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キングス・エッジ D5D  作者: 土方コウジ
10/21

君と僕とこの町と ④

 京介は道路に出ると、またスマートフォンを耳にあてがう。

 アリシアが出ることなど期待していない。掛けたのは――


『――もしもし? なんかトラブったみたいね? 見てたわよ』


 ワンコールで電話を取ったカーチャは、どこか楽しげな声だった。



 路上で最初に猫を発見したのは、文芸部のチームだった。そこへ剣道部が現れ、手柄を独り占めにしようとしたのだ。彼らが荒っぽく猫を取り押さえていると、今度は謎の白人女性が現れ、剣道部員一名を無力化、猫を奪っていった。

 いま剣道部員の三人は、有り余る体力でその女性に猛追を掛けている。

 

「くそっ」

「速えぇ……!」

「なんで猫が付いていくんだ!?」


 そう。白人女性は猫を抱えるのではなく、一緒に走っていた。

 犬ならまだわかるが、猫とこんなことができる人間など居るのか? 自分たちはなにか得体の知れないものを追いかけているのかもしれない。

 段々と大きくなるその懸念は、次の瞬間、確信へと変わった。


「!」

「マジかよっ」


 T字路の突き当り、向こう側が駐車場になっている金網のフェンスを、女と猫が並んで軽々飛び越えてしまったのだ。

 フェンスに手を掛けて飛び上がり、綺麗に脚をそろえ、ひょいっと。猫も一回金網に足を掛け、難なく駐車場側へ着地する。

 造作もなくやってのけたが、フェンスの高さはどう見積もっても一七〇センチ以上。あんな芸当、男の体操部員でもむりだろう。

 

「なんなんだよあいつっ」

「追うぞっ」

「いや待てっ!」


 さらに追おうとする剣道部員たちを、仲間のひとりが制止する。


「んだよっ、早くしないと――」

「逃げてるからなんとなく追ってるけど、立ち向かってきたらどうする?」

「え?」

「ばかっ、坂本があっさりやられたんだぞっ。んでもってあの身体能力だ。やべえって」

「た、確かに」

「でも――」


 答えが出ず、フェンス際で立ち尽くす剣道部。

 アリシアはそれに構わず、まばらに車の停まった駐車場をさっさと抜けようとするが――


「いたぞっ」


 駐車場出入口側の道路から、わらわらとガタイの良い若者が現れ、その前に立ちふさがった。

 総勢五人。坊主頭やスポーツ刈りで、顔つきも軟弱な若者と一味違う。


「じゅ、柔道部……」


 フェンス越しに剣道部がつぶやく。

 豐秋黌の剣道場と柔道場は隣り合っているので、五人とも見知った顔ぶれだった。

 豐秋黌の柔道部は代々強豪で知られ、現役の彼らも歴代の柔道部員に負けず劣らずの猛者たちである。

  

「なにか用か?」

 

