七話 『巫女の役割』
――十三日目。
夕方。《望叶剣祭》の片付けを手伝った帰り道……
「――で? アンナさんや。《望叶剣》については、何か解ったのかね?」
「おお、タレムさんや。気付いておったのだな」
「まあ……ね」
カイルは、あからさまに不機嫌そうな表情をしているアンナに聞いた。
何を隠すまでもなく、《望叶剣》という魔剣に一番、興味を持っていたのはアンナであり、ずっと単独で情報を探っていたのである。
……というか、聞いて欲しいという顔でソワソワしていた。
「ウムっ。少し調べてみたが、アレは私には手に負えん代物だった」
「手に負えない代物?」
「あの魔剣に宿る精霊は、私を愛する精霊とは《異質》。その上、霊格は、神格級であった」
「れいかく? ……しんかくきゅう? それってどう凄いの?」
「わかりやすく例えるのならば、あの精霊は、人間で言うところの《神級》の領域にいる化け物」
「神級!」
「もし、資格のないものが手を出せば、命を失いかねん」
「……」
アンナの説明でカイルは背中に冷や汗を欠く。
現在、数多といる人間で、《神級》の領域にたどりついたのは、二人。
剣の神《剣神》と魔導の神《魔導神》だけだ。
そして、その二人は、かつて北大陸・魔界の王《魔王》と戦い、華々しい戦果が語り継がれている。
曰く。たった一人で、数百万の敵を屠った。
曰く。たった一撃で、海を造った。
曰く。機嫌を損ねるだけで、天変地異が巻き起こる。……などなど。
「マジか……そんな化け物が、あの剣の中にいたのか」
「……今の話を信じるのか?」
「え、嘘だったの?」
「いや……うそではないが……」
「じゃあ、嘘じゃないじゃん。おいおい、アンナさん。その年でボケてきたのかい?」
「っ!」
なんでもないように向けられる全幅の信頼。
……とくんっ。
アンナは、今まで感じたことのない、暖かい感情が胸の内に満ちあふれた。
「ムゥ……のう、カイル。本気で惚れてもよいか?」
「絶対に、ダメ。俺、好きな人いるし」
「私と言う者がありながら……イケずな、旦那様だな」
「言いたいだけだろ」
しかし、そこはサラッと流してしまうのが、カイル、そして、アンジェリーナという、人間である。
「――兎も角。カイルよ。貴様は、ヤケにあの、剣の精霊に、気に入られていたな?」
「流石はアンナ。やっぱり、気付いていたのか」
望叶剣祭で、カイルが《望叶剣》に触れたあの一瞬。
ソプラが別人のようになって、カイルに問うた。
――『《資格ある者よ。何を望む?》』
あの問いは、間違いなく、ソプラのモノではなかった。
ソプラではないなら、誰なのか?
深く考えるまでもなく、必然的に《望叶剣に眠る精霊》であろう。
(たら、れば。だけど、もしあのとき、受け入れていたら……)
おそらく、きっと、カイルは、あのタイミングに戻ったとしても、何度だって同じ、答えを出すであろう。
――だが、
手に入れられていたかもしれない力に、思わず、惜しいという感情を持て余す。
「……。カイルよ。妻として助言しておく。あの剣は、《望みを叶える剣》ではないぞ?」
「しれっと妻として助言してんじゃねぇ。断っただろ。と言うか、遂に関係性が妻にまで発展しちゃったか、このあと、どうなるんだ?」
「真面目に聞け。よいか? 《望叶剣物語》に出てくる《望叶剣》を手にした十人の騎士。最後は、どうなったと思う?」
「どうなったって……そりゃ、主人公が、願いを叶えたんだろ」
「そうだ。しかし、同じ規格の剣を所持していた主人公以外は、全員、夢半ばで果てたのだ」
「っ! 確かに……それじゃあ謳い文句と矛盾する」
「それに、あの話は、生き残った騎士が主人公として、編纂されているが、十人全員が主人公であった。との解釈もある」
「……どういう意味?」
「史実なのではないか……ということだ」
「マジかよ……」
只の創作物に何をふざけたことを。……と、普段のカイルなら言っていただろうが、本物の《望叶剣》を見た後では否定しきれない。
過去、それぞれの譲れない願いを叶える為に殺し合った望叶剣の所有者たちがいたかもしれない。
