いにしえの法 ②
――盾の間。
先に執政室を出されたバッハとリゴーは後ろ手を組んで、いかにも『面白くない』という顔で広間を歩き始めた。
じつを言えばこの二人、犬猿の仲なのである。
警察と軍。たしかに仲が良すぎるのはよろしくない。ほどよい緊張感があるほうが、お互い襟を正すというものだ。
だから平時においては、これくらいの関係の方が健全である――というのが、両者の表向きの見解だった。
しかし国王からああ言われた以上、この件に関しては互いに協力しなければならない。問題はどう協力するかだが……。
「アンリ、陛下のお言葉を聞いただろう。これは国家の非常事態だ。胸甲騎兵隊の指揮権を渡してもらおうか」
と、バッハ。すぐさまリゴーが厭味ったらしく言い返す。
「なにをバカな。泥棒を捕まえるのだろう? 必要なのは警察官だ。軍人じゃない。そっちこそ応援に来るという二個中隊を警視庁の指揮下に寄越したらどうなんだ」
「盗まれたのは国防上重要な資材だぞ? これは軍が主導すべき事案だ。そして近衛胸甲騎兵隊は軍人だ。平時にお前らに貸し与えているにすぎん」
「だからその資材とは何なんだ!? こうしてわざわざ出向いたのに、私だけ知らずじまいかっ?」
「はははっ。だからお巡りさんには知る必要のないことなんだよっ」
「なんだと!? お前こそ軍人ならその腹をどうにかしろ! 『将校たる前に兵であれ』はどうした? それで戦えるのか?」
両者とも、段々と発言が子供じみてくる。
「小学校のころからそうだな、アンリ。そうやって話をすり替える癖がある。私の腹といまの状況は関係ないだろう」
「お前こそ変わっとらん! 成長したのは腹だけだ。寝小便たれのフェリーめ」
「! まだ言っとるのかっ。あれは汗だ!」
「そうそう、あの時もそうやって顔を真っ赤にしていたな」
「とにかくもう言うんじゃない! 軍の士気に関わる!」
「何度でも言うぞ。寝小便たれの――」
「だからやめんか!」
二人は先祖の名誉が飾られた広間を歩きながら、延々と情けない言い合いを続けた。
――執政室。
「――ですから、鏡そのものが世界を繋いでいるわけではないのです。門は見えないだけで、そこに存在しています。鏡はその空間開口部を固定して、扱いやすくするための物に過ぎません」
「それがスラヴァの門には二つあり、こちらとあちら、両方の出口を固定出来ている――と」
ゲオルクがリヒターの説明に理解を示すと、彼は頷いて続けた。
「その通りです、陛下。スラヴァの鏡は両方とも、ゼニート宮の中に保管されていました。ベルジアの姿見も、もともとは対になっていたと思われます。しかしこの宮殿内には片方しか無く、西暦世界側でも行方不明でした」
「……魔法のない世界では、ただの姿見としか思われまい。事情を知る者がいなくなれば、そこから移されたり、売り払われたりもするだろう」
「はい。しかしこの世界でも、あれの使い方を知る者は限られます。そしてただのアンティークとして、複数の持ち主のあいだを渡り歩くことも珍しくない。我々がアンティグア・エストレマ・レオンの地主の家で見つけたモノも、そうした品のひとつでした」
「せっかく見つけてくれた姿見だ。私も確保できることを願っている」
「私も陛下のご期待に応えられるよう、全力を尽くします。さっそく、これから少佐とともに街へ出て、姿見を盗んだ賊を探す予定です」
「重ね重ね、貴公の協力には感謝する。――少佐、貴官にも期待しているぞ」
「お任せください、陛下」
リヒターとアリシアは改めて最敬礼をしてから、ベルジア国王、ゲオルク三世の前を退下した。
――すこしあと。
あの女性警官にどやされていたソーセージ屋台のオヤジに、別の災難が降りかかっていた。
「これで六マルクぅ? このヴルストがぁ?」
因縁をつけているのは、ベルジア陸軍の軍服を着た女性である。栗色の髪を切りそろえてボブカットにした、快活そうな中尉だ。
