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俺女の目覚め1-1『孤独な天才と孤独な普通』

 みんみんと透明な蝉の声が俺の鼓膜を塗りつぶした時、突如凄まじい怠惰感に襲われた。


 はあ、嫌だなあ。小学校。退屈で欠伸しすぎて酸欠になっちまいそうだ。こんなとこ、俺ほどの器の人物を収容できるような場所じゃねえ。鼻水垂らしたガキ共と机を並べるのには飽き飽きしちまったぜ。


 あ、いきなり『俺』なんてのが現れて面食らったやつもいるだろうから一応弁解しておく。ほんとは反則なんだけどな。

 俺は『俺』であるが『俺』であるべきでない人間だ。俺もそれを痛いほど解ってる。けれど、『俺』であることをやめられない。そんな、俺だ。


 そう。回りくどい言い方をしてみたが、つまり、俺は女だ。俺女なのである。理由は大したことない。単に幼い頃から男兄弟にばかり囲まれて過ごしてきたというだけだ。かっこつけてるってわけでは断じてない。

 心は重いが背中は軽い。背負っている黒のでかいリュックにはほとんど何も入っていない。休み時間に読むための文庫本ぐらいだ。教科書やらノートやらは全部教室のロッカーに置きっぱなしの置き勉である。俺レベルの頭脳なら逆立ちどころかバク転しながらでもテスト満点余裕なのだ。家庭学習など必要ない。


 俺は、天才だ。他を寄せ付けない圧倒的な才能と知性を併せ持っている最強の存在なのだ。

 それが故に、俺は孤高だ。友は一人もいないし必要性もない。誰に頼らずとも一人で生きることはできるし、下手に仲間を作れば依存してしまい、自分を失う危険もある。俺は自らの意志で孤独を選んだ。だから言うまでもなく登下校もいつも一人だ。


 おや、とその時気付いた。


 前方十メートルほど先のところに何個も四角い赤と黒のコブを背中に抱えながら、よろよろと爺さんみたいに歩く姿がある。四角いコブとはランドセルのことであり、足腰悪い爺さんがこんな朝っぱらの通学路をわざわざ歩いているわけもなく、もちろんここは日本であり、結局はどっからどう見ても小学生のガキだ。そしてこの道を使っているってことは間違いなく俺と同じ小学校のやつなのであった。


 俺には生まれてこの方友人が居た事がないのはさっきも述べた通りだ。だからといって、まったくの世間知らずってわけじゃない。やつらと同じ教室で数時間を過ごす限り嫌でも話は耳に入ってくるわけで、天才である俺様はその尽くを一瞬で暗記してしまうのだ。


 膨大な知識の引き出しから探し出し、今目の前の彼オア彼女(髪は肩より上にあるし、服装もジーンズを履いている以外はコブに隠れて見えない。よって男女の判別がつかない)の置かれている状況を刹那のうちに理解した。

 彼オア彼女は虐められていて、数人分の重たいランドセルを押し付けられているんだ。じゃんけんで負けた人間に皆のランドセルを持たせて、次の電信柱で再びじゃんけんをして負けた人間がまた全員分のランドセルを持つという遊びもあるらしいが、見渡す限り他のメンバーらしきやつは居ない。

 だから、これは虐めだ。多分、校門の前辺りまで持って行かせるのだ。先生にバレないよう、そこでランドセルを受け取り何食わぬ顔でクラスへ向かうって寸法だろう。


 まーた馬鹿なことやってやがる。俺はそう思い、どんな彼オア彼女が苦痛を背負っているのか確かめようと小走りになった。同情などはまったくなく、ただの好奇心に駆られての行動だ。

