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悪役令嬢の最後

 鋭い剣先がドレスごと令嬢の胸を貫いた。

 驚きの表情で自分の胸を突き刺した皇太子を見た令嬢が何か言おうと口を開いたが、声ではなくひとすじの血が流れただけだった。

 そのまま令嬢が床に崩れ落ちて初めて、周囲から高い悲鳴が上がった。



「グラスマイン伯令嬢メアリー・ティーゲル・グラスマイン、貴様との婚約を破棄する。理由は貴様自身がわかっていよう」

 

 国立学院の卒業前夜、記念パーティーの席で本来の婚約者ではない女性をエスコートした皇太子フィルス・ヴァンフォーレ・アルカナが、遅れてやってきたメアリー嬢にいい放った一言がこれだった。

 グラスマイン家といえば鉱山開発および辺境の治安維持への功績があり近年に位を高めた一族である。

 つい先々代の時代までは山岳地方の名も無き小貴族だったが、産出される鉄と貴金属を交易することにより急速に地力をつけ、今代となっては決して無視できない実力とそれに見合う地位になっている。

 国王としても是非とも取り込んでおきたい勢力であり、そのためグラスマイン伯の娘であるメアリー嬢を皇太子の婚約者に迎え血の繋がりを持とうとしていたのだが……


「何のことをおっしゃっているのか分かりかねます。私が一体なにをしたと?」


 メアリー嬢の表情に隠しきれない若干の苛立ちが見受けられる。

 仔細ありパーティーに遅れることとなったが、顔見知りの衛兵がパーティー会場まで通してくれたことで開会には間に合った。 しかし会場に着いてみれば、本意ではないとはいえ婚約者である皇太子が自分ではない見たこともない女性をエスコートし、しかも全くの冤罪を言い立ててくる。


「メアリー、あくまでもとぼけるのだな。ならば私が言ってやろう。この我の隣にいるシスティナ嬢に危害を加え、さらにその命を狙ったと」

「私が会ったこともないその方を?何のために?だいたいその方は誰です。私と皇太子の婚約は解消されてもいませんのに隣に立たせるとは」

「お前の同級生だろう。知らないとは言わせんぞ」

「知りません」


 会場の入口で起きた騒動に周囲の卒業生も遠巻きに様子を伺い始めた。

 かたや皇太子、大過なくば次代の国王と目されている男、かたや現在王国で指折りの伯爵の令嬢、そして皇太子の婚約者である女。この騒動の結末は今後王国の将来に関わるであろう自分たちにも無関係ではない。

 パーティー会場の入口を警備していた兵士も事情が分からぬままだが止めるべきかどうか経緯を見守っている。


そうしているうちにも皇太子の追求と、メアリー嬢の拒絶が続いている。


「なぜ同期生を知らないなどということがあり得る!」

「私は学院に籍は置いているものの、入学後すぐに隣国との戦に参陣して以来学院にはほぼ来られていません。それでどうして同期生の顔が分かりましょう」

「はっ。口ではなんとでも言えるわ。だいたい戦など1年も前に終戦を迎えているではないか」

「戦争とは戦場で剣を交えるだけではないのです。荒れた戦場跡や被害に遭った村々への補助などもありますし、そもそも我が国が会戦で勝利を得た結果として帝国が早めに勝敗に見切りをつけただけで、今だかの国は我が国を狙っているのです」


 そういうメアリー嬢の刺すような視線は、王家のしかも皇太子という責任ある地位にあるものがそんなことも知らないのか、と無言で語っている。

 

 3年前、王国の北東に位置するランツェット帝国が王国へ宣戦布告し南下した。帝国は広大な領土を持ち豊かな鉱山資源を持つが農地に乏しく、また国土の一部が海に面しているものの険しい海岸地形が災いし大規模港を一つしか持てず貿易の面でも不利を被っている。

 一方王国は国土北部の山岳地帯であるグラスマイン卿の領地以外には大した鉱山資源を持たないものの、広大な平野と温暖な気候による農産資源、それを複数ある港で各国に輸出することによる外貨獲得、その外貨を自国に足りない資源の購入に充てることによるさらなる自国復興と、絵に描いたような豊かな国を作り出していた。

