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キングス・エッジ D5D  作者: 土方コウジ
4/21

最初のブリヌイは塊になる ④

 二人が帰ったあと。

 遊び疲れて電池が切れたように眠っていた優子を起こし、夕食を摂り、母娘(ははこ)が風呂に入っているあいだに、京介とアリシアは並んで皿洗いをしていた。

 そこでの話題は当然、カーチャのことだ。

 流水の音をバックミュージックに、まず京介が切り出した。


「……今日のアイツ、なんかおかしかったろ」

「うむ」


 あわあわのスポンジを手にしたアリシアが相槌を打つ。


「学校でも元気なくてさ。てっきり中間テストが不安なのかと思って、俺が勉強に誘ったんだ」

「なるほどそういうわけか。たしかに私も朝あった時から、なにか悩み事を抱えているような印象を受けた。しかしそんな単純なことか? テストがくだらないとは言わないが、もっとこう、さらに重大なことのように見えたぞ」


 アリシアが茶碗をぐりぐり洗い、受け取った京介が流水ですすぐ。


「だなぁ。でもこっちで何かあったっていう話は聞いてないから、向こう側で何かあったのかなって」

「スラヴァでか」

「ああ。そうなると、俺たちは全く感知できないだろ」

「まあな。いや――」


 平皿をこすっていたアリシアの手が止まった。


「事がもっとが大きければ、そうでもない」

「え?」

「二日ほど前だ。ベルジアの新聞に、スラヴァ軍上層部で大きな人事異動があったらしいという記事が載った。表向きは長年にわたり参謀総局長と軍事大臣を務めたイグナトフ大将の退役に伴う組織刷新だったが……。武闘派の台頭だの陰謀だのと、色々とキナ臭い噂もあるようでな」

「……急にスケールのでかい話になったな」


 ついでに言えば、あまり聞きたくないタイプの話でもある。


「カーチャが籍を置くスペツナズは、参謀本部情報総局直属のはずだ。影響もかなり大きいだろう」

「うぇ……。向こうのGRU所属かよ。あいつ」

「知らなかったのか? 学校で毎日顔を合わせているから油断するのも無理はないが、奴の本性はそっちだぞ。寝首を搔かれたくなければ、いつでも頭の片隅には置いておけ」

「やだねぇ……」

「嫌でもこれが現実だ。それと、私がベルジア軍の少佐であることも、合わせて覚えておくように」

「それは覚えてるよ。全然気にしてないだけ。おら手ぇ止まってんぞ」


 相変わらずの京介に、アリシアはぼそりと不平を漏らした。


「……絶対に間違っているぞ。この国の教育は」

「なんか言ったか」

「いいや」


 ぶつぶつ言いながらも、洗い物のコンビネーションは見事だった。



 ――翌日。

 抜けるような青空の下で、京介は昼食をとっていた。

 今日は昼休みにだけ開放される、校舎屋上の見守りの日なのだ。

 生徒会役員持ち回りのこの当番の日には、必ずと言っていいほど彩希とカーチャも付いてきた。京介といっしょに行けば屋上に一番乗りでき、腰掛けるのにちょうどいいコンクリートが打たれた“特等席”の一角を確保することができるのだ。

 その特等席以外はレジャーシートを敷き、直接地べたに座り込むしかなくなる(縦横に巡らされた給水パイプも椅子にするにはいい感じの高さなのだが、危ないので腰掛けることは禁止されていた)。


「ねぇ、今日も勉強しに行っていい?」


 小さな弁当箱を膝にのせたカーチャが訊ねる。


「あー、俺バイト入れてんだよな」

「あ……そう。明日は?」

「明日もバイト」

「……テスト前なのに」


 つまらなそうな顔をして、カーチャはきんぴらごぼうを口に運ぶ。ぽりぽりと小気味よい音がした。


「テスト前だから、土日は開けてあるんだな。これが」

「だって。行こうよカーチャ」

「そうね。じゃあ土曜日に行ってもいい?」

「おう。っていうか別にさ、俺が居なくてもウチ来ていいんだぞ」

「……なんでよ。テスト勉強するために集まるんでしょうが」

「そんなこと言って、ホントはあいつともうちょっと仲良くなりたいんじゃないのか?」

「あいつって?」

「決まってんだろ。アリシアだよ」

「なにバカなこと言ってんのよ。私はべつに……って」


 唐突に、彩希がカーチャの顔を覗き込んだ。


「な、なに? ちょ……近いわよ」


 至近距離でまっすぐ向けられた黒い瞳に耐えられず、カーチャは赤くなって顔を引く。

 日本人が青い瞳に憧れを抱くように、碧眼の彼女にとっては、黒い瞳が魅力的でミステリアスなものだった。じっと見つめられれば吸い込まれそうで、すべてを見透かされているような気分にもなる。