「やだなぁ、軍人さん。ただのヴルストじゃないですって。ほらこのハーブの香り! ほら!」
オヤジは必死になって、こんがり焼けたソーセージをぽきっと折ると、肉汁滴る断面を女性軍人の鼻に近づけた。
「すんすん……うーん、まあ確かに。良い香りなのは認めましょう」
「でしょう!? 朝イチで届いた本物のテレジエンブルガー・ブラートヴルスト! そりゃあこれくらいは頂かないと」
「んん、今なんて? テレジエンブルガー・ブラートヴルスト?」
「え、ええ」
女性軍人の態度に『なにかマズいこと言ったかな』と思いつつ、オヤジは自慢の商品に太鼓判を押した。
「間違いなく、テレジエンブルガー・ブラートヴルスト! 正真正銘の本物でさぁ」
「だとしたら、これは昨日作って、今日の朝グランツィヒに届いたと」
「うっ……それは、まぁ」
「“テレジエンブルガー・ブラートヴルストに月を見せるな”まさかソーセージ屋なのにこの言葉を知らないわけじゃあないですよね? 作ったその日に食べるのが、本場の味のはず」
「ちょ、ちょっと軍人さんっ。声が大きいですって!」
オヤジが慌てて女性軍人の言葉を遮る。屋台の周囲にいる野次馬は笑ったり、出しかけた財布をしまったりしていた。
「もうっ、困りますよっ、こっちも商売なんですからっ」
「だからってぼろ儲けもねぇ。こういうお祭り騒ぎで財布の紐が緩んだのをいいことに、あんまり勝手をやられちゃあ、こっちも黙ってらんないですよぉ?」
「や、やだなぁ……ぼろ儲けだなんて。あはは……」
引きつった愛想笑いを浮かべながら『陸軍士官が言う“こっち”ってどっちだ?』とオヤジは思った。が、ここは下手に言い逆らわず、この女性士官に早くお帰りいただいたほうがいい。
なにせグリルの横で茹でている白ソーセージには、『正午の鐘を聞かせるな』などということわざがあるのだが――もうすぐその正午なのだ。そうなったらこの女性士官は『ヴァイスブルストに正午の鐘を~』と言い出すに決まっている。
この騒ぎで降って湧いたせっかくの商機。主力商品二種のたたき売りなど迫られたらたまったものではない。
「よしっ、分かりました! 五マルクに負けましょう!」
「おっ、素晴らしいっ! さすが誠実な商売がモットーのベルジア商人!」
「あと、これは軍人さんにっ。警察のお手伝いなんでしょう? 善良な市民からのささやかなお礼!」
オヤジはさきほど香りを嗅がせるために折ったソーセージを、温めていたパンに挟む。さらにそれを包み紙で挟んで、
「からしはっ?」
「たっぷり!」
「あいよ!」
オヤジは半ばやけくそでマスタードを掬って振りかけ、ずいっと突き出した。女性士官はさっとそれを受け取り、
「ありがとー!」
「ばかもの」
「あでっ!?」
後頭部にいきなりげんこつを食らい、驚いた女性士官は頭を抑えて振り返る。
「!! アリシア……しょーさ」
「職服をまとって市民からタカリとは、どういう神経をしとるのだお前は」
「い、いや、たかってたのはこっちのおっさんで――」
「言い訳するな、カトリン」
アリシアは言いながら、五マルク硬貨一枚をオヤジに差し出す。
「あ、あの……」
「済まなかったな。お代だ。五マルクにするのだろう?」
「は、はい。……どうも」
オヤジはおずおずと手を出し、五マルク硬貨を受け取った。
「あ、あのわたし――」
カトリンは慌てて自分の財布を出そうとする。その隙をついて、アリシアは彼女が持っていたソーセージとパンにかぶりついた。
「わっ!? ……ちょっ、ちょっ!」
慌てふためくカトリンをよそに、そのまま三分の一ほどを食いちぎる。
「んん……んん……ふむ。おいひい」
「ちょっ……仮にも貴族でしょ! だめですよ行儀の悪いっ」
「ひまふぁふんひんだ」
「飲み込んでください!」
「……んっく。今は軍人だ。関係ない」
「軍人でも行儀悪いですって……って、そうじゃなくて!」
