聖玻璃のしずく
深緑の森の奥深く
魔女はひとり、魔法の中で暮らしていました
魔女はひとりの暇に飽いて
ひとりのヒトを作りました
ヒトは美しく聡明で、おまけに心優しく作られました
魔女はヒトを村に送り出し
人の中で学ばせました
ヒトは魔女の最高傑作
欠点などありませんから、人はみんなヒトを好きになりました
ヒトは人の温かさの中で育ち
森に帰っては人の優しさを魔女に語って聞かせました
魔女はそんなヒトの話を楽しそうに聞いていました
けれども、魔女は森から出ようとせず人と関わろうとしません
どうしてか聞くと決まって
「人は魔女を好きになれないものなんだ」
とだけ言って黙ってしまいます
けれどもヒトは納得できません
「人の形で自分を作ったのだから、魔女は人が好きなはずだ。なのに人と関わらないなんてもったいない」
そう思い、ヒトは人に魔女の素晴らしさを聞かせて回りました
しかし、ヒトに対してにこにこと優しく接してくれた人びとは、魔女の話になると途端に嫌な顔をします
「気味が悪い」
「呪われる」
「魔法が使えるからって、ぼくたちを馬鹿にしているんだ」
ヒトは、人は魔女のことをなんにも知らないのに、どうして魔女のことを悪く言えるのか不思議でなりませんでした
どうしてか聞いても、みんながそう言っているからとしか言いません
ヒトは魔女を悲しませたくなかったので、魔女を森から連れ出すのは諦めました
それでもヒトは人と魔女が大好きだったので、どうにか仲良くできないか考えました
そこでヒトは『素晴らしい人』になろうと思いました
ヒトが『素晴らしい人』になれば、ヒトを作った魔女はもっと『素晴らしい人』になると思ったのです
そうすればきっと、人も魔女を認めてくれるでしょう
それからヒトは頑張って頑張って、人びとから『素晴らしい人』と言われるようになりました
国で一番偉い『王様』という人とも仲良くなりました
魔女もたくさんヒトをほめてくれました
ヒトは今度こそ、人も魔女と仲良くしてくれるだろうと思いました
けれども、王様は魔女を認めてくれません
そればかりか、王様はヒトを独り占めする魔女を嫌って、魔女を捕まえてしまいました
ヒトは慌てて王様の元へ行きました
「どうして魔女を捕まえたのです」
「魔女が魔女だからだ」
「魔女は何も悪いことをしていません」
「お前は魔女に騙されているに違いない。魔女を良く言うなんておかしい」
何を言っても王様は聞く耳を持ちません
ヒトがもう魔女と会わないと約束すると、やっと魔女を解放してくれました
ヒトは王様から最後に魔女に会える機会を貰い、すぐさま魔女の所へ行きました
ヒトは泣きながら魔女に謝りました
「ごめんなさい、ごめんなさい、王様となんか仲良くならなければ、素晴らしい人なんか目指さなければ、魔女はこんな目に合わなかったのに」
ぽろぽろぽろぽろと、美しい水晶のような涙がヒトの頬を伝います
魔女はそんなヒトに首を振って、心底から誇らしそうに笑いました
「いいや、お前は素晴らしいことをした。素晴らしい人になった。私は誇らしいよ。良く頑張った」
魔女の言葉や笑顔には、少しも暗い所はありませんでした
ヒトは、自分が悲しいのか嬉しいのかわからないまま、ぽろぽろぽろぽろ泣きました
ヒトはそれからも頑張りました
もう人と魔女を仲良くさせたいという目標はありませんでした
魔女の言葉を胸に、ただ人に混ざろうと頑張りました
それでも、ヒトは人を嫌いになれませんでした
魔女が愛した人を、ヒトもまた愛していました
ヒトを育て愛してくれた人を、嫌いになどなれませんでした
ただただ、悲しみだけが溜まって行きました
少し経って、ヒトは『とても偉い人』になりました
王様は少しの時間で別の王様に変わりました
ヒトは誰からも認められたその地位を使って、魔女を探しました
魔女はヒトと別れてから、あの深緑の森を去っていたのです
そうして探し出した場所に、もう魔女は居ませんでした
いいえ、居ました
魔女は深い深い土の中に、ひとり
あの王様が、魔女を解放した後使いをやって
ヒトのためと言って薬を作らせていました
その魔力を使い果たすまで魔女を働かせ
倒れた魔女を手当てすることもなかったそうです
あの王様ではない今の王様は
魔女のために美しい涙のような墓石を作らせ
ヒトに持たせました
「愚かな人の犠牲になった『素晴らしい魔女』へのお詫びだ。きちんと埋葬してあげて欲しい」
ヒトは、王様からお休みと墓石をもらってその場所へ向かいました
そこには何もありませんでした
広い土と細い木と小さな石が全てでした
ヒトは、その場に膝をつきました
「どうして、あなたは魔女なのですか」
美しく、透き通った石は空気に溶けるように静かに佇んでいます
「あなたは人でした。作られたヒトなんかより、よっぽど人でした。なのにどうして、ただ魔法を使えるだけのあなたが魔女なのですか」
ぽろぽろ、ぽろぽろぽろぽろ
こぼれる水晶は染み込みます
「偉大なる魔女……そんなもの。偉大でも、素晴らしくなくてもいいのです。あなたに生み出されたことがただ、誇らしいのです。愛する……『ただの人』クリスタロス・アポリソマ」
こぼれ落ちる水晶を、広く、温かな土だけが、優しく受け止めておりました