第二話 「近衛兵」
第二話 「近衛兵」
夕暮れ時、沈む夕日が既に廃園の数年前から廃墟と化していたホテル・エンパイアに斜陽を注ぎ、不吉な長い影を落としていた。フェンスわきの雑木林の中には、廃材などと一緒に、苔むして蔦に覆われた明治天皇と乃木大将、東郷平八郎と西郷隆盛らの胸像が向かい合って並んでいる。かつて、園内に配置されていた偉人の胸像たちがここに無造作にうち棄てられているのだ。雑木林の中からは、やかましく鳴く油蝉の声に紛れて蜩の鳴く声も響きはじめている。
その雑木林と工事用のフェンスの間の道を、一人ゆっくりと歩く男が居た。無精髭の男の虚ろに落ち窪んだ目には、何も語るものがなく、ただある一点の目的だけを目指しているようだった。
しばらく、男は工事用のフェンスに沿って腰をかばいながら足を引きずるように歩き、ちょうど工事用関係者入り口の柵の前まで来ると、そこの鎖にかかっている南京錠を手に取り、左右を見て誰もいないことを確認してから、繋ぎの作業着のポケットの中からその鍵を取り出して、南京錠を開けた。そして身を中に滑らして、再び柵の内側から手を出して南京錠をかけた。
男は、しばらく夏の夕暮れの遊園地の中で茫然としていた。夕暮れの日に照らされて、放置され、錆び付いた遊具たちの姿は、まるで今の自分自身そのもののだと男は感じていた。
そして、なるべくそれらの朽ち果てつつある遊具たちを見ないようにしながら、男はある場所に向かっていた。しかし、ところどころ割れたアスファルトの間から雑草が生えつつある地面を、俯きながら歩いていると、男はどうしてここに辿り着いたのだろうかと、自分の人生を振り返らずにはいられなかった。彼の人生そのものが、このドリームランドのあらゆるところに散りばめられていたからだった。
だから、彼はここを人生を締めくくる場所に選んだのだった。
そして、顔をあげて周囲を見回すと、かつての賑やかな頃のドリームランドの姿が、彼の目には見えるのだった。また、彼の耳にもその頃の、子ども達の歓声と笑い声が聴こえてくるのだった。
その中年の男は、二〇〇二年二月に閉園するまで、このドリームランドに二十五年以上勤めていた。かつては、今のようなみすぼらしい恰好ではなく、安作りではあったが、赤い英国近衛兵の制服を着て、黒い熊皮帽を被り、凱旋門で、微動だにせず立っていたのだった。本場イギリスの近衛兵と同じように、どんなことがあっても表情一つ変えず、立ち続けることでちょっとした名物になった時期もあって、彼と一緒に記念写真を撮る人々で行列が出来たことすらあった。あるいは、堂々と胸を張りながら大旗を持ち、パレードの先頭に立って、衛兵鼓笛隊を引き連れもした。
そんな日々が、彼の中で目まぐるしく、蘇っていったが、確かに目の前にあるのは、朽ち果て、あるいは既に撤去されてしまった遊具たちの残骸だけだった。中央広場までやってくると、ドリームランドで一番子ども達に愛されていたおじさん、榎本さんのミュージックエキスプレスが見えてきた。ミュージックエキスプレスはただ、円形に連結されたコースターが緩やかに上下動しながら、ひたすら回転するだけのシンプルな遊具だった。
そして、男はこの乗り物にかつて、自分の子ども達と一緒に楽しんだ日々を思い出していた。彼の子ども達は、ドリームランドの中で一番このミュージックエキスプレスが大好きで、何度も何度も飽きずに繰り返し乗ったことを思い出していた。
榎本さんは、かつて結婚していた時期もあったらしいが子どもはいなかった。それで榎本さんは、同僚である彼の子ども達を自分の子どもか孫のように可愛がってくれたのだった。
榎本さんは、派手なラメ入りの金色の帽子とスーツに大きな赤いスパンコールの蝶ネクタイ、それに不釣り合いな生真面目なサーモントフレームの眼鏡といういでたちで、いつも子ども達に囲まれる園一番の人気者だった。そしていつも、子どもと同じ目線に降りてきて頭を撫でながら「大黒さんとこの、坊ちゃんとお嬢ちゃんは、いつも良い子だねぇ」と無条件に褒めて、必ず二人にパイン飴をくれるのだった。それが嬉しくて、二人の子ども達は、いつも入園ゲートをくぐると、真っ先に榎本さんのミュージックエキスプレスに駆けつけた。
榎本さんは、今どこで何をしているだろうか。
この大黒和良には二人の子どもがいる。いや、正しくは「いた」と言うべきだろう。彼は、ドリームランド閉園と共に失業し、そして半年後には家族をも失ってしまった。
息子と娘にはもう二年近く会っていない。別れた当時、息子は中学二年生で、娘は小学五年生だったから、それぞれもう、高校生と中学生になっているはずだった。
妻と子ども達とは、この遊園地から車で十五分ぐらいの藤沢の田園地帯に住んでいたので、仕事が休みの日でも、社員割引の年間パスで、よく遊びに来ていた。
彼にとっては、子ども達の存在が全てだった。子どもたちと一緒に、時には妻も伴って、職場でもあるこの遊園地にいた時間が彼にとって、短かったが本当に幸せな季節だった。
しかし、そうした季節は、いつの間にか色付いてやがて枯葉になった木の葉が全て葉を散らすように終わった。しかし、ドリームランドが閉園にならなかったとしても、いずれ終わりはやってきたのだろうと今になって彼は思う。かつての彼にとっては、枯れることのない常緑樹のように、そうした季節は永遠に続くものと思っていたのだが。
長男は小学五年生の頃、地元の藤沢の野球チームに所属したいと言って、それに夢中になってからは、もう一緒に遊園地に行ってはくれなくなった。それは、成長と共にいずれはそうなるだろうと思っていたことであったし、むしろ息子の成長の証でもあって喜ぶべきことなのだが、急に息子が遠いところに行ってしまったような気がして、心強く思うと同時に、寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、それは和良が知り得ないところで、息子の俊雄が、遊園地で働く父親を誇らしく思うことが出来なくなった、ある理由があったのだった。
それは、俊雄が小学校五年生の時、学校で「私の働くお父さん(またはお母さん)」という無神経な題の課題作文が出された時であった。その時まで俊雄は、大好きな遊園地で働いている父を誇りに思っていた。生真面目な俊雄はその宿題の作文を正しく書くために、一人でドリームランドに父親の様子を放課後、自転車に乗って見に行ったのだった。一人だけで遊園地に行くのは小学五年生とは言え、初めてだったし、内緒で行って父親を驚かせたいと思っていたので、俊雄は最初、凱旋門の物陰から父親の姿を見ていた。凱旋門の下でカッコいい制服を着て立っている父親の姿は、誇らしかったはずだった。
しかし、その時、父親の俊雄は学校の行事で来ている高校生の一団に取り囲まれていた。ドリームランドの近衛兵は、本物の英国の近衛兵と同様に、どんなことがあっても微動だにせず、黙って、表情も崩さないことが絶対条件だった。それは、記念写真を撮るだけの客の場合は何も問題がなかったが、こうやって、周りでふざけて笑わせようとしたり、場合によっては「バカにしているのか」と怒り出すような厄介な客も僅かながらいた。和良にとっては、そんなことは慣れっこの日常だったのだが、その様子を遠くから窺っていた良夫にはそれは、とても見ていられない光景だった。
まだ幼い俊雄には、お父さんが、大きい怖いお兄ちゃんたちにイジメられている、という風にしか見ることが出来なかったのだった。特に、その高校生たちは、いかにも当時で言う「不良」という風体で、いかにして全てをバカにしながら、内輪で「ウケ」を取るかということしか考えていない連中だった。その連中は、最初こそ、変な顔をして和良の顔の目の前に突き出したりしているだけだった。何をしても、彼らは「ウケるー」「やべんじゃね」と言ってゲラゲラ笑っているだけだった。そのうち、彼らの悪ふざけはエスカレートして、直に生尻を出して突き出したり、しまいには「なめてんのか、コラ」とドスをきかせた声で、掴みかかる真似をする者までいたが、こうしたことに慣れっこの和良には、いつも通り何の動揺もなかった。しかし、俊雄はとても見ていることが出来なくなって、すぐにその場を逃げ去ったのだった。そんなことがあったとは、父である和良は知る由もなかった。
