六話 間違い
まず始めに僕はこう思った。気づく兆候はあったはずだ、と。
確かに未知の領域に未知の遭遇も重なり僕は慌てていたのかもしれない。年相応にはしゃいでいたのかもしれない。
しかし気づく要素はあっただろう。それなのに僕は目の前の人が味方と決めてかかり、平和に浸っていたのだ。
魔法士という面も、女性という面も、竜の森にいるという面もすべてが今に思えば怪しい面だと感じる。
今思ったところで後の祭りであることには変わらず、結局のところ僕の判断違いは目の前の現状を表していた。
殺気の溢れる女性。つい先ほどに魔女と分かったそれは今にも僕を殺しそうな目で僕を見つめる。
「ちょ、ちょっと待て」
「あ?」
先にこの静寂を壊したのは僕だった。僕の言葉に敵意むき出しの魔女は冷たく黒い瞳で僕を見る。先ずは間違いを解く。
「僕がここに来たのはあなたと対決するためじゃない!」
僕がここに来た目的は魔女を討伐するだとか物騒な話ではない。そんなことに一ミリも興味はないし、そんな技術も満たない。
「僕がここに来たのはあなたと協力したいんだ!」
「協力?」
「そうだ」
刺激しないよう言葉を選び、なおかつこちらが不利なところを見せられない。これは交渉だ。一世一代の交渉。ひとつひとつの言葉に裏をかかれてはいけないし、裏をかいた言葉を言ってもいけない。対等な立場での取引でなければいけないのだ。
「まず、これを見てくれ」
取り出したのは魔法陣が書かれた紙切れ。リュックから取り出したその紙切れは形も、名残も、炎魔法のそれ。されど炎魔法の魔法陣とは異なる。
出る魔法は同じはずなのに一切の形が違う。
これはあの魔法士から渡された紙切れだ。
あの時僕が使った紙切れ。
「これは……」
「何か、分かるか……?」
「…いやお前に行ってもわからないようなものだ」
僕に行ってもわからない?その言葉は聞き捨てならない。腹を立てている僕になど目もくれず、魔女はそういいながらも魔法陣に書かれた紙切れからの情報に何かを見出したのか慌ただしく、その場の資料を散らかした。
「魔素への干渉と、魔力作成」
「!」
僕をなめるな魔女。僕は魔法を学んでいる。それくらいの話についていけないほど落ちぶれていないぞ。この交渉はあくまで対等なのだ。
「それくらいは僕にはわかる。だからそれ以外の情報をもらいに来た」
ゆっくりと呼吸をし、目の前の化け物じみた女性へと再度目を向ける。
恐れを悟られないようにしっかりと、強く睨むように目を向ける。
僕の視線にため息をついたように、魔女は目を緩ませて答える。
「それ以上の情報な……。だがそれ以上の情報を私は持ってないぞ。その魔法陣を書けるなら国王から直々に賞をもらうこともできる。私の元に来るべきじゃないだろ」
「……確かに。でもこれは僕が書いたものじゃない」
「何?」
「あるならこの魔法の情報なんて聞かないよ。」
僕は事の次第を魔女に伝えた。
この魔法を発動したときの事情とあの魔法講師について。
間違うことなくあの日の記憶を呼び起こす。一つを除いて。
静かに魔女は僕の話を聞いていた。
しかし、魔女の話からして魔女はもともと王都にでも伝手があったのだろうか。少しだけ疑問が残る。
確かに最初にあった女性は可憐でそれはもう都会にいることが義務付けられるような姿だったことはわかる。
しかし目の前のそれは違う。見た目こそ先ほどのままだが包む空気の異様さは誰でも感じられるものであり、戦闘に携わるものならばそれがすぐに殺気だとわかるレベルだ。そんなものをなりふり構わず振りまく姿はまさに想像の魔女そのものだとさえ言える。
「なるほどな。まぁ、そいつの正体はさておきそれでお前の目的はなんだ?」
「……僕の目的?」
「とぼけたって無駄だ。さすがにそんなことを聞いてのこのこ帰るお使いしに来たわけじゃないだろ。そんな気軽な場所か?お前にとってここは。」
再び目を細めて強く僕を睨む。
――さすがに魔女といったところ。僕の体内魔力が低いことも、戦闘能力が低いことも既にバレていたようだった。本筋を語らずに溶け込むつもりだったがそれは見透かされていた。
はじめから対等でもなんでもなかった。
「弟子になりたい」
「……は?」
「ここにおいてくれ」
僕の目的は一つ。この魔法の研究をすること。魔法に長けたもの、特に研究に長けたものの近くにいることだ。
その任として子どもを置いてくれるところなんてどこを探しても見当たらない。調べようにも世間に知られていない魔法を既知の研究機関での開発で届くわけがない。