「私はいまので充分だ。私が買って、残りはお前にやる」
「あっ……」
ようやくアリシアの行動の意味に気がつき、カトリンはしゅんとした。
「お前の言い分にも一理あるから、今回は見逃してやろう」
「先輩……」
「少佐だ。久しぶりだな。ベルトウからの応援だと聞いたから、もしやと思ったが」
「ええ。ちょうど私の所属する中隊が当直だったので。中隊長のブフナー大尉もプレッツェル片手に、そこらへんぶらぶらしてますよ」
「……変わっとらんな、あいつも」
「見かけたら、無精ひげ剃るように言ってやってください」
「ま、それは今度だ。ちょっとついて来い」
「え? なんですか急に」
「いーから。命令だ、クルーガー中尉」
「ちょ……」
困惑するカトリンの手を引っ張りながら、アリシアは遠巻きに事態を見ていた下士官に声を掛けた。
「そこの軍曹。すまないが中尉を借りていく。ブフナー大尉には『アリシア・ランバートが攫っていった』と伝えておいてくれ」
「は……はいっ」
「頼む」
「えええぇぇぇ」
事態が飲み込めないままのカトリンを連れ、アリシアは繁華街から官庁街のほうへと歩き出した。
――官庁街。時計通り。大陸帝国公館。
オフィスに設けられた応接ブースで、リヒターは報告書に目を通していた。
「なるほど。もとは子爵位で、いまは男爵位か。一応は本物の貴族というわけだな」
「ええ。バースワート男爵家は今世紀初頭の授爵乱発で誕生した、いわゆる新興三〇〇家の中のひとつだそうで」
と、向かいに座った丸眼鏡の公館職員が補足した。
「羽振りが悪くなって降格か」
「当時の成金たちが金で買った爵位ですから、温情もなく降格されたようです。子爵位に叙されるあたり、最初はかなりの資産家だったようですが」
「アルビオンの貴族制度は厳しいからな。その爵位に見合った体面を保つだけの資産が無いと認定されれば、容赦なく降格される。まあ伯爵位まで行けば滅多なことは無いが……。ほう、もとは金属加工会社の経営者一族か」
「ええ。昔はそれこそ剣や甲冑を。近代になると刃物一本に絞り、ダイビングナイフや軍用の刀剣を作っていたようです。子爵になってからは、紋章入りのカトラリーも販売していました。しかし五〇年代には経営難で大手に買収され、子会社化されてしまいます。その大手というのが……」
ど忘れして言葉に詰まる職員に代わり、資料を見ていたリヒターが言葉を継いだ。
「ナイヴズ・オブ・サザリン。名前くらいは知っている。こちらも八〇年代に倒産したな。民需で他社の後塵を拝し、社運をかけた軍用刀剣もトライアルで敗北して」
「そうです。七〇年代まではエクスカリバーシリーズやアロンダイト・ステインレスなどの製造と整備でそれなりに潤っていたようですが、八七年には民営化していたインペリアル・ソードスミス・インダストリーズに事業売却。直後に破産して、子会社の多くはそのまま道ずれになりました」
「……なるほど。ありがちな家名没落の歴史というわけだ」
リヒターは複雑な顔でため息を漏らし、資料の続きに目を通す。
「……現当主、アラン・バースワートは今年で二六歳。貴族院への登院はなし。父親は一七歳の時に病死、か。……だがこの父親の死を暗殺だと主張して、若き男爵は仇を追っていると」
「どうもそういう“設定”らしいですな。……おっと」
公館職員はわざとらしく、口元を手で覆う。
「これはいけない。つい口が滑りました」
「……かまわん。みんな分かっていることだ。相手の悪徳騎士とやらは?」
「こちらに。ヘンリー・レスター、同じような経歴の没落貴族でした」
仇役の資料を受け取ると、リヒターはそちらも淡々と読み始める。その様はまるで、経営改革のために筆頭株主から送り込まれた冷徹なCEOが、何らかの面白くない報告書を見ているかのようだった。
「こちらもサザリンシャー出身。おなじく男爵か」