そして、俊雄はその作文をとうとう書き上げることが出来ず、その作文発表の日は仮病を使って学校を休んだのだった。それ以来、俊雄は父親の働く遊園地には、もう行けなくなったのであった。取りたてて、父親に対する反抗というのでもなかった。父親を嫌いになったのでもなかった。ただ、惨めな父親の姿を見てしまったことで、自分の一部分が切り取られたような痛みに耐えられなくなってしまったからだった。だから、休みの日には、遊園地にもう連れてかれなくて済むように、大して得意でもなかったのだが、野球がやりたいと嘘を言って地元のリトルリーグに所属させてもらったのだった。それ以来、中学でも野球部に入って、毎晩遅くまで野球に明け暮れていた。
そして同じように離婚した頃、小学五年生になっていた娘の和恵も、もうドリームランドへの関心は失っていた。和恵は少し背伸びをしたがるませたところのある子だったこともあり、このような地味な雰囲気の遊園地には関心を持ちにくかったのかも知れない。和良には、とても耐えられないことだったが、和恵の関心は、横浜の丘陵地帯にあるこの素朴な遊園地ではなく、浦安の埋め立て地に出来た「テーマパーク」の方に向いているらしかった。
無理もない、と和良は思うが、娘からも見捨てられたように思えていたたまれなくなった。和恵は、その千葉のテーマパークのキャラクターの筆箱を欲しがったが、父親がそれを内心忌み嫌っていることを察していて、父親にはそのことを隠していた。「それを持っていないと、学校で仲間外れにされる」と言って、最終的には母親に買ってもらったものの、父親の目には入らないように気を付けていた。何度か、浦安に連れて行ってやろうかと思ったのだが、どうしても和良には、そのテーマパークが持つ無菌的で、感動の押し売りをされるような雰囲気が好きになれないのだった。実は、オープンして間もない頃、まだ子どもも生まれていないときに、妻と二人で行ったことが一度だけあったのだった。確かに、圧倒的にアトラクションの質(アトラクションなどという横文字を彼はそこで初めて知った)や雰囲気、いずれもドリームランドよりも優れていたし、スタッフの訓練も行き届いていた。だが、何かマニュアル通りのよそよそしい雰囲気と、ここで感動し、ここで笑えと押しつけられるような演出に和良は耐えられなかった。その「テーマパーク」の園内では、妻がせっかく作ってくれた和良の大好物のカレイの煮付けの弁当は食べられないらしかった。いったん外に出て食べろ、と言われて腹を立てた彼は、園外に出てそのまま帰路についたのだった。妻はそれなりに楽しんでいたようだったが、その時はかえって腹を立てた彼に気を遣ってくれるほどには、夫婦の絆はまだ堅かった。
ある日、仕事から帰った時に、そのネズミのメスのキャラクターの筆箱が、居間の炬燵の上にあるのを見つけた。和良はその時、新しい筆箱を買ったのか、と思っただけで特段気にもかけなかったのだが、父親がそれを見つけたことに気付いた和恵は、真っ赤な顔になってとっさにその筆箱を奪って背中に隠したのだった。
和良にとっては、その娘の動作が何よりも辛かった。娘にこのような、気を遣わせてしまっている自分が情けなかった。
「どうしたの、気にしなくていいんだよ。可愛い筆箱じゃないか」
そういって、娘の気持ちを和らげたつもりだったが、きっと表情まではそうは語っていなかったのだろう。そのまま娘を涙目にさせてしまったのだった。そんな自分が彼は情けなく思っていた。
そんな事があって以来、自然と娘ともドリームランドに行くことはなくなってしまった。
和良は、それでもこの単純に回転するだけのミュージックエキスプレスで、かつての幼かった息子や娘たちと、飽きもせずに何度も何度も繰り返し乗った時の姿が、マイクから流れてくる榎本さんの優しさとのこもった「ヘーイヘイヘイ、ヘーイヘーイ」というしわがれ声とともに、目に浮かぶのだった。
夏とは言え、夕闇が濃くなってきた。朽ち始めている遊具たちにかかる陰も濃さを増していき、そのまま闇の中に消えようとしていた。それを眺めながら、和良は
「俊雄、和恵」
と子ども達の名前を無意識につぶやいていた。
しばらくの間、そこに茫然と立ち尽くしていたが、やがて彼は再び踵を返して、再び目的地に向かった。
この遊園地は、閉園して閉鎖された後、すぐに解体工事に入るはずだったのだが、その解体の資金すらこの遊園地の運営会社にはままならなくなった。そのため、買い取り手が解体も請け負うことを条件に売りに出したものの、未だに買い取り手が決まらず、解体途上で多くの引き取り手のなかった遊具がそのまま放置されているのだった。
そんな中を、俯いて歩いていると、ふと和良の目に工事用の白いヘルメットが一つ落ちているのが目に入ってきた。それは、この廃墟の中にあって、あまりにもその中に溶け込んでおり、彼でなければ気付くことすらないようなものだっただろう。しかし、こうして自らの手によって自らの人生を締めくくる覚悟が出来た今、彼の中でそのヘルメットに目を留めさせる何かが動き、再び彼の中の記憶を呼び覚ましていた。
彼は、その古びて汚れた何の変哲もないヘルメットをゆっくりと両手で拾い上げた。
その時、彼の中で蘇ってきたのは、遠い昔の、短い学生時代の記憶だった。それは、苦い思い出でしかなかった。出来る事ならば、二度と思い出したくないことだった。
あの頃は、こんなヘルメットを被って、角材を振り回せば、世界をユートピアに出来ると思っていたのか。何て、馬鹿で愚かで無知だったんだろう。夢の国なんてどこにもあり得ないのに。ただの世間知らずだっただけだったのだ。何が「カクメイ」だ。
和良はそう思った。
彼は、何とか横浜の県立高校を卒業した後、一年の浪人生活を経て、東京の外堀沿いにある大学に進学した。彼の両親は、彼が十歳の時に離婚し、父親に引き取られて、実際にはその父親の両親である祖父母に育てられた。しかし、その祖父母とて、孫を可愛がるでもなく、彼をむしろ厄介者のように扱ってきた。
そして彼は、心底その実の父親を憎んでいた。離婚の原因も、父の酒癖の悪さと妻、つまり彼の母に対する暴力が主だった。そして、父親は離婚後まもなく、横浜・伊勢佐木町のスナックのホステスと再婚したので、父親の浮気もあったのだろう。父親に親権はあったものの、一緒に暮らしたわけではないので、その継母とも接点はなかったし、子ども心にも、父親が正しくないことぐらいは理解していた。その後、継母との間に女の子も生まれたが、殆ど他人同然で、腹違いの「妹」と呼べるような交流は一切なかった。
彼は、幼いながらも母親から引き離されることを必死で拒んだのだが、元々母親自身は、東京の孤児院で育った女性で、身寄りも後ろ盾もなく、横浜一の繁華街に土地を持つ地主の息子である父親とその両親との力関係は歴然としていた。そしてまた、彼の母と、彼の父方の祖父母との関係も悪く、そもそも結婚の時から一方的に「育ちの悪さ」を理由に反対し続けていた。故に、離婚が決まった後は、父親というよりも祖父母に強引に引き取られたのだった。祖父母に言わせれば、生活力のない母には引き取らせるわけにはいかないという強引な姿勢だった。慰謝料も何もない形で、父が母を追い出した形だったが、息子である和良には、母の勝手なふるまいで浮気をして居なくなったのだと、嘘を言い聞かせてきていた。俄かには信じられない和良がそれ以上、母の事を聞こうとすると、父は逆上して暴力を振るった。和良は母親の事をそれ以上詮索することは出来なかった。
以来彼は、自分は母親に裏切られたのだ、見捨てられたのだ、置き去りにされたのだ、という思いを信じたくなくとも、どこかで抱きながら生きてきた。祖父母にも、本当に心を開いたことはなかったし、父親については心底憎んで、いつか殺してやろうとすら思っていた。
祖父母は、財産はあるようだったが、良く言えば倹しい、悪く言えば吝嗇な暮らしをしていた。伊勢佐木町一帯の地主だったので、戦争の時の空襲被害こそ大きかったようだが、戦後もその土地代からの実入りだけで暮らすことが出来ていた。畢竟、その一人息子であった彼の父は、甘やかされて、それを食い潰すだけの堕落した人間だったし、戦後も米兵や「パンパン」と呼ばれる娼婦たちがたむろするこの街では、地元で遊んで堕落するためのきっかけは幾らでもあった。
