無双流奥義
『無双流奥義』
時は戦国、武士は己の武芸を磨き、そして競い合っていた。
京の都では、定期的に武芸大会が開催され、誰もが最強の称号を
求めその優劣を競い合った。
そんな中、彗星の如く現れ、圧倒的な強さを示し、
消えていった流派があった。
その流派の名は『無双流』という。
武芸大会で予選で敗退した東政慶は、
屋敷に戻ると予選のことを思い出していた。
あの強さは尋常ではなかった。
開始の合図と共に意識を失ったのだ。
政慶は、相手の動きをできる限り思い出そうと試みた。
そう、奴が構え、そして合図を待った。
「始め!!」の合図を聞いた直後、頭部への衝撃を受け、
意識を失ったのだ。
気が付いた時には、武芸大会は終了していた。
奴は、天下一と名高い剣豪である新陰流の
上泉秀綱殿を一瞬で倒したと聞いている。
そして、決勝に出ずに姿を暗ました。
奴は一体何者なのだ。
政慶は、情報を求め御所へと向かった。
残念ながら御所では大した情報を得ることは出来なった。
それでも、弥助という名前と住まいだけは得ることができた。
その住まいは、京から少し離れた場所にあった。
夜通し歩けば朝には着くだろうと考え、取るものも取り敢えず、
弥助という人物の住まいへと向かった。
空にはひと際大きな満月が輝いていた。
山道を歩きながら一人つぶやく。
「弟子入りしよう。」
そう、政慶はあの強さの秘密を得る為に弥助という人物に
弟子入りすることを決めていた。
その時、遠くの方から刀を交える音が聞こえてきた。
最初は空耳かとも思ったが、耳を澄ますと確かに刀と刀が
ぶつかる音だった。
剣術に身を置き数限りないほど聞いている音だった。
聞き間違えるはずはない。
足をとめ、音の方向を探ろうとした時、
その音は聞こえなくなった。
その後、いくら耳を澄ましても再びその音を聞くことは
出来なかった。
政慶は音を探す事を諦め、弥助の家へと急いだ。
夜も明け、弥助の家の近くまで来ると、
朝早くから畑仕事をしている者がいるのが見えた。
弥助の事を聞くと家の場所はすぐに判明した。
数年前に弥助と名乗る武士が現れ、家を借り受けた。
彼はいつも木刀を振っていた。
木刀を振らないときは、
京の道場で修行の様子を見ていたそうだ。
ある時、彼は不思議な事を言い始めた。
「満月の次の日、家を訪ねてほしい。
拙者が居た場合は、家の借り受けを相談しよう。
もし、居なかった場合は、家の借り受けは終わりとして、
拙者の持ち物を全て燃やしてほしい。」
その後、何回か満月の夜を迎えたが、
朝に来ると弥助は部屋にいたので、
その後気にすることはなくなったという事だった。
その家は畑の側のあばら家だった。
元々は農家が畑用具を置くために使っていたらしい。
「ここが、弥助様の家です。
そう言えば、昨晩は満月でした。
弥助様がおられるか調べねばなりません。」
そう言ってあばら家の前で声を上げた。
「弥助様、おられますか?」
しばらく待っても返事がない。
その後、数回声をかけるもやはり返事はなかった。
「お武家様、いま開けますので。」
扉は何の抵抗もなく開いた。
「どうやら、おられないようですね。」
中を見るとそこには誰もいなかった。
部屋の中を調べると、風呂敷に包まれた荷物があった。
「これが、弥助様の荷物のようです。
早速燃やさねば。」
政慶はその言葉に驚いた。
燃やされてしまえば弥助との接点が消えてしまう。
もう二度と会えないような気がした。
政慶:「しばし待たれよ。
拙者は弥助殿とゆかりの者、
その荷物拙者に預けては下さらぬか?
