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キングス・エッジ D5D  作者: 土方コウジ
3/21

最初のブリヌイは塊になる ③

 教室最後列に居ると、クラスメイトのことをどうも観察してしまう。

 もちろん後ろ姿しか見えないのだが、それがむしろ彼らの本質を浮き彫りにしてしまうのである。

 挙手や筆記など、真面目に授業に取り組む者から、退屈そうなあくび、背伸びをする者。果てはこっそり椅子から尻を浮かせ、筋トレに励む者まで。

 無防備で無自覚な背中の、なんと雄弁なことか。

 四時限目。頬杖ついてノートを取りながら、京介はそんな背中のひとつに目をやった。

 自分の左どなりの列、ちょうど教室の真ん中あたりの席に座る生徒。大きく肩を落とし、どうやら深いため息をついたようだ。


(……またか。どうしたんだ、カーチャのやつ)


 華奢で小柄な身体つきが、今日は特に小さく見える。

 思い返せば、彼女は朝から元気がなかった。こうして授業中に俯いたりため息をついたりするのも、もう何度目になるか。

 彩希もやはり心配らしく、となりに座るカーチャに声を掛けている。

 カーチャは親友の問いに首を振って、つぎに頷き、どうやら『大丈夫』とでも言ったらしい。彩希は小さく頷き返して、黒板に向きなおった。

 だが少しすると、また小さく肩が落ちる。

 いったいなにがあったのか知らないが、とにかく深刻そうなのは間違いない。

 普通の女子高生の悩みであれば、京介にもいくつか心当たりはある。……が、カーチャはその範疇を大きく逸脱した存在だ。

 彼女の超特殊な背景を考えると、さすがに不安になった。



 ――昼休み。

 食堂へ行くまえに、京介は自席にとどまっているカーチャに声を掛けた。


「元気ないけど、なんかあったのか?」

「……まぁ、ちょっとね」


 彼女は視線を寄越さず、小さく口を開けて控えめにしゃべる。

 せっかくの昼休みだというのに、その顔は陰鬱で、表情がいつになく乏しかった。


「言いづらいことっぽいな」

「ええまあ。でも大丈夫だから」

「……ま、無理には聞かないけど。メシは?」

「彩希と教室で食べるわ」

「あっそう。……もしかして、飯ってそれだけ?」


 京介は机の上にのった栄養ゼリーを指さす。


「食欲ないのよ」

「おい、さすがに心配になるって」

「大丈夫だから。――ね? 彩希」

「う、うん。まあほら、そのぉ……デリケートなあれだから、ね?」


 露骨に『触れないで』という目線を送ってきた彩希に、京介はたちまち納得した。


「……ああ、そゆこと。おーけー、もう聞かない」

「……。ち、違うんだけど」


 顔を赤らめて、カーチャがぼそりと否定する。

 そういうことにしておこうかとも思ったが、やっぱり恥ずかしかった。


「え? 生理じゃねーの?」

「……サイッテー。っていうか彩希もヘンな言い方しないでよ」

「はいはい。ごめんごめん」

「まったく。……とにかく大丈夫だから。心配してくれてありがと」

「おう。……あ、分かった」


 京介はなにか閃いたように、手をポンっと叩いた。


「……なに?」

「中間テストだろ」

「へ?」


 突然の言葉に、カーチャはすこし驚いた様子で京介を見る。


「初めてだもんな。そりゃ憂鬱になるわ」

「え……、ええ。実はそうなのよ。内容も全然違うし。英語はほら、完璧なんだけど、他はなんていうかもう」

「だよなぁ。……彩希じゃ頼りないし」

「失礼な! ちゃんと毎回切り抜けてるよ!」

「理数系は地上スレスレの超低空飛行だろ」

「……うるさいな」


 最初の勢いもどこへやら。彩希はトーンダウンし、目を泳がせる。


「――よし、今日ウチで勉強会やろうぜ」

「えっ……」


 唐突な京介の提案に、カーチャはまた驚いた。だがそれ以上に、困惑しているようにも見える。


「あ、わるい。なんか用事でもあったか?」

「い、いえ。そっちこそバイトは?」

「今日はなし。じゃなきゃ誘わないって」

「あ、そうね。……じゃ、じゃあお邪魔しようかし……ら」