だから、必然的に彼の行動原理は、父親とは違う道を歩くこと、父親と同じような生き方をしないこと、になっていった。父親は、所謂「学」のない人間だった。それは学歴という意味だけではなく、知性という意味でも軽蔑すべき人間だと常に感じていた。
故に、商業高校を中退した父親と自分は根本的に「違うのだ」ということを証明するためだけに、大学に進学をしたと言っても良かった。しかし、それは順調に進んだわけではなかった。父のような自堕落な生活を嫌ってはいたものの、ではどうすれば良いのかは分からなかった。それを教えてくれる人も、手本となってくれる人も、見本となる人も彼の周りには誰も居なかったのだ。祖父母は、癇癪を起こしてばかりで心を通わせたことはなかったし、小遣いには困らなかったが、それをどう使えばいいのかまでは教えてくれなかった。
結果、中学二年頃には一通りの「悪さ」を覚えることになった。伊勢佐木町は、彼のつるんでいるグループの縄張りで、万引き、恐喝、暴行、窃盗、暴走行為、何でもやった。
祖父母は、蛙の子は蛙だと言って、息子に続いて孫までも道を踏み外してしまったことを事あるごとに嘆いていた。
しかし、そんなことをしながら高校を何とか卒業させてもらったものの仕事をする気もなく、いつものように夕刻、目的もなく伊勢佐木町をぶらついていたある日のことだった。その時、彼は「マリーさん」と呼ばれる老娼婦とすれ違ったのだった。「マリーさん」はこの辺では誰でも知っている、フリルのついた純白のドレスをまとって、白粉を歌舞伎役者のように塗り、表情も分からないほどに厚化粧をした異形の老いた娼婦だった。彼の視野の中で彼女は、ゆっくりと伊勢佐木町通りの繁華街の雑踏の中をこちらに向かって歩いていたが、その異形の姿は遠くからでも目についた。そして、その決して初めて見るわけではない、むしろ見慣れた「マリーさん」の姿は「何者でもない」その時の彼にとって、彼をその場に立ち尽くさせたのだった。ひとり凍り付いていた彼を気にもかけず、彼女はその表情も全く読めない漆喰の壁のような顔のまま、やや腰を曲げて薄汚れた大きな荷物カートを引きずりながら彼の前を去って行った。
この町でヤクザにでもなろうかと漠然と思っていた彼を音もなく稲妻が落ちたような衝撃が走った瞬間だった。それは、まるでこの街に囚われて、年老いていく未来の自分自身の姿を目前に突きつけられたかのようだった。
そして追い打ちをかけるように、ふとその時、脇目に見えた百貨店の野澤屋のショーウィンドに映った自分の姿が、ずっと憎み続けてきた父親の姿そっくりだったことに気が付き、愕然としたのだった。
その日、すぐさま彼は踵をめぐらして横浜駅前の予備校に入学書類を取りに行き、一年間で、数年分の猛勉強をして、何とか大学に進学することが出来たのだった。
これで、自分は一人暮らしをしながら、勉学に勤しみ、「あいつら」とは違う人生を歩めるはずだと、悠々と日本武道館で入学式を迎えたその晴れがましい日々も、結局長くは続かなかったのだった。
それは、彼自身の中にある拭いきれない烙印のような闇がそれを引き寄せてしまったのだろうか。彼が大学生になった一九七五年頃は、既に学生運動はピークも過ぎ、下火になっていたのだが、その大学には未だに過激な新左翼団体が根を張っており、内ゲバによる惨殺事件が続いていたのだった。特に、大学構内にあった「学生自治会館」と呼ばれる常に煙草の煙に燻された建物は、至る所にアジビラが何層にも重ね貼りされ、アジ看板が立て掛けられており、混沌とした「巣窟」という言葉が最も相応しいような建物だった。
そうしたことに疎かったということもあるだろう、和良は、入学式の後に声を掛けてきた時代遅れの長髪、髭のヒッピー風の先輩に連れられるまま、その組織に足を踏み入れてしまったのだった。また、大学生になったとは言え、未だに人を射るような目つきで、体制に対する反感のようなものが隠し切れずに滲み出ていたが故に、見込まれたのかも知れない。また、彼もまた父親の血に対する意識から、自分は「インテリ」であると、無理に思いたがるところがあって、そんな彼には「マルクス主義」や「トロツキスト」だとか、「総括」や「革命」などといった言葉が特別新鮮に感じられたのかも知れない。そして、彼自身もまたこの現実の世界に絶望した人間の一人として「ここではないどこか」に理想郷を見出して、ありもしない夢を追ってしまうという素質があったのかも知れない。
結局、彼は大学生活がようやく一年を経ようという頃、時代遅れの学生運動の波に飲まれ、先輩に連れられるまま、セクト名を書いたヘルメットを被りゲバ棒を持たされ、高田馬場駅のガード下で、対立党派の学生のリンチに加わったのだった。彼はその時、その誰ともわからない、個人的には恨みも何もない学生の脇腹に落としたゲバ棒から伝わる、生身の身体を痛めつける感触を今でもありありと思い出すことが出来た。その学生は命だけは助かったらしいが、その後自分が痛めつけた学生がどうなったのかは、知らなかった。
この事件で彼を含め連名で警察に逮捕、主犯でないことから起訴猶予処分ではあったが大学は二年生を迎えることなく退学処分となったのだった。
さらに、この事件によって、もとより望むところではあったのだが、父や祖父母からも勘当されて、一切身寄りも後ろ盾もない立場となってしまったのだった。
いったい俺は何をしているんだ。
この頃から、彼の立ち直りかけたように見えた人生は再び狂わされていった。結局、自分は幸福になど永遠になれないのか、と確信に近い諦めすら感じるようになっていた。
しかし、捨てる神があれば拾う神がいた。
和良に残った唯一の希望は、その頃に大学で知り合った女性、後に妻となる佳苗の存在だった。たまたま、同じ哲学の授業を取っていて、テスト前にノートを借りたお礼に食堂で定食を奢っただけだったのが、なぜかその時、不思議と意気投合して、いつしか男女として付き合うようになったのだった。彼女は、決してお世辞にも美しい女性とは言えなかった。他の学生からのあだ名は「おふくろ」で、下膨れの顔への揶揄もあっただろうが、母性的でその呼び名を嫌がりもしないおっとりした穏やかな性格が、自然とそう呼ばせたのだろう。そして、おそらく和良にとって、佳苗は自分がどこかで求めていた「母」の姿そのものだったのかもしれない。
こうしてドリームランドに自分の人生を終わらせようとして来ている自分が改めて振り返ると、佳苗と出会えたことだけでも幸運なのに、その上、結婚までしてくれたことは奇跡に近いように思えた。まして、自分は彼女を全く幸福になど出来なかったにも関わらず、それどころか、自分の不甲斐なさから不幸へ落とし込めてしまったのだ。ただ、今は申し訳ないという気持ちだけだった。しかも、自分は本当に佳苗を愛していたのだろうかと考えると、それさえも自信がなかった。
ただ、母親のように受け入れてくれる佳苗に甘えて、自分の中で求めていた母親の姿をそこに見ていただけではないのかと、今は思うのだった。
それでも、一九七〇年代後半、まだ日本の経済も調子が良かったころ、二人でよく彼女の下宿先があった下北沢の始発までやっていた喫茶店で、珈琲一杯で夜通しお互いの夢や将来の事を語り合ったことも懐かしく思い出せる。しかし、和良はその当時の夢といっても、ただ「俺はビッグになる」というだけで、どうやってなるのかは何一つ未確定だったことを振り返って、自分の幼さを恥じた。その佳苗は、和良が大学を退学処分になっても、見捨てることなく助け続けてくれたのだった。
俺はなんてことをしてしまったんだ。最低の人間だ。やはり、生きている価値などない。そう、彼はヘルメットを震える手で持ちながら思い、そして、そのヘルメットをかなぐり捨てた。
俺は、そんな妻さえも、自らの過ちによって失ってしまった。なんて馬鹿な奴なんだ。救いようのない馬鹿だ。彼はすぐそばにあった、ドリームランドのマスコット、イギリス近衛兵のマンガのキャラクターが描かれたボックス型のゴミ箱に崩れ落ちるように寄りかかった。
ドリームランドが、閉園になると発表されてから、素直に再就職先を探せばよかったのに、不器用な彼にはそんなことは出来なかった。最後の日までただ目の前の仕事だけに精一杯取り組むことしか考えていなかった。あるいは、そんな綺麗事を振りかざしているだけで、真剣に向き合うべきことからただ逃げていただけなのかもしれない。なぜなら、現実的に五十代にも近づこうという歳で、遊園地で働くこと以外何も知らない自分が再就職できるような場所は、簡単に見つかるとはとても思えなかったし、探そうという気力など湧いてこなかったのは事実だからだ。