そんないわくつきの《望叶剣》に、カイルは気に入られてしまったのだ。
「他力の力は争いを産む。カイルも、その事だけは、ゆめゆめ、忘れるではないぞ?」
「ふっ、《望叶剣》を手にしたら、俺も、物語みたいな闘争に巻き込まれるってか?」
「――だけではない。身の丈に合わぬ力は、人を狂気の道に呑み込み惑わせる」
「まぁ、お金を稼ぐ為だけに、人を奴隷にするのが人間だからね」
「なにより、代償もなく、あの力が御せるとは思えんのだ」
そう言ったアンナの瞳は、かつてないほど、真剣な色を帯びていた。
だから、カイルも、真剣に答える。
「大丈夫。俺は、ただ、家族との約束を守りたい。それだけだから……あんな剣の誘惑に負けたりしないよ」
「ほーう? 家族とはのう。女房か? 毎日、毎日、ハメハメしているのか? どうなのだ! 新参の妻に教えるのだ!」
「真面目に答えた俺が馬鹿だったと、今、全力で後悔したよ」
カイルは頭痛を抑えながら、話を変える。
……どちらかと言えば、コレまでの会話は前置き。
これから話すことを相談したくて、アンナに話し掛けたのだ。
「――所でさ。ソプラのこと、どう思う?」
「ほーう? 遂に、娶る気になったのか。めでたい。私に及ばずとも、よい娘だと思うぞ?」
……そういう話題じゃない。
「取り敢えず、色恋から離れない?」
「否だ! 私は、カイルと下世話な話をしている刻に快感に浸っているのだからな!」
「俺は不快感に浸っているがな」
カイルは、アンナにゴミでも見る目で吐き捨てて、歩を早める。
……スタスタ。
アンナが真面目に話す気がないのなら、この会談は幕である。
「っと。まてまてまて! 解った! 解ったから! 私を置いて行こうとするな。寂しいだろう!」
「どこが?」
「股下が!」
「……」
……スタスタ。
カイルは、更に歩みを早めた……が。
「待て待て待てっぇ! 今のはカイルの責任だろう! カイルがスケベだっただけであろうがぁ!!」
……是非もない。
仕方なく、カイルが足を止め、アンナの歩調に合わせ、もう一度、同じ問いを、今度はさっきよりも、具体的に。
「――で。ソプラの反則じみた《魔法》の才能……同じく反則じみた《魔法》の才能を持つ、アンナはどう見る?」
「ふむ……。その答え、《魔法》の才能……について、だけでよいのか?」
カイルの問いに答える前に、一度、アンナは確認を取る。
祭りで見せた、異質な《別人格》。
それを考慮せず、《魔法の才能》という点だけで、答えを出していいのか、迷ったからだ。
――因みに……ではあるが。
アンナを名乗る金髪少女が、迷うのは、実は珍しいことであった。
普段は、どんな事柄でも、即断即決で動く。……深く考えもせずに。
だからこそ、出会って一日も会っていないカイルと、こんな田舎村の依頼を受けたのだ。
そんなアンナが迷う理由……それは、
「もしかして、《別人格》と《魔法の才能》……紐付けられるって言う気か?」
「……」
アンナは、否定も肯定もせず、静かに語り出した。
「まず、前にも言った気がするが、私の《才能》には、ネタがある」
「前は種って言ってたけどな」
「おお、そうであったな。言い直そう、タネがある!」
今までは、《才能》と、ひと言で流してきたが、アンナはソレを否という。
……当然だ。
魔法において、《才能》はとても大事な要素だが、それだけで《詠唱破棄》が出来るなら、もう少し、同じことが出来る魔導師がいただろう。
「ネタでもタネでもいいけれど、実は《詠唱》していた……とか、そんな感じの話じゃないよね?」
「私は、そこまでの道化ではないつもりだぞ?」
「どこまでは道化なんだよ」
「下品な所までだ」
「なんとなく、そう言う気はしてたよ」
つまり、アンナを説明するには、
今までの、《才能》という言葉では、不十分なのだ。
「私の秘密……カイルも、予想くらい、ついているのだろう?」
――では。
そんな《才能》という枠組みからも、溢れてしまうモノに対して、なんと呼べばいいのか?