 その威圧感にまったく動じず、アリシアが一同に訊ねた。

 戦隊ヒーローのように並んだ柔道部の、真ん中の坊主頭が口を開く。


「その猫は我々が保護することになっていますので、こちらに」

「断る」

「なぜです」

「さあな。一度だけ忠告してやる。そこを退かないと無事では済まんぞ」


 たちまち柔道部員の顔つきが険しくなった。

 若くて血気盛んな彼らは、それでもでなんとか、柔道を喧嘩に使ってはいけないという、大前提の戒めを自分に言い聞かせる。

 まさか。自分たちが路上で。か弱い女性相手に手を上げるなど……。


「いいですか、我々は――」

「退かないんだな」


 アリシアは堂々歩いて間合いを詰めると、無造作に蹴りを放った。

 スカートの中で予備動作を済ませたその一撃は、真っ直ぐで、速くて、とにかく予想外だった。


「おっ……!?」


 どてっぱらにつま先が刺さり、リーダー格の坊主頭は腹をおさえて前かがみになる。

 アリシアは相手の太い首を見て、また脚を使うことにした。

 コンパクトでキレのある回し蹴りが弧を描き、軌道上にあった坊主頭の顎を打ち抜く。

 脳を揺すられ、坊主頭は一言もなく頽れた。


「な……!?」

「ちょっとあんた……!」


 掴みかかろうとした右のスポーツ刈りの腕を取り、相手の勢いを利用して地面にたたきつける。あまりの速さに、柔道部員のスポーツ刈りはまともな受け身すら取れなかった。

 そこから、金網を隔てた剣道部員の前で、柔道部の面々は赤子同然に捻られていった。



『うああああああっ!!』


 ――と、野太い叫び声が聞こえてきて、京介は立ち止まった。

 そう遠くない。一つブロックを隔てた月極駐車場のほうだ。


「っ、向こうか」


 直進しようとしていた目の前の十字路を、悲鳴の聞こえた右に曲がる。

 そこで、左から直進してきた彩希とカーチャと鉢合わせになった。彩希は部屋着にパーカー姿。カーチャはロシアの不良(ゴプニク)がこよなく愛するアディダスの黒ジャージを羽織り、デニムのミニスカートを穿いている。


「カーチャっ、彩希も来たのか」

「京介っ、いまの悲鳴って!」

「なにやってんのよあのバカ……」

「こっちだ!」


 三人は住宅街を走る。道すがら、カーチャが並走する京介に訊ねた。


「そもそもアイツ猫と関係無いでしょ、なんで暴れてるわけ!?」

「知らねぇよっ。とにかくあの馬鹿を止められるのは俺たちだけだろっ」

「ったく、彩希も私もいい迷惑だわっ。アンタしっかり手綱を握っときなさいよ!」

「悪かったな! ――彩希、今度バカ異世界人のしつけ方を教えてくれ!」

「うん!」

「彩希っ? 否定してよ!」


 そんなやり取りをしつつ。三人はもうひとつ角を曲がり、駐車場の入り口へ到着した。


「!」

「きゃあ!」

「……うっわ」


 死屍累々。

 いや本当に死んではいないが、駐車場内はひどい有様だった。

 屈強な柔道部員が脂汗を浮かべてへたり込んでいたり、尻を晴天に突き出して突っ伏していたり。果ては車のボンネットにうつ伏せになって、ぴくぴく震えている者までいる。


「井上っ」


 京介は、さきほどの悲鳴の主と思われる柔道部員に駆け寄る。

 高校指定のジャージを着た井上は、分厚い身体を情けなく丸めて地べたに座り込み、左肩を抑えて唸っていた。


「ゔうぅ……わりぃ。ほかの部より先に捕まえようと……。待機の指示を無視して、このザマだ……。掴みかかったら、あっという間に、肩をはずされちまった。川崎も木村も、まるで子ども扱いで……うぅ」

「バカ野郎っ、瞬殺されるって言ったろうが。ありゃアスリートどころじゃない。中身はほとんどターミネーターだぞ」

「は、はは……き、綺麗なお姉さんだったけど、確かにそうだな。ありゃバケモンだ」

「それで、あいつと猫はどこに行った?」

「それが――」

「ここだ」


 頭上から降ってきた声に、京介たちは顔を上げる。

 駐車場横の工務店兼住宅の屋根に、いつの間にかアリシアが仁王立ちになっていた。隣にはキジトラ猫が、古くからの相棒のように佇んでいる。


「まだやるか?」


 彼女が井上に眼光鋭く言うと、

 

「……! う、うわぁあああ!」


 彼を含めた柔道部員たちは、半狂乱になって逃げていった。

 続けて京介とカーチャ、彩希までも、アリシアは冷たく()め付ける。

 