閉園まであと半年ほどになってきた頃、向き合うべき現実から逃れるため酒を痛飲して、泥酔して帰宅することが多くなっていった。そして、彼は最も自分が憎んでいた人間にまた、近づきつつあることに気付き、更にまたそれを忘れようとして、酒を痛飲していた。
さすがに、再就職の活動もせずに、毎晩泥酔して帰ってくる旦那に普段は小言も言わなかった穏やかな妻が、業を煮やして「ねぇ、あなた、いい加減にして、新しい仕事探したら」と言ったその頬を、和良は無意識に反射的にひっぱたいてしまったのだった。結婚どころか、付き合って以来こんなことは初めてだった。自分が瞬時何をしたのか、分からなかった。
彼は、その時小刻みに震えながら、項垂れて、その掌を見続けていた。
その時、何かが決定的に崩れ去っていく音が彼には聞こえたようだった。
妻は、吹っ切れたように手早く荷物をまとめ、子ども達を連れて妻の実家に行ってしまった。その時の、妻と子どもたち二人の凍りつくような冷たい目が今でも脳裏から離れない。酔っていたとはいえ、決して踏み越えてはならない境界線を踏み越えてしまった彼は、二度と元には戻れないことを悟ったのだった。
和良は、再びあの時に過ちを犯してしまったその掌を見つめていた。そして、しばらく見つめたのち、寄りかかっていたゴミ箱を両手でひっくり返した。
そのまま、ひざまずいて、嗚咽した。
あの時、彼の中で何かが崩れ去ったのは、家族との繋がりだけではなく、自分はあのクソ親父とは違うんだ、ということだけを求めて生きてきたにも関わらず、それでも彼にかけられた呪縛はやはり何処まで行っても憑いてきていたのだということだった。自分が、幼い頃に記憶している忌々しい、酒に酔って母親を殴る親父の姿そのものに自分がなっていること。いつでも殺してやりたいと思っていた人間に、自分がなってしまっていたことだった。
彼は、そのままひっくり返ったゴミの中でのたうち回った。夕日の赤色は更に強みを増して、いよいよ消えようとしていた。そして、周囲が闇に鎮まった頃、和良の動きはようやく止まった。そのままゴミにまみれて消えてしまいたかった。
どさくさ紛れに、無意識に掴んだ右手の中には、コンビニのパンの袋が握られていた。中には、黴だらけのアンパンが固くなっていた。その手の感触から想起されるものは、彼を更に追い詰めるものだった。
出ていってから三日後には捺印済みの離婚届を携えて、妻がやってきた。彼女の能面のような表情からは、もう和解する余地が微塵もないことが読み取れた。彼にはもう何も言葉がなかった。その時、彼が軽い目眩を起こしたのは、その離婚届が日付こそ改めて記入されていたが、その紙自体はやや古びて、とても最近書き入れたものには見えなかったからだった。
自分の中では、それなりに父親がつとまっていると思っていたのは思い込みだったのか、と目の前が文字通り霞んで真っ暗になった。
その時は彼女が示した条件をただ項垂れたまま受け入れることしか出来なかった。その時に彼がいた藤沢の家も、佳苗の実家が所有する貸家だったので、当然自分が出ていかざるを得なかった。養育費はいらないから、子どもたちの親権は妻が持つと言われた時は、さすがに、項垂れた頭をとっさに上げずにいられなかったが、それを拒むだけの生活力はどこにもないことを思い出し、再びゆっくりとその頭を下げるだけだった。子ども達に会うこと自体は、直接拒まれはしなかった。しかし、自分が妻を殴った後に家を出ていく時の、二人の子どもたちの冷酷な目が思い出されると、とてもそのような気持ちにもなれないのだった。
結局、どこにも身寄りはなかったが、生まれ育った土地の横浜・伊勢佐木町で、一間のアパートに移り住んだのだった。ただ、自分の実家に頼るのだけは避けたかった。祖父母はとうに亡くなっていたが、老いた父がどんな生活をしているかなど知りたくもなかったし、遠い昔ではあったが、向こうにとっても都合よく勘当させられたのだから、彼に選択の余地はなかった。
程なく、ドリームランドは閉園となった。あれだけ、仕事にこだわりを持っていたにもかかわらず、全てを失っていた彼には、驚くほどあっさりと、その日はやってきた。もはや、何の感慨も感じることが出来なくなっていた。彼の中で、出来ることならばこの遊園地と一緒に消えてしまいたいという思いだけが強くなっていっただけだった。この時既に、その日の為に、彼は従業員用の裏口にかかる南京錠の鍵のスペアを作っておいたのだった。それでも、彼が今日まで生きながらえてきたのは、自分の家族への執着を振り切れないからだった。自分が見捨てられたのだが、もしかしたら、再び家族としてやり直せる日が来るかもしれないという一縷の希望だけが、唯一の支えだったのだ。
そのためには、何より生活を安定させることが必要だった。閉園となり、失業してしばらくは、呆然としながら、雀の涙の退職金と失業保険を銀色の玉に替えて、それが失われていくのをただ茫然と眺めていたが、いつまでもそんなことを続けるわけにもいかなかったし、榎本さんが度々心配して電話をくれたので、ようやく重い腰を上げる気になったのだった。榎本さんは、既に定年を過ぎていたので、再就職の心配はなかったが、閉園直前に離婚した和良のことを、身内のことのように気にかけてくれていたのだった。
「大黒さん、辛いかもしれないけど、人生山あり谷ありだよ。きっと今度は山が来るよ」
と、内心、山も谷も試練にはかわりないな、と思いながらも励ましてくれていることが嬉しかった。それで、ようやく園の運営会社からの斡旋もあって、ドリームランドと同じ横浜市戸塚区にある巨大なパン工場に勤めだしたのだった。
しかし、末端ながらも人々に「夢」を与えていた仕事からは、あまりにかけ離れた仕事に、最初は躊躇するばかりだった。基本的に勤務は夜勤で、三秒ごとに流れてくる菓子パンの塊を夜通し、ただ製造ラインに流していく仕事で、昼夜は完全に逆転した。パンの発酵した臭いで蒸し、暑い密室で、チョコレートやソースの強い匂いに包まれていると、仕事が終わるころにも食欲は全く湧いてこなかった。仕事帰りに、焼酎を買いにコンビニエンスストアに寄っても、わざわざパンが置かれている棚の前を避けて通るほどの嫌悪感だった。
幸い転職にあたって、せめてもの償いのつもりか会社が融通をきかせたので、正社員を前提とした契約社員としての採用とはなっていたが、当分の間は日雇いバイトと同じ仕事をしてもらうとのことだった。始めこそ職場に溶け込もうと努力したが、誰しも全身が白衣で包まれたところにマスクをしているので、誰が誰なのか区別がつかない上に、日雇いは次から次へと人が変わっていくので、次第に人間関係にも関心がなくなって、ただ、目の前のパンを処理することだけを考えるようにするようになった。ここに流れているパンは、全て同じパンで、ここで働く人間も、本当は一人ひとり違う人生を歩んでいるはずなのに、そんなことは関係がなく、あくまでも製造ラインの一部品に過ぎないのだと、毎日毎日、骨身にまで思い知らされたのだった。むろん、仕事をすることが、楽しいことばかりの訳がないことも、辛いことに耐えるからこそお金を頂けるのだという事も、頭では充分理解していたつもりだった。だとしても、毎日の仕事は、身体はもちろん、魂が削られているような気持ちだった。自分の替わりは幾らでもいて、自分でなければ出来ない仕事などそこには何一つなかった。機械に替わりが務まることすらあった。少なくとも、ドリームランドに勤めているときは、自分の居場所は確かにあったし、自分と同じ志をもった仲間がいたし、お客さんや子ども達の笑顔が目の前にあったし、自分にしか出来ない仕事も達成感もそれなりにあったのだ。しかし、そこにはその全てが無かった。
しかし、それでも一生懸命働いていれば、いつかは、家族を呼び戻して、また一緒に暮らせる日が来るのだと、信じていたからこそ耐える事が出来ていた。
