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キングス・エッジ D5D  作者: 土方コウジ
7/21

君と僕とこの町と ①

 濃灰色の空の下。

 駅前の商店街で買い物を済ませた帰り道。

 あいにくの雨でまばらな人通りの中を、アリシアは傘を手にひとり歩いていた。

 いつもより少ないとはいえ、すれ違う人々が遠慮がちに寄こす視線からは、巧妙に隠したつもりの好奇心がひしひしと伝わってくる。

 まあ仕方のないことだ……と彼女は思った。

 ただの外国人ならいざ知らず、青首大根のとび出たエコバッグを持つ若い白人女性――それもかなりの美女となれば、好奇心を掻き立てられても仕方ないだろう。

 自分はこれまで、外見で生計を立てたり、物事を有利に進めようと思ったことはない。だが望むなら、そういう生き方もできる容姿であることはよく理解している。

 それを教えてくれたのは、下心たっぷりで近づいてくる大勢の男たちだった。

 ほんの少女のころはそれが不快で仕方なかったが、精神年齢がこの外見に追い付いてからは、さほど気にせず、適当にあしらう術も身に着けた。

 だからこの程度の好奇の目など、たいして不快に思うこともない。湿気のせいで纏めた金髪が重たいことのほうが、ずっと気になるくらいだ。


「……ん」


 そんな調子で眼福を振りまきながら歩いていたアリシアは、ふと民家と民家の間にある、細い路地の前で足を止めた。それから、一見だれもいないその路地に向かって声を掛ける。


「大きなラディッシュだろう。私も初めて見たときは驚いた」


 大根の入った買い物袋掲げて見せると、路地から返事が返ってくる。


「……にゃあ」


 とびきりの美女に声を掛けられた幸せ者は、胸元と足の毛が白い、キジトラの猫だった。ここで雨宿りしているようだが、身体はほんのり濡れてしまっている。


「首輪はないな。一人かおまえは」

「……」


 問われて、キジトラは目を細める。まるでこれまでの孤独を思い返しているようだった。


「……ふむ。猫はすべてそうだが、お前もなかなかどうして気高いようだ」

「にゃあ」

「ふふ。たとえ野良でも、猫は貴族だ。おなじ貴族どうし、気が合うとは思わんか」

「にゃあ」

「黒や三毛はよく見かけるが、お前は見ない顔だな。このあたりに来たのは最近か?」

「……」

「雨が冷たいだろう」


 アリシアはしゃがみこみ、差していた傘を肩で挟んだ。そうして自由になった手を、控えめにキジトラへ差し出す。触ろうと無遠慮に近づけるのではなく、『よろしければ、この手をお取りになって』という感じだ。


「……だめ?」


 ちょっぴり悲しそうに言うと、キジトラはゆっくりと前に歩み出た。

 手が濡れますよお嬢さん、とでも言いたげに、キジトラはその手を避け、アリシアの足元まで来る。

 彼女は構わず、湿ったその身体を前から後ろへ、毛並みに沿って優しくなでた。


「……んなーお」

「ふふふ。よしよし」


 野良だが、どうやら相当撫でられ馴れている猫らしい。だが自分だって、撫で馴れている女だ。

 アリシアは猫が望むとおり、首から背中から撫でてやり、猫は彼女が望むとおり、自分の毛並みをその手に差し出す。

 これまで多くの猫と触れ合ってきたが、こんなに気が合う相手は初めてだった。もし同種だったら、運命の出会いになったかもしれない。

 キジトラが若い雄猫だったので、アリシアはそんな事を考えた。

 そうしてひとしきり触れ合いを堪能すると、アリシアのほうは満足して立ち上がる。だがキジトラは顔をあげて、『にゃあ……』と、訴えるような視線を送ってきた。

 

「そんなに見つめるな。ほんの遊びのつもりだったんだ。……合意の上だろう?」


 アリシアは困った顔で、ロクな死に方をしない女たらしのような台詞を吐く。


「にゃぁ……」


 それでもキジトラは未練がましく、アリシアの足の周りをくるくる周って引き留めようとする。最初の駆け引きもどこへやら、キジトラはすっかり彼女の虜になっていた。


「……むぅ。気持ちはありがたいんだが、私もいまは飼い猫のようなものだからな。家主(いえあるじ)であれば、迷うことなど無いのだが……」

「にゃぁ……にゃぁ……」

「うぅ……」


 猫による、本物の猫なで声。

 とうとう観念して、アリシアは再びしゃがみこんだ。

 青い瞳と緑の瞳が、真っ直ぐ見つめ合う。


「……来るか?」

「にゃー」


 しとしと雨の降る中を、ふたりは並んで歩き出した。



 まったく同じ造りの、三つ子の戸建て。

 一〇年ほど前に近くの建設業者が建てた、いわゆる建売住宅だ。

 ちょうどこの家が建設されているころ、地元の町内会は新たな町内会館を建てるかどうかで大モメしていた。

 それまでは隣の町内会にある会館を間借りしていたのだが、防災や利便性の観点、また地域イベントの開催などを考慮した結果、『そろそろ自分達の会館を』という声が高まり、一方で『積立金は有事の時に残しておこう』とか、『維持費を子供や孫世代に負担させたくない』という反対意見も出て、町内は二分されていたのである。