「この私を遠ざけて、学友と愛玩動物の狩猟に興ずるとは。見損なったぞ京介。二人も」

「っ、なに人聞きの悪いこと言ってんだっ。降りてこい!」

「こっちはアンタが大暴れしてるっていうから呼ばれたのよっ。いい歳してなにバカやってんの!」

「アリシアさんっ、なんか誤解してますって!」


 口々に言われても、アリシアは態度を変えず、


「動物を意味もなく虐める輩と話すことはない。わたしの力を見て逃げだした連中のように、さっさと消えるんだな」

「はぁ? なに言ってんのよ」

「……剣道部か。最初に追ってたのはあいつらだったな」


 京介があたりを見渡す。フェンス越しにいた剣道部の三人は、柔道部がなす術なく制圧されるのを見て、すでに逃げた後だった。


「忠告はした。それでも貴様らが猫を狩るというのなら、私が貴様らを狩る。造作もないことだ」

「にゃー!」

「…………あのな」


 一人と一匹にそこまで言われると、本当に密猟者にでもなったような気分になる。

 京介は頭を振り、


「……よく聞けアリシア。俺たちゃ、なにも猫をとって喰おうとしてんじゃないんだぞ」

「ではなぜこのコを追い回す」

「あー……。だからな、野良猫をこれ以上増やさないように、そいつを動物病院で去勢して――」

「なんだと」


 アリシアの顔がいっそう険しくなる。

 京介はなだめるような口調で説得を続けた。


「おちつけ、去勢したあとは地域の有志で面倒を見るつもりだ。たしかに手術するのは可哀想かもしれないが、猫が増えすぎたら、困るのは猫自身なんだ。そいつはまだ若い。近所の雌猫をはらませたらたらどうする? その子がまた子供を作ったら? 猫は多頭出産動物だが、人間とちがって働かないし、家だって建てない。危険だらけの野良生活を生き延びられる子猫が、いったいどれだけ居るってんだ? 俺たちはそうした悲劇を減らそうとして――」

「ふっ、戯言を」

「……んだと」


 長広舌を遮ったアリシアの嘲笑に、今度は京介の顔が険しくなる。


「そこまで猫のことを考えているなら、絶対にありえないことを貴様は言った」

「なに……?」

「このコは雌だぞ。それにもう若くない。毛並みを見れば分かるだろう」

「……っ!」


 そこで。


「あっ、居た!」


 先ほどまで剣道部がいたフェンスの向こう側に、山田さんが小走りであらわれた。

 右手には猫用のケージを持ち、左手は『ぐわしゃん』とフェンスの金網をつかむ。


「ちょっと京介くん! あなた一体どのコを追っかけてるの!?」


 普段の姿からは想像できないほど鬼気迫る様子の山田さんに、


「へっ!? いや、どのって……」


 京介は呆気にとられながら、屋根のうえを指差した。

 山田さんはその猫を見るなり、


「きみちゃん!」

「き、きみちゃん?」

「あれはきみちゃんよ! 前から公園にいたでしょ! 分からないの!?」


 分かるかい。と思ったが、あとが怖いので口には出さないでおいた。


「左耳をよく見てっ、カットされてるでしょ!」

「……あ」


 たしかに。アリシアと一緒にいるキジトラは、左耳の先がV字にカットされていた。これは不妊手術を受けた地域猫の証だ。その耳の形状こそ、彼らが〈さくら猫〉と呼ばれる所以である。

 彩希とカーチャも目を凝らし、


「ホントだ、ちょっと京介」

「なによ。まさかの猫違い?」

「……う」


 さすがの京介も言葉に詰まる。勘違いで暴走する異世界人と、それを食い止める正義の一般市民という構図は、ここに崩壊した。


「私が捕まえてって言ったのはこっちの猫ちゃんよ」


 追い打ちをかけるように、山田さんが持っていたケージを掲げた。

 中には耳の欠けていないキジトラの猫。どこか凛々しい顔を見ると、『ああ、公園にいた雄猫だ』と思う。それから屋根の上の猫を見ると、顔つきがなんとなく女の子っぽい。見比べると、結構違うものだ。


「じ、じゃあ――」


 京介が言いかけたとき――

 がしゃーん!

 突如アリシアが雌のキジトラを屋根に残し、山田さんの目の前、それも幅数センチしかない金網フェンスのふちに飛び降りてきた。

 牛若丸は弁慶と相対したとき、ひらりと欄干に飛び乗ったというが、それを彷彿とさせる離れ業である。


「きゃ!」


 思わず身をすくめる山田さんから、アリシアは一瞬でキジトラの入ったケージを奪う。

 そのままふたを開けると、キジトラが『にゃーん』と彼女に飛びついた。

 

「返すぞ」


 空になったケージを山田さんに放り投げ、アリシアは再び跳躍。空中でくるりと一回転し、駐車場側に着地した。それから胸元にしがみついたキジトラと、親しげに頬をすり合わせる。


「わぁ……」

「かわいい……」

 