一度、そんな中でもようやく仕事に慣れてきた、勤め始めて一週間ぐらい経った頃、製品にならなかった出来損ないのパンだけは幾らでも貰うことが出来たので、ビニール袋一杯にパンを詰め込んで、藤沢の妻と子ども達が住む家に向かったことがあった。あの時は、再就職して何とか生活を再建したことを妻に見せて、見直してもらいたかったのかもしれない、夜勤明けのままの早朝、思い立って始発電車に乗って藤沢の妻の実家に向かっていた。しかし、目的地が近づけば近づくほど、なぜ今自分はこんなことをしているのか分からなくなっていき、気持ちは沈鬱になる一方だった。小田急線の駅を降りる頃には、当初の浮ついた気持ちは見る影もなくなっていた。ただ、夜勤明けで気分がうわずっていただけだったのだと気付き呆然としていた。ただそれでも、一目だけ、子ども達の顔を覗くことでも出来ないだろうかという希望を持って、その角を曲がれば妻の実家だというところまで行ったのだったが、結局その角にあったゴミ集積所に、散々迷った末パンを捨てて、帰って来てしまったのだった。
そんなことがあっても、何とか頑張り続けていれば、希望はあるだろうと思って一年半は耐えたのだが、先に限界が来たのはむしろ身体の方だった。予想以上の重労働と年齢的な限界が全て、腰への致命的な負担となっていたのだった。元々腰痛を抱えていたので業務上の労災として認定されず、しばらく給料なしの休職扱いになら出来ると言われたが、既に心の方も同様に限界が見えていた彼にはもう、仕事を続ける気力は残っていなかったのだった。
これでもう、彼の中には希望も何も残っていなかった。空っぽだった。ブリキのおもちゃの兵隊には、パン工場のロボットは務まらなかったのだ。
痛めた腰を押さえながらようやくゆっくりと立ち上がった彼には、最後の目的地に向かう前に、一つだけ見届けておきたい場所があった。それは、彼が自分の仕事として、誇りを持ってやっていた、その場所だった。ベルトコンベアで流されるパンを、ただ見詰めるだけの仕事でもない。自分が努力することで、目の前の子ども達の笑顔を見ることの出来る仕事だった。
まだ、薄く残る日差しにぼんやりと輪郭を浮き立たせている凱旋門が見えてきた。かつて、自分が勤め始めた頃は、この凱旋門を大勢の幸せそうな、希望にあふれた笑顔と歓声がくぐり抜けて行ったのだった。もちろん、今目の前にある凱旋門は蔦に覆われ、ペンキやコンクリートが剥げ落ちて、凱旋門というよりも南米のジャングルの奥地で発見された古代遺跡のようですらあった。
彼は、その凱旋門に近づくと、その右手を伸ばし、そっとその柱に触れた。そして、彼の体は反射的に近衛兵として、かつて自分が微動だにせず立っていたその場所に「気を付け」をさせたのだった。かつては、その周りに記念写真を撮るために、人々が列すら作った場所だ。今は、そこにただ、闇があるだけだった。
しばらく、彼はそうしていた。
そして、五年ほど前、まだドリームランドが閉園することなど考えもしなかった時、自分が見た幻想だったのかもしれない記憶を突如思い出した。
彼が、このドリームランドに就職したのは、偶然であり必然であった。彼は大学を退学処分になってから、頼み込んで佳苗の下宿に転がり込んでいた。その彼女が大学に行っている間に、畳で寝タバコをしつつ、たまたま目に入った新聞の求人欄に、遊園地勤務の募集を見つけたのだった。しかし彼は、その求人欄にその遊園地の名前を見たとき、タバコの灰が顔に落ちるまでそこから目が離せなくなってしまった。そのドリームランドという名前が、彼の中の奥深くにある何かを揺り動かしたのだった。予想も期待もしていなかった建築現場から古代の遺跡が見つかった時のように。
そして、彼はその場で飛び起きるや否や、彼女の部屋に転がり込んだ時に持ってきた唯一の彼の荷物であった、ボストンバッグを押入れの中から取り出し、更にその中からゴミのような茶色い塊を取り出した。
しかし、それはゴミではなく、輪郭のある人形のようだった。ボロボロになった猿の人形だった。その猿の目は虚空を見つめながら胡坐をかいて、両手で何かを抱きかかえるような手をしている。しばらく、彼は黙って、そのボロボロの猿の人形をちゃぶ台の上に据えたまま見つめ続けていた。
彼の中で、この「ドリームランド」という遊園地は特別なものだった。彼が十歳の時に、両親が離婚する直前、そのことは何も知らされないまま、突然母が、遊園地に連れて行ってくれると言って、まだ出来たばかりの、今よりももっと広くて、文字通り夢の国だったこのドリームランドに初めて連れてきてくれたのだった。
あれは一九六六年の六月だった。確か、ビートルズが来日した年だったと記憶している。これもまた、出来たばかりの大船発のドリームランド行きのモノレールで行ったのも覚えている。大阪万博よりも先駆けて、未来都市を駆け抜けるマシンを連想させた、その跨座式モノレールは田畑が広がる丘陵地を随分とゆっくりとしたスピードで走ったのに過ぎなかったのだが、少年誌の未来予想図からそのまま飛び出してきたかのようなその姿は、当時の子ども達を夢中にさせるには充分だった。しかし、そのモノレールは、半年ほど運行したところで設計ミスと重量上の問題から、運輸局から運行停止を通達されてしまう幻のモノレールとなってしまうのだが。
まさか、今生の別れとは露知らず、思いがけず初めて連れて行ってくれた母と二人きりの遊園地は、文字通り彼にとって夢のような世界だった。十歳の頃の記憶であるがゆえに、その詳細は曖昧で、はっきりと思いだすことが出来ないが、その日、母は精一杯のおめかしをして、一張羅の着物も着ていた。
そして、普段は倹約家で、甘いものと言えば大学芋ぐらいしか食べさせてくれなかった母がこの時ばかりは、こわいくらいに優しくて、アイスクリームでもソーダ水でも何でも買ってくれたことははっきり覚えていた。その「こわさ」は、彼にとって最悪の形で具現化してしまう事になるのだが。
しかし、その夢のような一日も夕闇に包まれて終わろうとするとき、普段はねだってもねだっても、決して頭を縦に振ろうとしなかった母が、出口にある「ドリーム銀座」というアーケード商店街の一番正面にあった、土産屋にまで連れて行ってくれたのだった。そして、母はそこで見つけた、当時としては珍しい「ドリームペッツ」と呼ばれる、おがくず詰めのぬいぐるみを買ってくれたのだった。和良は、その時「ダッコちゃん」が欲しいとねだって裾を掴んでいたが、母はその土産屋で見つけた、決して安くはない、その猿の人形をじっと黙って見つめていたのだった。何か、感慨深げにそのぬいぐるみをじっと見つめていた横顔は、記憶に残っている。
そのぬいぐるみは、二匹で一組になっていて、猿なのかオランウータンなのか定かでないが、子猿が母猿に抱っこされて座っているというものだった。大きさは、二つ併せても掌に乗せられるほどの小さなぬいぐるみだった。母は、その母子の猿のぬいぐるみを見つめてこう言った。
「かずちゃん、お母さんがお守りを買ってあげるね。お母さんには、この子猿ちゃんが、大切なお守り。それで、このお母さん猿は、かずちゃんのお守り。かずちゃんも、お母さんも申年だからね」
と言って、買ってくれたのだった。
確かに、ダッコちゃんよりも、精巧に出来ているそのぬいぐるみは和良も即座に気に入ったので、嬉しかった。ただ、記憶に残ったのは、母がその猿のぬいぐるみを買うときに、帯に挟んだがま口からお金を取り出した時に、なぜか、目に溜まった涙を拭いていたからだった。母は鼈甲縁の分厚い眼鏡をかけていたのだが、その眼鏡を押し上げて、白いハンカチで目を拭っていたから余計に目立った。まだ、幼くて、両親が離婚する前の最後の思い出作りに連れてきてくれたことなど知らない彼には、母には相当無理にお金を使わせてしまって、泣かせてしまったのだと、子ども心に申し訳なく思い、深く記憶に刻まれたのだった。
彼の父は、飲んだくれて暴れるような人間だったので、当時彼は、当然母親の方を慕っていたし、頼りなさはあったものの、まさか自分だけを置いて出て行ってしまうなどという事は考えられなかった。もっと後になって、力関係上も父方の祖父母が強く、頑として親権を譲らなかったのだということを知ったが、それでも母が自分を見捨てて出て行ってしまったのだ、という現実が突きつける心の傷だけは、根深く抉られたまま癒されることはなかった。どんなに、貧しい苦しい思いをしてでも、自分も一緒に連れ去って欲しかったと、後に彼は母を恨みさえしたのだった。その後、再婚したのか、どこに住んでいるのか、誰も教えてくれなかったし、調べる事も出来なかった。だが、高校生になる頃になってようやく父方の祖母が、母が東京の足立区に一人で住んでいるらしいことを、教えてくれたが、その頃の彼はもう今更会いたいという気にはなれなかったのだった。
