十一話 魔法の渇望
町はずれの路地裏。町の中心とも町の外側ともいえない。少し開けているものの影昼でさえも影しかないそんな通路に僕たちは入っていた。
多くの視線にさらされた僕とキュアルはあれからフードをかぶって急いで逃げた。しばらくすれば獣人が街の中にいたという情報が出回り、町の中心は少しだけ騒がしくなるだろう。珍しいもの見たさに人が集まる。
だからその群れが離れるまでは少しだけ身を隠さなければいけなかった。
キュアルの呼吸が少し荒くなって、フードの上からでも顔が青ざめていることがわかる。
「キュアル少し深呼吸しよう」
「…………」
「大丈夫誰も取って食ったりはしないよ」
励ましたところでキュアルの表情が変わることもなかった。分かってはいたがこれは流石に話にならないな。
その昔獣人と人間は共に暮らしていた。それは仲睦まじく獣人と結婚するものもいれば、友人となるものもいた。しかし、それも或る日を境に終わってしまった。
魔王の誕生。それによってそれぞれの種族に余裕がなくなった。仲の良かった両国の関係は段々と薄れていき、貿易をしようにも交易をしようにもその最中に魔族に邪魔をされる。
外交どころではなくなり、関係が崩れるのもやむをえなかった。
しかしトドメはまた別のものだった。魔族によっての侵攻が始まった。その時に人間族がまず初めにターゲットにされた。どの種族よりも弱く、どの種族よりも狡猾な面倒な相手であったのが理由だろう。
人間は救援を各国へと出したが、ついに助けは来なかった。そこからだろう。獣人との仲が悪くなったのは。訪れた獣人全てを貶し、貶め、奴隷へと変える暴挙がしばらくの間続いた。
英雄の訪れによってその話には終わりが訪れるが、そこからも獣人から人間への思考は変わることはないのだろう。
未だにつながりがない獣人と人間を見ればそれは明白だった。
「なぁ、キュアル。」
「…………」
キュアルは何も考えないようにして俯いているようだった。人間自体をおそれ、人間という存在を失望した、かつての獣人のように。
そうだ何一つ人間は変わっていないのかもしれない。きっと多種族との関わりに疎くなってしまったからこそ、その気遣いすらも足りない国へと変わってしまったのかもしれない。
けれど、その架け橋は誰かがつながなきゃいけないのだ。どこかから一歩踏み出さなきゃ人間はいつまでたってもあのままなのだ。
「僕たちでパーティーを組もう」
「…………え?」
だからその架け橋の一柱、いや、一本の材料に僕はなろう。
「何ボーっとしてるんだ。誘ってきたのはキュアルだろ」
「え…でも…………獣人が憎くないの?」
「別に憎くない、っていうか一緒に町を周った仲じゃん。獣人だろうが人間だろうが微々たる差だよ。」
「イアル……」
キュアルがフードを脱ぐ。変わらない幼げな顔に、ひょっこりと出てきた兎の耳。
――なんだ。これだけしか違わないのか。
ゆっくりとした時間が訪れていた。時間はかかるだろうが、いつか獣人との国境も再開することを祈ろう。
グサッ――。
嫌な音と共に、腹に背中に強烈な痛みが走る。熱い。
「カハッ!」
「ちょっとイアル?」
吐いたものは血だった。急激に瞑りたくなる瞼に力を入れて足を踏ん張る。
油断していた。ここが街の中だからか。この町だからこそ油断してはいけなかったのに。
背中に刺されたナイフが素早く抜けて血が噴き出る。再び、クラクラと倒れそうになる。眠気も襲ってきた。
――まずいな。これは。
「噂通り……頑丈だな」
体の中に響くような低音で電子的な声。かろうじて振り向いた場所には黒いコートに身を包んだモノが立っていた。
腕には血にまみれた短剣を持ち、フードからのぞく殺気は路地裏全てを包み込むほどに大きい。
「うぅ、噂通り……何言ってんだお前…」
できるだけ笑顔でそういう。強がりだ。背中と腹から血が流れるたびに僕の意識は朦朧としていく。
「人違いだろ?」
「……その容姿間違いない」
「おぅ…おーけー。」
目の前の敵は間違いなく僕を標的と見据えていた。ちらりと辺りを見渡すが開けた路地裏だからと言っても、やはり狭い。僕が、魔導士がこの短剣を持った者。「シーフ」に勝てるすべがあるとは思えなかった。
僕が感じることのできない速さで背中を貫かれたほどの実力者ともなれば、身体能力でも勝っているとさえ感じられない。
ちらりとキュアルに救援を求めるが、短剣も抜かずに棒立ち状態。この強い殺気に当てられれば無理もないが、つらい現状だった。
マントの男が飛び立ち、それを受け流すように僕は時空鞄から取り出したナイフでそれを受ける。
――キィィイン。
高い金属音が鳴り、火花を散らしてナイフ同士がぶつかった。そして――。
「うぐっ……」
