一話 くすんだ色
僕が五歳にも満たない時のこの世界を救った勇者の本を読んだ。
人類の住む土地の半分を魔王に支配され、誰もが絶望と悲しみの芽生える戦乱の世。
魔王討伐を目的に立ち上がった勇気のある六人。
賢者、聖女、騎士、暗殺者、弓術士そして勇者。
勇者らの旅は猛烈、過酷でそれは頭に浮かべるだけで壮絶なものだった。だがそれ以上に旅の行く先々で村や町を救い、困っているものがいれば損得勘定抜きに手を差し伸べるその様はまさしく英雄。
英雄たちの姿に心打たれた人々は剣を持ち、知を身に着けと勇者に続くものが増えた。
勇者はこの世から諦観の思考さえも押し黙らせたといえる。
結果魔王討伐という悲願の夢をかなえ、この世界に平和をもたらしたのだった。
本を読み終わった僕は開かれた最後のページを素早く閉じ、真っ先に友人たちの元へ向かった。
ドアを開き、本を片手に語った僕はきっと、自分でも何を言おうしているのか、分からないほどに言語が瓦解していたように思う。
けど確かにこういったのだ。
「僕と英雄にならないか」
話を聞いた心優しい友人は僕と目を併せて頷き、本に手をかざした。
もう一人の友人もさも当然のように曇りもなき表情で本に手をかざす。
「みんなでがんばって英雄になろう」
「おう!」
「う・・・うん!」
思えば僕らの夢はここから始まったのだ。物語の英雄を夢見て走り出した僕らは死に物狂いの努力をした。冒険に役立つものは何でも吸収した。
――そんな日々は流れるように過ぎていった。
或る日、僕らの中でも才能のずば抜けた友人は、この村でのやるべきことに限界を感じていた。
そんな中、都会の町のお貴族様に騎士への推薦をもらったのだ。
その推薦を受けることを決めかねていた友人だったが、英雄になるためには時間を無駄にできないと、そこで僕らは決意したのだ。
「勇者の旅立った十八歳。その日になればみんなで王都に合流だ。それまではバラバラかもしれないけど意思は一つだ」
そう願って一つの石を三つに割ってネックレスにした。
いま見たら不細工なネックレス。
しかし、その時の僕らはそんなことは考えていなかっただろう。
村を旅立つ友人が泣きながら、
「意思壊れてんじゃねーか」
とか言ってた気がするが聞かなかったことにしている。
そんな激動の幼少期から三年たち僕と心優しい友人は八歳になっていた。
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真夏日の晴天。焦げるような日差しの中、僕は村から少し離れたところにある草原に寝そべっていた。
空に浮かぶ雲が太陽を隠すことなく揺らめき、たまに聞こえる蝉の声はからっとした空気をさらに強く乾かしていくようにも感じた。
――暑い。本当に暑い。お日様が笑っているどころか怒っていると勘違いしてしまうほどに暑い。
しかし、それでもこの場所の居心地の良さに比べれば些細なことだった。
この季節になると蝉どころか村も活発になるため、静かになるなら草原で寝転がるのが僕の日課。
草原は放牧に使われるわけでも、新開拓地として使われる予定でもない。
世にも珍しい野生の芝の生息地となっていた。さらに誰がやったわけでもないのに芝は手入れされたかのように均等に生え広がっている。
「田舎特権だな――。」
満足げに笑みをこぼしながら呟く。
大都市なら開拓されているだろうこの壮大な土地でも、
ここでは職にも、食にも、住居も困っていない。
つまり余っているのだ土地が。大都市ならぬ大田舎バンザイ。
感情が体にも転移し、いてもたってもいられず芝の裏で何度も寝返りを打つ。
心地よく自然と感嘆の声を上げる。
「イアル…」
そんなくだらないことをしていると、頭の方から誰かのため息交じりの声が聞こえてくる
