四話 竜の山
村を出て三日。ここまで何事もなく平穏な旅を迎えている。
村の近くしか言ったことのない僕にとって、この旅はやはり見たことのない連続だ。
馬車が砂煙をまき散らしてかけていく。
川の水面は風に仰がれうろこ雲のような模様を出す。
目に見える光景のすべてが生きて見えるのだ。
しかしここからはそんな旅行的な感情も半分捨てなければいけない。
目の前には異様な空気を漂わせる山、竜の山がそこにはあった。
何人がここで引き返そうと考えただろうか。
今までの舗装された道々とは違いここからは完全なる危険区域。
荒れ果てた山道となっている。一般人が立ち入りようものなら即座にやられてしまうだろう。
安全な道の脇へと座り、手慣れた手つきで野営道具一式を取り出しテントを張る。
静かに一息つくと保存食を取り出し一口、一口大事に口へ運んでいく。
ここ何日かで野営にも慣れてきたが、明日からはきっとこのペースで進むことは不可能だ。
それに…
本を広げ確認するが、魔女が住む小屋の位置は事実を想定してはいるものの、定かではない。
ここからは暗中模索となるだろう。
とりあえず旅の無事を、僕を見捨てなかった神にでも祈っておくことにしよう。
見通しの立たない絶望的な未来を考えないようにし床に就く。
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早朝の冷たい空気で目が覚める。
山のふもとだからだろうか夏だというのに空気は冷え、吹き下ろす風はテントをガタガタと鳴らす。
肌寒さからも自然と足はきびきびと動いた。
今日の旅を安泰にさせるような走り出しだ。
そのまま、予め汲んで置いた水で顔を洗い身支度を迅速に整える。
「ふぅ…さあ出発だ」
今日の目標は聖域にたどり着くことだ。
モンスターの生息地の中にはいくつか魔素の薄い安全なスポットが存在する。
人はそれを神の与えた聖域というが単純に魔素の薄い場所だ。
人間が酸素を必要なのと同様。モンスターにも魔素が必要なのだ。
薄い場所は生きづらいというわけである。近寄りがたいし、住むはずもないことのだ。
「さて行くか!!」
気合を入れなおしそのままの勢いで斜面を一歩一歩力強く駆け上がっていく。
モンスターは夜行性だ、日が沈む前に何とか聖域にたどり着きたい。
山の木々の隙間からは止め処無くモンスターのうなり声が聞こえてくる。
村の近くには危険なスポットなどなかったから実感が沸かなかったがうなり声というモノを近くで聞くのは心臓が締め付け続けられるような気分がした。呼吸がしにくい。
これがモンスターの威嚇か。
しかしその殺気たちに恐れ戦き足が止まることはなかった。
力を示す咆哮や唸り声聞こえる中、一方の僕は足音一つも聞こえぬように注意を払い速やかにと歩を進める。
レオンが来てくれるだろうと期待はしていた僕は予定では実のところ、戦闘の一切を彼に任せるつもりでいた。
なぜかって?理由はごく単純…僕この山のモンスターとは戦えないから。
その甘えがレオンの断る原因だった可能性も捨てきれない。
―――はぁ。
小さく漏れたため息が自身の思考をあざ笑うかのように聞こえて耳障り。イラつきを隠せないままも前へと進む。
無の森で会ったモンスターほどでは無いにしても竜の山に生息するモンスターは僕にとっては脅威そのもの。無論、僕の戦闘の低さもあるがそれ以上に、危険な山であることが大きい。
群れを成すものから、立ち並ぶ木と同等の大きさもいるから気を付けなければいけない。
しかしこの山を冒険する中で危険なモンスターは他にいる。嗅覚の優れたモンスターだ。
僕の隠密術は友人のおかげで少しかじっているが臭いまで消して行動することは不可能。
流石にそんな中突っ込むほど僕は無鉄砲じゃない。
木に寄り添うように座りカバンから瓶を一つ取り出す。
