十七話 何も聞こえない
宿の奥、こじんまりとした部屋。
置いて行ってしまったテディベアが私と一緒にイアルを見ていた。
昨日起こったことが嘘のように窓の外は明るく照らされ、町の人の笑い声が聞こえてきていた。
「二人ともお揃いかな」
ドアのノックの音も、足音もせずに入ってきたのはエンリと呼ばれた男の人だった。
その試験官の男は無配慮にそんな明るい声をかけながらも、入り口を開けてそのまま資料をいじる。
「いやぁ、まさかあの暗殺者がイアル君のお友達だったなんてね」ーーなどと言いながら。
「!!」
「おっと、ごめんよ。配慮が足りてなかったね。」
布団にもぐって顔も見えていないイアルの肩が少し震えたのを感じて、思わずエンリを睨んでしまった。
昨日の彼女。イアルと同じネックレスをしていた彼女セリア。以前に話していたイアルの昔の友人だと思う。
彼女の話をしているときのイアルは輝いていた。まるで自分のことのように話して、自分の実力が置いて行かれたことすらも「あいつは凄いんだ」と喜んでいた。
そんな彼女との再会を待ち望んでいた。
貴族の屋敷に行った時…イアルの期待は心配へと変わっていった。彼女を探して、彼女のために一日奔走していた。
その結果が「あれ」だったのだから……堪えるのも当然だった。
「エンリ…さん。っていうの?――ちょっといい?」
「?…うん」
エンリを廊下に呼び出して、イアルの取っている宿部屋から出る。
「なんの用事できたのよ?」
「うーん…用事がなきゃ、来ちゃいけないかな?」
なんてエンリはいつものようにお道化ていた。また私は、その態度に怒りを露わにする。
「まぁ、そんなに怒らないでよ。確かに僕は用事で来たけれどそれでも、イアル君を心配してないなんてことはないよ」
それに――。と言うとともにエンリはまじめな顔つきで私と向かい合う。
「イアル君をこれ以上関わらせてはいけない。」
「これは僕らの任務だ。王直属である、僕らの任務。それに加えて、あれほどの技術を持った暗殺者…」
「暗殺者って言わないで…」
イアルのためにも彼女のためにもその呼び方はしてほしくない。彼女を暗殺者って呼んではいけないと思った。だからその呼び方は少なくとも、私の前では…イアルの前ではしてほしくない。
一瞬戸惑ったように見えたエンリだったが、いつもの笑顔を取り戻し、扉に体重をかけて私を見おろす。
「………、彼女は強い。イアル君を巻き込むわけにはいけない。それだけを言いに来たんだよ。まぁ、あの調子じゃ、起き上がった頃には既に何もかも終わっていると思うけどね」
ドアの向こうのイアルを見ているのだろうかエンリは、そんなことを呟いてまた微笑んだ。
私もつられてイアルを見るが未だに塞ぎこんでいて掛ける言葉も見つからない。
あの時。彼女と会った時のイアルはずっと俯いていた。俯いたまま魘され、嘆いていた。
襲ってくる彼女にエンリが隙を与えないように攻撃をして。相手にできた僅かな隙をガリルがようやく重い一撃を振り下ろす。その繰り返し。
繰り返しの最中、その一撃は彼女にかすりもせずにただ避けられる一方。しかし彼女も防戦一方。動いてはいるのに、膠着状態。
しかしそんな膠着でさえも、いつかは崩れる。
先に崩れたのはエンリとガリルの方だった。
当然、相手は躱すだけ、こっちは当たるように精一杯攻撃を振るしかない。
本当に僅かな隙だった。体力が落ちたのか、エンリの攻撃が十分の一秒、遅れたくらいの僅かな隙。私だったら…あの隙をただ待って、次の隙を狙ったと思う。
そんな隙でさえ、彼女は逃さなかった。
「私も連れて行ってよ。今からセリアを捕まえにいくんでしょ」
「…」
「イアルには借りがあるの」
「…いいよ」
エンリが少し微笑んで、了承する。
これでイアルへの借りが返せたらそれで満足だよね。
「っていうと思った?」
「……」
エンリの表情が途端に黒く染まり、見下すように私を見つめた。
「君が良くて、イアル君が駄目だと思った?」
その視線の…瞳孔の…行く末に私がいることが信じられないほどの深淵。そのまま見つめていることが怖くなり、目を逸らした。
そんな些細なことですら、エンリは見逃さずに私をバカにした目で見下す。
「正直イアル君と君には戦闘能力において、差がある。大きすぎる差が――その差は一長一短で身につくものでもない」
そうあの時、エンリが攻撃されそうなとき。動いたのは私でも…ガリルと呼ばれた管理員でもなく。
イアルだった。
動くのさえ辛そうにしていたイアルだった。
イアルが放った水魔法が彼女に直撃して、彼女はそのまま身を捩った。
そしてその場にはエンリ、ガリル、イアル。三対一の構図。エンリとガリルでさえ精一杯だったところに一人の魔導士が加われば劣勢なのは明らかだった。
彼女は逃げ出した。
イアルは魔法を放った時も、彼女が逃げる時も、彼女の名前を呼ぶことはなく、ただただ俯いていた。
それなのに私は見ていることしかできなかった。何もできなかった。確かに私に行く資格なんてないのかもしれない。
そんな心情を知ってか知らずかさらにエンリが追い打ちをかける。
「それに……君も見てたよね?僕とイアル君の戦闘――あの近接の技術もありながら魔法もあの威力。全くあの才能はどこに埋もれていたのか…でも連れていけないっていうことだ。君なんてその場にいたらどうなるか。」
「そういうことだ。これ以上連れていくことはできない」
宿の廊下、通る人も少なくて静か低い声に響いた。ガリルだ。ガリルは堂々と私の前に対になるように立った。
エンリの隣に立った。
