せかめつ!3ー4 『織登マナの推理 ~嚥下された少女と『X』~』
早歩き。向かう場所は決まってた。推理とかじゃなくて、予感。閃光のように迸ったわたしの脳内回路が、なにかがあるとわたしに思わせたのである。
図書室の向かい側に並ぶ空き教室。わたしは迷わずその中の一つに入った。燐が通りすがってわたし達が目撃した、窓付きドアの真向かいの教室へ。
そこでわたしは発見する――。
教室の片隅。大きく開いた窓。下に設置されている緑色の立方体。天辺とこちら側の面が窓に向かって開き、その蓋とでも呼ぶべき部分には太いホースのような管が取り付けられていて外へと伸びている。こちらに見えるのはぽっかりと空いた管の穴。
前の二つとは違って明らかな痕跡。ストレートすぎる脱出法。
「救助袋……」
背後の由依が呟いた。
そうだ。わたしは過去の経験を思い出す。
小学校時代に行った避難訓練。給食室で火事が発生し、それを避けるようなルートで外へ飛び出すという至ってベタな訓練だったのだけれど、その後流れるように全校集会となった運動場で教頭先生が紹介した秘密兵器が、救助袋だった。
まるで遊園地の劇場型アトラクションの司会であるかのように、教頭は大袈裟な身振りで最上階の窓を指した。大柄な体育教師がこちらを見下ろし両手を楽しげに振る。そして何かを窓の下から外へ向けて押し出した。バタバタバタと騒々しく落ちてくる布。体育教師は窓から身を乗り出し、その布へ潜り込んだように見えた。姿が消える。もこもこと上から下へゆっくりと、まるで巨大な生物に体育教師が嚥下されてしまったかのような不気味な光景がしばらく続き、水を打ったかのように静まり返る校庭。数秒後。布と地面がくっつく部分にもこもこが辿り着くと、突然バッとはためいて体育教師の姿がふたたび現れた。
単に緊急時の脱出法となる救助袋の使い方を実演したにすぎないひとときであったが、わたし達無邪気な小学生にとっては、まるで不可思議なマジックを見たかのように喜びはしゃぎ回って、現れた体育教師に叱られたのであった。
短い回想を終えると、わたしは振り返って二人の方を向いた。小さく息を吐く。身が短く震えた。緊張する。
「わたしの推理を聞いて」
天才二人の前で、普通のわたしはそう宣言した。
「この三つ目の証拠――救助袋を使っての脱出法は、一つ目の証拠のゴムを使った脱出と似てるよね。でも、この二つの証拠には大きな違いがあるの」
「証拠の残る位置……ってことだね」
由依がすぐに言った。察しがいい。流石だ。
わたしは首肯する。
「そう。ゴムのカーテンは、窓から脱出した後に下から窓へ向けてパチンコのように撃って音楽室の中へ戻すことができる。でも、この救助袋はそうはいかないよね。地面に降りてから強引に袋を引っ張れば、教室に残った箱を引きずり落とすことはできるかもしれないけれど、持ち運んで逃げるには嵩張りすぎるからそこに残すしかなかった。そして、いくら目立たない旧棟といっても、三階から一階にこんな太い筋が走ってたら目立つよね。つまり、偽の証拠として前もって準備するわけにはいかないってこと」
「だから、これが本当の証拠ということかしら。背理法ね」
と、今度は終が合いの手を入れる。
正直、『背理法』の意味は知らなかったけれど、とりあえず頷いておく。今は賢い名探偵役に徹したかった。
「だとすれば、わたくしと由依が見つけた証拠はやっぱりどちらも偽の証拠だったということかしら?」
わたしは首を左右に振った。
「え?」と小さく驚く終。
「キモはそこなの。わたしの推理なら、二人が見つけた証拠もちゃんと説明できる。逆に言えば、三つの証拠は全部本物だったってことなの」
「ちょっと待ちたまえ」由依。「三つの証拠がすべて本物という推理は面白い。僕が気づけなかったことに唇を噛む思いだよ。でも、明らかな矛盾がある。二つ目の教室間を移動するトリックならともかく、一つ目と三つ目のはどうみても旧棟から外に出る脱出法だ。燐一人がどうやって外へ二回も出ることができるというんだい?」
「一人じゃなかった。それだけのことなんだよ」
水を打ったかのように静まりかえる由依と終。無言の驚愕が二人を襲うのが、手に取るように判る。
「君たちは星降が一人で廊下を歩くのを見たんだろう?」
「一人に『見えた』んだよ。冷静に考えれば、わたし達が見たのは燐ちゃんの上半身だけだった。下半分はドアに隠れて見えなかった。ということは、もう一人が身を屈めて歩けば同じように見えなくなるってこと。足音も、タイミングを合わせて歩けば一人分にしか聞こえないよ」
「……まあ、理屈はそうだな」
渋々認める由依。わたしは推理を続ける。
「燐ちゃんともう一人の人間――うーんと、かっこつけて『X』って呼ぼうかな」格好つけたがりの由依と一緒に居続けて、影響を受けたかもしれない。「燐ちゃんとXは、図書室を過ぎてすぐに二手に分かれた。燐ちゃんは用具準備室へ、Xは音楽室へ。Xは一つ目の証拠でそのまま普通に外へ出た。それと同じタイミングで、燐ちゃんは用具準備室の窓から図書室へ飛び移った。もちろん二つ目の証拠はその時にできたというわけ。そしてわたしと空ノ宮さんが音楽室から用具準備室に移動したタイミングを見計らって、図書室から向かいのこの部屋に移る。三つ目の証拠、救助袋を使って外へ脱出。どう、この推理? これなら三つすべての証拠をちゃんと説明できるでしょ?」
低く唸り声を上げる由依。女の子らしさの欠片もない。
やがて、唇から指を離した。
「説明はできる。どこにも間違いは無い、と思う。でも、おかしい点はあるだろう。どうして星降は、見えないXとやらと一緒に消える必要があった? マナの話だと、Xはただ燐と一緒に来て何もすることなく音楽室から逃げ出しただけじゃないか。まさか、あの証拠を残すためだけにそんなことをしたとは言えまい」
「そんなことをしたんだよ。そう、証拠を残すためだけに」
「なに?」
「だって、Xは赤森由依。あなたなんだから。……犯人は、お前だ!」
ビシイ! と音を鳴らすような勢いでわたしは由依を指差した。良くない仕草だけど、今回だけは許してね。
見つめ合うわたしと由依。目を逸らしたのは由依だった。わたしのすべてを見通す眼力に、流石の彼女も怯えたか?