「ええ。こちらはずっと男爵家ですが、少々歴史の古い家のようで。ナイヴズ・オブ・サザリンの経営者一族と血縁関係がありました。バースワート家とも、事業の関係で交流があったんでしょう。ちなみに悪徳騎士という触れ込みですが、本人はいかなるナイトでもありませんでした」
「……ふむ。アルビオン陸軍を四年前に普通除隊。予備役編入はなく、手当ての等級も下から二番目。ナイトにも叙されていない」
「貴族にしては珍しいでしょう? 公式の記録にはありませんが……まぁ、なにがしかやらかしたんでしょうな」
「お情けで不名誉除隊だけは勘弁してもらえたクチだろう。だいたいの想像はつく。……なんにせよ、お互いたしかに貴族同士、決闘は成り立つわけだ」
「ええ。双方が他人を巻き込まない限り、決闘は合法です。それが証拠に、この両者はもう四〇回近く決闘しています。大陸を旅をしながら、大勢の観衆の前で」
「……決闘と言うより興行だ」
リヒターがぼやくように言うと、職員は吹き出すように笑った。
「ははは。いやまったくです」
「まあとにかく。仇討ちだろうがプロレスだろうが、合法的なショービジネスをやるのは自由だ。……しかしその裏で空き巣を繰り返しているようであれば、見逃すわけにはいかん」
その言葉を聞いて、職員が丸眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
「……やはり、中佐は窃盗団と仇討ち一行がグルだと?」
「だから賊の情報に加え、こうして仇討ち関係者の資料も頼んだ。もちろん証拠があるわけではないが――窃盗団の手際がどうも良すぎる。一方的に利用しているより、連携していると考えたほうが合点がいくだろう」
「なるほど」
「ところで、ここに私が借りられるような人間は?」
問われて、職員は困り顔で頭を搔いた。
「……いやぁ、ここはほとんど我々のような文官だけで、中佐の駒になるような者は。なにせ帝領ヨークトルラントが近いですから、軍人はそちらに。あとは〈ヴァイブリッサ〉の要員が活動してますが……」
「彼らとは連絡もままならんな。ありがとう。向こうにも私が感謝していたと伝えておいてくれ」
言い終えると、リヒターはソファーから立ち上がり、ポールハンガーに掛けてあったコートを取る。
「お時間ですか」
「ああ。さきほど別れたベルジア軍の将校と合流する。私とこの国の協力者で何とかするよ」
「お力になれず。どうかお気を付けて」
「ありがとう。――ところで出してくれたコーヒーだが、なかなかの味だった。どこの物だ?」
「ロドリアです。一袋差し上げましょうか?」
「いや、自分で探すよ。それも楽しみの一つだ」
――カール六世恩賜公園。
「――んで、そこに相手のレスターの使者がやって来て、逆に決闘を申し込んできたんです。大声で果たし状を読み上げてましたよ。『本日一五時、バルドリーニ広場にて待つ。立会人は親愛なるベルジア市民の皆さんだ。今度こそ貴公を愚かな父のもとへとおくってやろー』って」
官庁街の中にある公園のベンチで、カトリンは横に座ったアリシアに、身振り手振りを交えて説明を続ける。
「そしたらバースなんちゃらのほうも、『私は逃げも隠れもしない。貴様の言う愚かな父から受け継いだこの剣で、必ず正義を果たす。レスターにそう伝えろ!』って言い返して。観衆はもう大盛り上がりで」
「だろうな。……うーむしかし、今日到着して、さっそくか」
アリシアは公園の時計に目をやる。
「一五時。あまり時間はないな」
「お昼食べて一息ついたら、すぐですもんね。どっか行きます? もしかしてもう食べちゃいました?」
「……あのな、お前は見物客じゃないだろう。さっきのヴルストで済ませておけ」
「ええ~無理ですよっ。もたないです! っていうか緊急出動ってことで中隊みんなお昼代もらってるんですよ。使わないと返さなきゃいけないじゃないですか!」