「やっぱりここにいた。先生が探していたよ」
聞きなれた、イケメンボイスが夏場の空気をさらに乾かしていく。
頭上を見ると、金色に輝く髪をなびかせた嫉妬するようなイケメンが、訝しげに僕をのぞき込んでいた。
「レオンか。いつからいたんだ」
澄み渡る晴天の青空に目線を戻しつつ、本質から外れたことを問う。
そんな僕を問いただすわけでもなく、そのままレオンは隣に腰を掛けて説教を始めた。
レオンは世間でいう天才だった。出会った時、剣に興味がなかった時から瞬く間に成長した。
神童とはまさにこいつのことを言うのだろう。
眉目秀麗。博識洽聞。文武両道とはこいつのために作られた言葉であるとさえ思える。
さらに己の力に慢心することもない。
理論的に向かうところ敵なしだ。
神童と言うのがそのままの意味とさえ感じられる程…。
比喩にすら聞こえない。
今では村の大人にも余裕で勝てるというのだから末恐ろしい。
そんな優秀な神童さんは学校をさぼった不良にも優しく、先ほどから学問とはなんたるかを僕に語っているが馬の耳に念仏。
どうでもいいことをずっと説かれている僕はそのまま耳をふさぐように寝返りを打つ。
無理やりにでも僕に学問をやらせる姿勢を考えても腹立たしい。
たまらず上へ向くもう片方の耳も塞いでいると、優しい神童さんも堪忍袋の緒が切れたのか僕の肩をつかみ、村の方向へと引きずり始めた。
しばらく黙って引きずられていたが、おかげで僕の服のなかは芝の温床となってしまう。
「やめろ、自分で歩く。」
レオンの手を振りほどき、体にこってりとはり着いた芝を払い落とす。
この暑い中汗をかかない訳もなく背中には無数に芝が張り付き手の届く場所でさえ払うのが億劫になる。
不快指数が溜まる。
「おかえしだ」
腹が立った僕は手元の芝を雑多に引きちぎり、レオンに投げつける。
「うわぁ、やめてよ。イアル」
あっさり顔に食らったレオンは情けない声を出してもだえていた。
ざまあみやあがれ。少し気分の高揚した僕は再び芝を引きちぎり、芝を投げる。
しかしその芝はレオンにあたることはなかった。
途端にレオンが目の色を変え、剣の構えをすると、宙に浮いた芝を一つ一つ神速の動きでつかみとる。
……。
全て掴んだレオンはそのまま、地面に芝だったものを投げ、僕に神妙な顔つきを見せる。
「僕は君を待たないよ、イアル。君がどこで門違いなことをしていたとしても……
僕は歩みを止めない。先に居続ける。」
そう告げたレオンの表情は辛辣で、疎んでいて、けれどどこか憂慮を持つようで嫌気がさす。
視線をそらすように見上げると、晴天ばかりの青空に雲がさしかかり太陽の半身を隠していた。
辺りには風が吹き始め、日によって温められた体を…目を覚ましてしていく。
「……それで?何を待つんだ。きっとお前の言うことだから英雄ごっこの話だろう」
手荷物を芝に置き反論を口にする。恐れることなく視線を合わせ、ためらうことなく言葉にする。
「何回も言うが僕はもうやらない。くだらない夢をおうより、現実的に生きた方がいいに決まってるだろ。」
立ち上がった僕はレオンに背を向ける。
「英雄なんてものは今必要とされてない。そんな幻想を見るよりお前も何かすれば?」
「…き」
「…聞こえねぇよ。鍛えてるならもっとはっきり喋れ」
より一層強くなった蝉の音に再び発したレオンの声は僕に届かずに墜落する。
確かに昔は英雄にあこがれ鍛錬していた。
僕の心はここ半年で変わった。
『嘘つき』
そんなことを言われたって、僕の耳には届かない。
考えてみれば、英雄なんていらない世界だった…。そう考えた僕は村で農家をすることに決めた。