それでも、最後にドリームランドで買ってくれた、お守りの母猿だけはどうしても捨てることが出来なかった。むしろ、捨てられた直後の幼い頃の彼は、本当につらくて耐えられない時、その母猿に話しかけることで、何度も慰め助けられていたのだった。つっぱっていた普段の彼の振る舞いからしたら、誰もが想像もしない姿だったし、絶対に人にその人形を見せることをしなかったが、密かに彼はその母猿を大切にしていたのだった。
彼が、佳苗の下宿で一人ボストンバッグから取り出したのは、十年以上大切にしていた母猿のぬいぐるみなのだった。裁縫なども得意でないながら、自分で継ぎ接ぎをしてきた。勘当されて、荷物を持ち出すときも、これだけは忘れずに持ってきていたのだった。
まだ、人手不足の高度経済成長期の頃だったから、大学中退の高卒でも遊園地に就職することは難しくはなかった。
そして、彼が今、凱旋門の前で思い出している記憶は、佳苗が大学を卒業してから籍を入れ、十年ほど経ち、ようやく一人目の子どもがお腹に宿った頃の記憶だった。
その頃には、彼の仕事も板につき、凱旋門に立つ近衛兵として、ちょっとした名物にすらなっていたし、いわゆるバブル景気の頃で、このドリームランドも週末になると家族連れで大賑わいだった。いつも通り、正面ゲートである凱旋門に立っていると、入園券を買った家族連れが、記念撮影などをしながら、このゲートをくぐっていったのだが、その時、彼の目に一人の老女の姿が目に飛び込んできたのだった。ひどく腰が曲がっていたが、週末の混雑した中でも、殆どの客が家族連れやカップルなのに、たった一人でその老女は遊園地にやってきているようだった。短い髪は全て白く、鼈甲の眼鏡をかけて、掠れたような紺色の紬を着ていた。
まさか。彼の目は自然とその老女を追いかけていた。しかし、本場、イギリスの近衛兵と同様に、どんなことがあっても微動だにせず立ち続けなければならない彼には、何か気になることがあっても、振り向くことや目線を泳がすことはもちろん、まして声を掛ける事など出来ないのだった。
それはもしかしたら、母との二十年ぶりの再会になったのかも知れなかった。しかし、十歳までの朧気な記憶の中の母の顔と今目の前にいる老女が本当に同じ人間なのかと問われれば、自信は持てなかった。しかし、もし同一人物だったとしたら、その着物と鼈甲の眼鏡も、おそらく二十年前に着ていたものと全く同じだったのではないだろうか。それは、バブル景気のころの原色がきついファッションが周囲を取り巻く中で、かえって異彩を放っていた。
そして、いくら二十年以上会っていなかったとしても、ここまで老けているはずはない、人違いだ。今日の俺はどうかしているだけなんだ、という気持ちもあった。
しかし、彼には知る由もなかったのだった、彼女が腰を痛めながらも無理をして働きづめ、女として着飾ることも、白髪を染める事もしなかったせいで歳の割にひどく老いて見えるようになってしまっていたことを。
彼の母、寿子は息子を夫とその祖父母に奪われ、半ば追い出されるように離婚した後、行く宛のないまま出身の孤児院があった足立区に戻り、南千住にある役所で清掃員をやっていた。元々、家族親類が殆どおらず、器量もあまり良くなかった彼の母は離婚後も再婚することなく、一人で暮らしていたのだった。
彼の目の前まで、その老女がやってきた時、仕事の鉄則を破ってでも、余程声を掛けようと思った。しかし、どうしてもそれが出来なかった。それは、もしも、人違いだったら近衛兵としての自分の仕事を放棄することになるということ、そして、母がこんなみすぼらしい姿で老いさらばえてしまっていることを受け入れたくないということ、さらに、母を慕っていたとは言え、過酷な家庭環境に取り残されることが分かっていながら、自分を置いて出て行ってしまったことへの消すことの出来ない憤りの気持ち、こうしたものが渦巻いて、結局声を掛ける事も振り返る事も出来ないまま、彼の視界からその老女は消えていったのだった。
「おじさん、どうして泣いてるの?」
と、不意に風船を持った縮れ毛の少年に問いかけられて、彼は自分が気づかないうちに涙を流していることに気付いた。
それでも、彼は職務として微動だにしなかったのか、心的な衝撃によって身動きが取れなかったのか、分からないが、しばらく、涙も拭う事もせず、そのまま立ち尽くしていたのだった。彼の頭の中は混乱していた。
どうして、自分を捨てた母が、最後に自分を連れてきてくれたこの遊園地にまたやってきているのだろうか。母は、今でも自分の事を忘れていないのか。いや、そもそも俺がここで働こうと思ったのも、自分が母に執着しているからではないか、今でも母の事を忘れることが出来ないから、唯一の思い出の残るこの遊園地で働いるんじゃないのか。などと、彼自身の頭の中でも整理しきれない想いが一斉に溢れてきたのだった。
やがて時間が来て、別の近衛兵と交代するや否や、彼は熊皮帽だけを事務所に置いて制服のまま、園内中を走って、母だったかもしれない人の姿を探した。
しかし、大勢の人々で賑わう中から一人の人間を探すのは容易ではなかった。ようやく、メリーゴーラウンドを遠目から見たときに、着物を着た女性の後ろ姿がその柵の前に一瞬見えたように思い、すぐに駆け寄ったのだったが、やはり見つけることは出来なかった。
「俺は、何をやってるんだ。ちょっとどうかしている。気の迷いだ」
と自分で言い聞かせて、彼は職務に再び戻ったのだった。その後、帰り際のお客さんたちも目だけは追って注視していたが、結局その女性の姿を見つけることは出来なかったのだった。
今、ベニヤ板とフェンスで入り口を鎖され、朽ち果てつつある凱旋門を前にして、彼はあの日見た、母かも知れなかった人のことを思い出していた。
そして、彼は肩にかけていた薄汚れたダッフルバッグの中から、あの時よりも更にボロボロになった猿のぬいぐるみを取り出したのだった。そして、凱旋門の前に立てかけて、その場を去り、彼は最後に決めていた自分の死に場所に向かった。
その母猿の、とれかけたプラスチックの目は、去っていく彼の後ろ姿を薄く映していた。
既に、太陽の光の形跡はどこにもなく、闇の中に遊具たちの輪郭がぼんやりと浮かぶだけだった。遠くに見える、観覧車は回転することもなく、ただそのシルエットだけを浮かばせ、ゴンドラだけは風に揺られて泣き声のような軋む音を微かに発している。その後ろに聳えている、団地から漏れている光の群れが、唯一この世界に生ける者達が存在していることの証明となっていた。それもなければ、彼は既に死んでいるのか、生きているのか判断することすら出来なかったかもしれない。
彼は、その光の一つ一つに、それぞれ全員異なった人生と家族と団らんと、笑顔があるのだろうと思った。自分には、得ることの出来なかった、あるいはかつてあったが失ってしまった、家族団らんの光景を、夢想して団地をしばらくの間見上げていた。
そうして、そこに生きている人々に改めて、思いを馳せると、先ほどまでは意識すらしなかった夕御飯の匂いが漂っていることに気が付いた。様々な家庭の夕御飯の香りが混ざった風が彼の周囲を取り囲んでいた。もう既に彼には空腹感を感じるような心境にはなかったがその時、また彼の脳裏に浮かんできた一つの忘れがたい不思議な情景があった。
しかし、それは完全な幻覚だったのか、あるいは奇跡的な現象だったのか、彼の中で判断のつかない、ただその時に感じ取った嗅覚だけは、不思議と忘れずに覚えているという体験だった。しかし、死に近づいていく異常に張り詰めた感覚の中でその情景が事細かに彼の脳裏に蘇っていった。
それは、今から五年前のことだった。一度、母かも知れない人を勤務中に見かけてからも、母が今どこで何をしているのか、どこからも情報を得ることは出来なかった。もしかしたら、戸籍謄本を調べたり、探偵を雇いでもして調べたりすれば探し出すことは出来たのかも知れない。しかし、どこかで現実の母の姿を見ることに抵抗があったのだろう。一度見かけたかもしれない、老いさらばえて弱々しくなった母の姿を、人違いだと思いたいという願いがあったのかも知れない。そうしたことが、彼にそこまでさせることを拒ませていた。