 そこへタイミングよく、このお手頃な価格の建売住宅を購入する話が持ちあがり、町内会は積立金と行政の補助金を使って、三つ子の一番左端の家を買い上げたのだった。

 ――そして、快晴の本日。

 この民家然とした町内会館では、第ウン十回目の、町内会議がしめやかに執り行われていた。


「……えー。以上が、子供会と合同の夏祭りの予算案の説明でございます」


 ぴかりと光る禿頭に、眼鏡の奥の優しい瞳。長年の大工仕事による浅黒い肌と逞しい腕を除けば、いかにも好々爺といった風貌の町内会長が、穏やかな声で言った。


「なにかご質問は?」


 問われても、雁首揃えた町内会メンバーはだんまりで、挙手もリアクションもない。

 昨年同様――というより毎年ほとんど同じ内容の予算案に、改めて口を出す者など皆無だった。

 毎年荒れるのは来月の会議で話し合う予定の、夏祭りの出店(でみせ)のかかり決めのほうである(焼きそばと焼き鳥の屋台は毎年大盛況なのだが、作る方は灼熱地獄のため、誰もやりたがらないのだ)。


「ではこの予算案に賛成の方」


 ぱらぱらと手が上がっていき、やがて全員が挙手する。


「はい、ありがとうございます。えー……では次に、なにか町内で気になっていることがあれば――」


 言い終わらないうちに、複数の住民が手を上げた。五十肩を患うおばちゃんも必死に手を上げ、残念ながら総統閣下に忠誠を誓っているようなポーズになってしまっている。

 

「お、おお。えと……」


 謎の迫力に気圧されて、町内会長は言葉に詰まってしまった。

 しびれを切らして、その欧米一発アウト敬礼おばちゃんが口火を切る。


「最近っ、ウチの周りに外国人の方がよく現れるんですっ、若い女の方とか、おっきくて怖そうな男の方とかっ。別に意地悪なこと言うつもりもないけどっ、やっぱりちょっと怖くて」


 それに別の住民が続いた。


「あの、真島さんの家によく出入りしてるコいるでしょう。銀髪の、娘さんのお友達の。あのコの知り合いみたいなんですわ、どうも。そんでもって佐倉さんちにも出入りされてるようで」

「けっこう夜遅くに出歩いてたりするんですよ!」

「男のかたは身長が二メートルくらいあって、顔は怖いしとにかく物凄い筋肉で!」

「……は、はぁ」


 町内会長の家は佐倉家や真島家とは違うブロックのため、そうした話は初耳だった。

 逆にいま声を上げたのは、真島家や佐倉家と同じく、小さな公園を囲むようにして建てられた家の住人たちである。かわいそうに、自分たちの家が三八度線のような状況に巻き込まれたことを知らないのだ。


「……えーっと、真島さん、なにかご説明があれば」


 言われて、存在感を可能な限り消していた真島家の奥さん――真島理恵は引きつった笑みを浮かべた。


「あ、あの、えーっと……」


 できるだけ愛想よく、なにかを口にしようとするが、まったく言葉が出てこない。

 品の良い内向きのショートカット、娘二人の母親である理恵は、突き刺さる視線に心が折れそうだった。

 頭の中ではもう原稿用紙一〇〇枚分くらいのことが浮かんできているのだが、どれもここでは口に出来ないことばかりなのだ。

 あの子はカーチャちゃんっていって、お隣の世界から来た共産主義者の女の子なんです。魔法が使えて軍人で、家事も率先してお手伝いしてくれるとってもいい子なんですよ。あ、そうなんです、ウチに住んでいて、佐倉さんちのアリシアさんとはイデオロギーとか個人的因縁でバチバチなんです。


(――なんて全部ブチ撒けられたらどんなに楽か。ああ、なんで平凡な主婦のあたしがこんな目に……)


 そのとき、理恵の横で平然としていた佐倉家の奥さん――佐倉千代美が、にこやかに口を開いた。


「ウチに居るのはアリシアちゃんって言って、アメリカから来たんです。もう日本も長くって、日本語も完璧ですから、皆さん怖がらないで話しかけてあげてください。とってもいいコですよ。

