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せかめつ!3ー5 『空ノ宮終の破壊 ~多重解決は開かずの間の先に~』

「マナの推理も聞かずに、一人で何をしてたんだい」

「すみません、織登さん。途中までは聞いていました。でも、一つどうしても気になることがあって」

「気になること?」

「ええ。そしてわたくしの予感は当たっていた。残念ですが、貴女の推理は間違っています。いえ、貴女の推理がというよりも、貴女の推理の柱となっている第一の脱出法――つまり、カーテンを命綱にしての飛び降り説は成り立たないのです」

「なんだって!」目を見開く由依。「僕の推理が間違っていたというのかい」


 終はうなずく。


「ええ。残念ながら、貴女の推理は机上の空論でしかなかった。幼稚園の頃、わたくしと貴女が繰り広げた幼稚な議論と同じく」

「……どこが間違っていたと言うんだい」


 すると終は例のゴムカーテンを持ち上げ、おもむろに窓から外へと投げ捨てて見せた。そしてわたしと由依を手招く。


「ご覧ください」


 窓から下方を覗き込むようにすると、当然のごとくカーテンは地面に向けて一筋の線を形作っていた。

 意を図りかねるといった様子で由依は言った。


「カーテンの長さは十分にある。まさか、カーテンに土や埃がまったく付いていなかったとか言うんじゃないだろうね。そんなことはどうにでも――」

「その逆です。このカーテンは必要以上に長すぎたのです」


 わたしはその言葉の意味がわからなかった。地面に届く程度の長さが最低限あれば。命綱としての役割は果たすことができる。そしてそれは、目測で明らかに満たしているといえた。が、逆に長いことで何か問題が生じるという考えは、たしかに盲点だった。でも、大は小を兼ねる。いったい、どんな問題が生じるというのか?


「飛び降りるには問題ありません。カーテンを短く持てば、余ってしまって体を地面にぶつけることはないでしょう。ただ、問題はその後なのです。由依の推理では、ゴム鉄砲の原理で弾き飛ばすことでカーテンを音楽室の中に戻すということでしたが――」

「ああ、そうか」


 喘ぐように腑に落ちた声を出す由依。一瞬話の腰を折られ、終は軽く咳払いをする。


「それは不可能……とまでは言いませんが、極めて困難なのです。大きな輪ゴムを使ったゴム鉄砲を想像してみれば解ります。輪ゴムのサイズが大きくなればなるほど、当然ながら飛ばすためにはより引っ張る距離を長くする必要がありますよね。この長いゴムカーテンの場合には、更にそれが顕著となります。二階の窓の中まで飛ぶほどの勢いをつけるためには、窓と垂直にかなりの距離をカーテンの端を持って後ずさらねばなりません。しかし」


 終は窓の外、校舎から数メートル先を見やった。

 そこには高い網延々とが設置されていて、仕切られた先には緑と茶の幻想とも言える春の自然が広がっていた。


「残念ながら、それはなりません。これぐらいの長さでは、安物のクラッカーのごとき勢いにしかならず校舎に届かせることすらできないでしょう。

 では、どうするか。今度はカーテンを短めに持って見ます。ですが、今度は二階の窓まで届いたとしても、端っこはそこまで上りません。重力の壁は分厚く、結局のところどうしても由依が築いた砂上の楼閣のごとき推理は成り立ちません。無論、それを前提とした織登さんの推理も成り立たなくなるのです」

「……」


 わたしと由依はただ黙り込むしかできなかった。確かにどちらの推理も完全に間違っていたことは、終の力説によって証明されたと言えるだろう。

 ただそれ以上に、もうわたしは疲れてしまっていた。

 行方不明となった燐を探すこともなく、ただその消えた理由のみをその場に突っ立って推し量るだけのわたし達。

 明らかにねじ曲がってしまっていた。何が? そして、いつから?

 わたしには解らない。この異常な推理合戦に、いったい何の意味があったのだろうか。




 時は過ぎた。喋るばかりで疲れ果ててしまったわたし達三人は、むっつりとお黙ったまま部室の椅子に沈んでいた。そこには、もはや『組織の幹部級』を気取る余裕など欠片もなかった。

 結局のところ、わたし達三人の素人推理はどれも間違っていたのだ。由依とわたしの言説が粉々に砕かれた後、終が提出していた『用具準備室の窓から図書室へ移っての逃亡』も由依の明確な論理によってあえなく幻と化した。燐がわたしと終の目を誤魔化して図書室から廊下へ抜け出たとしても、そこからの道は二つだけだ。救助袋を使うのは、さっきわたしの推理が崩れたのと同じ理由で由依に目撃されかねないし、普通に階段を降りるとしても、それこそ間違いなく由依と鉢合わせてしまう。三階から一階へ向かう方法は一つしかないのだから。

 かすかに残る可能性は、やはり由依が共犯者として燐の味方をしており、彼女の逃げる姿を素知らぬふりをして見送りながらわたしと終の前に現れたというものだ。だが、これは完全に妄想である。由依が共犯であるという発想は、そもそも校舎から外へ抜け出た証拠が二つあったということから得られたものだ。そのうちの一つが否定された今、積極的に由依=X説を推す根拠がなくなってしまったのだ。