……それは、
「《能力》……」
……かみ砕けば、目に見えない筈の《才能》が、目に見える程の《形》となっているものだ。
要するに、
「ウム。私は、《全ての攻性が封殺される》。《あらゆる魔法の詠唱を省略できる》。《一定攻撃力以下の攻撃を無力化する》……という、三つの特徴を併せ持つ、《治癒の化身》という《能力》を持っているのだ」
「言葉にすると、改めて、反則くさいな」
アンナは、そういう《能力》を持っているからこそ、《全ての攻性が封殺》され、《あらゆる魔法の詠唱が省略》でき、《一定攻撃力以下の攻撃を無効化》出来るのだ。
このように、もはや、《才能》を通り越して《超能力》と言っていい、特殊な力を《能力》と呼ぶ。
「そして、それは、おそらく……」
アンナが途中で言葉を切って、カイルに碧い視線を差し向ける。
ここまでの話に付いてきているのなら、続きは解るだろう、と。
「ソプラも、何らかの《能力》を持っているって、ところか……」
そして、カイルは、アンナが期待していた通りの答えを口にした。
しかし、その声色は、どこか重い。
その理由は……
「カイルよ。ソプラの《能力》に付いて、一つだけ、解っていることがある。聞きたいか?」
「うん……教えて」
「素直だな。よいことだ。ソプラの能力は――」
……きっと、アンナに教えて貰うまでもなく、その《秘密》に気付いてしまったからであろう。
――夜。
こん、こんっこん……と、カイルが寝泊まりしている寝室の扉が控えめにノックされた。
続いて、扉が開き、寝間着……否、下着姿のソプラが顔を、耳の先まで真っ赤にして、入室してきた。
「カイル……さん?」
「遅いぞ、ソプラ。美少女を待たせるモノではない。もう少しで、発情したカイルが私のことを襲いそうであったのだぞ」
「上手いな。《遅い》と《襲い》を掛けているのか」
声を上擦らせてカイルの名を口にしたソプラだが、ベッドを我が物顔で独占するアンナの姿に首を捻った。
因みに、お目当てのカイルは、アンナの更に上から跨がり、間接技を決めている。
……当然、《一定攻撃力以下の攻撃を無効化する》という《能力》を持っているアンナは、涼しい顔だ。
「そ……んな……っ!」
「……ム?」
がたりっ。
カイルとアンナはただ、ベッドの使用権を巡って諍い合っているだけである。
しかし、懇ろな男女が組んず解れつしているようにも見える状況に、ソプラは真っ青な顔で崩れ落ち、膝を突いた。
「カイルさん。これは一体、どういうことですか!?」
「カイルよ。貴様は、なんと言って、ソプラを呼び出したのだ?」
二人の少女の問いが、殆ど同時にカイルへ突き刺さる。
対して、カイルは、……数秒、どちらの問いから答えるべきか、迷ってから、
……まずは、アンナの問いに解を出す。
(コイツを無視すると、面倒だからな……)
「夜。誰にも気づかれないように、俺の部屋に来て。って、お願いしただけだけど」
「なるほど。それは、明らかにカイルが悪いな!」
「何がだよ!」
「貴様はやはり、鈍感の一族なのだな」
「……鈍感? どこが?」
「そういう所が、だ」
次に、アンナの上から降りて、奪った毛布を、ソプラの肩に羽織らせる。
……こっちの問いが、本題だ。
「ソプラ。君の《能力》について、話を聞かせてもらいたい」
「……ッッ!!」
その、カイルの一言で、ソプラの肩が硬く強張った。
……どうやら、《当たり》のようである。
「ソプラ。君は、《能力》を《継承》しているね?」
「……っ」
更に続いた言葉で、ソプラの表情は、この世の終わりでも見たかのように、絶望の影を落とす。
ビクッ。
ソプラが、病的なまでに肩を震わせ立ち上がり、寝室の扉に足を向ける……が。
がちゃん。
その扉の前に、アルトが立ちはだかった。
当然、ソプラを呼び出すことは、アルトにも伝えている。
……その思惑も。
「お兄ちゃんっ! どうして……?」
「……ゴメン」
ソプラからアルトに、裏切りを問う視線が向く。
最愛の妹から、そんな視線を向けられたアルトは、一言だけ謝罪を口にして、視線を下げた。