しかし、一九九九年のある夏の日の朝、突然彼の元に、母の情報が飛び込んできた。学生時代に勘当されて、父親とその祖父母とは、一切の関わりを断っていたが、その継母から突然電話がかかってきたのだった。この継母とも、今まで片手で数えるほどしか会ったことはなかった上に、ひどい厚化粧で香水の臭いがきつくて、とても自分の母親の代わりだなんて思えなかったし、当然憎んでいた。彼の電話番号は、図書館のタウンページで調べたと言っていた。
その電話は、仕事が休みの平日の朝、家族は皆出かけていて、自分が一人でいたところにかかってきた。何を今更、一体何の用だと、訝しげに受話器を握って話を聞いていたら、父が死んだのだという事だった。脳梗塞だったらしく、最後の二年ぐらいは寝たきりで、その継母は如何に自分が献身的に介護をしていたのかを、一方的に語っていた。
しかし、和良にはもはや何の感慨もなかった。おそらく、なぜ今になって電話をしてきたのか、彼は直ぐに勘付いたので、
「言いたいことは遺産の事ですか。全く興味ありませんし、私はもうあの人の息子でも何でもありませんから」
と言ったら、急に彼女は何かを演じなければいけないようなタガが外れたように、
「そう、そうよね」
と急に声の高さが上がって、安心したようだった。葬儀の日取りなども聞いたが、和良は今更行くつもりは毛頭なく、メモすら取らなかった。そして、もう電話を切ろうとした時に、懸念だった遺産の事で上機嫌になった継母は、思わぬことを言ってきたのだった。
「そう、こんな時に、こんなことを言うのもなんだけど、あなたの…お母さん、実のお母さんのことなんだけど」
そう言い出した、継母の言葉に、急に彼は心臓を掴まれた様に、硬直してしまった。もうとっくに忘れようとして、断ち切ったはずでも、やはり母親の事だけは、どこかで気にかけて、探し続けていたからだろう。
「あの、お父さんがまだ、寝たきりになった直後に聞いたことだから、随分前の事なんだけどね。あなたのお母さんも、どうやら同じ頃に倒れたらしいのよ。心筋梗塞だとか、って言ってたと思うけど。それで、足立区だかの確か、えーっと、そう、花畑団地って言ったかしらねぇ、そこに一人住まいらしいんだけどね」
和良は、とっさに電話の横にあったチラシの裏のメモ帳に「花畑」と殴り書きした。
「え、それで、は、母はどうなったんですか!」
思わず和良は受話器を握りしめて叫んでいた。
「ごめんなさいねぇ、私も分からないのよ。その後どうなったかは聞いてないけど、それもお父さんが、倒れた後でね、ぶつぶつ、つぶやいてたことだから、私もそれ以上の事は聞けなくて。どうも、別れたあなたのお母さんと、少しは連絡をとってたのか、たまにお金が入った手紙をあの人が受け取っていたのを見たことがあったわ。私も分からないんだけどねぇ」
「そうですか」
と言って、電話を切った。
母は、再婚していなかったのだ。心筋梗塞じゃ、かなり深刻なのではないだろうか。今更、自分を見捨てて出て行った母に会ったところでどうしようというのだ。しかし、なぜ母はあんなクズ野郎に金なんか送る必要があったんだろうか。そんなことは知ったことか。とは言え、二人の子どもの親になった今、母がどんな気持ちで、出て行ったのかを思えば、昔の頃のように恨むような気持ちはもう湧いてこなかった。
しばらく、電話の前で「花畑」と書かれただけのメモを見つめながら呆然と立ち尽くしていた。日はまだ高くなかったが、夏の強い日差しが差し込み、既に蝉の声が鳴り響いていた。
彼はまた、押入れの上の天袋の奥深くにしまい込んでいた、猿のぬいぐるみを取り出して、それを畳に置いたまま、じっと黙って見つめ続けていた。
気が付くと彼は、取るものも取り敢えず、家を飛び出していた。三時間以上電車とバスを乗り継いで、足立区の花畑団地に辿り着いたころには、日はジリジリと残酷なまでに照りつけていた。無謀に、飛び出してきてしまったものの、ここからどうしていいものか、やはり途方に暮れてしまった。
まず、目についた電話ボックスに入って、電話帳で調べてみたが載っていなかった。母の旧姓は、確か「清雲」という非常に珍しい苗字だった。おそらく、同じ名字の世帯はこれだけのマンモス団地でも、殆どいないだろう。真夏の暑い日差しの下、彼は手当たり次第に団地を回り、郵便受けの名前を確認していくことにした。
しかし、予想以上に団地はどこまでも続いていて、終わりがないように思えた。相変わらず、日は燦々と照っており、アスファルトの道路は陽炎で揺らめき、数百匹はいるであろう油蝉の声が耳を劈く。もう四時間ほどは、歩き回っただろうか、彼の着ているシャツはバケツを被ったように、びしょ濡れで、意識も朦朧としてきていた。どの棟を見てみても、一向に探している名前は見つけることが出来なかった。
ようやく、日は傾き始めて、夕刻に近付いていた。
もうこれで終わりにしよう、と最後に飛び込んだ団地の郵便受けに黄色く変色した台紙に、よく見なければ分からないような掠れた細い字で「清雲」と書いてあるのを見つけた。
もはや、喜ぶことも、躊躇することも何も考えられないほど、彼の中で真夏の暑さと、疲労が最高潮に達して、意識まで朦朧としていた。部屋番号を確認すると、その階まで登ろうとしたが、狭い階段を、荷物を持った繋ぎを着た引越し業者のような連中とすれ違ったので難渋し、ようやく玄関の前に辿り着いた。玄関の表札入れには何も入っていなかった。
既に日は傾いでいて、橙色に団地の廊下を染めていた。遠くの雑木林からは、蜩の鳴く声も聞こえている。そして、廊下側に設置された換気扇からは、既に早めの晩御飯の良い香りが、どこかの家から漏れていた。
三十年以上会っていなかった母に会えるのだろうか。
彼はまず、チャイムを押した。しかし、中で鳴っているような気配もない。鉄製のドアをノックした。虚しく金属音が響くのみでやはり反応はなかった。それでもここまで来た思いをぶつけるように勇気を出して彼は、ドアノブを回した。鍵はかかっていなかった。
ドアを開けた瞬間、彼の目の前は真っ白で何も見えなくなった。おそらく、脱水症状か熱中症で瞬時、目がくらんだのだろう。
しかし、それが徐々に治まった時、目の前には、母の姿があったのだ。玄関のドアのすぐ左が台所で、そこに割烹着をつけた母の姿があったのだ。
「あら、どなた」
と、突然入ってきた自分を訝しむでもなく、優しげな、おっとりした声でそう言った母の姿は、あの頃の面影を残したままだった。遊園地で見たのは、別人だったのかも知れない。なぜなら、今目の前で見ている母の姿は、腰も曲がっておらず、十歳の時に別れた時の母の姿から、殆ど老いていないようにすら見えたからだ。
「あの、和良です」
と言うのが精一杯で、溢れ出てくる様々な思いを抑えるので精一杯だった。
「やっぱり。すぐ分かったわ。和良、大きくなったわね」
「…お母さん」
和良は、その一言が出たばかりで胸から溢れてくる想いを言葉に出来ずに立ち尽くしていた。
「おかえり。さ、せっかく来たんだから、ゆっくりしていきなさい。ちょうど、晩御飯を作るところだったから、和良が一番好きだった母さんの特製オムライス作ってあげるわね」
そう言って、促されるまま、居間に上がり、卓袱台の前に座った。あの頃のままだった。そう、母さんの作るオムライスが、大好きだった。いつでも特製って言ってたけど、本当に特別においしかった。
すぐにバターが溶ける匂いに満ち、玉ねぎを切る音や、それをフライパンで炒める音が聞こえてきた。実においしそうな、自分がおそらく三十年以上求め続けていた光景が目の前にあることが信じられなかった。
そうして、ほっとした途端に、抗いがたいほどの強烈な睡魔に襲われて、そのまま居間の畳の上に、大の字で寝てしまったのだった。
「あらあら、本当に疲れたのね。カズちゃん。つらかったのね…」
という言葉が意識の遠くの方で聞こえていた。
蜩が鳴いている。部屋の中は、既に日が落ちて、薄い夕闇の中に沈んでいた。
「母さん」
と叫んで飛び起きると、そこは誰も居ない、家具も何もない、一間と台所しかない小さな部屋の畳の上だった。
確かに、ここに、居たはずなのに。
今でも、幽かにオムライスの香りがしている。いや、これは隣家から漂っている香りだろうか。