 彩希とカーチャは、思わず感嘆した。


「あ、あなたっ……」


 ケージを地面に落とし、山田さんが両手でフェンスに縋りつく。


「そのコを返してください!」

「できない相談だ」

「去勢手術をしてあげないといけないんです!」

「それはこちらでする。そのために戻ってきたのだからな」

「……へ?」

「は?」

「え?」

「はぁ?」

「にゃ?」


 全員が目を丸くするなか、駐車場の前に佐倉家のインプレッサが停まった。

 助手席側の窓が開き、千代美が声を張る。


「いた~?」

「いましたぁー」


 アリシアが答える。


「アリシアさーん、ケータイ車の中に忘れてるわよ~」

「……あ、すみませーん」

「おかげで探したわよ~」

「すみませぇん。いま行きます~」


 そう言ってから、アリシアは京介に向きなおり、


「そういうわけだ。ではな」

「どういうわけだよっ!?」

「先ほどイオンのフードコートで、優ちゃんと一緒にこのキジトラを飼えないか千代美さんにお願いしたのだ。無事許可が下り、確保するために探していた。どうやらそちらも同じ目的だったようで安心したが……。模様が似ているだけの雌猫を誤認するとは。猫愛がたらん証拠だな」

「な、なんでそんな話になってんだ……?」

「このコはもともと私に懐いて、駅の近くからウチの前の公園まで来てしまったのだ。そのことを千代美さんに話したら、あっさり飼っていいと言われた。今日から家族だから仲良くしてやってくれ」

「初めて聞いたぞそんな話っ!」

「初めて話したからな。ああそうだ、名前なんだが、なんとわたしと優ちゃんが同じ名前を考えていてな。それが採用されて〈ピート〉になった」

「……優子が好きだった絵本の猫か。なんでお前もピートなんだ?」


 まさかロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を読んだわけでもあるまい。


「ピートは泥炭のピートだ。元は半世紀前、アルビオンのモニックリッジ蒸留所でネズミ捕獲の大記録を打ち立てた、伝説のウイスキーキャットの名前でな。それにあやかった。……では、これから動物病院に行ってくる」


 それからアリシアはあらためて、肩の猫に『お前はピートだぞ』と告げ、あごの下を撫でる。ピートはごろごろと喉を鳴らし、満足そうだった。

 彼女は先ほどの殺気が嘘のように微笑むと、さっさと車のほうへと歩きだした。

 

『――もしもーし。おーい、京介ぇー?』


 ポケットの中から、ウォーキートーキーが呼び掛けてくる。


「……どうした?」

『どうしたって。とりあえず、みんな公園に戻ったぞ』

「了解。悪いがそのまま待機しててくれ」


 京介はどうにかそれだけ言うと、無線機をポケットに戻した。


「…………マジかよ」


 間抜けな顔で、京介は遠ざかるアリシアの背中を見送る。インプレッサの後部座席では、優子が窓に噛り付くようにして目を輝かせ、近づいてくるピートくんに見入っていた。あの様子では、たとえ自分ひとりが飼育反対をさけんでも、妹を大泣きさせて非難轟轟が関の山だろう。

 

「ああ……つくねちゃん」


 フェンスの向こう側で、山田さんが崩れ落ちる。どうやら名前も決めていたらしい。

 京介の視線の先で、キジトラがインプレッサに乗せられる直前で逃げようとした。本能的になにかを感じ取ったのだろうか。

 しかしあっさりとアリシアの腕に絡めとられ、必死のじたばたも虚しく、抱きかかえられたまま車の中におさまってしまった。

 これから彼の身に起きることを考えると、同じ男としてなんとも言えない気分になってくる。

 

「じゃあねみんな~。京介~、ちょっと遅くなるから洗濯物取り込んどいてね~」


 最後に千代美が言い残し、インプレッサは低いうなり声を上げて走り去る。まさに嵐のような一幕だった。

 

「……いいなぁ京介。ウチお父さんが猫アレルギーなんだよね」


 彩希が羨ましそうに言う。

 いまだ呆然とする京介のパーカーの裾を、カーチャが上目遣いでくいくい引っ張った。


「……ねぇねぇ、こんど猫ちゃん見に行っていい? いいでしょ? ねぇ――」



 屋根からすべてを見届け、雌のキジトラ、きみちゃんは音もなくその場を去った。

 忘れっぽい猫の記憶の中に、ちらりと幼い我が子の姿がよぎる。

 優しい人間の老夫婦に預けた、自分とよく似た模様の、あの子猫。

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