十六話 エラー・アンド・エラー
月が空に浮かぶ。辺りは黒一面に染まり、街灯の光が点々と道を照らす。
街を往く人々は仕事帰りだったり、夜の街へと向かう人で立ち込めていた。日も沈んだ中異様なのは、息を切らして走る僕だけだった。
巻き込まないつもりでいた。それが正解だと思ったから。
目の前がだんだんとぼやけてきて僕はその場に倒れこんだ。どうして僕はいつも間違いをしてしまうのか。無の森に一人で入ったことだって、魔法という職業に憧れたことだって、この町に来たことだって。いつだって僕は間違いを選ぶ。
「くっ…そ」
久しぶりにこんなに走った。いつぶりだろうか……。きっと幼いころに僕が村でしていた修行以来だ。
「体力落ちたのかな…」
町の中を探そうって言ったって僕に地の利はない。集めようとした情報を掴むこともできずに、僕にできることはただ走ることだけだった。
何もできない無力さに嘆く。この場所を知っている「あいつ」が僕よりも有利なのは明白だ。
戦った路地裏。貴族の屋敷。人形を買った場所…違う。そのどれもが「あいつ」との記憶の場所ではなく、キュアルとの思い出の場所だ。
俺が「あいつ」ならどこを選ぶ?
道のど真ん中。倒れたときは顔を覗き込む人がいたものの、今ではただ僕の近くを邪魔そうに通るばかりだった。
町を歩く人が頭上の光に照らされる。それが影となって僕に降り注ぐ。皮肉めいているかのような立ち位置に笑うしかない。
まるで引き立て役だ。助演男優賞でももらえそうなほどに。
僕自身が物語を動かすことができない。村ではレオンを引き立てて、あれだけ特訓したのに僕は未だに地べたを這いつくばることしかできない。
「くっそ……。僕はいつまでたってもこのままかよ。火の元の影らしく生活してろっていうのかよ。」
行き場のない怒りを込めた拳で床を叩く。
大体、どうしたってこの広い町であいつを探すことは困難だ。寧ろ僕がキュアルが誘拐されたなんて知らなければ、「あいつ」は僕が探すことなんて関係なしにキュアルに悪さを……。
いや、待てよ。そもそも何で僕はこうも簡単にたまたまゲットした情報でキュアルを探っているんだ?
いや、寧ろこの情報はたまたまなのか。何かがおかしい。僕が外に行ってその間にキュアルが襲われて、そしてキュアルが僕を襲ったという情報を僕が掴む。
これが偶然か?そもそも僕が今敵対している「あいつ」
エンリはどんな奴だった。
足音を立てて僕を油断させ僕の実力を見て。その後僕を襲い。負けたときのために死体まで偽装する。
それでいて、戦いのスタイルは変えずに、キュアルを襲ったヒントを冒険者にちりばめる。
なんだ、この違和感は。まるでエンリの目的はキュアルではなくて……。
「僕自身なのか。」
立ち上がった僕は勢いそのままに目的地へと走り出した。
先入観というものは毎回思考を乱す。答えを導き出すために邪魔になる。
かの有名な者ですら、「先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、あるいは誤った学説を正しく直すことよりも、千倍も困難である。」と語っていた程に。
エンリのせいで惑わされていた?違う。僕自身が勝手に迷っていたんだ。誘拐された子はバレないように隠す、と。
しかしそれが誰かを呼ぶためのエサだとしたなら。僕を呼ぶための行為だとするのなら。
隠す必要なんてない。エンリが普段どこにいるのかを考えて問いただせばいいだけだ。
「はぁ…はぁ…なんで気づかなかったんだ」
足を無理やりにでも回す。何のために鍛え上げた足だ。ここで役に立たなきゃ、いつ実力を発揮するんだ。
ギルドへは思っていたよりも早く到着した。駆けだした勢いのままドアを蹴破る。
受付は――誰もいない?冒険者が帰ってきてもいい時間帯にも関わらず、冒険者の姿すらも見えない。
静まり返った大きな建物の中で手と手を合わせた拍手の音が響く。
「やあ、イアル君。まさかここに来るとは思わなかったよ。森の中で待っていてくれても良かったのに。」
「エンリ…!」
「前までさん付けしてくれていたのに…随分と不躾な呼び方だね」
この場においてもエンリは足音一つをかき消すことなく、階段をゆっくりと降りてくる。
薄暗く、ただ三つの明かりだけが照らされたギルドの中ですらも、その音だけで場所が判断できるほどに。油断であるのか余裕であるのか……。
「答え合わせといこう。イアル君。なんで君は僕を見つけた?」
