギルドの一部。試験管の人員自体はいるはずなのだ。そんな簡単にころころ変わっていたら不正を防げないだろう。
結局、試験官本人に任せないで行うことは違法というわけだ。当然の結果だと言える。
「ってことで大剣のおっさん。ダメだって」
「チッ、バレなきゃいいだろうが‼」
そういう問題ではないだろう。再び僕は頭を掻くと、受付のお姉さんを見る。
一見、申し訳なさそうな表情の裏には、なぜここに試験に来たのだと言わんばかりの疑問がこもっていた。
――今日できることは早々に終わってしまった。この町に来たのは本当に間違いだった。別件で用もあったが、これでは登録もできないだろうし。仕方がない。
何はともあれ、ここで待っていても仕方ないだろう。
「じゃあ、また明日来るよ」
受付を背にして出口に向かって歩み始める。
「いや、いいよ~」
僕が右足を出したのと同時に、大剣おじさんの大剣の横から声が聞こえる。
僕の視線に気づいてか、声の本人はすぐに顔をのぞかせた。
若い。手前の大剣持ちがおじさんなら、その人はお兄さんといった所だろうか。
「おっとっと、悪いね。今日休日もらっちゃってさ~。新人ちゃんそこどいて~。そんで試験だったよね」
いきなり出てきた男は多くの冒険者の大群を軽く躱して抜けていき手慣れた様子で僕の手続きを始めた。