案の定、僕の方が力負けしてそのまま突き飛ばされる。近接では勝てない。
赤く染まりつつある空に似つかわしくない。黒いマントが建物間の風に吹かれて揺れる。マントの奥の表情は見えないが気味の悪い表情を浮かべたようにも感じた。
まさにこれは絶体絶命のピンチ。
「む…貴様………………なぜ、笑っている……」
「いや、こっちの話だからさ。気にしないで」
時空鞄から新しい武器を取り出す。それは長い杖。ただただ長く、全長は大人一人分の大きさに匹敵するほどの長い杖。その杖は赤くて黒い。何度見てもおどろおどろしい色をしている。
「ここが狭い路地でよかった。あまり人に見られない。」
時空鞄からもう一つ取り出す。出すものは魔石。モンスターからとれる心臓。高価なものだけど仕方がない。
杖を掲げた正面に魔法陣が浮かび上がる。息を吹き込まれたかのようにきれいに光り、七色の光を吸収して、外側から内側へ徐々に構成されていく。
「させるか!」
詠唱をさせまいと黒いマントの男は僕の方目掛けて走ってくる。今までに無いほどの大きな殺気。速度は僕にいれた一撃よりも早く、そして隙が無い。
「でも……気づくのが遅かったな。詠唱なんて終わってんだよ」
僕は無詠唱なんて高度なテクニックは使えない。それこそ家の姉だって母だって、使えないんだから僕に使えるわけがない。しかし、僕には優れた才能があった。
僕は、魔法陣を理解することができる。読み解けるし、どんな魔法を使ってどんな元素を使っているのか、発動にかかる詠唱の最短時間。それらが何となく解かる。
これはその方法の応用だ。声に出さずに心の中で魔法陣を完成させ、詠唱に必要なパーツを補う。
それによって、魔法の発動を詠唱なし。と見せかけることができる。
「最上級魔法爆流・リヴァイアサン」
魔法陣から竜の姿をした水が轟音を立てる。そのままフードの男へと噛みついて体を引きちぎっていく。
綺麗に光を散りばめた水の竜は瞬く間に真っ赤に染め上げられた血の竜へと変わる。
完全に赤く染まっていた竜を見ているといつの間にか襲っていたフードの男はその場に上半身だけを残して倒れていた。
「はは、ざまあみろよっ……!」
「イアル!!」
そのまま僕は顔面から地面に倒れこんだ。
「はは……いてぇな」
「何があったのですか!」
ぼやけていく視界の中で鎧に身を纏った人たちがこちらに近づいてくるのが見える。きっと町の衛兵たちだろう。
「あ、あとは任せた……」
「ちょ、ちょっとイアル!?」
$ $ $ $
あの魔法は何だ。陰に隠れて事の一部始終を見ていたけど結局何が起こったのかすらわからない。
「あの殺気は危ない」
身代わりと入れ替わって良かった。あのまま受けていたら私でもよけきれなかったし、無事では済まなかっただろう。
「身代りも回収しないとだな…」
低い声がうす暗くなりつつある空に響く。少し耳障りだな。
――プープープー。
通信だ。きっとあいつからだろう。
「なんだ。私は例の件で忙しいのだが、」
「お、しっかり役入ってるな。」
「そうだな。抜けるまではこの状態で話そう」
「いや、その例の件。そろそろ頃合いだろ?どうなった」
「やはり強い。私でもわからない魔法まで使っていた」
「そうか……」
通信の向こうでもあいつのため息と頭を抱える姿を容易に想像できた。しかし、それ以上に報告しておく必要なことは多くあった。
「……ターゲットと獣人が一緒にいた」
「獣人?」
「ああ、女だ。」
「そんな情報入ってないぞ」
「私も確認したが、そちらにも届いていないのか…」
悩みの種が多い。それにあの魔法の件もある。確かな情報だったはずなのだが、何分小さな違いとは言え、任務に支障が出る範疇を超えている。
「はぁ、大変すぎるよ。場所変わって」
「変わってもいいがその分こっちの仕事変わってもらうぞ。いいのか?」
「えぇ…じゃあいいや。とりあえずは回収だけ先に行うよ。」
知ってはいるがいつも通りそんなやり取りをする。次の目的地まで屋根を駆けていきながらも、頭は任務の方向へと向いている。早くターゲットの隙をつかなければ任務は失敗に終わる。
「あとお前、ボイスチェンジャーもつけっぱなしだぞ」
「あ、だからか役がなかなか抜けなかったのは。ありがとう。ではまた。」
「おう、気を付けろよ」
通信を切り、のどの調子を整える。咳払いをして深呼吸をする。
「しかし大変な任務だ。」
子どもがターゲットにもかかわらずここまで苦労させられるとは先が思いやられる。
ボイスチェンジャーを外してフードを外した。
「これで一勝一敗だね。イアル君」
夜空には似合わない明るく爽やかな顔立ち。最初は降参、次は僕の逃亡勝ち。これで一勝一敗。
屋根の上を音もたてずに駆けていくその姿は、誰にもその姿を悟られないまま姿を闇へと消していった。