四十四 本選前夜のイロイロ
「んっ……ふふ♪」
ミリナが熱っぽい声でキスを締めると、にぱ~っと笑顔になった。
熱いのは声だけではなく、身体も熱い。
熱でもあるんじゃないかなと、思いながらミリナの背中を摩ってあげる。
「ふふっ。ではカイル様。剣を持って来ますね」
「ミリナ……」
どくん、どくん、どくん。
カイルの心臓が脈動して、もう一度ミリナに唇を近づける。
……欲しくなった。
あれだけ熱いベーゼをされれば、カイルもその気になってしまう。
「っ!」
カイルの目つきが変わったことに、ミリナも気づいて小さく驚いた。
「カイル様! カイル様! 待ってください。ここじゃ恥ずかしいですよぉ~」
「っ! ……あ。ゴメン。ちょっと今、理性が飛んでたかも」
ミリナの声で冷静になったカイルが、何となくシルフィアに視線を送ると悍ましいオーラを纏っていた。
(まずい。まずい。まずい)
「カイル様! すぐに! 剣を持ってカイル様のお部屋に行きますので!! 続きはその時!」
「……」
カイルの汗に気付かないミリナが、嬉しそうに立ち上がり、《カイルの剣》を保管している、ミリナに宛てがわれた個室へと走っていく……
「すぐに! すぐに行きますので! 待っていてくださいよ!」
「いや……。夜は危ないから明日で良いよ……」
パタパタパタパタパタパタ。
……聞いていない。
「ふふふ、あなた?」
「ひぃっ!!」
ミリナが、走り去ったところで、シルフィアが氷の微笑みを浮かべながらカイルに近づいていく。
イロイロなミリナとの問答や行為を見られた後で、今更ビクつくカイルが引き攣った声で、恐る恐るシルフィアから距離をとる。
ガン!
背中を廊下の壁にぶつけた。
「マリンさん。ここからは、二人きりにしてくれますか?」
「……はっ! はい。 すみません! すみません。あわわわわわっ!」
「まっ! まって! マリン!! み、見捨てないで! 行かないで!! 助けて!!」
「見猿。聴か猿。言わ猿です!! では御ゆっくりぃぃ~!!」
マリンも披露宴の会場に戻っていく。
逃げられた。
「ふふふ、幼いミリナさん。だけでなく、マリンさんにも手を出すつもりですか? そうですか」
「何も言ってないよ!」
「あっちもコッチも手を出して、良いですね? 羨ましいです。ハーレムと言う奴ですね? 分かります」
「ちょっ……! シルフィア!? 話を! 話を聞いてくれ!」
一歩ずつ、ゆっくり近づいて来るシルフィアに、風竜神よりも恐ろしいプレッシャーを感じる。
……こうなったら!
「ごめん! ごめんなさい!!」
「……」
カイル流奥義《土下座》である。
頭をしっかり冷たく固い廊下に押し付けて、綺麗な土下座を決めた。
しかし、シルフィアの眼差しは氷点下のまま、無言で近づいて……
「ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい!!」
「……」
「誰でもってわけじゃないんだ。ミリナは特別で……!」
「……」
恐ろしい。
人は怒ると言葉を失う。
それがわかった。
(まずい! シルフィアに捨てられる! 愛想を尽かされる!!)
もちろん、カイルもシルフィアに言えばこうなる事は覚悟の上。
自分が最低だと、分かっている。
捨てられるのは無理も無い。
しかし、実際に捨てられる。ということは受け入れがたかった。(ゴミ人間)。
汗を欠きすぎて脱水症になりかけているカイル。
そのカイルにシルフィアは……そっと寄り添った。
「良いんですよ? それより、マリンさんから重傷を負っていると聞きましたがそれは?」
「え……っ?」
……どゆ事?