「《能力》の獲得する条件はいくつかある。産まれながらに覚醒している場合。眠れる才能が目覚める場合。霊格の高い精霊に与えられる場合。努力によって獲得する場合……通常、《能力》の獲得は祝福されることだ」
沈黙に支配された部屋で、空気を読まないことに定評があるアンナが、語る。
……空気を読めれば、その解説が、不必要だとわかるだろうに。
「――だが。他者の《能力》を他者に《継承》することだけは……」
――禁忌とされている。
大陸の司法を司る《ミリス聖教》が定めた禁忌の法。
これを犯せば、大陸全土で《異端者》の汚名を受け、死ぬまで、《ミリス聖教》の特務組織である《断罪者》や《制裁者》に命を狙われることになる。
……《異端者》達の最後は、言葉にするのも憚るほど、酷いものとなる。
「私を……捕まえるんですか?」
「いや、別にそんなつもりは――」
喉仏に縄を掛けられたような気持ちのソプラが、震える唇を動かした。
「――では、幻滅……しましたか?」
「ソプラ――」
ぽろぽろと、瞳から雫がこぼれる。
漏れ出る涙には、カイルへの密かな想いが含まれていた。
……思い出すのは、最初に《グール》から命を救ってもらった場面だ。
あの瞬間、ソプラは初恋をした。
「――カイルさん……っ! 私……どうすればっ……だって! だって! だって! 最初から! 私は――」
憧れのカイルに嫌われる。
そんな気持ちが前面にあふれ出し、ソプラの口は詰まってしまう。
だから、カイルに、ソプラの気持ちが、事情が、伝わることはない。
――だが。
「大丈夫だよ。ソプラ」
「……っ」
カイルはそっと、ソプラの肩を抱きしめていた。
抱かれたソプラは感じ取る。
それは、まるで、一番初めに命を救われた時のような安心感だ。
「俺が今日。君を呼んだのは、禁忌に触れた君を断罪するためじゃない」
カイルは知らない。
ソプラがどんな事情で、禁忌を犯したのか。
だが、カイルは知っている。
ソプラがどんな人間であるのかを。
……それだけで、
「今日、君を呼んだのは――君を、助けたいからだ」
「……っ」
……この言葉を言うには、十分であった。
「フハハ。こうして、カイルは、妾を作って行くのだな。たまらんお手並みだ。もちろん、私は、正妻だからな。嫉妬せず、手伝ってやろう!!」
「お前さ……そろそろ、俺との関係を、無理に深めようとするノリ、やめてくんない?」
……とりあえず、アンナは無視。
カイルは、しゃがみ込んでソプラと視線を合わせてから、
「結論から言うけど、俺は君の《能力》を消してあげたいと思ってる」
「……」
「安心してくれ、これから何があっても君を守る。だから、俺を……信じてくれないか?」
カイルは、そう言った。
ソプラは……
ぎゅぅんっ!
「はい。信じます(やっぱり、私はカイルお兄ちゃんのことが大好き……)」
「良かった。なら――」
力一杯、抱き着いて、
「――でも! ごめんなさい!! 私、ダメなんですっっ!!」
とんっ、と、カイルを突き飛ばして、
「《雷の精霊よ・轟雷の塊となって・打ち抜き給え》。お兄ちゃんっ! 退いてっ! 《サンダー・ボール》!!」
「ソ、ソプラっ!? ぐわぁぁぁぁぁぁぁんっ!! (感電)」
部屋を飛び出していったのであった。
「……」
……これは、つまり。
「ププっ……カイルよっ。貴様。盛大に、フラれたなっプハハハハッ!!」
……という、ことである。
「……ぶん殴りてぇぇ。ねぇ、殴っていい?」
「――それで。どうするのだ? これで、この件からは手を引くのか?」
無駄に煽るアンナを本気で殴ってやろうかと思うカイルは問われた。
……答えはもちろん。
「どうするも、こうするもない。……決まっているだろう?」
ニヤリっ。
アンナとカイルが同時に笑う。
互いに何を思い、何を言うのか、二人はもう、解っていた。
それでも敢えて、カイルは回答を口にする。
「ソプラを救う! それだけだ!」
「その男気や良し! 私も最後まで付き合ってやろう! 殿御と突き合うのは、おなごの性だからな!!」
――バチン☆
アンナの頭に、鉄拳が落ちた。
――勇者学校、カイルの部屋。
主が不在なその寝室で、
バンッ!