臭いの消える薬草。植生地が村の近くにあったことから旅立ち初日で作ったものだ。こうなることを予想して作っておいてよかった。
体に掛けて森に臭いをなじませていく。
――パキッ。
「「グゥウウウオオオアアア」」
「!!」
枝を砕く足音、耳をつんざくような酷い鳴き声。発したモンスターは僕を襲うことなく威嚇程度に吠えてそのまま姿を見せる。
「ゴブリン…」
弱小モンスターで有名なゴブリン。緑色に染まった皮膚にこわばった骨が惨さを醸し出す。
背丈は僕と同じくらいだが、モンスターであるが故、その力は大人にも及ばずとも劣らない。
冒険者の中では群れれば危険だということが周知されている。どうやら目の前のゴブリン一体以外モンスターはいないようだ。
持ってきた長さ十センチメートルほどの杖をポーチから取り出し詠唱を開始する。タイミングは一度のみ。
「ウォーターボール」
瞬時に発射されたそれはゴブリンの呼吸のタイミングと合わせ体内へと入っていく。その一瞬のうちにゴブリンは血を吐き地べたに倒れ伏す。
すかさず倒れたゴブリンに追い打ちとして、腰の短剣をのど元目掛けて突き刺す。
傷口からは勢いよく空気とともに血が噴き出した。
「これで倒せたか…よし」
目の前のゴブリンの素材も回収しないまま僕はその場を後にする。
理由は二つある。
まずはゴブリンの鳴き声が周囲に響き渡ってしまったこと。そして―――
もう一つはゴブリンがこの山にいたこと。
前者は言わずもがな。しかし問題は後者だ。
竜の山でゴブリンほどの低級なモンスターが生きていけるはずがない。この危険区域の竜の山でもそれなりのモンスターのヒエラルキーが存在する。その最下層でさえ僕が倒せるモンスターなんていない。
考えられることはただ一つ。
ゴブリンが住めるだけの環境が作られてしまっている。
竜の山にいるモンスターと同等レベルの集団の形成。挙げられるのは上位種の誕生だ。
上位種は極稀にみられる変異体のようなもので、魔族での上位種は魔王。人族での上位種は聖女といったようにモンスターにも上位種が存在する。
ゴブリンの上位種、ゴブリンキング…。
群れを為したその強さは、国直属の軍隊を動かすほどのものという。
僕では荷が重いどころの騒ぎじゃない。
「ルート変更だな…」
思わず笑みがこぼれるのを慌てて手で押さえる。
おそらくバレたのは視覚的な問題だろう。
この山の山林のモンスターで視覚能力はそこまで重要視していないモンスターが多い。最も危険な聴覚、嗅覚の対策を主にやっていた僕にゴブリンとの遭遇は痛手だった。
結果僕はまた知らないことに出くわしたのだ。
いや、この山については記述もなかったし知らないことだらけなのだ。
だから知っている情報に自信を持っていたわけじゃない。
この山にゴブリンがいた原因さえ、はっきりと分からない。
それでもなお、僕は一つ知らないことに出会えたことに、一つ知識を得られたことによる冒険としての喜びか。
はたまた知識を得らえたことで勇者に近づけたことへの喜びからか。
歓喜の感情を隠すことはできなかった。
興奮と恐怖で心臓が鳴りやまない。しかし歩む足が止まることはなかった。そのままの勢いで別のルートを探す。
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「うわぁ…高いなぁ」
林を抜けた先にひろがっていたのは崖だった。
断崖絶壁。いつの間にか、かなりの高さまで登ってきていたらしい。
林から少し離れたその崖は、土や砂ではなく岩肌でできていた。
落ちたらひとたまりもないだろう。
「油断禁物」
すでに精神は大分削がれている。そろそろ聖域へとたどり着かないとまずい結果につながることは目に見えていた。
右手側には山頂へと続くであろう道がある。油断はできないがこれ以上に選ぶ道はないだろう。
これだけ開けていればモンスターも発見しやすい上、対処も考えられる。