 じきにそいつに並び、下から覗き込むようにして顔を見た。


 そこには、存外明るい顔が潜んでいた。

 といって、笑顔だったってわけじゃない。いじめられ、ランドセルを押し付けられてるのに笑ってるようなやつだったら、俺はその変人具合にぞっとし慌てて離れていただろう。そうではなく、そいつは底に潜む希望を表情に込めていたのだ。双眸はぎんと見開かれ眉に力が入り皺が寄っている。四つのコブに負けないよう歯を食いしばり、脚をがに股にさせつつもそこに確かに立っている。全身にまで希望が覆っていた。この観察は、日々孤独によって精神を現れてきた俺にしかできないことだろう。


 彼オア彼女は彼女だった。しかも――


「お前、俺と同じクラスか?」


 知らん振りして追い抜こうと考えていたのに、思わず話し掛けてしまった。後にしてみれば、この瞬間がすべての始まりだったのかもしれない。数奇な運命、異常な事件、決定的な崩壊。それらの起動スイッチがみんないっぺんに押された瞬間だったのかも。


「あ、うん。そうだよ。おはよう」


 けれども、返事は至って普通すぎるものだった。流れで会話を始める。


「だよな。……名前、何だっけ」

「蘭。藍本蘭だよ」

「蘭、か。そうか。なんか、思い出してきたような気がする」


 うーん、と声を出さずに頭をフル回転させるとフラッシュ画像のようにバチバチと記憶が姿を少しずつ現してきた。


 あ、そうだ。隣の席のやつじゃん。


 そうそう。静かな奴だったから俺の意識の閾値にほとんど入ってこなかったんだ。そうか、いじめられてたのか。知らなかった。


「そのランドセル、クラスの奴に押し付けられたのか?」


 すると蘭は少しばかり目線を下げる。


「うん。えへへ。ちょっと恥ずかしいな」

「恥ずかしいって問題か? ……ちょっとそれ貸してみ」


 ええい。行きかけの駄賃だ。半ば無理矢理蘭からコブを引き剥がした。

 初めてだ。こうして自分から他の人間と積極的に関わったのは。なぜだろう。ただの気まぐれか? 俺は自らの心を分析してみた。


 ……いや、違う。


 俺は俺の美意識に従って今まで生きてきた。そして、これからもだ。俺を動かす最高意思決定機関はそこでしか判断しない。

 そして、一度関わった奴を見捨てるのは俺にとって美しくない。だからこいつを助ける。そういうことだ。

 しかし流石にランドセル五つは相応の重量感がある。昔から格闘技バカの親父や兄貴にしごかれてたから俺にとっては余裕だが、蘭ももしかしてやってるのか? 体格は俺より多少あるけどさ。


「えぇ、悪いよ。わたしが持ってくから」


 バーカ。悪いのはランドセルを押し付けた奴らだ。そして、俺がこれからすることだ。


「いいから、ちょっとそっちどいてろ」


 シッシッと手振りで蘭を遠ざけると同時に、俺はランドセルの肩ベルトをまとめて両手に持った。


「ど、どうするの」

「俺様の華麗なハンマーもといランドセル投げを見よ!」


 振り子の要領でいち、に、と勢いをつけぐるぐると俺を起点にランドセルで渦を作り、速度が最高に達したところで思い切り道路へ向かって放り投げた。

 ランドセルは放射状に広がり、それぞれ好き勝手な場所にバタバタと墜落する。


「ちょ、ええ!」

「さあ、行くぞ」


 蘭の肩を掴み、学校へ向かうよう促した。今なら周りに人は居ない。ここからとっとと去ってしまえばチクられることもあるまい。

 しかし蘭はどういうわけかランドセルのもとへ戻りたそうにかすかな抵抗を示している。

 お人好しすぎるだろ……。俺はあえてきつく言い放った。


「ああ? 放っておきゃいいんだって」

「いや……あの中に私のランドセルも……」

「あ」


 やっちまった。そりゃそうだよな。

 慌てて駆けてゆく蘭の背中を見つめながら、俺は所在なく頭を掻いた。

 そして決めた。なぜこのタイミングで決めたのかは俺ですらわからない。でも、とにかく決めたのだ。


 こいつをいじめから救ってやろうと。

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