「やめてくれ。そんなに見つめられると、照れてしまう」
少し腰をくねらせる由依。顔を赤らめ横目でこっちを流し見る。その姿はかなりの色気――。
「って、違う! 由依は事件の犯人なんだよ。もっと『馬鹿なことを』とか『証拠はあるのか?』とか否定してよ!」
わたしまで恥ずかしくなってしまい、声を荒げる。すると今度はきょとんとする由依。
「否定? 冗談を言ってるんじゃないのかい?」
「当たり前だよ! Xは由依で、音楽室から飛び降りた由依は、地面に降りると急いで玄関まで回り込んで階段を上がった。そうして燐の消失に混乱してるわたし達の前に何食わぬ顔で現れた、というのが真実なんでしょ?」
由依は少し考える素振りをして言った。
「ふむ、成程ね。僕が犯人だというのなら、とりあえず動機の点は置いておこう。気紛れ気質なのは、自分でも判ってる。どんなことを僕がしたとしても、有り得ないで切り捨てられないのは自覚しているからね。でも、僕が犯人だと指差すのには何か根拠がなくてはならないが」
「ある」
とわたしは断言した。正直言うと、胸中に準備してあるあり合わせの論理は、天才たる由依を前にして堂々と主張できるほどではない。それでも、わたしは断言しなければならない。そんな気がしたのだ。
「じゃあ説明してもらおうじゃないか」
「うん。……どこから話せばいいかな。まずはさっき言ったことの確認ね。燐とXはわたしたち二人に証拠を見せるために、このおかしな消失劇を演じて見せた。これをひっくり返してみると、劇を演じたということはそこに観客が居ることを二人は知っていなければならない。すなわち、わたしと空ノ宮さんが部室の中に居るってことをね」
「待った」と、由依は手を差し出した。「観客は一人でも十分だ。マナはともかくとして、終が部室に居ることを知る必要性はないんじゃないか」
細かな指摘にわたしは苦笑する。でも、確かに重要な指摘だった。
「いや、知る必要がある。なぜなら、燐ちゃんが脱出したと考えられる教室の窓は、旧校舎への唯一の入り口と同じ側にあったから。誰かに目撃されるのを防ぐには、旧校舎に目的のある人間がすべて中に入ってしまうのを確認しておくのが一番ベストな方法ってわけ。目的があり得る人間は、もちろん『せかめつ!』の部員――わたし、由依、燐ちゃん、そして空ノ宮さんの四人――のみ。それで、一人目の実行者である燐ちゃんを除外すると、旧校舎に入ったのを確認するべきなのは三人。でも、実際に中に居たのはわたしと空ノ宮さんだけだった。理由は言うまでもないよね。残りの一人、由依も実行者Xだったんだから」
「逆に言えば、僕以外の誰かがXだったとすれば救助袋から脱出する星降の姿を僕が目撃していた可能性があるってことかな」
「そういうことだね」
「しかし、あくまでも可能性だ。燐もXもそこまで確認することなく、たまたま今回のような状況ができあがったのかもしれないだろう。別に殺人を犯したわけじゃない。そこまで念入りに事を起こす必要性はないんじゃないかな。平時に救助袋を無断使用したということで怒られるかもしれないが、それは僕らに見つかっても見つからなくても同じことなのだし」
「それはわかってる。わたしの推理はあくまでも……えっと蓋然性だっけ、が由依や空ノ宮さんよりも高いってだけ。そうでしょ? 残っていたどれかの証拠が偽物だというよりも、そして由依以外の誰か外部の人間がXであるというよりも、一番正しそうな解答じゃない」
「……」
由依は暫くの間、唇に指を当てながら考え込むように首を傾けていた。そして思い切ったようにわたしの方を見た。
「そうだな。認めよう。君の推理のほうが正しい蓋然性が高いと。そして――」
Xは僕だ――と由依が言いかけたところで、教室の外から声が聞こえた。
「二人とも、こちらに来て欲しい」
またもや結論が出るのを妨げたのは、音楽室の方から届いた終の言葉だった。
わたしと由依は互いに顔を見合わせた。