躊躇することなく進む。今日の内に拠点を張れる場所に行きたい。
馬車が通れるかどうかという狭い通路を進んでいく。
そうは言っても、安全な道だった。
モンスターの鳴き声は聞こえず、ただただ横から吹く風が僕の体を揺らす。
歩く、歩く、歩く。
ただそれだけの行為を繰り返す。
足音を消すほどの行為はしなくても自然と風が吹き、かき消されていく。
安全な道のりが続いている。つかの間の休憩だ。
「そういえばレオンはどうしてるかな」
僕と同タイミングで旅に出るのかとも考えていたが、そういうわけではなかったらしい。しがない村でやり残したことでもあるのかもしれない。
それと僕にはこの旅に出てから一つ、悩みがあった。
「独り言多くないか僕」
そう、この一人旅。話す人もいなく、ただただ独り言のみが得意になっていく。一人旅でも気楽でいいかと思っていた自分を殴りたい。
次に旅をするときは旅仲間の一人でも作ってから行こう。
―――コロコロ…。
そんな空気も一時、一つの石ころが左手の斜面をころころと落下し僕の目の前を通過する。
同時に僕の背丈同様、嫌背を伸ばせば、それ以上だろう。
突如現れたそれに僕は反応することなくただ立ち竦んでいた。
油断していたわけではない。警戒はしていた。
だからこそ今、杖を出しているしモンスターの数も把握している。
だからこその棒立ちだった。
現れたモンスターはサル。見た目はサル。
ただし立派なモンスターだった。
名はイワザルという。このサルたちの特徴は普通のサルと違い、荒野を行動すること、そして…集団で行動することだった。
「えー…一人は寂しいっていったけどお前らはお呼びじゃねーぞ」
さすがに独りぼっちでもサルと旅は遠慮したい。サルといってもモンスターだし。
さらに追加で現れる。すでにサルの包囲網は完成している。
そのうえでの追加だった。
「キーッ」
「うわっ」
一匹のイワザルがからかうように軽く、軽く腕を振り下ろす。
しかし、その一撃は遊び半分の衝撃ではない。
イワザルの腕力はモンスターそのものだ。小さな体躯から繰り出されるその攻撃は、
―――岩をも砕く。
イワザルの下した一撃をくらった地面にヒビが入る。
言わなくてもわかるくらい不味い状況だった。
道幅、数メートル。
サルとの距離は半歩。その視線の先には僕という群れ全員の共通の敵が映し出される。
ここまでの包囲網を作っていてもサルは油断をせずにゆっくり、ゆっくりと僕を追い詰めていく。
何か、策はないか…。何か…。
辺りを見上げてもそこにはサルの目が並ぶ。
「ウォーターバインド」
僕の杖から出た水は地面をうねり、サルたちの足をとどめる。
「ウォーター」
次に岩肌のとがった部分目掛け、水の紐をかける。
そうだな…。作戦はこうだ。
ターザン作戦。
「アーアアー」
引っかかった水のロープに体をかけて上へ上へあがる。
しかし、崖の頂上へと行かずに僕はそのまま水のロープで体を振る。
上下に揺すられながらロープは単振動を始める。
イワザルは足が弱い。
モンスターの中では比較的弱い方といった方が正確だが兎に角、包囲網を突破するには上空への退避が必須だった。
水のロープで体を高くへと持ち上げることでサルの手の届かないところまで移動。
そのままサルたちのいない地面にまで紐が伸びたところで魔法の解除をする。
って、うわ。思ったより速い、高い。
すでに後ろに見えるはずのイワザルさえもぼやけてしまうくらいの速度。
貫く風によって僕の顔がゆがむ。
着…地。
「い、いったぁああああ!!」
足に雷が落ちたような感覚。しびれる。
―――いや痛がってる場合じゃない。
を食いしばり、足を前へと運ぶ。骨が痛む印象はない。
折れてはいないし大丈夫だろう。
後ろで鳴りやまぬキーキーと甲高い鳴き声が聞こえる。
僕を逃がすつもりもないのだろう。