ならばこその魔女の家。
「この魔法について研究がしたい」
「……」
魔女はただ静かに椅子に腰を下ろす。
何かを考えるように頬に手を添えてななめ下を見た。
「お前が私を屠りに来た奴らじゃないことはわかった。だがなんで弟子入りなんだ。魔法の研究だけなら機材さえそろえばここよりいい研究なんてできる」
それに…。
一度魔女は口を噤む。再び何かを考えるようにして下をむいた。魔女の真意が読めない。しかし交渉はもう成立している。口調もほどいてもいいし、魔女も僕を弟子入りする流れができて居ることは丸わかりだ。
さきほどまで張り詰めるような空気の中にたださすような殺気があったが、今はその殺気すらも弱まっていることからもわかる。
僕はこの交渉の勝利を確信し、心の中で笑った。なぜなら僕はまだ強いカードを切ってすらいない。それに魔女は気づいているのだ。
しばしの静寂を打ち切るように魔女が大きなため息を吐き、腰を下ろして僕を見上げる。
「なんでお前はそこまでこの魔法の研究にこだわる?いや魔法にこだわる。そこまでして強さを手に入れる理由は?」
は?思わずそう言おうとして口を塞ぐ。いや、言った方がよかったか。思いもよらない質問に僕の顔はきょとんとしていた。ポーカーフェイスも何もあったものではない。
悩んだ魔女から帰ってきた言葉は思ったよりも普通で当然のことだった。僕の中では当たり前のことで既に言う必要もないほどにしみ込んだこと。
口にすることさえも烏滸がましいが、敢えてこれだけは言おう。
「英雄を目指してるんだ」
「英雄?英雄ってあの勇者の物語に出てくる英雄か?」
「そう。その英雄」
何度語っても、幾度の時を過ごしても褪せることの無いストーリー、英雄譚。
突如魔女が噴き出し笑い出す。あまりにも突然で僕は魔女を見て固まった。
「思ったより下らねえな!」
「く…くだらなくは……いや、くだらないかもしれない」
確かに、昔はともかく今のご時世に英雄はいらない。もし同じように魔王を倒しても英雄とは言われない。
きっと英雄というものはその時に合わせた国を救う、世界を救うことを成し遂げるひとをいうんだ。だから僕の目指す強さはあのころの英雄を見様見マネで模倣しているだけだし、きっと僕は成長しても英雄と呼ばれることはない。
「けど、僕にとってはそれが夢なんだ。くだらないとか言われようが僕は魔法士になる。そして旅に出る」
「そうか」
僕の顔を見て魔女は小さく微笑んだ。
その顔はすでに殺気の纏った魔女ではなく僕を助けてくれた女性だった。口調は違うけども。
思っていたより魔女は恐ろしい人ではないのかもしれない。先ほど魔女が口を滑らせたように襲ってくるものを退けるための殺気で、本来はここで研究を営む。ただの女性なのかもしれない。
実際、本では脚色されていることなんて多々あるしきっとそうなのだろう。そう思うと自然と口調も和らぎ、口角も上がって僕は魔女に笑顔を向けていた。
「ん?いや、待てよ。それでもまだ解決できねぇぞ。それなら尚更今は魔法を仕上げた方がいいだろ。研究は学園に行ってからの方ができるだろ」
「あぁ、いやそれが。僕は魔法が一切できないんだ。出せても水魔法くらいで」
肩を掴まれ、投げられる。そのまま宙を舞った僕は、木でできた壁を突き抜けそのまま寝室へと転がり落ちる。
「カハッ…………な、何を…」
うっすらとした視界の中で魔女の目は曇っていた。黒く染まった瞳は再び冷たい殺気を宿し、僕を敵として睨む。
「交渉は決裂だ。村にでも戻って勝手に英雄でもなんでも目指せ」
そのまま魔女は僕の襟元を片手で掴み、床を引きずる。抵抗することができない。投げられた勢いで激しい腹痛が僕を襲い、立つことさえままならない。
なされるがまま、僕はそのまま外へと投げ出される。
どこを失敗したんだ。いや、何かの琴線に触れたのだろうこれは僕のミスだ。交渉は相手のことを知ることも重要なことなのにそこを抜かった。
「いいか、私は外に研究材料を取りに行く。お前はここを出ろ。帰ってきてまだいたら――」
ローブに隠され見えなかったが魔女は確かに僕を睨んで言った。
「研究のエサにすんぞ」
ひどく冷たい声だった。最初に出会った魔女よりも尚更その姿は恐ろしい魔女という名ですらそれには相応しくない。
「化け物かよ…」
僕のセリフに魔女は僕を一瞥して答える。
「そうだな」
やけにか細い声だった。しかしその言葉には同時に強い肯定を感じる。
僕を取り残し、魔女は風魔法にて空へと飛び立つ。
――クソ!
