魂の売価はいかほどか
夜明けにはまだ間があり早朝というよりは深夜という非常識な時間帯に、アイドット王は息子であるフィルスの訪問を受けていた。
薄暗い部屋にぼんやりとフィルスの姿が見える。
「どうしたフィルス。緊急の要件ということで無理に押し通ってきたようだが、いくら皇太子といえども失態だな。だいたい今日は卒業パーティの日ではなかったのか」
「父上、いや、アイドット王、それどころではない事態が起きましたゆえ、無理を通し非常識な時間ながらお伺いさせていただきました」
皇太子の物言いがおかしい。妙に上気した顔色、ギラギラした目、押し通ってきた時間帯といい、すべてが異様だ。
「なんだ、何があったと言うのだ」
「王国貴族、グラスマイン伯、謀反にございます」
「なんだと!!馬鹿な!」
グラスマインは王国に忠誠を誓った貴族であるのは言うまでもないが、その娘をこのフィルスの婚約者とし、さらに強いつながりを持とうとしていたところである。
個人的にも人柄も信頼できた。ましてや謀反をするならば今などありえない。それこそ戦争のときにでもすればよかったのだ。
「フィルスよ、馬鹿なことを言うな。なぜにあの、あのグラスマインが謀反などするというのだ」
「残念ながら事実です。現実を直視なさいませ」
「いいや信用ならん。いったい何があったというのだ」
「ええ。説明させていただきます」
ニヤニヤしている。到底謀反の報告をする顔つきではない。魔が入った、というのはこういう表情のことだろうか。
「グラスマイン伯令嬢、メアリーはあろうことか卒業パーティの会場で私の命を狙い返り討ちに。それを示唆したグラスマイン卿を捕縛するため勝手ながら兵を用いさせていただきました」
「貴様、儂に無断で兵権を用いたというのか!ならん、ならんぞ!何を考えておる!」
「それが必要だったからです」
「何が必要だ!やめさせろ、兵を引き上げさせろ!」
「王よ、王よ、もう手遅れです」
フィルスはふところから真っ赤に染まった布に包まれた短剣を取り出した。短剣にはグラスマイン家の紋章である赤い花が刻まれている。
「グラスマイン卿夫妻は娘を引き取りに王城に参内した際、兵と戦い討ち死に。王都の屋敷の血族もまた、追っ手を出し捕縛。全員首を落としました」
「全員、だと……」
「何を狼狽することがあるのです。これで、反乱を起こし失敗したグラスマイン卿の領地を直轄地にすればよいのです。すべて、すべてが手に入るのですよ」
「すべてだと。こんな真似をして、すべてだと」
「すべてですとも。王国の採掘量の大多数を占める鉱山、帝国と五分以上に戦える兵士、抜群の採掘量を誇る宝石、王国の、いや王家の力を増すのに最適ではありませんか」
「王家の力?」
「このまま、帝国との戦で領土を失った愚王、という名に甘んじるつもりですか?」
思わず座り込んでしまった私の耳元で、私の息子の顔をした悪魔が甘く囁いた。
アイドット王は末期を除くその治世のほとんどを穏便に過ごしてきた。失政もなく、凡庸ながらも国を富ませ、決して悪い王ではなかった。本来ならばこのまま中興の祖としてよい意味で名を遺したであろう。
ただひとつの、そして致命的なこのときの悪魔の囁きを聞き入れてしまった事が、後の世まで彼を稀代の愚王として世に知らしめることとなってしまったのである。
早朝、王都に居るほぼすべての貴族位の当主が王城に呼び出された。
昨晩王都で何らかの騒動、それもかなり大きいものがあったことまでは知っているものも多い。だが何があったのかを知るものは皆無である。子息を卒業パーティに参加させていた家庭も多数ある。そして彼らは一様に帰宅していない。
王城でも貴族の集いとしては珍しく、噂話のやり取りで騒然としている。
参加できるものが全員集まったのを見計らい、玉座の間の扉が閉められた。矛槍を持つ兵士が扉の前に立ち、厳重に警備する。
「皆の者、早朝ながらよく集まってくれた」
玉座よりアイドット王が呼びかけた。傍らには皇太子フィルス。
また、本来は貴族序列の前列にいるはずのグラスマイン卿の姿もない。
「残念な知らせがある。今この場にいないグラスマイン伯のことである。……結論から先に言おう。昨夜グラスマイン伯は謀反を起こし、そして討たれた。儂が討ったのだ」
「な!馬鹿な!」
「そんなことがあろうはずが」
「あのグラスマイン卿に限ってそんな」
「……静まれ、説明する。昨晩、王立学院の卒業パーティがあったことは知っておるな。子息を参加させた者も多かろう。その会場で、令嬢メアリーによって皇太子フィルスを討たせようとした。知っての通りメアリー嬢は数々の二つ名を持つ戦場の勇士であったが、幸い、と言ってはどうだろうな、フィルスの剣の前に斃れた」
次いで皇太子フィルスが話し出す。
「彼女は、メアリー嬢は私の婚約者でした。彼女の意思でそんなことをするはずはございません。ゆえに事情を聴くためにグラスマイン伯夫妻を王城へ呼び出したのですが応じず、王都の屋敷にて挙兵しようとしたため、やむなく近衛兵を用いて制圧を行った次第、であります」
真実はもちろん違う。娘が急病で倒れた、と連絡を受けたグラスマイン夫妻は取るものもとりあえず王城に駆け付けるも、場内に入った瞬間に近衛兵の槍衾に囲まれた。何が起きたかを瞬時に悟ったグラスマイン夫妻は抵抗し一度は包囲を抜けるも多勢に無勢、敢え無き最期を遂げることとなった。