どうやら、真昼から日が沈むまで、まともに水分も摂らずに、意識が朦朧とする中で、歩くうちに幻覚を見たのだろうか。いや、しかしそれでも、きっと母さんはここに住んでいたはずだった。きっと、ここに座っていたのだろう畳の感触を触って確かめた。ざらついていたが、幽かにしなやかさをもった畳には、つい最近まで確かにここに人が住んでいたであろう、形跡を感じることが出来た。
彼は、夕闇に沈む誰も居ない部屋の中で、しばらく茫然としていたが、やがて諦めたようにそっとその部屋を後にしたのだった。
母はもう死んだのだろう、と直感的に彼にははっきりと分かったのだった。キツネにつままれた、とはまさにこのことだろうかと、茫然としながらその団地をあとにするしかなかった。
しかしそこには、団地を後にする、彼の後ろ姿をそっと見つめる「目」があったのだった。それは、片目はプラスチックで、もう片目は黒い大きめのボタンに付け替えられた小さな子猿の人形の目だった。母子の一組だったその子猿のぬいぐるみは、再び母猿の懐に抱かれることはなかった。
その子猿は、トラックの荷台の後方に無造作に積まれたゴミの山の中に紛れ込んでいたに過ぎない。もちろん、和良はそんなことは知る由もなかった。
彼が去っていくのとほぼ同時に、その特殊清掃業者のトラックは去っていった。
彼の母は、その数日前に誰に看取られるでもなく病院で息を引き取っていた。そして、ちょうど彼が部屋に来る直前、孤独死や、遺族も身寄りもなく遺品の引き取り手がいない家を専門とする清掃業者が作業を終え、部屋に鍵をしないまま部屋を出たところだったのだ。
開業当時はそこも遊園地の敷地の一部だったのだが、経営不振から土地を売却した結果出来た団地、ドリームハイツの灯りと、漂ってくる夕御飯の香りを彼は嗅ぎながら、あの日見た幻覚としての記憶を思い出していたのだった。しかし、あれは意識朦朧とした自分が見た幻だったのかも知れないが、それでもあの時に嗅いだオムライスの卵の香りとこの香りとが結びついて、鮮烈にその時の感覚と記憶を呼び起こさせたのだった。
そして、今嗅いでいるその香りも、何だかその時に嗅いだオムライスの香りと同じような気さえしてきた。しかし、それももう気の迷いを起こしていた自分が引き寄せた幻覚に過ぎない、と一方で醒めている自分もいた。
結局、最後まで母に会うことは叶わなかったし、自分は今世界の誰からも必要とされておらず、今ここで露のように消えたところで、誰も気付きもしなければ、悲しみもしないだろう。
ようやく、メリーゴーラウンドの前に辿り着いた。
彼が決めていた死に場所は、メリーゴーラウンドだった。
メリーゴーラウンドの柵を乗り越え、曲線を描きつつも、一方向を向いた馬たちが悲しげな表情に思えた。どの馬も塗装が剥げつつあり、虚空を見つめる馬たちは、嘶きをしたまま永遠に固まったままだ。
彼は、先ほど母との思い出の残る母猿のぬいぐるみを出したダッフルバッグから、今度はロープを取り出した。そのロープも道端に落ちていた、土色をしてささくれだったロープだった。彼は、それを先日電信柱の下で拾ったのだが、その打ち捨てられたロープの姿がまるで自分自身の姿のように思えたのだった。でも、まだこのロープですら一つだけ使い道はあると思ったのだった。
そして、木馬の曳いている馬車に足を掛け、そのロープをメリーゴーラウンドの二階の柵の一つにくくり付けた。しばらく、ロープを両手で掴んだままじっとそれを見つめていた。まだ、彼の中で本当に死ぬという事がどういうことなのか、実感として掴めなかった。しかし、もう何もなかった。守るべきものもなかった。生きる目的もなかった。自分が死んでも、悲しむ人もきっといなかった。生きるための、気力も体力も何もかも残っていなかった。
彼は、世界の中で誰も知られないまま消えていくのだと思った。鍾乳洞の洞窟の更に奥深くにある、地底湖で人知れず溺れ死んでいくように、消えていくのだと思った。もはや、彼の中では死後の世界も、生まれ変わりも、何も望んでいなかった。そんなことを考えられるような、ゆとりさえもう彼の心には残っていなかったのだろう。彼の中にあったのは、ただこの世の中に対する絶望、何より自分自身への絶望だったのだ。そして、自分はこの仮初の夢の国の残骸の中で、この国とともに消えていく。彼の中にある思いはただ、それだけだった。
そして、輪にしたロープに自分の首を差し込んで、勢い良く、木馬の鞍の上から中空に身を投げた。
最初の、衝撃は当然首に来た。彼の首に、ロープが食い込み、自分の体の重みが全て首にのしかかり、彼の意識は遠のこうとしていた。
これでもう終わりだ。
その時。正面の闇の中から、鼓笛隊の太鼓の音が微かに聴こえてきた。そして、闇の中から近衛兵の隊列が現れたのだった。いずれも熊皮帽を目深に被り、目も表情も分からなかった。鼓笛隊の音楽は、徐々に増してゆき、はっきりと聴き取れるまでになった。
彼は、死に限りなく近づいていく中で、目の前の情景を充血した薄目で冷静に見つめていた。自分でもはっきりと、これは死の前に見る幻覚なのだと分かっていた。
そうだ、これはドリームランドの閉園の時の、最後のパレードではないか。自分もその中に含まれているはずだ。しかし、そこに自分自身は見えなかった。その代わりに、隊列の中の自分が位置していたはずの場所に、一人のランニングシャツを着た幼い少年が歩いているのを見た。
その少年は、隊列の中に紛れ込んでいることに気づいていないように、何か誰かを探して不安そうに歩いているように見えた。そして、その泳いでいる目は遂に誰かを見つけたかのように、一箇所に留められ、表情には喜びが満ちて、その少年は駆け出した。と、同時に近衛兵のパレードは霧のごとく掻き消えて、その少年の体は、彼の正面に現れた着物の女性の懐に飛び込んでいた。
その女性の表情は彼の位置からは窺い知ることは出来ないが、少年の体を強くきつく抱きしめて、髪の毛まで手を伸ばして、優しく撫でながら抱きしめている。
「…めんね、ごめんね、ごめんね、和ちゃん、ごめん、母さんが悪いの」
和良は、いつの間にか温かい温もりに包まれて、髪を優しく撫でられているのに気がついた。そして、自分の頭に雫が垂れているような感覚を感じていた。これは、自分が忘れていた記憶だ。もう何も見えない。ただ、感覚だけがあった。そして、意識が完全に遠のいていった。声帯も圧迫され、声にもならない声で、最期に彼は言った。
「…が、あざ、ん」
完全なる静寂というものがあるとしたら、今だろう。どれほどの時間が経ったのかも分からない。ほんの数秒のような気もするし、何時間もの間こうしていたようにも思う。
彼は、体を起こして、周囲を見回した。確かに、彼はメリーゴーラウンドの中に倒れている。不思議と、体の痛みも残っていない。
体の下には、千切れたロープがあった。どうやら、道で拾った古いロープが千切れたらしかった。しばらく、そのロープを掴んで、それを見つめていた。
ふと、ポケットの中にパイン飴が入っていることに気が付いた。
生きよう、と思った。
彼は立ち上がると、体の埃を払い、またもと来た道を引き返していった。
それにしても、周囲は月明かりだけで、他の明かりは何一つなく、静まり返っていた。団地の明かりも全て消えている。どうやら、かなり長い時間気を失っていたらしい。
再び、通用口から外に出た。異様に巨大な月の光に照らされた、ホテルエンパイアのシルエットが浮かんでいる。
遠くの方に、ようやく唯一人工的な明かりが見えた。ネオン看板のようだ。
「モノレール 大船観音ゆきのりば」とある。
とうの昔に廃業になっていたはずの、モノレール駅に明かりが点いている。不思議に思ったが、閉園前、モノレールの再開が計画されていたことを思い出した。彼は、きっと、俺の知らない間に再開したのだろうと思った。
それにしても、やはり人の気配はどこにもなかった。
ふと、駅の脇を見ると、緑色の照明に照らされた電話ボックスが目に入った。
彼の中で、何かが沸き起こっていた。それは、再び自分の家族に会うための勇気だった。
「俊雄、和恵…佳苗」
彼は、その電話ボックスに入り、ゆっくりと受話器を上げ、ポケットから小銭とパイン飴を一緒に取り出し、そのパイン飴をしばらく見つめた後、彼は小銭を入れ、ダイヤルを回した。