 あ、それと、カイルさんとマーヤくんっていうアリシアさんのお友達もいます。カイルさんは近くに住んでて、マーヤくんはアリシアさんみたいにウチにホームステイしてるんです。見た目が怖いっていうのはたぶんカイルさんのことですけど、皆いい人たちなのは保証しますから、仲良くしてあげてくださいね」


 近所をうろつく外国人たちの説明をあっさり済ませ、千代美はテーブルに置いてあった菓子盆からルマンドをひとつ取った。


「ど、どういうお知り合いなんです?」


 住民の一人が訊ねると、


「夫の知り合いの関係で。日本文化が好きなんですって。嬉しいですよね、外国の方に興味を持ってもらって」


 うふふ、と微笑み、千代美はルマンドを頬張る。


「ははあ、そういうことでしたか」


 町内会長は納得した様子で、うんうん頷いた。


「そうだ、良かったら会長の工務店も見学させてあげてください。いま神社の補修をされてるでしょう? 宮大工さんの伝統技法とか見たら、きっと喜びますよ」

「おやそうですか? ええ、ええ、構いませんよ」


 会長は嬉しそうに顔を綻ばせ、理恵は救世主を見るような眼差しを千代美に向ける。


「……えー、では皆さん、この件はそういうことで、よろしいですかな?」

「……」


 会長が会議室代わりのリビングを見渡すと、頷く者、小さく首をかしげる者、もとよりあまり興味のなさそうな者――

 なにか言いたげな者もいたが、千代美の明朗な説明と、すっかり納得した様子の会長に、はっきりと異を唱える住人はいなかった。漠然とした、『外国人は……』みたいな感情はあるものの、このご時世にそれを大っぴらにすべきでないことくらいは弁えている。

 様子見。それがこの場での、暗黙の一致だった。


「はい、ではほかに」


 会長が次のお題を募る。

 とはいえ、ゴミ出しや騒音のトラブルは特になし。召されそうな独居老人や、子供虐待が疑われる世帯などの懸念事項もない。これといって議題にするようなことは無かった。

 お開き――と、なりかけたそのとき。


「はい……」


 部屋の端っこに座っていた山田家の奥さんが、おずおずと手を挙げた。


「はい、山田さん」


 指名され、いかにも気の弱そうな山田さんは声を振り絞る。


「ね、猫ちゃんのことなんですけど」

「は? 猫。……ええっと、このあと〈さくら猫の会〉の会合もやりますが――」


 さくら猫の会とは、野良猫を地域で管理・世話し、地域猫として愛でていこうという有志の集まりである。

 もともと野良猫が多かったこの地域では、こうした活動が盛んにおこなわれており、町内会メンバーも半分以上がさくら猫の会に所属している。


「そ、そうなんですけど……。実はご相談というか、周知したいというか……」

「はぁ」

「実は一週間ほど前から、朝日奈公園に新しい猫ちゃんが来ていて――」


 山田さんはそう切り出すと、一通りの説明をした。

 町内の公園、朝日奈公園に最近キジトラ白の猫が出没していること。そのキジトラは雄であること。朝日奈公園には避妊手術待ちの地域猫が一匹いること。

 そして、山田さんは頬をほんのり染めて付け加えた。


「そ、そういうわけで、北村さんちのランちゃんとか、柴崎さんちのモカちゃんとか、避妊してないコは一応気を付けた方がいいかと……。室内飼いでも万が一ってこともありますし」

「……ふーむ。なるほど」


 ランちゃんの飼い主、北村さんが頷く。数年前に定年退職した、オールバックのおじさんだ。

 他にも小難しい顔をして考えを巡らせている住人がちらほら。

 もともと猫好き率の高い朝日奈町の面々は、結構マジで悩んでいた。


「そ、それで、できればなんですけど……」

「?」

「そのキジシロちゃん。綺麗な白手袋に白足袋で、すっごく可愛いんです。なんとか去勢手術させて、朝日奈公園のメンバーにしたいんですけど」


 これが山田さんの真の目的であることは、全員がすぐに理解する。そして、まったくもってやぶさかではない。


「ほう」

「手足が白い子は可愛いわよね」

「実はあたし、きのう見かけたのよ。夕方ベンチの上で黄昏(たそがれ)てて、結構カッコイイ感じの子よ」


 にわかに盛り上がる猫好き住民たち。町内会長はぱちんと手を叩き、一旦場を締める。


「はい、ではとりあえず、町内会議はここまでということで。お集まりいただきありがとうございました。小休止を挟みまして、朝日奈さくら猫の会の会合としたいと思います。そのキジトラちゃんのことも、そこでじっくりと」

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