国民の義務で都に行くほどの才のあるものを見逃さないためにも勉強をすることが義務付けられている。
しかし農家を継ぐと決めた僕にとってはそんな億劫なことはやっていられない。当然授業もサボっていた。
そんな夢物語より、畑耕して、綺麗な奥さんがいて、かわいい子供がいる。
子どもがいつか結婚して孫を見るのだ。
夢を追って、王都のほうの眷族争いのような泥沼関係などより、余程余生を楽しめるだろ。
「じゃあな、僕にはやることがあるから」
蝉の音とレオンの冷たい声を耳に残したまま立ち上がり、村の方角へと向かう。
僕が半年前から余生のために行動していることがあった。
農家への勉強だ。
土地柄育たないものもありこの村では自給自足が基本になっている。
だが僕はそれが本当に嫌なのだ。
毎度のごとく同じものが並ぶ食卓。飽きもせずに出てくる野菜たち。
得られる数少ない収入。将来のためにはこれだけでは足りない。
そこで僕は考えた。
ないのなら新種を作ればいいと…つまり特産品の製造だ。
この地には特産品といえるものがない。
行商人が来ても珍しい食材を買う余裕もなければ売るものも少ない。その財源を入手すればきっと村おこしにもなるだろう。
幸い近くに入手スポットを見つけた。それが近隣の森。
本をよく読む僕は、この森が世界中でも珍しいモンスターの生息しない森ということを知っていた。
別名無の森。
魔素といわれる魔法の発生エネルギー源すらなく、そのためか害獣であるモンスターの生息もない森。
しかし何もないから無の森なのではない。
森を研究したものが次々といなくなるといわれる不可解な現象が発生したことから無になる森、無の森と派生したのだ。
普段なら恐れおののくレベルの会談だが、その噂自体の真相は定かではない。
そこで、少し調べて分かったことがある。
森には獣道すらなく、魔素もないのだ。
モンスターは魔素を生命の源とする生物。
そうとくれば単なる噂は噂でしかなかったということだ。
僕は安全に森にて新しい植物の発掘に勤しんでいるわけである。
森の中に入るといつものように薄暗く太陽の日差しも木漏れ日程度に遮られていた。大分心地が良い、特に真夏のこの時期は初めてだったのだが全季節の中で最高かもしれない。
今回僕が目指すのは森の奥深く。やはり最初は様子見に森の入口でとどめていたのだがあるのは村でも引き抜かれてしまう雑草や食べられない植物が多かった。外敵とは言わないまでも入り口ではやはり人の住処もあるだけ自衛手段で毒を持つものが多いようだった。
森の奥深くに来るのは今回で十回目を超えようとしていたが新種の発見は困難だった。
何を持ってしても食べられるものがない。すぐに枯れてしまう。
あれ、あんなところに木の実なんてあったかな…
悩んで、上を向いた場所にそれはあった。二つの黒光りする、咽るような暗い赤。
樹木の上に並び、外敵からの襲撃を避けることが理由か、高くに実っていた。
手が届かないな。足元に落ちている木の枝を広い杖代わりに詠唱をする。
「ウォーターボール」
魔力が体から抜けていき、杖の先端から水球を狙い目掛け発射する。水球は勢いよく杖から抜け
そのまま赤い果実に命中する。
―――いや、命中してしまった。
大気を裂くようなけたたましい雄叫びが鳴り響く。
耳をつんざく轟音に咄嗟に耳をふさぐが、轟音は腕を貫通して鼓膜を到達する。
大気が震え、近くの木々の葉も揺れる中、赤く丸いものはそのまま上へ上へと上がっていき木々を優雅に超える高さにそびえたつ。
日が沈み、うっすらとした明かりの中でも、その顔を拝むことができることを恨んだ。
「この森モンスターいたのかよ」
僕は自分の調査の甘さにただ嘆くことしかできなかった。
情けなく震えながら出した声の元にモンスターの一撃が襲った。