 つまり、可能性は無限に存在する――。


 酷使しすぎてズキズキとした痛みを訴える脳を使って、そのように結論をまとめていると由依が重々しく口を開いた。彼女も彼女なりのまとめを組み立てていたようだ。


「この状況は、まさにシュレディンガーの猫というわけだ。複数の逃亡法を示す証拠が残されていて、そのどれもが同確率で使われたという可能性がある。しかも、さっきまでの異様な展開からして、まだまだ新たな証拠が見つかる可能性はある。――まあ、可能性が同確率であるという保証はどこにもないけれど、だからといってまだ見つかっていない証拠も加えてどれかがより使われた可能性が高いとも言えないから、同確率と仮定しても間違いじゃないだろう。

 星降を発見し、実際に使用した逃亡法を聞き出した瞬間に答えが収束する。それまでは、五つつの逃亡法が、重なり合った状態であの時に起きた。これが、探偵としての僕の答えであり、きっとこの延々と続く多重解決の最終結論なのだと思う。いわば、物語のオチってわけさ」

「そんなの、理屈だよ。結局燐ちゃんはどれかの方法でここから脱出したんでしょ?」

「それはそうだ。けれど、今の状況では特定することは不可能だ」

「でも、それじゃ何も解決してないじゃん。多重解決? 意味分からないよ。こんなのが、オチだなんてあり得ない」


 わたしは少々ヒステリックになっていた。神経が衰弱してしまったのかもしれない。

 ため息交じりに答える由依。


「仕方ない。観測しない限り、解決しないのがシュレディンガーの猫というものなんだから。そして、答えが一つに収束しかるべきというのは脳髄の奴隷である我々の思い違いさ。つまり、ドグラマグラ――何が真実で何が妄想なのか」

「うーん……」


 結局なんとなく言い負かされてしまう貧弱なわたし。


 と、その時。

 ガタン、と椅子を蹴飛ばす音に振り向くと、終が勢いよく立ち上がって憤怒かつ美麗な瞳でこちらを睨みつけていた。


「くだらない。こんな些末な問題に素粒子論という極めて形而上学に近い問題を持ち出してくることがナンセンスよ。話をかき回して、わたくし達を煙に巻こうとしてるのじゃないのかしら?」

「かき回しているなんて、とんでもない。解るだろう。僕だって戸惑っているんだ」


 まるで眠たそうに由依は答えた。


「戸惑い? 何を寝ぼけたことを――いいわ、わたくしだって寝ぼけていたかもしれない。なにせ、初めての目覚めだったから」


『初めての目覚め』? ついに終までおかしなことを言い出したか、とわたしは空恐ろしくなる。

 だが、そうだ。わたしが部室に入ったときも彼女は幾分かおかしい態度を取っていたじゃないか。もしかして、あれが、『初めての目覚め』? わたしは理由もなくそう直感した。


「でも、もう解った。由依、貴女の話を聞く価値はもはやない。わたくしは悟った。この世界の異変の種を――」


 終は背筋をしゃんと伸ばして、優雅な姿勢で図書室の扉へと向かった。突然だった。


「天ヶ原さん、どこ行くの!」

「ついてきて」


 終は背中越しにわたしの眼を射貫いていた。

 仕方なく立ち上がり無意識に由依の方を見ると、彼女の顔は異様なほど青ざめていた。


「まさか……気づいたのか」


 それは、今までの由依の態度がすべて演技だったのではないかと思わせるような、迫真に過ぎた一言だった。このような由依の台詞を、わたしは一度たりとも聞いたことがなかった。 終の行く先に真実がある――。

 わたしはきっ、と心の中の兜の緒を締め直して図書室を後にした。



 終が立ったのは例の『開かずの部屋』の前だった。


 長年の積み重ねの中で、ほとんど壁と化していたドアの前に立つ。

 終はわたしの方に半身になって言った。


「織登さん、開けてみて」


 素直に従ってノブをひね……回らなかった。冷たく錆びて凸凹した金属。空回りする手の平。妙に生々しい感触だった。

 由依がわたしと終から少し離れた後ろの位置で言う。


「無駄だよ。この校舎が生きていた数十年前から、我々好奇心旺盛な生徒によってここの突破は何度も試みられてきた。意外と堅牢なんだよ、この安っぽいドアは」


それは主張するというより、むしろ自分に強く言い聞かせるような口調だった。


 しかし。

 終は完全に由依の言葉を無視していた。

 わたしの肩を優しく掴み後ろへ行くよう促し、代わりに自分が開かずの前に立った。


「ここが開かないのは、貴女達がこの世界の住人だから。でも、わたくしはいわば、世界の理から外れた存在。だから、必然的に――」


 その小さい手がノブを握った。そして躊躇なく捻る――回った。

 不思議なことに音はしなかった。鍵は掛かっているはずの開かずの間の扉は、終の手に掛かると何の抵抗もなく当然の如く開いたのだ。

 ゆっくりと着実に中が見えてくる。

 そこにあったのは――。


 無。


 その途端、光が全てを満たした。

 わたしは何も判らなくなった。


「さあ、恐れずに。行きましょう」


 終の手が背中を押した。わたしの身体は、ゆっくりと中へと倒れ込んでいく……。

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