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キングス・エッジ D5D  作者: 土方コウジ
2/21

最初のブリヌイは塊になる ②

「……まったくひどい目にあった」


 ぼやきながらパジャマに着替え、アリシアはふたたびベッドに潜り込む。

 いちど止めた目覚まし時計を六時三〇分にセットすると、彼女はまた眠りの世界へと旅立っていった。

 

 

 ――翌朝。

 あんなことがあった割には、京介は妙にやさしかった。夜間訓練のことは言わないし、にこにこしている。まるきり爽やかな好青年だ。

 朝食は全部彼が作って、おいしいコーヒーまで淹れてくれた。

 二人きりの、幸せなモーニングを堪能する。


「――じゃあアリシアさん、行ってきます」


 制服姿の京介が玄関で振り向き、はにかんで言う。

 

「うむ。気を付けてな」

「ええ。わかってますよ」


 照れくさそうに笑う彼に、不覚にもドキッとしてしまった。

 普段の京介は絶対にこんな奴ではないのだが、アリシアはそれを疑問に思わなかった。

 彼が玄関を開けると、


「おはようございます。お姉さま」

「おはようございます」


 そこには向かいの家に住んでいる京介の幼馴染、真島彩希とエカテリーナ・ヌルガリエヴァが立っていた。

 ふたりは階級も身分も上である自分に向かって、恭しくスカートの端をつまみ上げ、優雅に膝を折ってカーテシーをする。いつも通りだ。


「おはよう、二人とも」


 可愛らしい妹たちに挨拶を返してやると、二人は恥ずかしそうにアイコンタクトを取り合う。

 なんだろうか。手作りのお菓子? それとも愛の告白? まったく、性別関係なくモテるのも考えものだ。

 ふたりは頬を赤らめ、手を後ろに回した。


「お姉さま、えっと、実はね、実は――」


 エカテリーナがもじもじしながら言葉を探す。……やれやれ、これは後者のほうか?


「実は……どっきりなの!」


 急に声を張ると、エカテリーナは両手を広げてとびかかってくる。その手にはなぜか分厚いゴム手袋が嵌めてあり、べったりと白いクリームが付いていた。


「なんっ……!?」


 ろくに反応する間もなく、謎のクリームがべっとりと顔につく。続けて彩希も、


「そーれドッキリー!」


 同じくクリームのついたゴム手袋で、顔を乱暴に撫でまわしてくる。


「ぶわっ!? なにを! 貴様らっ!?」

「行こっ、カーチャ」

「ええ! ばいばいお姉さま!」


 ふたりはゴム手袋を捨てて手をつなぐと、一目散に走っていってしまった。


「待てっ! なぜこんなことを――うっ」


 追いかけようとしたが、急にめまいがして、視界がぐるぐる回る。


「い、いったいなにが……」


 ついには平衡感覚を完全に失って、その場に倒れこんでしまった。

 朦朧とする意識のなか、京介のほうを見ると、なぜかガスマスクをしている。


「うーむ、これはVXガス」

「!?」

「これだから東側は油断ならない。俺も気を付けよう」


 そう言って、彼もすたすたと歩いていってしまう。


「待て、どこへ行く!? 京介!!」



「――京介っっ!!!」


 がばっ! と布団を跳ね除け、アリシアは起き上がった。


「はぁ、はぁ、はぁ……ゆ……夢?」


 肩で息をし、激しい動悸をなだめながら、彼女は直前まで見ていた光景を思い出す。

 覚醒してから内容を振り返ると……すべてがおかしい。夢の中の自分がそれをすんなり受け入れているのが、なんとも恥ずかしかった。

 アリシアがまだ呼吸を落ち着けているあいだに、ドアがこんこんとノックされた。


『おい、呼んだか?』


 どこか横柄な京介の声。夢の中の好青年ぶりとはかけ離れている。

 だがもし本当に自分が倒れたりしたら、彼はどこまでも必死に自分を助けようとしてくれるだろう。どちらがいいかは言わずもがなだ。


「いや、大丈夫だ。すまない」

『……ならいいけど。今日は朝食当番だったろ』

「ああ。いま起きる」

『いや、遅いから俺と母さんで作った。冷める前に来いよ』

「! ……ありがとう」

『いいって、昨日は夜間呼集訓練とやらでお疲れだろうからな。地域住民に配慮して静かにやってくれてありがとよ』

「…………」


 夢の中の優しい京介がひとつ現実になったと思ったら、これである。ため息をついて、アリシアはベッドを出た。

 さっさと整容を済ませて一階に下りると、朝食を食べながら朝のニュース番組を見る。

 もちろん二人きりではなく、自分と佐倉家の三人、部下のマーヤも合わせた五人でだ。少々手狭な食卓を囲い、アリシアは改めて、あれがどれだけ都合のいい夢だったかを思い知った。