白黄色の髪持つ、少女が壁を殴り付けていた。
「どうして! ねぇ! どうして! 折角、私が、約束通りアイに来てあげているのにっっ!! いつも、カイルが居ないのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~~っ!!」
「あわわわわっ。ユウナさん。ユウナさん。暴れないでくださいよぉぉ~~っ。」
ヒステリックに壁を凹ませる、ユウナの横暴を前に、もう一人のこの部屋の主であるマリンは、涙目で震えることしか出来なかった。
……カイルが失踪して、二週間、毎日、こんな感じである。
「ねぇ。マリン。私、嫌な予感がするの」
「嫌な予感……ですかぁ?」
「カイルに近づく、悪女の気配よ!!」
「え……それって……ユウナさんのことでは――」
――どんっ!!
マリンのツッコミが耳に入らなかったのか。
ユウナは、壁に一際大きく深い穴を開けて、
「一体! カイルはどこで何をしているのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ひぃぃぃぃ~~っっ」
窓硝子が軋む程の大声で怒鳴るのであった。
日を追うごとに、ユウナの気性が荒れ狂っている状況を見て、マリンは物思う。
(……私、そろそろ、ユウナさんに殺されてしまうかもしれませんっっ)
――だが、しかし。
そんなマリンの予想は、
……カチャリ。
カイルとユウナの兄貴分である、黒い髪の貴公子、レンジが現われた事で唐突に終わる。
「ユウナ。カイルの居場所が解ったぞ?」
「っっ!! どこ!? 教えて! 私、カイルに会いたいの!」
「《トウネ村》。学園都市から馬車で半日ほど離れた場所にある、放牧民族が住む村だ」
レンジは知っていた。
何時もは、姉として、面倒を見ている風を装って、いつもカイルと一緒にいたユウナだが、
本当は、ユウナの方が、カイルと少し離れるだけで、不安がり、情緒不安定になることを。
ユウナもまた……《黒龍》に故郷を奪われた傷は、癒えていないのだ。
「放牧民族の村? どうしてそんなところにいるのよ! もしかして、私に嫌気が差して――」
「――どうやら、行きずりのパーティーを組んで《長期の依頼》を受けたらしい」
「パーティーっ! ですって!? ソレ、女じゃないわよね?」
「女だ」
「オンナァァァッッ! ――はっ。もしかして、その女ァ、金髪だったりはしないでしょうね?」
「……金髪らしい」
「金髪ぅぅぅぅぅぅ~~っっ!!」
ぶちんっ。
この瞬間、ユウナの心の中で、猛獣を押さえ込んでいた檻が確かに壊れた音がした。
「行くわよ! レンジ!」
「どこに?」
「決まっているでしょ! 悪女の金髪から! カイルを取り返しによ!」
「いや、カイルが一緒に行動しているんだ、悪い人間ってことはないだろう」
「五月蠅い! そんなことは百も承知で行くのよ! カイルに会いたいの!」
「……今日、帰ってくるとしてもか?」
「善人とか、悪人とか、いつ帰ってくるとか! もう、そういう問題じゃないのよ!」
ばんっ!!
怒りで頭に血を上らせたユウナが壁を蹴り破って、走り出す。
「――カイルの隣に私以外の女がいる! それが! 大問題なのよ!!」
(カイルは、カイルだけは! 絶対に、誰にもあげないんだから!!)