後に必ず燃やすと約束しよう。」
「燃やして頂けるならば、約束は果たされます。
お武家様にお任せいたします。」
嘘をついたことに少し罪悪感を感じながら、
速足で自宅へと帰った。
家に着くと正座をしてしばらく考えた。
目の前には風呂敷に包まれた弥助の荷物があった。
しばらく瞑想すると決心したように目を開いた。
そして、無言のまま風呂敷を開いた。
中には布で包まれた一巻の巻物が入っていた。
意を決して巻物を開いた。
巻物には次の様にかかれていた。
無双流奥義
己を見、己を知り、己を磨いた先を見よ。
全ては、己の内にある。
奥義を継ぐ者は名を示し、満月の夜を待つべし。
それこそが無双流の神髄である。
意志なき者は、決して名を示すべからず。
意志ある者は、己の血で名を示せ。
巻物の最後には血で書かれたと思われる名前があった。
ほとんどの名前は滲んでおり読むことが出来なかった。
辛うじて読めた名前は最後に書かれた
「弥助」
であった。
政慶は、巻物を読み終えた後、目を閉じて瞑想し、
一時の間心を落ち着かせた。
心が落ち着いた事を確認すると、無双流奥義について考えた。
名を示せば、満月の夜に何かが起こる。
そして天下一の強さを得ることができるのだ。
何が起こるか判らないという不安が決心を鈍らせた。
しかし、天下一になれば道場も開ける。
名も残せる。
その魅力は不安を覆い隠すのには十分だった。
政慶は、静かに立ち上がると、刀掛から小太刀を取り、
机の前に座ると新品の筆を手に取った。
徐に小太刀を抜き親指の腹に刃を立てた。
玉のような血が次第に大きくなる。
筆の先を血に付けると、巻物の弥助の次に政慶の文字を
書き込んだ。
そしてしばらくの間瞑想した。
特に変化はない。
やはり、次の満月の夜まで待たねばならないのか?
政慶は剣の修行を続けながら満月の夜を待つことにした。
そして、満月の夜を迎えた。
部屋は蝋燭の灯りで照らされていた。
武芸大会の時の着物に着替え、部屋の中央に正座し、
瞑想しながらその時が来るのを待った。
武芸大会と違うのは腰に差した刀が真剣である事だった。
政慶は突然の眩暈に襲われ、意識を失った。
朝、鶏の声で目を覚まし、夢を見ていた事を思い出した。
まるで実際に起こっていた事のように感じる夢だった。
場所も思い出せない。
相手の顔も思い出せない。
しかし、真剣勝負を行っていた事だけが思い出される。
相手は強かった。
しかし、運良く無傷で相手を倒す事ができた。
最後の太刀を逆に避けていたら勝つことは出来なかっただろう。
一時の間、夢の内容を反省すると自分が強くなっているのか
確かめるために道場へと向かった。
一度も勝てたことがない師匠に手合わせを願い出た。
結果は完敗だった。
やはり、奥義書に名前を書いただけで強くなるなど、
夢物語だろう。
そう思い、修行に専念した。
そして、次の満月の夜を迎えた。
政慶は、寝間着を着て床に入っていた。
夢を見た。
場所は河原だった。
残念ながら相手の顔は判らない。
相手は太刀を構え襲ってくる。
足の裏に石の感触が伝わる。
どうやら裸足のようだった。
河原での戦い方は最近教わったばかりだった。
それを思い出しながら剣を交えた。
勝負はぎりぎりの戦いだった。
相手が石に足をとられ、体が揺らいだ時に勝負は決まった。
目を覚まし、寝間着が汗で湿っているのに気が付いた。
心臓の鼓動が大きかった。
掛け布団をめくり、体を起こしたときに、
政慶は心臓が飛び出るぐらい驚いた。
素足の足がぐっしょりと濡れていた。
それどころか、敷布団には濡れた砂がこびりついていたのだ。
この時に気が付いた。
あれは夢ではなく、現実だったことに。
そして、巻物から自分の名を消せないかと考えた。
巻物を開くと己の名前を見た。
その文字が少し滲んでいるのに気が付いた。
横に書かれた弥助の文字は完全に滲んで読めなくなっていた。
政慶は、墨を擦ると、祈るように自分の名前の上に垂らした。
己の名前は真っ黒な墨で覆い隠されて行った。
そう思った瞬間、墨の色がみるみると抜けてゆく。
そして、何事もなかったように血文字が浮かび上がった。
この時の政慶の顔は死人のように蒼白だった。
政慶は、突如として修行の鬼となり、
起きている間は剣の修行を続けた。
1年の月日が流れた時、己の師匠に手合わせを願い出た。
師匠との勝負は相打ちだった。
師匠は喜び、そして師範代に名を連ねるに至った。
そして満月の夜を迎えた。
初めて満月の夜を迎えた時と同じ格好で時を待った。
政慶は、分かっていた。
この夜を乗り越えられないことを。
前の満月の夜から新たなる技術を学ぶことはできなかったし、
考える事も出来なかった。
余程の事が無ければ勝つことはできないだろう。
政慶は、勝つために卑怯なこともやった。
ところが、次の満月では同じ方法を相手も使ってくるのだ。
対策を考えると、次には相手も対策をとってくる。
相手も進歩しているのだ。
そのような事を考えていると、いきなり意識を失った。
そして、二度と目を覚ます事は無かった。
彼が最後に見たのは、勝ち誇った己の顔だった。
彼の部屋の机の上は、風呂敷に包まれた品物と、
その傍に置かれた半紙だけだった。
半紙には、こう書かれていた。
拙者の死を確認した場合、拙者の行方が判らない場合、
風呂敷に包まれた巻物を燃やしてくれることを願う。