「なにを情けないことを」
「情けない!? 情けないと言いましたか! これが小市民の感覚ですっ。どーせ貴族様にはわかりませんよっ! 悪かったですね平民で!」
「……ああ分かった分かった。私が悪かった」
アリシアが頭を抱えて謝っていると、
「待たせたな。少佐」
待ち合わせていたリヒターがやってきた。ベンチに掛けていた二人は、すぐさま立ち上がる。
「いえ。賊の情報は?」
「ああ。多少の収穫はあった。――そちらは?」
「私の後輩でして、たまたま雑踏警備の応援に来ていたので、仲間に引き入れました」
「カトリン・クルーガー陸軍中尉です」
「よろしく」
カトリンが敬礼すると、リヒターがくだけた答礼を返す。
「彼女から聞いたのですが、決闘開始はどうやら一五時のようです」
「らしいな。さきほど公館から、警視庁と国家憲兵隊宛に、賊の手口を伝える使いを出したところだ。一四時までには、警戒中の捜査員にも伝わるだろう」
「それは良かった」
アリシアはぱっと声を弾ませ、続けた。
「バースワート卿も自分の仇討ち旅が盗賊に利用されているとなれば、さぞ悲しむでしょう。ここで必ず捕え、亡きお父様の仇討ちに集中していただかなければ。……それに早く仇を取らないと、ひそかな恋心を抱いてずっと一緒に旅しているナタリーとモニカが、あまりに不憫です。幼馴染か、同じ仇を追う戦友か。バースワート卿も心苦しいでしょうが、そこはしっかり選んで、責任を取っていただかないと」
「…………うん」
後半、妙に熱っぽく語った彼女を見て、リヒターは慎重に言葉を選んだ。
「あー、少佐。なんだ……きみはいわゆる……ファン、なのか? 仇討ち一行の」
「あ……い、いえっ。そういうわけでは……」
アリシアは頬を赤らめ、手を振って否定する。
「なんと言いますかその、取っている新聞に、彼らの動向が載っているものですから。それを見ているという程度の話でして。けっして熱中しているとか、そういうわけではありませんっ。このご時世に仇討ちなどと、なにを時代錯誤な、と思っているのが関の山で。だいたいアルビオン、ガリア、リグリア、トロイセン、ハプスブルク、東西ルベール、アルケルク、帝領シエラマリオン、アンティグア・エストレマ・レオンと来て、このベルジアまで決着が付かないというのは、情けないというか、もっと頑張れというか、その程度の認識でしてっ、はい!」
「……ふむ。あくまで興味は無いというのと、その割にだいぶ詳しいのは分かった」
リヒターが引き気味で言い、カトリンも白けた視線を送る。ふたりは『っていうか新聞で報道されている“秘めた恋心”ってなんだよ』と思ったが、口には出さなかった。そういう設定が、こうして女性ファンの心も掴んでいるのだろう。
「あ、あの勘違いされているようですが、私はホントに――」
アリシアがさらに反論しようとしたその時。
『なんだぁ!?』
と、遠くから声がした。一同があたりを見渡すと、公園を歩いていた何人かが空を見上げ、なにやら指さしている。通りにいた人々も空を見て、互いに驚きをあらわにしていた。
「!」
アリシアも空に目をやり、すぐにそれに気が付く。
「……空中……艦」
空高く、しかしはっきりと形がわかる高度で、それは飛行していた。アーモンド形の船体と、左右には大きく膨らんだ張り出し部。かなりゆっくりとした印象で、音もなく空を滑っていく。
「……ゲーゼル級じゃないですか? 帝領ヨークトルラントの。だってほら、北西から南東に向かってますよ」
そういうカトリンの口調にも、いくらかの緊張が見て取れた。
帝国主力空中艦――ゲーゼル級は、大陸でもっともポピュラーな空中艦だ。しかし通常は、こんな人口密集地の上を飛ぶことはない。威圧的だし、万が一と言うこともある。
ふたりと同じように空を見上げながら、“帝国の人間”リヒターが告げた。