「待て。ユウナ。人を殺すんじゃないぞ」
レンジも保護者として、ユウナの背中を追っていく。
そうして、嵐が去った後、ぽつんと残されたマリンが、壊れた壁や扉を見て、
「うわわわわわわっっ。壊したなら、治していって下さいよぉぉぉ~~っっ!!」
涙を流すのであった。
――十四日目。トウネ村。早朝。
異端者ソプラは、望叶剣が封印されている祠に来ていた。
その祠は、幾重にも結界が張られた洞窟の奥にあり、トウネ村の住民でも、《精霊の巫女》であるソプラしか立ち入る事のできない場所だ。
「精霊さん。私の秘密……きっと、この村の秘密も、カイルさんに、バレちゃった……」
松明の炎がごうごうと燃えている、そんな場所で、ソプラは、《望叶剣》を抱きしめながら、《精霊の巫女》としての役割を思い出す。
かつ、かつ、かつ。
足音が三つ。
ソプラが濁った瞳で視線を向ければ、そこには、カイルと、アンナ、そして、
「アルトお兄ちゃん……のせいでね」
「ソプラ! もう、終わりにしよう!」
「五月蠅い。裏切り者のお兄ちゃんは黙っててっ」
「ソプラぁ……」
ソプラの双子の兄、アルトの姿があった。
「カイルさん。たくさん、結界があったと思うのですが、どうやって、ここまで来たんですか?」
「フハハ――ッッ!! あの程度の結界なぞ、この美少女に掛かれば、お茶の子さいさいで、解除出来るわ!!」
「……」
カイルにされた問いに、アンナが答えたことで、ソプラの眉が僅かに寄せられた。
……不快とでも、感じたのであろう。
「アンナお姉ちゃん……《精霊さん》が、一番警戒していた訳ですね」
「ふむ……やはり、カイルを好きになるような、物好き精霊、私を好きにはならんかったか」
「……」
ソプラは更に眉をしかめつつ、《望叶剣》を抱いたまま、祭壇の上から三人を見下ろす形で向き直る。
「ここまで来たということは、もう知っていますよね?」
ソプラの真後ろには、大きな結晶があり、中に巨大な《狼》が透けて見えていた。
……魔物だ。
「私の《能力》、《精霊の巫女》は、《この世のあらゆる精霊さんと、対話が出来る》能力です」
「それでは、説明不足であろう、ソプラよ。貴様の能力は、《あらゆる精霊の加護を引き出せる》能力……と、言うべきだ」
全て見抜いている! と言うように、アンナが胸を張って指摘する。
……だが、それを知っているのは、事前にアルトから説明を受けていたから、であるのは笑えばいいのか。
――ともかく。
これで、ソプラが七大属性全ての魔法適正を持っていた理由がはっきりとした。
あらゆる精霊の加護を引き出せるのだから、七大精霊の力を引き出せるのも、当然である。
「……私たち巫女は、この能力を使って、《望叶剣》に眠る精霊さんの加護を引き出してきました」
アンナが《神級》と言った精霊の加護。
それを何に使っているのか? と、聞けば、ソプラはこう答える。
「この大陸全土に蔓延る、《凶悪な魔物の封印》……それが、私の……私達巫女の役割なのです」
一同の視線が、ソプラの背後にある結晶に向かう。
正確には、結晶に囚われている、魔物に。
「此は、《クリスタル・ウルフ》。かつて、この村の付近に生息し、人々を蹂躙していた、ランクAの魔物です」
「ランクA……小さい国なら滅亡する脅威か」
……ごくり。
と、カイルが生唾を飲む。
三年経って成長したが、ランクDの《ラビット》に、殺されかけた記憶がよみがえる。
ランクAは、ランクDの何倍も強い。
成長した、今のカイルでも、苦戦は必至であろう。
そんな魔物達を、大陸全土で、封印している。
それが、《精霊の巫女》ソプラの役目なのだ。
……もし、ソプラを救うため、《能力》を取り上げてしまったら、
「カイルさん。私が、私の一族が《能力》を失えば、大陸全土で、封印されていた魔物が解き放たれ、多くの命が失われます」
「……」
だからこそ、ソプラはカイルの手を取らなかった。
だからこそ、ソプラは異端者となっても、先代の巫女から《能力》を継承したのだ。
「それでも、カイルさんは、私を救うといいますか?」