「……簡単な話だよ。ここ以外怪しいところすべて探した。」
「すべて?」
「そう全てだ」
最初に疑ったのは隠れ家。どの家をもしらみつぶしに探した。屋根を上り、壁を走り、探した。それでも見つからなかった。
「はは!思ったより脳筋なんだね。うちの上司とそっくりだ」
「……」
「それじゃあ、答えは自分の目で確かめて見てね」
そう語った。エンリの後ろから小さい影が現れる。
「イアル!」
「!?…キュアル…」
キュアルの体に傷はなく、その羽織ったローブにも争った跡はない。
「これが答えだよ。」
「どういうことだ…」
「そうだね…まずは」
吹き抜けた二階からエンリが飛び降りてくる。下を俯き表情すら見えない。
その姿に僕は合わせて杖を取り出す。もう発動できるのは普通の魔法しかない。勝算は薄いだろう。何とかキュアルを連れ出してここから逃げるしかない。
冷たい空気。張り詰めた空気。そのどれもが似合わないほどに声を発することを躊躇わせるほどに異様な場だった。
「ごめんイアル君!!!」
「え…」
しかし次に発せられた言葉にその空気を違ったものへと変える。
「これは僕のミスだった…。君が黒幕につながるかと思っていたんだけど違ったみたいだ。…あぁぁ、何でかな。っていうか君もいけないでしょ、そんな姿でっ…て違うんですガリルさん!!違うって攻めてるわけじゃないですって!!」
そこでどもってエンリは顔を青くする、その視線の先は僕ではなく僕の少し上へと位置付けられている。
慌てて後ろを振り返ると巨体がそこにいた。顔に怒りの表情を浮かべるその姿はまさに鬼。そう例えるのが当然と言わんばかりの顔つきだ。
「エンリ…違ったら謝れって言ったよな」
「いや、もう謝りました!!怒んないでくださいよ。ガリルさん。」
「怒るも何も……あと俺はもうお前の上司じゃない。設定を元に戻せ」
「あ、そっか」
発声練習のようにエンリが声を調整し始め、ガリルと呼ばれた男は僕へと近づく。
「すまねえ。今回の件。どうもこっちのミスがあったようで、俺らもそれに踊らされていたようだ。」
「ミス?今回の件?」
未だに情報が呑み込めない。この人らは敵じゃないのか。殺気もなくキュアルが抵抗もしていないことから、茫然とその場に立ち尽くす。
「お前らは一体…。」
「そのことについても王様から話していいことになってる。けど、口外は禁止だ。守れるか?」
つい先ほどまでの鬼のような形相は面影もなく男はニコっと大きく笑った。
その笑顔に僕も警戒を解き、大きく頷いた。って今この人、王様って言った?
「よし。そこの嬢ちゃんにはもう話したが、俺たちはギルドの管理員と呼ばれる奴らだ、仕事はギルドの監視と悪いやつがいた場合は断罪。これを明かさずにギルド員として内部のギルド員からギルド長まですべてを監視する立場だ。」
「すべてを監視…」
まさか国に…いや国王直属にそんな機関があるとは思わなかった。しかし今の国王は変人と聞いたことがある。それにこの国の抜け目のない法を考えると、あり得ない話ではない。
「そんな偉い人達だったのか…」
「気にする必要はない。俺らの立場は国民と同じ。敬語だっていらない」
「そっか」
「ええと……つまり、イアル君の考えは半分正解で半分間違いだったわけだ。僕たちがイアル君に場所がわかりやすくしたっていう考えは正解。でも僕たちが場所を分かりやすくした理由が僕の性格の悪さっていうのはハズレ。残念だったね~」
「………」
敵じゃなくても殴りたい。イアルの素なのか分からないけど、今までの態度の方がまだ接しやすかった。
再び頷く。その時、服の裾が誰かに引っ張られる。
後ろを振り返るといつの間にか二階から降りてきたキュアルが隣にいた。
「どうした、キュアル?」
「ねぇ、さっき……パーティーメンバーって…」
「えっ…あ」
少しだけ赤く頬を染めたキュアルが僕を上目遣いで見つめる。同時に僕も顔が熱くなり、頭を搔いた。
――う、しまった。
完全にキュアルと喧嘩していたことを忘れていた。それであんなに臭いセリフを…
「うぅ…」
顔を両手で隠し、覆う。死にたい。
「お二人さーん。青春してるところ悪いけど、僕らはこれから任務があるからね、失礼するよ」
「あぁ、疑って悪かった…って刺された俺が言うことでもないか。エンリの方が悪い」
「そうだね…こっちの方がいきなり襲っちゃって、悪かったからね。この件が片付いたらお礼にご飯でもどう?」
「……そんなすぐに、切り替えられないんだけど」
「まぁまぁ…」