「怪我は……ミリナが治してくれたよ」
ディープキスで、とは言えない。
「そうですか……。身体は大事にしてくださいよ?」
「……?」
シルフィアは何時もと同じように、カイルの右肩を支えながらホッと一安心して息をついた。
そこで、カイルも気づく。
氷の温度に感じたシルフィアの表情が何時もと変わらないと言うことに。
だからこそ、不安になり、恐る恐る聞いてみる。
「シルフィア……。さっきのこと怒ってないの?」
「さっきとは? ……婚約者の前で堂々と、キスをしていた事ですか? それについては思うところはありますよ? 聞きますか?」
「いや……」
そこ……じゃない。……ことも無い……が、今はそこじゃない。
「……ミリナの事を嫁にするって言う話は?」
「……? 悪いと思ってたのですか? 深いキスまでしておいて……今夜のお約束まで取り付けておいて」
「それは……! 違くて! 本能的なナニカが!」
ふふふっ。
焦るカイルに、シルフィアは優しく笑う。
「もう一度言います。そんなこと……気にしなくて良いんですよ?」
「なんで!! もう、諦めたから? 誰彼かれ構わず口説くダメ男って……」
シルフィアが怒らないことに、逆に恐怖を感じて突っ掛かる。
ある意味、怒られるより、諦められる方が恐かった。
「あなたがそんな人じゃ無いことは、私が一番知っています」
カイルの右腕をシルフィアは優しく取って胸に抱く。
「だからこそ、たくさん悩んだ筈です」
「……そんなこと、君には関係無いよ」
そのままカイルの腕を引き立ち上がらせる。
「私はあなたを支えると言いました」
「……そうだけど、でも、それは……関係っ」
「いいえ。ありますよ? 夫が悩み苦しんでいる時こそ、妻が支えなくてどうするのですか?」
「……っ」
立ち上がったカイルの頭を優しく抱きしめる。
月明かりがシルフィアの白銀の髪を輝かせていた。
その様に女神の貫禄と神秘性が溢れていた。
これぞ、聖女。
「あなたのことは私が支えます。だからあなたは、勇気と自信を持って前に進んでください」
「……」
「その道が正しく無いのなら、ちゃんと引き止めて見せますよ……?」
シルフィアは好きな人が、好きじゃないことしたからと言って愛想を尽かさない。
そういっていた。
「良いの? 俺、こんなに格好悪いのに? 今ならきっと……」
「本当に自分が辛いとき、苦しいとき、格好良い人なんていませんよ」
シルフィアは言わないが、カイルの格好悪い姿は一番最初。
ジーニアスにボコられた時に見ている。
その時、カイルの事を情けないと思っていた。
むしろ、格好良いと思った事は一度も無い。
断罪者の手からシルフィアを救った時ですら、血みどろで、泥臭く、汗と涙と鼻水を流しながしていた。 物語のヒーローならもっと華麗に優雅に救うだろう。
でもカイルは違う。
禁忌の力にすがり、命を削り、その様は杜撰で稚拙。
そうやって戦っていた。
でも、
「私は……華麗で優雅な王子様の名言よりも、杜撰で稚拙な凡人さんの迷言の方が何百倍も、心に刺さるんですよ?」
「……?」
カイルにはシルフィアの言っている意味は解らない。
けれど、何故か悪い気はしなかった。
「つまり、ミリナの事は?」
「ふふ……認めますよ? 認めなかったら結婚してくれないらしいですし。脅しですね? はい。効果適面です」
「うっ……脅しって訳じゃ……」
(私があなたを支えます。だから、あなたは何も気にしなくて良いんですよ? あなたが望むならハレームでもなんでも、なさってください。私はあなたを支えつづけますから……)
唸るカイルの背中をシルフィアは撫でながら、押して歩かせる。
「ところであなた。今夜はお部屋にお邪魔して良いですよね?」
「えっ……と、それは……そういう意味?」
カイル達、決勝進出者には、専用の個室が与えられている。
もちろん、選手だけではなく、ミリナやシルフィアと言った、主催者側の重鎮にも個室が与えられている。
だから、シルフィアがカイルの部屋に行く必要は無いのだが……
「嫌ですか? ミリナさんとの時間を邪魔されたくないと。そうですか、そうですか。新品の前に中古は要らないと……。私を娶らないのは、飽きたから捨てるという、方便だったのですね? 悲しいです」
「言ってないよね!! ……何度だって、シルフィアが来てくれるのは嬉しいよ? ……でも」