「……」
ここで、初めて、アンナ、アルト、ソプラの視線がカイルに集まる。
この問いに対する答えだけは、アンナも、アルトも、カイルの言葉を、固唾を呑んでまった。
……そして、
「どうでも良い」
カイルは答えた。
「世界がどうなろうと、大陸全土がどうなろうと、どうでもいい!!」
何代も何代も、世界を守ってきた《巫女》に向かって、カイルはそう、言い切った。
――決して。
数日前に首を突っ込んだだけのカイルには、巫女として生まれ、生きてきたソプラの気持ちは解らない。
……おそらく、常人の考えが及ばないほどの苦悩を、既に抱いてきたのだろう。
――だから、
その苦悩とは、向き合わない。
……きっと、何を言っても、ソプラの救いにはならないだろうから。
「勘違いしていない? ソプラ」
「勘違い……ですか?」
「昨日も言ったけど、俺は別に、禁忌を犯して、《能力》の継承をしたことに付いては、どうとも思っていないんだよ」
「っ」
「ソプラが、そうしたいと思って、そうするべきだと、思ったなら、禁忌でも、何でも、犯せばいい」
――代わりに、
カイルは、カイルの行動原理、行動理念の秤を持って、ソプラと向かい合う。
「じゃあ、なんで、貴方は、ここに来たんですか?」
「今のソプラを放置すれば、《死ぬ》からだ」
「――っっ!!」
ソプラの表情が驚愕で碧く染まる。
それは、カイルが口にした言葉が真を付いていたからだ。
……ミリス聖教が《能力の継承》を禁忌としているのには理由がある。
それは、《能力の継承》をすると、《能力の継承》をした人間が、必ず、《死亡》するからだ。
それを踏まえれば、ソプラとアルトが子供二人だけで、民泊に止まっていた理由も想像できるだろう。
「それは……まだまだ、先の話です」
「――違う!」
――だが、
カイルが言っている《死》は、数十年後に訪れる《能力の継承》による《死》ではない。
「《望叶剣》に付いて調べたアンナが言っていたよ……」
昨日、アンナがソプラの能力に付いて、語ったとき。
最後にこう、いったのだ。
『ソプラの能力は、《精霊から加護を引き出せば引き出すほど、寿命を失っていく》……』
つまりだ。
望叶剣の加護を引き出して、大陸全土の平和を守っている限り、ソプラの寿命が減り続ける……そういうことだ。
「そんなことを知ってしまったら、もう。見過ごせないだろう?」
ダンっ……と、カイルは強く地面を踏んで一歩、進む。
「そんな理由でっ……そんな理由で、あなたは世界に魔物を解き放つつもりなんですか?」
「そんな理由って……可愛い弟子の命を弄ぶ、《望叶剣の精霊》を、俺が許す訳ないだろう?」
「……っ!」
「安心してくれ、ソプラは何もしなくていい。俺がソプラと精霊の契約を解除する! その精霊に気に入られている、俺なら、出来る!」
カタっ。
遂に、目の前まで来たカイルが、ソプラの持つ、《望叶剣》に手を伸ばした。
「待ってっ! 待ってっ! そんなことをしたらっ! 大陸全土に封印されている、魔物達が――っっ!!」
「俺の可愛い愛弟子を犠牲にして世界が守られているって言うのなら、そんな世界、俺が滅ぼしてやる」
……そして、触れた。
「望叶剣に眠る精霊よ! ソプラとの契約を解除しろ」
――瞬間。
ばちぃんっ。
と、何かが弾け、ソプラが真横に倒れた。
同時に、
バキバキバキ……と、《クリスタル・ウルフ》を封印していた結晶が壊れていく。
……つまり、だ。
「これで、ソプラの命が救われた訳だね」
ソプラが転倒する前に、抱き上げたカイルが、満足そうに、そう言って、大団円と締めを綴る……が。
「――馬鹿者! カイル! 逃げんかぁぁぁぁぁ――っっ!!」
ばりばりばり……ばりばりばり……ばりばりばり……
ソプラの契約がなくなったことで、魔物を封印していた結晶が、音を立てて崩れていき、
「グラァァァァァァァッァァァァァァァァァァッァァァ――ッッ!!」
「って、そんな簡単なオチじゃないよねぇぇぇぇえッッ!!」
カイル達の前に、《クリスタル・ウルフ》が出現したのであった。