そういってエンリは手を差し出す。その手を僕は強く握り、エンリも強く握り返した。
まさか敵対していたと思っていた人とこうやって握手することになるとは思わなかった。殺気を大きく纏ってギルドに来たのを寧ろ申し訳なく感じてしまう。
「そういえば、なんで僕が敵じゃないって?」
「あぁ、それならガリルが本部の人間をもう一つの場所に置いたんだよ。君がもし敵だったら、そっちの方に行くだろうからその連絡を待ってた。そろそろ連絡しなきゃね。ガリル」
「あぁ、今連絡中だ」
――抜かりないな。
ギルド管理員。王の直属の機関。その才能のある戦闘能力に、よく回る頭。
その存在を母なら知っていたのだろうか。…いや、確実に知っていたように思う。あの母ならあり得る話だ。
「なぁ、エンリ」
「ん?何?」
「もう一人、気になってる人がいるんだけど。名前は…」
突如ギルドのドアが蹴り破られ僕の話はその音に遮られた。
飛び込んできたのは……。
「人…?」
キュアルがそう呟く。
声は震えていた。
僕でさえもその場の状況を確認することで精一杯だった。木くずの中で埋もれたその者は人というには不確かで、人ではないとは言い切れない存在。
首、腕、足、胴体。そのどれもがバラバラの状態でギルド内に投げ込まれる。
切断面は綺麗で今にもくっつきそうなほど。血管は切られたことにも気づかぬように血が噴き出していた。
その血がだんだんと床に染まり、ギルド内は一瞬で血まみれの海へと変わった。その間、僕とキュアルを含む四人、誰もが戦闘態勢になる隙も無く目の前の黒いコートをかぶった人を見ていた。
「クソ…離れたのが早かったか。」
「これ……もしかして、さっき言ってた本部の人?」
その言葉にガリルが頷く。しかしその視線は目の前の人から外れることはない。
それほどまでに目の前の人は悍ましく、殺気が凄まじく、そして強い存在だと誰もが思った。
しかしその存在に僕だけは見覚えがあった。いや、間違いない。あれは城壁の外であった人だ。
あの時はここまで凄んでいる雰囲気はなかった。それ故か、僕も警戒はしていなかった。
「舐めてもらっちゃ困るよ」
速い。あの時の戦闘ですら本気でなかったことを感じさせる。気配でさえも足音でさえも消して、いつの間にか背後に回っていたエンリが一撃を浴びせる。
しかし一撃はフードだけを切り裂くようにし、掠ることさえもしなかった。
「手ごたえないな。」
「いや、俺がいる」
逃げた先には既にガリルが回っていた。剣を上段に構える。
「オラァアアアアア」
けたたましい雄たけびと共にその剣を両手で振り下ろす。後ろに体重がかかっている。
体制的に避けることはできないだろう。
――勝った。と誰もが思った。
その剣が振り下ろされたその瞬間、その人は強く地面を蹴り上げ、そのまま勢いのついたガリルの剣を躱す。またしてもその速さについていけないフードだけが破ける。
「くそっ!!はええな」
「まぁ、顔だけは拝めそうだよ」
ビリビリに破けたフードからその顔が見える。
女性だった。
女性ということを僕は知っていた。
あの時下にして敷いた人も女性だったのだから。
しかしそれ以上に僕には…。
僕にだけは無視できない事態に膝をついて僕は崩れ落ちた。
「イアル…あれって」
「はは、なわけないって。」
言葉にならない声が漏れて下を向く、直視できない。上手く息ができない。
「はは、違うだろ……意味が分からない。
「だ、だって、お前はそんな奴じゃないだろ
「知ってるよ。違うだろ……
「あぁ……
違う。
違う。違う。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。
絶対に見間違えだった。そうだ。そんなはずがない。
「あのネックレスってイアルが付けているのと同じ…」
「やめろ!!」
僕が上げた大声にキュアルが肩を大きく震わせる。
そんな筈はない。あいつが…あいつが…。
再び見上げた目の前の女には首にネックレスがかかってた。それも、石の欠けた不細工で不格好で無骨なネックレス。血が飛び散り、赤黒く染まったネックレス。
首の糸はちぎれそうなほどにボロボロでギリギリにぶら下がっているようなネックレス。
「なんでお前が…セリア」
見覚えのある顔、見覚えのある髪型。昔とあまり変わっていない。
それでも今は会いたくなかった。今出てくるのがお前であってほしくなかった。
エンリとガリルが剣を抜き敵対する者が、お前なはずがないと思いたかった。