声に殺気を感じてそのまま斜面を駆け上がる。
いつまでもイワザルは僕のことを待ってはくれないだろう。
ウォーターバインド自体、そこまでの拘束力はない。
だが、岩を殴るこいつらのパワーと動きはある程度絞れるだろう。
…それにしてもサルたちの声がずっと離れない。
もう聞こえなくても良さそうなのだが。
「ってうおおお。どんな力してんだ、クソザル!」
確かめ程度に後ろを振り返った僕は後悔した。
さっきまで動けなかったイワザルたちは全員元気に動き出し、元気に岩を登ってかけてくるものから、そのまま地面を走り僕を追うものまでいた。
それぞれが未だに僕を敵として認識し、獲物として認識している。
逃がすつもりはなさそうだ。
「くっそ、まずいな」
包囲網だった場合の方が実は楽だったのかもしれない。
イワザルが群れて行動するとは言え、その一匹一匹の腕はかなりのもの。
竜の森にいることだけでもその実力は僕に劣ることはない。
思考している間にもイワザルと僕の距離は縮まっていく。
…本当に僕は魔法師になれるのだろうか。
心の中で疑問が生まれる。
あの日のことが夢のようにすら感じてしまう。
僕が、モンスターを倒したあの日。
強い魔法を放ったあの日。
未だに手への反動が僕の目頭を熱くさせる。
「いや、ここで止まっていられないな」
心に穴が開くような痛みが走る。
きっとあの日を経験していなかったら僕はあきらめていたのかもしれない。
何もかもを捨て、死を受け入れていたのかもしれない。
しかし僕は今までの無力な自分とは違う。このままで終わってやるつもりはない。
英雄を目指す。
いや、なってやると決めた―――
ここで足踏みしている場合じゃない。手に力を込め体にある全ての魔力を杖に込める。
杖に自身の魔力を込めて、その魔法が発動することを願う。
僕の努力の集大成。
残念ながら、発動する確率は高くない。
走った、今みたいに全力で。
学んだ。魔法を発動させることを願って。
戦った。自分自身の才能と。
「これが今の僕の全魔力だ!ウォーターフォール」
それは大量の水を出すだけの魔法。
魔力を器用に扱う魔法士が出すような頭脳と技術の決勝ではない。
魔力を無様にすべて吐き出しただけの魔法。
滝のように溢れた水はイワザル目がけて襲いかかる。
思いもよらぬ攻撃にイワザル達は足を持っていかれ、前の方からドミノのように崖を降り落ちていく。
あとは―――。
残るのは崖に登るイワザル。
「ウォーターフォール」
残りの魔力もすべてくれてやる。
流していく。イワザルたちを。
一心に魔力を込めて流す。
しばらくするとイワザルたちの鳴き声と姿は目の前からいなくなっていた。
魔法は中断することなく、そのまま魔力もなくなり、水はみるみる内に消えていった。
「はあ…はあ…とりあえずやったぞ」
急激な魔力の枯渇は僕の足をガタガタと震わせる。
腕も…肩も上がらない。
杖を向けることすらかなわない。
息も上がり体力はもうの残り僅か。
魔力の残量によって思考すらも奪われていく。
―――今度こそモンスターにあったら一貫の終わりだ。
残る力をふりしぼり、道を歩く。そこに山に来た時の気力は無い。
ただただ上る。
いつの間にか空は赤く染まりだし、地平線に日が沈む。
幸いイワザルの追跡の気配はなく、ただただ山の急斜面を登ることだけに力を振り絞る。
少しずつ坂道の終わりが見えてきた。
あと少しあと少し―――。
最後の一歩を踏みしめる。
「やった…。よかった。ついてるぞ…」
斜面を登り抜けた先は聖域だった。
青々とした木々に澄んだ空気。
休憩場所の小屋も存在していた。
ヨタヨタと震える足を進める。
前へと進んでいるかもわからない。
でも、久々の雰囲気だった。初めてだったかもしれない。
ここまで全力で戦ったのは。
そのまま小屋へと倒れるように転がり込む、だんだんと呼吸が浅くなり、僕の意識はそこで途絶えた。