間違えた。取り返しのつかないミスだ。土を殴る拳に衝撃が走る。
「何か情報を得ないと」
ここで引き下がれるわけがない。再び魔女の家へと入る。
魔女のいなくなった家の中はまるで普通の家のようだった。あの不気味さは魔女が出していたのだと思うと鳥肌がする。
「必ず……必ず弟子入りしてやる」
あの力さえあれば、僕はまた英雄に近づけるだろう。僕を吹き飛ばした魔女の体術、そして空を飛ぶほどの魔法のコントロールにその術を実行するその才能。全てが恐ろしいほどの素晴らしい。
しかしそれと同時に僕に見せた彼女の笑顔は嘘じゃないはずだ。何かがある。
――だがいまはとにかく魔女の弱みだ。
何かないか、何か…。
そこら中にある、資料を広げる。近くにある試験管も。実験器具でさえも。
なんでもいい。なんでもいいから見つけるんだ。
本棚の資料をどかしその中を見る。
すべてに軽く目を通すが、資料はどれも魔法を学んだ僕でさえも理解が及ばない。公式と術式の数々。
さらにそのどれもが……
今の環境では実施できない術式だ。
「なんだこれ……魔女は何がしたいんだ」
今の魔力でさえ、発動できない魔法?そんなもの聞いたことがない。
書かれた術式も、公式でさえもどの元素にも合わない。炎でも水でも地でも風でもない。錬金術の方が近いかもしれない。何かが現れる?そんな召喚魔法に近い公式。
「何がしたいんだ。魔女は……!」
わからない。ただこれは交渉に使える材料ではない。
弱みというほどのものではない。
研究の対象が現状ではかなわないもの?そんなもの考えれば考えるだけ恐ろしいものであるだけだ。世間的に恐ろしいものであることなどで脅してもあの魔女はビクともしない。
そこに僕との共通点もない。交渉には持ち運べない。
有用じゃない。
焦る僕が紙を投げ捨てた際にふいにそれは現れた。
――ん。なんだあれ。
むしゃくしゃして散らかした部屋。その角にある小さな机。
そこには一枚の写真があった。写真には一人の男に二人の女。併せて三人が仲良さそうに映っている。
――中央にいるのは魔女か。今と同じ髪型に、今では考えられないような笑顔でこちらを見ている。その隣の男は何かパッとしないがなぜか笑顔だけは似合っているような気がする。もう一人の女性も同じように笑顔を向けてこちらに微笑む。なんだか優しそうな人だ。
これは魔女の過去の写真……。
あの本に魔女の過去を描く描写はなかった。僕が見逃したのだとするならばそこだ!この机に何かが。
机に散らかる資料と室内にここだけやたらと汚く乗ったゴミをどける。
机には大事そうにケースに入れられた一枚の研究資料と一本の杖が入っていた。研究資料のタイトルは――蘇生魔法について。
少し不気味なタイトルの資料を横目に僕はその横にある物、目を引かれるその杖を握った。