 そして実際、彩希は見透かしていた。


「ねぇカーチャ。本当はアリシアさんと仲良くなりたいんでしょ」

「な、なによ彩希まで――」


 白くて小さなほっぺがさらに赤くなる。


「カーチャはねぇ、基本的に末っ子気質で、甘えん坊なんだよ。で、アリシアさんってたしか長女でしょ? 年上だし。もうね、仲良くっていうか、甘えてぐずって、ヨシヨシしてもらいたいんだ。そうでしょ?」

「なっ……か、勝手に決めないでよっ。違うわよっ」

「どうかな~。ホントは京介なんか邪魔で、仲良くおしゃべりしたいんじゃないの?」

「彩希!」

「……ま、いいけどね」


 彩希はいったん引き下がるそぶりを見せながら、


「でも向こうも薄々感づいてたりして」

「えっ?」

「長男とか長女って、そういう能力があると思ったほうがいいよ。ね? 京介」


 そう振られると、京介はごく真面目な口調で答えた。


「おう。俺も彩希もアリシアも、第一子だからな。やっぱこう、下の面倒をみるために備わった、独特の勘っつーか、能力? みたいなものがあるぞ」

「まさか」

「そりゃ末っ子のお前にこの感覚は分からないだろうな。だが、逆に末っ子だからこそ、無意識にそれを感じ取る能力はあるはずだ。うちの妹もアリシアによく懐いてるが、あれは末っ子のあいつが、アリシアの長女力に惹かれている面もあると思うぞ」

「そ……そういうものなの? 本当に?」


 京介と彩希がそろって頷く。


「そ、そう。認めるつもりはないけど、おぼえておくわ」

「素直になりなよカーチャ。おなじ長女の私から見ても、アリシアさんのお姉ちゃん力はすごいよ」

「ああ。迷惑な奴だが、そこは俺も認めてる。カーチャも、こればっかりは先天性のことだから諦めたほうがいい。イデオロギーの対立は置いといて、思い切って優子と一緒に甘えちまえ」


 長男・長女にそれぞれ言われ、カーチャはぷいっと顔をそむけた。


「……お断りよ。大体わたしには、ちゃんとしたお兄ちゃんとお姉ちゃんが居るもの」



 ――同じころ。

 自分の世界から戻っってきたマーヤは、佐倉家リビングの炬燵で、アリシアと向かい合って座っていた。


「……あのー。隊長?」

「ん?」

「出来ればそろそろ、相場を見てほしいんですけど」

「ああ。そうだったな。すまん。別の記事に目が行ってしまった」


 アリシアは見ていた新聞をめくり、金相場の載ったページを開く。


「……ふーむ。また値上がりしているな」

「マジすか。ラッキー」

「が、ベルジアも相変わらず高値で推移しているぞ」

「うぇ……」

「見ろ」


 アリシアは読んでいたのとは別の新聞、ベルジアの〈ノイエグランツィヒャー・ツァイトゥング〉の相場情報も広げ、両世界の金相場を並べて見せた。


「……どっしぇ~、すごいなぁ」

「中央国家の価格高騰が伝播してきている。何らかの不安要素があるときの、お決まりの値動きだ。金は手堅い資産だからな」

「なんかあったんすかねぇ」

「あまり考えたくはないが、大陸の情勢不安の影響だろう」

「もしかして、このまえのホテルの一件とかですか?」


 マーヤが不安げな顔で訊ねる。


「いや、あれはこの世界で起きたことだし、厳重な緘口令が敷かれている。市場に影響を与えるとは思えん。くわしくは知らんが、帝領パシュカイークでも事件があったらしいから、恐らくそちらの影響だろう。あとは……」

