十二話 互いの秘密
夢を見た。暗い闇の深淵かのような、そんな感覚だった。
どこか忘れたような記憶そんな中を僕はさまよってまた歩く。
水の中のようなくぐもった音を響かせる空間を超えて、草原のような何物にも邪魔されない空間を抜けて、洞窟のようなここに僕がいるという存在がはっきりとわかる空間を抜けて、僕は再び暗闇の中へと足を踏み入れた。
時々見る夢、けれどきっと起きたらこの記憶も失ってしまうのだろう。
「イアル……」
誰かがいつも僕をここで呼ぶ。その誰かの存在を思い出せないまま僕は目が覚める。
この繰り返し。起きた僕はこの内容を覚えていないのだろう。覚えていても何も解決には至らないが、覚えていてくれればいてくれたで、何となく僕の心も休まる気がする。
「イアル、こっち……」
「あ、うん……。」
いつもは終わるはずの夢がなぜか終わらない。
目の前に現れた少女はそれでもなお、顔に影を差したまま僕を先導するように歩く。
流れるように場面は変わっていき、再び闇の中へと移る。
「やっぱり…●●」
「え、なんて言った?……っ!!」
いつものように暗闇から僕は出される。目の前がだんだんと明るくなっていき、現実へと意識は戻された。
「ここはどこだ…」
真っ白い天井。見たことの無い天井だ。
どうやら僕はベッドに寝ているようで、横目に見える窓には薄っすらと光が差し込み床を照らしていた。
「あ、イアル!起きたのね…」
「……キュアル?僕は一体」
ドアから入ってきたキュアルが僕を今にも泣きそうな顔で見つめていた。昨夜のこと――暗殺者らしき人に襲われ命からがら辛勝できたところまでは覚えている。
「キュアル。あの後どうなったんだ、あいつの正体は。あいつの目的は!なぜあいつは僕を狙ってきたんだ!っ!痛てえ……」
「お、落ち着いて!イアル。まだ怪我も治ってないんだから。」
キュアルが慌てた様子で僕を止め、少し深呼吸をしてベッドに座る。
「順を追って説明するから」
「ごめん」
少し取り乱してしまった事に自分でも驚いていた。この町がこんなに危険だとは思わなかった。町の中の治安は至って普通で、冒険者が多いという特徴を備えただけの町。そういう認識でこの町に僕らは来たはずだ。まぁ、少しの街の外縁部でのいざこざは予想内だったが、町の中での暗殺は考えてなかった。
「まず、あの後守衛さんたちが来てイアルの倒した男を回収していったの。犯人は冒険者の一人だったそうよ。おそらく入りたてで試験で強かったあなたを見て職を失いかねないと思ったから犯行に及んだんじゃない?って」
「そうか」
単独での犯行だった。そうキュアルは続けた。僕の情報は恐らく試合中に存在を知り、バレないようにしていたのだという。
「他に言っていたことはなかった?」
「うん、あ、後、私たちは事件が片付くまでは町の中にいるように言われた」
「また仕事延長かよ……。」
せっかく師匠の元から離れ、自立ができる環境がそろったというのに未だに働けていない。あぁ、思い出せば昨日キュアルに人形を買ってあげたのだった。お財布事情までもが、僕を襲うのか――そういえば戦闘中気を配っていなかったが、お人形さんは無事だろうか。
「イアル。まだ話があるんだけど」
「え、何」
部屋の隅に眼を張ってみるがお人形さんの行方は分からない。もしかしてこれはキュアルの部屋ではないのだろうか。
「イアル、あの魔法って何?」
「え、あの魔法って」
「……昨日相手を倒すときに使った魔法」
「ん?あぁ、あれ?あれは最上級魔法ってやつだよ。結構上級の魔導士じゃなきゃ使えない魔法。一か八かで打ってみたら成功したからよかったよ。」
「…………」
「そうだ!昨日僕が上げた人形はどこに…」
「嘘だよね」
「……」
キュアルが真剣な眼差しで僕を見つめる。あの魔法。確かにキュアルの言う通り普通の魔法ではない。僕が僕なりに調べて考えて使えるようになった。そんな魔法だ。
だけど……。
「嘘じゃないよ、本当にまぐれで打てたんだってば」
精一杯の笑顔で僕はそういって、話を水に流す。
キュアルは浮かない顔をしているが、こればかりはしょうがなかった。
僕にこの魔法を語る権利はない。
「話してくれないの?」
「何が?……魔法なら本当だって。」