 どうも歯切れの悪いカーチャに、京介が怪訝な顔をする。


「……もしかして、中間テストじゃないのか?」

「い、いいえ。中間テストよ。もう不安で不安で。赤点なんか取ったら、アリシアに馬鹿にされるわ」

「だな。あいつあれでも大卒らしいし」


 言いながら京介はふと、(そっか、大卒者が剣を振りまわしてんのか……)と思った。

 そこで、教室入り口に溜まっていた男子たちが声をかけてくる。


「おーい、行くぞ京介ぇ」

「売り切れちゃうぞー」

「あいよー。……じゃあ今日な」

「え、ええ」

「そんな心配すんなって」


 京介は励ますように言うと、男子数人と食堂へ向かった。

 きょうの日替わり麺は一番の人気メニュー、カレー南蛮そばだ。



 ――夕方。佐倉家。


「ただいまぁ」


 京介が玄関を開け、リビングにぎりぎり届くくらいの声で帰宅を告げる。

 まず返ってきたのは、水洗トイレの流れる音だった。続けてトイレのドアが開き、すっきりした表情のアリシアが出てくる。


「おお、おかえ……り」


 彼女は玄関のほうを見るなり、京介の後ろにいる客人に眉をひそめた。


「お邪魔するわよ」

「どうもです」


 カーチャと彩希が短く挨拶すると、アリシアは警戒心むき出しの顔で、


「……なんの用だ」


 なんとも礼節にかけた態度だが、カーチャも慣れたものでさらりと一言。


「貴女に用はないわ」

「なに?」

「友達とお勉強会よ」

「勉強会?」

「そ。三人で。学生だもの。なんかおかしい?」

「……いや。好きにしろ」


 ここでわがままを言っても、どうせ拒否権もない。ただ印象が悪くなるだけだと思い、アリシアは渋々そう答えた。



 それからしばらくの間。

 集まった三人はリビングのおこたを囲んで、黙々と勉強をしていた。

 アリシアは食卓に掛け、その様子をまんじりともせず見守る。

 なにせベルジア側の門がある裏庭はすぐそこ、掃き出し窓を開けた先で、さらにその門をくぐればベルジアの王宮内部である。

 世界が違うことはさておいても、単純にこのリビングから王宮の最重要部――王の居住区画や執政室までは、ほんの数百メートルしかない。

 そんな場所にスラヴァの軍人(カーチャ)がいるこの状況は、国家の危機と言っても大げさではなかった。

 そんなわけで、彼女が最高度の緊張を保つなか、いきなり玄関が乱暴に開く音がする。アリシアは反射的にテーブルに立てかけた剣を取った。


「ただいまぁあああ!!」


 小さい子供にしか出せない甲高い絶叫。廊下を爆走して、スラヴァのコマンド部隊――ではなく、優子がリビングになだれ込んでくる。


「おにーちゃーんっ、あのねぇえー! 今日学校でねー! ……!?」


 炬燵に兄、そして二人の来客の姿を認めると、優子は目が点になり、たちまちトーンダウンした。その後ろで、アリシアはほっとした顔で剣を置く。


「あ、優ちゃんお邪魔してるよー」

「こんにちは」


 広げた教科書とノートから顔を上げ、彩希とカーチャが挨拶した。


「……こんにちはー」


 しっかり挨拶を返してから、優子は兄に寄っていき、全員に聞こえる小声で訊ねる。


「なんでいるの?」

「見て分かんだろ。おべんきょ」

「ふーん」

「学校でなんだって?」

「えーっとね……。……あれ、なんだっけ?」


 カーチャがくすくすと笑った。


「うーんと。……あれ?」

「はい、時間切れ。あとで遊んでやるから、それまでに思い出しておくように。まず手洗いうがいをしてきなさい」

「はーい」


 遅れて、優子と買い物に行っていた母――佐倉千代美が、買い物袋を手にリビングに入ってくる。


「あら、靴が多いと思ったら。いらっしゃい」

『お邪魔してまーす』


 と、彩希とカーチャは口をそろえた。


「お疲れ様です」

「アリシアさんも。お洗濯物ありがと」


 千代美は微笑むと、買い物袋を食卓に置き、炬燵を囲む三人を眺めた。


「……ふふ。なんか懐かしいわね。小学生のころは京介と彩希ちゃんと、よくそこで遊んでたでしょ。あとほら、そこのところにベビーベッドがあって、赤ちゃんだった優子をあやしてくれたり、おむつ換えてくれたり」