「もちろん俺らの立場、君らを守るのが任務だからっていうこともあるがな。それ以上に今回の敵は危険だ。」
迷うことなくそう告げられた。
「僕らと対峙した暗さ………彼女は裏では少し名の知れててね~二つ名は「疾風」と「暗影」」
「二つ……?」
「そう面白いでしょ。まぁ、敵である僕らにとっては面白いどころか脅威でしかないけどね。二つ名が二つあるんだよ。もはや三つ名だね。仕事を二重にこなしていたこと被ってしまったらしい。同一人物だとも疑われなかったみたいだよ。そんな話王都でも聞いたことないよ。」
二つ名。伝説の偉業、または脅威の犯罪行為を成したものに与えられるって言われているもの。それが二つ。ただ素直に飲み込めた。村ですら、私の周りにあれほどの強さ、速さのものはいなかった、加えて冒険者をやっていても見たことがない。
「とにかくだ、君とイアル君をこれ以上連れていくことはできない。ここからは俺らに任せてほしい。」
俯くことしかできなかった。あの時と同じであって、でもイアルとは違う。私は相手を見て俯いているわけじゃなくて、自分の力が情けなくて俯いてしまった。
君…って………名前すらも覚えられてないじゃん。
これまでの努力がバカにされているみたいだった。私だって、冒険者になるための努力をしたのに一族の中で、戦う努力をしたのに。
魔法は使えなくたって、足があるって、言ってくれた人もいたのに。
二人が出口に歩き出すことをただ見つめている自分が嫌いになる。
結局私は、ダメなんだ。
――僕たちでパーティーを組もう。
パーティーに誘ってくれたイアルを。
――獣人だろうが微々たる差だよ。
獣人だろうと差別も、区別もしなかったイアルを。
――キュアル、フードを深く被れよ。
心配してくれたイアルを。
「エンリさん、ガリルさん。聞いてよ。」
このまま、見捨てて…恩返しをしないで……それをしたらもっと、彼のパーティーメンバーなんて胸を張って言えない。
二人が振り返る。その強い瞳に今度は動じない。真っ直ぐに見つめて。私は言う。
「私が…付いていきたい訳を…」
彼の過去ごと背負える、そんなメンバーの「一員」になれるように。
「私がなんで、イアルに肩入れしているか」
$ $ $ $
外は明るくなっていない。窓の外でさえも暗い。随分と時間が経ったと思うけど、それでもまだ、夜は明けない。
ドアが開いて、誰かが入ってくる。
――この足音はキュアルだな。
体重の移動が上手い。足音も響くことなくふわっと羽のように軽い移動。しばらくして、静かに誰かが入ってきた。
――この足音はエンリか?
静か、聞こえてくることすらも感じさせないほどに。静かに飾る。木のゆがみですらも古くなった宿から聞こえてくるだけのように感じるほどに紛らわせるのが上手い。
しばらくして二人が出ていき、また僕は独り、部屋に一人。
「うぅ…あああ」
歯がカチカチとなり、震えが止まらない。こんな誤魔化し方では意識自体に誤魔化しは聞かなかった。
セリアは僕のことに気づいていたのか。
セリアはなんで殺人なんてしているのか。
セリアはなんで…僕を、レオンを待っているって………
別れれば…別れれば、誰かがどこかで夢を違うなんてことは計算内だったはずだった。セリアが貴族の専属護衛を続けると言えば僕はそれに賛成していたと思う。
セリアが魔法に興味を持ったと言えば僕はそれを手伝っていたと思う。
セリアが僕らと夢を追い続けたいと言えば、レオンと三人で旅に出ていたと思う。
それでも…才能があるからこそ、あんなことをして欲しくはなかった。人の夢を奪い、何の罪もない人の命を奪う。そんな職業についてほしくなかったと思う。
――どこで間違えたんだろう。……なんて昨日考えたばかりだった。
もう考えても仕方ないや。友人一人の往く道さえも、見守れない僕は考えることさえが罪なのだから。
「●●●、●●?」
ドアから入ってきたキュアルが何かを言う。
聞こえない。
「●●…●●●●●●。●●●●●●●●●●。●●●●●●●●●」
聞こえないって。
「●●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●、●●●●●…」
「聞こえないってば!!」
思わず怒鳴った。聞こえないんだ。この世の音が、光が、見えない。何も…
「●●●…●●●●●●●●。」
「…」
「●●●、●●●●●●●●●●…●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●」
「…」
「●●●●●」
キュアルがドアの方へと駆け寄って、出ていく。
何を言っていたのか、わからない。けど、僕が一人になったことは…たし。
「惑わされたでしょ?」
「え?」
その時、何となくはっきりと聞こえた。布団越しで姿は見えなかった。でもはっきりとキュアルの声が聞こえた。
「耳を塞いでるんだから、聞こえるわけないでしょ。」
暖かい吐息が僕の布団にかかる。そっとキュアルの手が、小さい手が僕の背中を摩った。
「イアルは一人じゃないよ。偉くもないでしょ。リーダーでもないでしょうが!!」
「だって、三人で決めた夢なんだから。」
「そんな防ぎこまなくていいのよ。しゃっきりしなさい。イアル。」
「キュアル?」
キュアルの口調じゃないみたいだった。強い言い方で、本当に年上のお姉さんのような言い方。
布団越しに振り返った時、キュアルの気配はなかった。布団越しにぬいぐるみだけがこちらを見ている。
窓の外から、光が差し込んでいるのだけは見えた。
いつの間にか、夜は明けていたらしい。