「…………分かった」
そういうとキュアルは僕から視線を逸らす。
やっと引いてくれた。こればかりは教えられない。例え、命の恩人だったとしても恋人だったとしても、この魔法を語ることができるのは、師匠とあの魔法講師だけだ。
「一六二センチ、四八キロ。」
「は?」
「潜在魔力量、微小。適正職業は医者。」
「キュアル?」
振り返ったキュアルは目に紫の光を宿しながら口では常にモノを言い続ける。
「魔法職は不可能。可能なものは少しの水魔法と子ども程度の風魔法。」
「おい、キュアル。それをどこで知って!」
間違いない。これは僕の情報だ。僕の身長に僕の体重。そして僕の魔力。どうやって知ったかは分からない。だが警戒するに足り得るほどの情報ではあった。
「幼いころ恋をしたけど叶わずそれを引きずっている。」
「もうわかったから!!」
不躾に吐いたその言葉に呼吸が荒くなる。それを見て表情を一変させ、キュアルは元の幼い表情へと戻った。
「まだ吐くつもりはない?吐かなくても知ることはできるけど?」
「……わかったよ。話す」
キュアルは途端に笑顔になり僕が話すのを待つように僕の隣へと腰掛ける。
昨日の今日で僕の立場と個人情報の守秘性は行方不明だ。この町に来たのは初めてのはずなのだけれど、どれだけ僕のことが知られているのだろうか。
ただ、これは賭けかもしれない。僕の幼児期を知っている者なんて限られている。そんなことを知っているということだけは、少し引っかかる部分があった。それを確かめるためにも、魔法のことは話そう。
「あの魔法は刻印魔法ってやつだよ。印を刻むと書いて刻印。この名前は僕と僕の師匠が名付けたものだから、それ以前に開発していた者がいたら、名前は異なるものなのかもしれない。」
「そうなんだ。それで実際その魔法の能力は」
先を急ぐようにキュアルが手を振ってはしゃぐ。
久々に語れるのだから少しは丁寧に説明させてほしい。僕だって好きで隠しているわけじゃないのだ。
刻印魔法の開発はほとんど完成していた。その師匠と魔法講師の研究の成果を僕は実験台として利用していることに他ならない。だからこそ僕にそれを話す権利は毛頭ない。
とはいっても、僕もこの研究にかかわった一人だ。それを他人に説明することは幸せだ。
「イアル?どうしたのぼうっとして」
「ああ、ごめん。なんでもないよ。それで機能だけど、まず重要なのは僕には魔法を貯める機関つまり、魔力が全くと言っていいほどない。それはキュアルもわかっているよね」
「うん、さっき見たから」
「見る?」
「いや何でもないわ!」
見たって何をだ……いやそれよりも、キュアルは確実に焦っていた。やはりキュアルも何かを僕に隠している。この情報の出どころを隠している。当然だけど。
それは腕のいい情報屋か。もしくは……あいつか。
それを聞くことができるかもしれない。
「簡単に言えばその魔力を魔法陣という媒体の中に組んだ。それが刻印魔法。」
「それって凄いことじゃない。誰でも使えるんじゃないの?」
「いやそうもいかない。特別な杖が必要だし、その製法も僕にはわからない。それに魔法陣を書くなんて、戦闘は甘いものじゃないでしょ。」
「……全然使えなくない?」
それを言われたら、少しショックなのだが……。しかしその通りで実際に戦闘には向かない技だと師匠も言っていた。魔法陣を一瞬で書くなんて技は誰にでもできるわけじゃない。
だからこそあの魔法講師は僕に才能があるといったのだろう。
「加えて元となるエネルギーも必要なんだ」
「エネルギーって?」
「…………魔素だよ」
魔力の源。魔素。それは空気の中に含まれ自然に僕らやモンスターが取り入れているもの。
「だから町の中とか魔素の濃度が薄いモンスターが生息しない域では使えない。商業的用途にも工業的用途にも未だ完成していない魔法。それが僕の魔法だよ。」
「でもイアルは町の中で使っていたよね、どうして?」
「……魔石を使っただけ。」
「ま!魔石!?」
「そう魔石。」
「魔石って家一つ買えるほどの高級品でしょ!?なんでそんなもの…」
驚いた表情を浮かべるキュアル。無理もない。研究を第一に考えているような僕と違ってキュアルは恐らく魔法にそこまで造詣は無いだろうし、価値観は変わってくる。僕にとって、いや、魔法士にとって上位魔法一つ打つ快感をキュアルは知らないのだから。