「あとは?」


 首をかしげるマーヤに、アリシアはすまし顔で言った。


「ベルジアとスラヴァの対立も、もちろん影響しているだろうな」

「……仲良くしましょうよ」

「むこうに言え。――さてと」


 アリシアは先日手に入れたばかりのスマートフォンを取り出し、プリセットされた電卓アプリを起動する。


「使いこなしてますねぇ」

「嫌味か? この前も京介に『なんで自分のIDとパスワードを他人の俺に訊いてくるんだ』――と、グチグチ文句を言われていたのを知っているだろう」

「まぁ、向こうはベテランじゃないすか。隊長もよくやってますって。そのうちそれで買い物とか出来るようになりますよ」

「……うむ。じつは憧れていてな。家でこの小さな画面を見てモノを買い、自宅に配達される。そんな貴族でもできないような体験を、いつかはしてみたいものだ」

京介(あいつ)の荷物とか、フツーに届きますもんね」

「あれを当たり前と思っているからな。この世界の平民は恐ろしい」

「まあこの国の平民なんて、みんな貴族みたいなもんですよ」

「そうだな。――出たぞ」


 会話しながらテンキーを叩いていたアリシアが、計算を終えた画面を見せる。


[79,17]


「うぇ……たっけぇ。それでホントに五千円ですか? あってますぅ?」


 その数字に納得いかず、マーヤは仮にも上官の彼女に遠慮なく疑いの目を向けた。


「なんだその目は。嫌ならヴュルテンメルン銀行日本支店は閉店してもいいんだぞ」

「出しますよっ、出しますけど! ……ちぇ」


 マーヤはしぶしぶ持っていた封筒の口を開け、五〇ベルジアマルク紙幣一枚と、二〇ベルジアマルク紙幣一枚をアリシアに渡す。

 アリシアは脇に置いていた手提げ型の小型金庫をあけながら、


「あと九マルク」

「はいはいっ」


『銭ゲバめ……』とでも言いたげな顔をして、マーヤは封筒をひっくり返し、硬貨を手で受ける。そこから五マルク硬貨と二マルク硬貨二枚を取り、アリシアに手渡した。


「ん、確かに」

「……もう最初っから、半分くらいの給料を円でくれたらいいじゃないですか」

「贅沢言うな。手数料なし、端数切捨て、こんな優良両替所はないぞ」

「でしょうけど。……せめて固定相場なら自分で簡単にやりくりできるのに」

「気持ちは分かるがな。わたしは二国間の為替制度を決めるような権限を与えられた覚えはない。固定相場だろうが変動相場だろうが、それは然るべき立場の人間が決めることだ」

「でも表向き、この二国間に交流はない。しょうがないから金の値段を参考にしている、でしょう。前も聞きましたよ」

「そうだ。だからこの金相場換算制も苦肉の策だぞ。いろんなことに目をつぶって、本当だったら、ベルジアマルクはもっと高くてもいいと思いながら――」


 その一言に、マーヤはたちまち食いついた。


「ちょっと! じゃあなんですかっ? 俺損してるってことですか? ホントは今のでいくらなんです!? 一万とかいってるんじゃないですかっ、ねぇ!?」

「うるさいっ、存在しないレートに答えなんかあるか! ほら受け取れ!」


 さきほどの神妙な語り口もどこへやら、アリシアは怒鳴り返して、金庫から五千円札を一枚取り出し、ずいっとマーヤに突き出す。


「……こっちでも仕事しよっかな」

「馬鹿者。軍人に限らず、公務員は副業禁止だ」

「冗談です。どうもありがとうございました」


 マーヤは両手でうやうやしくお札を頂戴し、


「では事前に許可を得ましたとおり、一三三〇時より買い物に行かせていただきます。頼まれた物もしっっっかり買って参りますので。ご安心を」


 あてこするような慇懃無礼で言うと、リビングを出ていった。

 

「車に気を付けてな! ――はぁ、まったく……あんな下士官、とても兵の手本になどさせられん」


 アリシアはぼやいてから、相場の参考にしたベルジアの新聞に目を落とす。

 何ページかめくると、さきほど見ていた三面記事が出てきた。スラヴァ軍内の人事について書かれたもので、以前読んだ記事の続報といえる内容だ。


「うーむ。人事刷新の影響はすでに部隊規模に……か。退役後も特例法によって軍事大臣の席に留まると見られたイグナトフ大将だったが、けっきょく大臣職も辞し、後任は軍事次官で参謀本部総長のラリオーノフ中将。大将に昇進し、海軍初の軍事大臣就任となる……」