「あ、憶えてますっ。友希(ゆき)とどっちがおむつ交換するかで喧嘩したりとか。いや~懐かしいなぁ」


 リアル赤ちゃん人形を妹と取り合ったことを思い出し、彩希は照れ顔で頭をかく。優子はおむつの話に赤面し、『お母さん恥ずかし~いっ』と言って母親に抱き着いた。

 千代美は娘の頭を撫でながら、


「とっても助かったわよ。最近またよくウチに来てくれるようになったから嬉しいわ。カーチャちゃんのおかげかしら」

「えへへ、まあそんな感じです。ね?」

「え、ええ」


 名前を出されたカーチャもほんのり頬を赤らめて、可愛らしく居住まいをただす。

 千代美には、『この人の前では良い子でいよう』と思わせる不思議な力があった。


「――さ、優子、お勉強の邪魔したら悪いから、あっちいってましょ」


 千代美が気を使って、娘とリビングを後にする。そこからまた、勉強会らしい静かな時間が流れた。

 ――どれだけ経っただろうか、ずっと見張っていたアリシアが口を開いた。


「彩希はいいとして、カーチャはそろそろ帰ったらどうなんだ。こっちの気が休まらん」

「あら、失礼ね。どれだけ居ようとあなたには関係ないでしょ。私たち京介くんのお友達で、京介くんのお客様よ。ねえ?」

「そうだぞ。俺が招いた客人に無礼な物言いはやめてもらおうか」

「い、いや私はだな、ただ安全保障上の問題で……」

「そんな……こんないたいけな女の子が安全保障上の脅威だなんてっ、あんまりよ!」


 カーチャが大げさに叫んで、わざとらしく顔を覆う。


「あーあ、可哀そうに」

 

 京介がそれに乗っかり、責めるように言った。


「どう見ても嘘泣きだろうっ」

「うえ~ん」


 わざと質を落とした演技で、カーチャが泣きじゃくる。

 さすがに見かねた彩希が、シャープペンシルで彼女のつむじをちくりと突いた。


「った!? 彩希っ?」

「いい加減にしなよカーチャ。もとはと言えば、カーチャがアリシアさんに酷いことしたんでしょ。それで信用されてないんだから」

「えっ……いや、その……。ごめんなさい」

「私じゃなくてアリシアさんに謝る」

「……はい。すみませんでした」

「京介も、アリシアさんを虐めない」 

「別に虐めてるわけじゃ……」


 言いかけて、京介は幼馴染の冷たい視線に気が付き、反論を取り下げた。

 

「……はいはい、すんません」

「まったくもー」


 たちまち天敵ふたりを成敗した彼女に、アリシアが羨望と感謝の入り混じったまなざしを向ける。


「彩希、きみは本当に――」

「アリシアさんも、もーちょっとカーチャと仲良くしてもらえると嬉しいです」

「……はい」


 それからまた少しすると、千代美がリビングに戻ってきた。

 彼女は台所に入ると、冷蔵庫からあれこれと食材を出しはじめる。するとアリシアもシンクの前に立ち、まな板やフライパンを準備しだした。

 それを見た彩希とカーチャは、(さすがに帰ろっか)(ええ)と囁き合う。

 遊びに行った友達の家で夕食の支度が始まるのは、子供にとっていつでも解散の合図だ。


「ん~、アリシアさん」


 取り出した材料を眺め、千代美がとなりの助手に声を掛ける。


「はい」

「今日はマーヤくん、晩御飯も向こうなの?」

「そう聞いています。そもそもベルジアはまだ昼前なので、彼はこれから昼食ですね」

「あっそう。うーん、じゃあなんとか……」

「?」


 そこで母親の思惑を察知した京介が炬燵から出てきて、彼女に耳打ちした。


「母さん、別にいいって。もう帰るから」

「いいでしょ、聞くだけ。京介もそっけなくしないで優しくしときなさい。私の予想ではあなたのお嫁さんは明神ちゃんか、この中のだれかよ」


 その言葉を漏れ聞いたアリシアは、目を丸くした。

 ほんわかしているこの母親も、高校生の息子にもうそんなことを考えているのか――

 心中にはそんな驚きと『この中の誰か』というのに、果たして自分は入っているのだろうか、というモヤモヤが立ち込めた。


「……へいへいそーですか」


 当の息子のほうは、こんな話題で言い合いになるのも恥ずかしいので、母親の言葉をとりあえず受け入れておく。


「――ねぇ二人とも。晩御飯食べていかない?」


 振り向いた千代美に突然言われ、彩希とカーチャが顔を見合わせた。ちょうどいま、『そろそろ失礼します』と言おうとしていたところだったのだが……。


「どう? いま連絡すれば間に合わないかしら」

「間ぁ…に合うと思いますけど。どうするカーチャ?」

「え、えっと……じゃあ――」


 言いかけたところで、『あっ……』とカーチャの顔が曇る。

 彩希が小声でなにかをささやいた。


(――だって)

(……でも……)

(――でしょ?)

(いやぁ……そうなんだけどぉ……)


 なにやら苦悩するカーチャ。彩希は『気にするな』的なことを言っているようだが、内容は分からなかった。

 そして、


「すみません、今日は大丈夫です」


 カーチャが申し訳なさそうに誘いを断る。


「あら、いいのよ気にしなくて。ごめんなさい、迷わせちゃったわね」

「いえ。でもまた近いうちに」

「もちろん。いつでもいらっしゃい」

「……はいっ」


 千代美の優しい声が効いたのか、カーチャはいくらか明るさを取り戻して答えた。

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