 ある意味でグラスマイン一族が戦争の元凶の一端とも言えなくもないが、かの一族が自領土の鉱山を拓き王国も一定の鉱物資源を得たために帝国からの輸入量が減り、つまりは帝国への穀物輸出の減少による飢えも開戦の理由でもある。とはいえグラスマインが開拓してから何十年と経っており、そこに原因を求めるのも酷であろう。

 戦争を起こす理由など無数にある。あるいはたった一つしかないとも言える。国のトップである皇帝が兵を起こし王国から領土を取ろうと思い立てばそれを止められる人間はいないのかもしれない。

 

 ともかく戦端は開かれた。帝国の進行ルートは2つ、真南に進み王国の東側を取りつつ南岸まで抜けるものと、南西の山岳地帯を抜け王都を狙うものとの両者である。主力が配置され、農地占領港奪取という当初の目的でもある南下ルートは目的を果たした。国境を突破し砦を蹂躙し土地を占拠し、王国東部は北から南まで槍で貫いたように一直線に奪われた。ただ、帝国は軍には苛烈ではあったがよく訓練された兵士は略奪などの無法を働くこともなく、これから自らの財産になる農民らには大きな被害を出さなかった。

 一方、帝国より南西に進んだ第2軍は悲惨の一言であった。山地のためある程度小規模な編成であったとはいえ、王国グラスマイン領の砦戦で第2軍は壊滅した。見事に自軍に不利な戦場に誘い込まれた上でグラスマイン卿当主であるメアリー嬢の父上による重装甲兵団と、火炎系魔法を得意とし戦後帝国に「炎の魔女」「煉獄の乙女」「赤い死神」という仇名で恐れられたメアリー嬢に金床戦術で完全に擦りつぶされてしまったのである。

 帝国としては主力側が想定外に上手くいったとはいえ、最悪でも王国北東勢力であるグラスマイン卿と睨みあいに持ち込むくらいのつもりであった第2軍が壊滅してしまったため、王国からの逆侵攻まで警戒しなくてはならなくなった。

 

 帝国の失態は、この敗北を王国東部を押さえた主力の西進による首都攻撃で補おうとしたことであり、結果として王国中央軍との会戦の際に側面より奇襲してきたグラスマイン軍に右翼を潰されたことにより会戦に敗北し、講和によりせっかく奪った領土の半分以上を返還することとなってしまった。

 欲をかいたとはいえ、逆に言えば奪ったうちの半分近くの領土を手に入れ帝国としては当初の作戦目的のラインは満たした。会戦に負けた帝国が即時休戦を申し出たのも引き時をわきまえた良い判断である。後の世の学者の研究でも、ここで休戦しなければ王国帝国ともに削りあいの消耗戦となり共倒れになった、あるいは有力貴族たとえばグラスマイン卿のような力のある勢力に国を盗られていたかもしれないと思われる。しかしそれも歴史のIFであり、実際はそうならなかった。

 王国としても国土の三分の一ほども奪われ多数の兵力を失っている今、会戦には勝ったとはいえまだまだ帝国の兵力は高いことから、多少の痛手を我慢してもここで戦争を終わらせるのが得策との判断に至った。勝ちすぎた帝国が王国の予想より広い国土返還を講和条件として提示したため、両国ともに講和内容としては旨味のある内容に落ち着いたのである。

 

 ここまでが開戦より終戦まで2年。メアリー嬢はほぼ入学手続きを済ませただけで自宅に帰還、北へ東へと戦場を渡り歩いていたわけで、学校に通う暇などどこにもなかった。

 最後の1年、学年で言うと3年生の時期は兵役9割学業1割といったところで主な学校行事には顔を出していたものの、ほぼグラスマイン領にて騎士団と傭兵団を率いて盗賊あるいは帝国軍残党、そしてそれらの皮をかぶったゲリラの排除に動いていた。なまじ戦闘能力に天分の才があり連戦連勝であったことと楽観的な王国中枢部への抵抗感、そして学院入学前にはすでに決められていた、その中枢部である王家の一員にならなければならないという無力感が彼女を学校から遠ざけていた。

 現代の時制から見れば女性の権利を蔑ろにしているようだが、当時としては親が決める貴族同士の婚姻などこんなものである。あるいはメアリー嬢も高位の貴族に生まれなければ一介の騎士団長として成り上がり、女性騎士団長などで栄達したやもしれぬ。