 アリシアは顎に手をやり、憂いた瞳を右下に流す。しばしのあいだ沈思黙考。


「海軍か……」


 彼女の頭をよぎるのは、スラヴァ海軍によるベルジアへの挑発的な示威行動だった。大小の艦隊がひっきりなしにベルジアの領海線をこすっていく様は、この半年ですっかり見慣れた光景となってしまっている。

 スラヴァ海軍のこうした動きは、つい先日開かれた両国の王による秘密会談後に減ったものの、まったく無くなったわけではなかった。

 秘密会談での合意ゆえに、『話し合って関係が改善した』と、大々的に言えないのが原因だ。軍という巨大組織と国民を納得させるには、きちんと自分たちの世界で、関係改善をアピールできるようなイベントを行わなければならない。

 ……だがしかし。そもそもスラヴァの〈社会主義王国〉という特殊な体制の中で、“同志陛下”アレクセイが、融和に舵を切れるだけの権力を掌握しているのだろうか。

 少なくとも議会や内閣というものがある以上、まったく思うままに王笏を振れるわけでもあるまい。

 自らの野心や激情に任せて戦争を始める王もいれば、逆に国民感情に追い詰められて、泣く泣く開戦に踏み切る王もいる。

 それこそ、かつてのこの国のように。 


(タカ派の台頭……軍部の権力掌握……そして暴走……)


 最近この世界の近現代戦史を学んでいるアリシアにとって、その筋書きは妙にリアルに思えた。スラヴァは軍部大臣現役武官制など、大日本帝国と似たような制度をいくつか持っているのだ。さらには長いこと、参謀総局長と軍事大臣の兼任も続いている。

 ほかにも軍の暴走に繋がる制度として〈帷幄上奏(いあくじょうそう)〉があるが――これはベルジアを含め、自分の世界のほとんどの国家が有していた。

 とはいえ、それがあの国で正しく運用されている保障など一切ない。

 

(……もしアレクセイ陛下の説得虚しく、軍部が強硬姿勢を強めたら、カーチャも無関係ではいられまい。とするとあの苦悩の原因は、我々に対するなんらかの命令を受けたからか? 調査のたぐいか、あるいはお得意の挑発行動。それに……)


 そこでふと、先日見た夢がフラッシュバックする。

 荒唐無稽だと思っていたが……最後の場面。そう、暗殺のところは妙にリアルだった。なにせ実際の事件をもとに見た夢だ。


(ま、まさか……)


 暗殺!?

 途端に、心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走る。

 ありえない話ではない。ベルジア・スラヴァ双方の合意により、この世界に常駐できるのは片方三人までだ。それでどちらも民家を拠点に三名を配置し、こうして奇妙奇天烈な国境管理を続けている。

 こんな状況で相手の排除を考えるなら、間違いなく暗殺がいちばん合理的だろう。

 そんなアリシアの妄想に、京介由来の若干偏った知識が拍車をかけた。

 彼は剣で戦う古風なファイトスタイルの彼女に、KGBやFSBの使う暗殺手段を、あれやこれやと吹き込んでくれたのだ。

 放射性物質、炭疽菌、口紅型の拳銃、それに――


(猛毒!!)


 このときアリシアの脳内では、〈ノビチョク〉と書かれた魔女の大釜を、カーチャが邪悪な笑顔でぐ~るぐ~るとかき回していた。

 そう。鉄のカーテンの向こう側は血も涙もない暗殺者が跋扈し、そこかしこで汚い暗器が振るわれる、暗殺天国なのである!!


「アリシアさーん、悪いんだけど布団ひっくり返すの手伝ってくれる~」

「……は、はーい」


 裏庭にいる千代美に呼ばれ、アリシアは現実に引き戻される。しかしいちど抱いた疑念は消え去るどころか、どんどんと現実味を増していた。

 とにかく早急に、頼れる副官と話し合おう。そう心に決めてから、アリシアはなんとか家事手伝いに思考を切り替えた。

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