 ……いや、おかしい。

 彼と二人きりが都合がいいというのはどういうことだろう。自分にそんなやましい考えがあるはずがない。結婚もしていない若い男女がそんな……。私に限って……。

 

「……ふ、ふふ。ふ」

「……なに考えてんだ、おまえ」


 勝手にニヤけようとする表情筋と戦う彼女を見て、京介が気色悪そうに箸を止めた。


『――続いてのニュースです。今年二月一三日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で起きた北朝鮮前最高指導者の長男、金正男氏の暗殺事件で――』

「あ」


 それまでほとんど聞き流していた朝のニュース番組に、アリシアは思わず声が出た。

 これだ。

 夢の後半、おかしな展開の正体。たしか昨日の夕方のニュースでも、実行犯の女の新証言とかで、詳しく取り上げていた。

 自分が()()()()()()()のは四月なので、第一報は知る由もない。だが五月半ばになったいまでも、こうしてたびたび取り上げられているニュースである。

 傍迷惑な社会主義国家の起こした、センセーショナルな暗殺事件。

 テレビという膨大な量の情報を提供する媒体に慣れ、多くを聞き流すようになった今でも、アリシアはこのニュースに特別な関心があった。

 なにせ自分の世界には元気一杯の、成功している社会主義国家が存在するのだ。

 そのスラヴァスタン・ソヴィエト社会主義王国と、自分たちベルジア王国は、穏やかな内海を隔てて、ずっと緊張状態にある。

 そしてこの世界、西暦世界(アノドミニ)に通じた空間開口部が互いの国で発見されたことで、事態はさらに深刻化していた。

 もとより緩衝地帯としては心許ない内海だったが、こちらはそれどころではない。お互いの首都からこの世界に通じた空間開口部〈門〉は、どちらも民家の敷地の中にあり、五〇メートルも離れていないのだ。

 ベルジアに通ずるこの佐倉家と、スラヴァに通ずる向かいの真島家。あいだにはほのぼのとした公園だけ。

 まったくもって狂気の沙汰としか言いようがない。

 だからこそ、両国ともにこの世界へ監視部隊を送り込み、互いに寝首を掻かれないよう目を光らせていた。

 それが自分であり、向こうではエカテリーナ……いや、ヌルガリエヴァなのだ。

 彼女とはこれまで共闘を余儀なくされた事もあり、いまでは愛称の〈カーチャ〉で呼ぶことも多い。だが――完全に気を許しているわけではなかった。

 夢のなか同様、油断のならない相手だし、そもそも陣営が違うのだ。

 こっちは自由主義陣営(ブルーチーム)、あっちは共産主義陣営(レッドチーム)である。


『――としており、あくまでドッキリ番組の撮影と聞かされていた。相手が誰かは知らなかったと供述しています。共犯の容疑者の存在も、事件発生の時まで――』

 

 鮮やかな暗殺の手口を語るリポーターの声を聴きながら、アリシアは気を引き締めた。



 平日朝、佐倉家でいちばん早く出発するのは優子である。

 彼女はとにかく元気いっぱいで、ケガと忘れ物の多いわんぱく小学生だ。

 そのため出発前に、アリシアが連絡帳を読み上げ、京介がそれを元に忘れ物がないか、ランドセルの中身をチェックする事になっていた。それから二人で『車に気を付けろ』と念を入れて言い聞かせ、この突貫少女を送り出すのだ。

 それが終わって一息つくと、今度はアリシアに見送られて、京介が高校に行く。

 これが最近のルーティーンだった。

 ブレザーの制服を着た京介が、革靴の先をトントンと床につけ、玄関を開ける。

 門扉の前では、彩希とカーチャが待っていた。黒髪をボブカットにした普通の日本人女子高生と、小柄で長い銀髪が特徴のスラヴァ人少女のコンビである。

 夢で見た光景を思い出し、アリシアは思わず身構えた。VXだかXVだか知らないが、もし襲ってきたら返り討ちだ。

 

「おはよう」

「おはよー」


 ふたりとも軽いあいさつで、恭しいカーテシーなどしない。もちろん、手に猛毒のクリームを塗りたくっている様子もなかった。


「おはよ」

「おはよう」


 京介と、サンダルを履いて出てきたアリシアも、いつも通りの挨拶を返す。

 玄関ポーチから続く短い階段を降りる前に、京介がアリシアのほうへ振り向いた。


「んじゃ、行ってくるから。大人しくしてろよ」

「分かっている。気を付けてな」

「はいはい」


 いかにもテキトーに答えながら、彼は道路に出て、二人と合流する。

 アリシアは高校生三人を見送り、その背中が充分遠ざかると――眉根を寄せた。

 カーチャの表情が、どこか暗かったような気がする。努めて平静を装っているが、なにか深刻な悩み事を抱えている、そんな風に見えた。


(……まさか、な)


 一抹の不安を覚えながらも、予知夢など信じるほうが馬鹿馬鹿しいと自分に言い聞かせ、アリシアは家の中に戻っていった。

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