その後王都グラスマイン伯屋敷を取り囲み突入し、老若男女問わず、一族の者もただの使用人も構わず、全員を切り捨てさせた。
後の世の研究でも、グラスマイン夫妻の登城は軽率だったという声も少なくはないが、残された資料から鑑みても皇太子はともかく王家とグラスマイン一族との関係は良かった。このような無計画な凶行、想像の埒外であったのは言うまでもない。
「王よ、何らかの、例えば帝国の陰謀などということはありませぬか。あのグラスマイン卿が謀反などと、いやはや」
「そうでございます、グラスマイン伯にも言い分がございましょう。釈明の機会を与えてはいただけませんか」
真実を知っている者から見てしまえば滑稽である。
まだ享楽と権限と金にうつつを抜かしているそちら側と、鉄血と権力と財とを手に入れるために手を汚したこちら側。
そう、もう引き返せないのだ。魂は売った、代価を受け取らねばなるまい。
「グラスマイン伯は討った、と言った。釈明?死人が釈明などできるものか。残念だがグラスマイン伯は謀反を起こし、破れ、死んだ。これがすべてだ」
「それでは、一族の残された者らへの処遇はいかように……」
「そんなものはおらぬ。直系のものは全員加担しておった、ゆえにもうおらぬ。あの世だ」
王の酷薄な発言に一同は背筋を凍らせる。
「理解したか?それが昨晩にあった騒動の顛末だ。混乱を避けるため学院の卒業生は一晩学校に待機させた、今頃帰宅の途についておろう。皆の者、帰宅後当主の責において先の話を伝え、納得させよ。くれぐれも……手を煩わせるような真似はさせるでないぞ」
「……」
「返答はどうした?納得できないか?それとも……貴公らも謀反を企んでいる、とでもいうのか?」
「い、いえ!とんでもありません。承りました、しかと子息に言い聞かせていただきます!」
「そうか。では皆の者、退出せよ。早朝よりご苦労であった」
顔色を青く、あるいは白くし、貴族たちは退出していった。
グラスマイン伯討伐の王の発言の裏を感じ取れたものはどれだけ居ただろうか。安易に想像はつくだろうが、先の戦争以降王家の発言権は落ち、貴族、特にグラスマイン家の発言権は増していた。
グラスマイン卿自体は苛烈な戦場履歴の割には武力や権力にあまり興味を示さず自領土の開拓に血道を注いでおり、王都での権力争いに関わらなかった。
だが現在の王家は戦争により領土を5分の1ほども失った失態を犯しており、東沿岸の港町やそこに隣接する農村など経済的損失はかなりのものである。もちろんそこを領有していたものとしては領地を失ったことになる。
貴族全体で見れば本来は庇護を行うものである王家に対し不信感が高まっていた。だが領土を失ったものはともかく、そうでない貴族らにとっては発言権を増す機会と捉えるものも多かった。
王国は裕福な国である。戦争に負けても亡国の危機はほど遠く、痛手という段階で済んでいる。ゆえに王都での政治ゲームにうつつを抜かす余地が存在した。
そこにこのグラスマイン伯の謀反である。脳天気な者は先の発言を額面通り、一部の聡いものは実際の裏幕を推測できただろう。いずれにせよ、王家が一夜にして苛烈な手段をもって貴族の中でもトップクラスの位置に存在していたグラスマイン伯を消し去った。
事実上、王国の最大武力の勢力を削いだ。まだグラスマイン領に手を付けたわけでもなく、手足たる兵力は丸々残っている。だが手足を統率する頭たるグラスマイン伯一族が全滅した。先代はすでに亡く、当主夫妻は討ち死に、令嬢は学院で消され、後継ぎたる長男は王都屋敷で戦死、幼い兄弟姉妹も処分された。
となるとその兵力はどこに行くか。謀反人の領土となれば、いずれ下げ渡されることもあろうがまずは功労者であり主家である王家の直轄地になる。帝国と最前線で戦ってきた精鋭が王家の物となるとなればもはやうかつな行動は取れない。
貴族たちは上下に関わらず、期せずして静観の構えを取るのであった。
「フィルスよ、一つだけ聞きたいことがある。なぜメアリー嬢を殺した」
貴族も全員消え、警護兵も全員退出させた玉座の間に、王と皇太子が2人残っていた。
無言のまま沈思黙考していた王が視線も動かさないまま皇太子に問うたのがこれであった。
「王よ、いや父上、いまさら怖気ついたのですか?」
「違う。もう後に戻れぬことなど解っている。儂が知りたいのはなぜこんな苛烈な手段を取ったか、だ。野心か?今が好機とでも読んだか?それともあのシスティナとかいう小娘にたぶらかされたか?」
「そうですね。……そのすべてですよ。昨晩の顛末は話しましたが、システィナが悪意に晒され被害を受けていたことは本当です。現に学院の階段から突き落とされたとき、現場から走り去る赤い服の女を見ております。メアリーが制服の上から赤いケープやコートを羽織っているのは確かですからね」
「赤い服の女などいくらでも居ろう。ましてやメアリー嬢が赤い服をまとっているのは有名な話だぞ。お前らを嵌めるための陰謀か、あるいは小娘の自作自演かもしれんぞ?」
「ええ。そうかもしれません。ですが私は自分の目で見たものを信じますし、それに……」
「それに?」
「どちらでもいいのですよ。私は私のやりたいようにします。他人の思惑など知ったことですか。それが私にとって都合が悪いならば、都合が良いように成すだけです」
「……悪い男よの」
「父上こそ」
プロットのとおりには進んでいるものの、文面は伸びそう。
4話か5話になるかもしれません。