「ご名答だ、中尉。ゼーロスコービン海軍基地所属の艦でね。ちょっと急ぎの用事で、最短距離を急行している。その航路上に、ここグランツィヒがあるというわけだ。不安にさせて申し訳ない」
「はぁ」
「心配しなくとも、事前に通達は行っているはずだ。……少なくとも直前には」
「……まあ味方の艦ですから。市民はちょっとびっくりでしょうけど」
「ああ。そのために――」
言いかけたリヒターの視界に、小さな矢尻が複数飛び込んでくる。それは空中艦より飛び立ち、ずっと低高度に降りてきた飛行箒の小編隊だった。遠目だと矢尻に見えるのは、操縦士が羽織るマントが広がっているからだ。
空飛ぶ箒の飛行隊は菱形の陣形を取ると、各騎を繋ぐように光の線を走らせる。するとその中に、大きな魔方陣が描き出された。
実際のところそれはなにかの術式というわけではなく、所属を明らかにするための、言わば旗だった。
「――ああして地上に味方であることを知らせる」
「……コーニンクレッカ・ルフトマハトゥ。帝国空軍の、ゼーラント王国部隊ですか」
でかでかと空に描き出された国旗と文字を読み、アリシアが言った。
「そうだ。ゼーロスコービン空軍基地には、ゼーラントとトロイセンの部隊が常駐している」
「これは異例のことです。どのような用件で?」
「それは言えないが――」
リヒターがアリシアの耳に顔を近づけ、ささやく。
「ゲーゼルの左右に付いた張り出し部を見るんだ。小さいが、筒のようなものが見えるだろう? 」
言われるがまま、アリシアは視線を空に戻し、目を細める。確かに、それらしき凹凸が見えた。
「……ええ。あれは?」
「ミサイルランチャーだ」
「なっ……!? それは向こうの――」
「静かに」
思わず声が大きくなったアリシアを、リヒターがとどめる。カトリンが不思議そうに首をかしげた。
アリシアは努めて声を殺し、
「どういうことですっ?」
「ゲーゼル級にはいくつか種類がある。この世界の大砲や魔力式の武器を装備した公にできるバージョンと、ああして西暦世界の先進兵器を装備した、極秘のバージョンだ」
「……なぜ、そんなものがこの空を?」
「あのタイプの艦は、ふつう大陸沿岸の帝国直轄領に配備され、めったに人前には出ない。だが内陸の帝領パシュカイークでちょっとした事件があって、戦力増強のために急行している」
「……パシュカイーク、砂漠地帯に? いったいなぜです」
「それも言えない。だが覚えておくんだ。意外なほど身近に、あの世界から来たものは存在している。君はそれを知り、その秘密を守るべき立場になった」
「…………」
言うだけ言って、リヒターは彼女の耳元から顔を離す。それからカトリンに向かって、
「すまなかったね、中尉。感じの悪いことをしてしまった」
「いえ。軍人ですから。知るべきことと、そうでないことがあることくらい、わきまえています」
「そうかね」
微笑み、彼は続けた。
「では昼食にしよう。お詫びというわけではないが、奢らせてもらうよ。もちろん中尉も。都合はいかがかな?」
「はーい。お供しまーす!」
元気よく即答するカトリン。アリシアは彼女を手でさし、リヒターに告げた。
「彼女は昼食代を支給されているようなので、自腹で大丈夫です」
「ちょ、なんで余計なこと言うんですかっ!」
「さっきのお返しだ」
「んもー! 貴族なんだからもっと広い心を持ってください!」
「お前は貴族に夢見すぎだ。もうただの一般人だぞ」
「有名ブランドが『使ってください』ってタダでバッグやらコートやら持ってくるのが一般人ですか!」
「だからそれは我々に宣伝してもらおうとだな――」
「一般人の私のとこにはそんなもん来たことありません~っ!」
そんな言い合いを見て、リヒターが吹き出すように笑い始める。
「ははは。まあいいから、今回は奢らせてくれ。そのかわり店選びはお願いするよ。仕入れた情報をもとに作戦を練りたいから、落ち着いた雰囲気の場所で頼む」