「それよりも今度はキュアルの番だろ」
「え、何を?」
「キュアルの話。どうして僕のことが分かった?それは僕にも聞く権利はあるよね。――パーティーメンバーとしても」
「うっ……。」
笑顔で言う僕にキュアルはたじろぐようにして話すことを嫌がる。
そうは言ってもキュアルは僕に話す気はあるのだと思う。もったいぶって僕のことを聞いていたのだからそれを話す気自体はあるのだろう。
それにキュアル自身は魔法についてあまり詳しくはない。キュアルは魔法自身に興味があるのではなく、ただ単純に内緒にされていることに嫌悪感がさしただけなのだろう。
――ならばそれを逆手にとって僕はキュアルの隠し事を聴く。
パーティーメンバーとして、仲間として。その表立っての輪を別に悪くは思っていないが、今回はそれを利用させてもらう。
――コンコン。
張り詰めた空気を壊すように、ドアからノックの音が聞こえ、僕とキュアルはドアの方を見た。
「すみません。ここにキュアルさんとイアルさんがいると聞いてきたのですが。」
「あ、守衛さんだ!」
ドアをノックして聞こえたその声に、キュアルは逃げるように駆け寄ってく。思わず舌打ちをしてキュアルの後を追うように僕もドアを出る。
「こんにちは。イアルさんですよね」
「まあ、そうだけど」
ドアの先では若い守衛とベテランと思われる強面の守衛が立っていた。腰には刀を身に着け、体が重そうな鎧で身を纏っている。
「昨日の件でお二方にお話したいことがありまして」
「……話?」
「はい、今回の件なのですが襲ってきた冒険者ですが……今日未明に死亡しました。」
あの一撃で死んだということだろうか。僕は僕の魔法で人を殺してしまったらしい。
その言葉を聴いて僕の腕が振るえることも、足がすくむこともなかった。
「わかった。それじゃあ……」
「しかし、今回の件で目撃者がいなかったようで――どちらが先に攻撃したかなどの確認が取れないのです。時間がかかると思うので、もうしばらくは町の中にいてください」
「……」
「わかりました」
僕の代わりにキュアルが返事をすると守衛はそれを聞いて僕の部屋の前から離れていった。強面のベテラン守衛が帰り際に僕も視線を向けるが、目が合うとすぐにそらした。
「キュアル……」
「な、なに?さっきの話ならもう――」
「少し寄るところがある。ついてきてくれ」
「え、な、なに?寄るところって…ってちょっと待ってよ!」
そそくさと支度を済ませた僕はキュアルの声を後ろに聞きながらもペースを緩めることなく、歩を進める。
宿をでて、ギルドを横目に歩き、商店街を抜けていく。
外側から出た街並みは相も変わらずに、武器を持たない一般人が跋扈する。
「キュアルフード深く被れよ」
「う、うん」
キュアルのフードを深くかぶせるようにして、頭に手を置く。
ここからは並列で歩く。そうでもしなければ、また風で脱げたときに僕がカバーできない。昨日のようなミスをしていたら今日、目的地に着くことはかなわないだろう。
服装でバレるとも考えていたが、バレるどころか視線を感じることもなかった。結局というか、予想通りというか、珍しいもの見たさに飛び込んできた人達なだけだった。
僕にも探求心からそうなることはあるから、何も言えないのかもしれないが少し人間の浅ましさが垣間見えて嫌気がさした。
「ねえ、イアル」
「ん?どうした?」
「……これどこ向かってるの?」
不安そうになるキュアルの目が見えて、我に返る。そういえばキュアルには目的地を言っていなかった。外を抜けて中の住人が住む区域に行き、まだそれよりも中へと向かう。
住人よりも中だというのなら、それはもう目的地は一つしかない。
「貴族の屋敷」
「へ?」
おどけた声を上げるキュアルに向かって今度ははっきりといった。
「だから貴族の屋敷。この伯爵領に住むその伯爵に会いに行くんだよ」
「え………ええええええ!!」
周りを気にせず、叫んだ声に再びキュアルに視線が集まる。
慌てて僕はフードをかぶせ直して、避けるように視線を掻い潜る。
放心状態のキュアルの腕を引っ張りながら、だんだんと人の多くなる路地を抜けていった。