 長々と歴史を語ってしまったが、かくして日時は過ぎ学院卒業の日が迫ってきた。あくまで箔付け程度でしかなかった学院在籍であったとはいえ、せめて卒業パーティだけでもとメアリー嬢は前線から学院へと急いでやってきたのである。そして困惑の光景を目にすることになった。


「『血まみれメアリ』が良く言うわ、お前が戦場に居たことなど知っている。そこで多数の兵士を殺したこともな。そんな血まみれの手で皇太子の手を取ろうというのか!」

「……敵国の兵士だから一切穢れていない、などとは申しません。ですが戦争、戦場というものはそういうものです。私はグラスマイン家長女として義務を果たさなければなりません。その私が気に入らないというなら踏むべき手順があるはずです。父も私もその女性のことなど何も聞いておりません、横車を押すつもりですか?」

「貴様がただの令嬢であるだけだったならば、言う通り戦場に立っていようが不愉快な仇名を叩かれていようが、非は私にあるだろう」

「それならば」

「だが最初にも言ったが罪人には罪人への裁きがある。仇名のとおり穢れた身を恥じ皇太子妃の地位を奪われるのを恐れるあまりシスティナ嬢に嫌がらせを行い、ましてや命まで狙おうなどと言語道断。そんな者に踏まねばならぬ手順などないわ」

「あくまで私がやった、私が悪い、と。私がそのあなたの背後にいる女性の命を付け狙った、とおっしゃるのですね?私とて貴族の一員です。謂れのない中傷で婚約破棄などまったくもって御免被ります。そこまでおっしゃるのであれば王に訴え出て、公の場で裁いていただこうではありませんか」

 

 皇太子はメアリー嬢の問いに返事をしなかった。無言でメアリー嬢の前に立つと、据えた暗い目で彼女の顔を見ていた。

 数瞬後、突然履いていた儀礼剣を抜き放ち、何の躊躇いもなく鋭い剣先でメアリ嬢の胸を貫いた。

 儀礼用の剣であり刃はついていない。だが鋭く尖らせた金属の板である。ドレスなどなんの妨げにもならず、かくして話は冒頭の場面に至る。


「罪も悔いぬ罪人に、公の場に出る資格はない。死ね」


 あまりに突然かつ一方的な処置に、眩暈を起こし倒れる令嬢、慌てて支える令息、真っ青な顔色で皇太子をうかがう者、パーティの会場は騒然となった。

 侍っていたシスティナ嬢が恐る恐る、こちらに背を向けた皇太子に問いかける。


「フィ、フィルス、さま、あの、その……」


 振り返った皇太子は、今、婚約者を自らの手で殺したとは到底思えない晴れやかな顔をしていた。

 ただし目だけは違う。ギラギラと輝き、獲物を目の前にした肉食獣もかくやといった風情をしている。


「システィナ、問題ない。大丈夫だ」


 皇太子はそのまま会場正面に歩いてゆく。右手に血まみれの剣を握ったまま。

 卒業記念パーティだったはずなのになぜこんなことになったのだろうか。ほぼすべての卒業予定の生徒の理解が追い付いていない中、


「諸君!」


 会場の全員が正面に立った皇太子を見た。


「諸君、私の婚約者であったメアリ嬢は戦場の勇士であった。3年もの間我が国を守り、王国のため盾となってきた。だが、それが彼女の心を蝕んだのだろう、あろうことか、この卒業記念パーティで、皇太子である私の命を、狙った!」


 一語づつ区切り、強調し、全員の目をのぞき込むかのように大げさに訴える。


「あるいは帝国に通じていたのやもしれぬ。残念なことだがな」

 

 剣を持たぬ左手で涙を拭うかのように顔を覆う。


「だが、しかし、私は彼女の名誉を守りたい。彼女は、メアリー・ティーゲル・グラスマインは名誉の戦死を遂げた。このパーティ会場で、帝国の刺客から私を守って死んだ」

「そ、そんな」

「異論が、あるかね?」


 思わず漏らした呟きの聞こえた方に、いまだ血の滴る剣先を向けて問う皇太子。


「今この会場にいる諸君はこれから王国を背負って立つ英傑である。よもや、よもや軽率なことは」


ぐるっと会場を見まわし


「するまいね?」


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