どうなのだろうと、カイルは思う。
シルフィアと寝ると恐らくゆっくり休めなくなる。
それに……ユウナの事が頭から離れない。
ミリス聖教国の時と違って、楽しい気持ちにはなれない。
それは、楽しみにしてくれているシルフィアに悪い。
「ごめん。今日はそういう気分じゃないんだ。信用ないと思うけど、ミリナの事も追い返すよ……」
「信用してますよ? でも、あなた? 気分が乗らない時。だからこそ、ですよ?」
「ん? どゆ事?」
カイルの個室の前でシルフィアが足を止めて言う。
「何度も言いますが、あなたが苦しい時こそ、私を側に置いてくれませんか?」
「……」
「上辺だけ、気持ちの良い時だけ、一緒。なんて都合の良い関係は嫌です」
「……」
「例え明日。あなたが何をしようとも、あなたに何があろうとも。私はあなたの妻になります。だから、一人になる必要はありません。もっと……あなたの格好悪い所に踏み込ませてください」
シルフィアは、もっとカイルを知りたい。
どんなカイルも受け入れる。
必ず支える。
その意思は、ボロボロだったカイルの心を……少しだけ癒した。
「……それが家族というのではありませんか?」
「家族……か」
「……?」
それでも、ユウナとの決戦の意味はカイルにとって大きすぎる。
ユウナは本気だった。
必ず有言実行する。
ユウナとはそういう少女であることを、カイルは知っている。
(シルフィア……。俺は、家族を護るために、家族を殺すよ)
ゾクリ。
改めて、心の中で覚悟を形にすると、無性に不安になった。
全身が、氷のように寒く。
強い馬車酔いのように気持ち悪い。
「あなた?」
「……」
でも、シルフィアと接触している場所は暖かかった。
シルフィアの声はとても快かった。
めちゃくちゃに、縋り付きたくなるほどに……
「シルフィア!」
「っ!」
だから、シルフィアの頭を掴んでキスをした。
一瞬。驚いたシルフィアだが、すぐに瞳を閉じてカイルの背中に手を回し、支えにする。
力を抜いて幸せそうに寄り添うシルフィアに……
「……今、未室の部屋に来たら……きっとひどいことするよ?」
「ふふ、それでも良いんですよ……? 私はあなたの妻になるのですから?」
「妻って……意外と大変そうだね? 罰ゲームみたい」
「そうですか? 全部、あなたの特別になれるということですよ? それが、ご褒美以外の何だって言うんですか……?」
ゴクリ。
良い人を見つけられた。
良い人に出会えた。
カイルはそう思い。
シルフィアの腰を抱き寄せる。
すると、シルフィアがくすぐったそうに微笑んで……
「今日はお疲れ様でした。あなた。……闘いで高ぶった身体も、悲鳴をあげる心も、今は休ませてあげましょう」
「……ミリナが、来たらどうする?」
「彼女にはまだ早いので追い返してください……ね?」
そんなシルフィアの事を抱く腕が、幸せで……
キスをしながらベッドに押し倒す。
「ふふ……ドキドキしますね?」
「ドキドキって……今さら……駄目だよ?」
言いながら、腕を白い修道服に伸ばして、脱がせてしまう。
すると、あらわになるのは、痣一つない純白の美しい肌。
何より、視線を引き付けるのは、大きな二つの蕾。
それに手を伸ばし……
ピタッ。
止まった。
「……? 触らないんですか?」
「……っ!? ごめん。シルフィア。待ってて!!」
「えっ! そんなっ。あなたっ! このタイミングでどこに行くんですかあぁぁぁーー! もうっ! 馬鹿。これは酷過ぎますよ……」
何故カイルは、シルフィアを置き去りにして部屋を飛び出したのだった。
その少し前……カイルとシルフィアが【にゃんにゃん♪】しようと、じゃれあっていた時。
ミリナは……
(ふふっ。遂に! カイル様から夜のお勤めに呼ばれましたっ♪ 既成事実っ!!)
既成事実さえあれば、カイルと結ばれる事が更に確実になる!!
王族王女として、夫人に対する【夜のお勤め】は、人並み以上に嗜んでいる。
自信はある。
(わがままボティーのシルフィアお姉様よりも、カイル様を満たせばカイル様は私を毎晩床に呼び、常にお側に置いてくれる筈です……うふふっ。下剋上です♪)
初体験の予感に、緊張と羞恥で赤顔しながらも、それ以上の興奮で、ドキドキと高揚していた。
そんなミリナは、カイルの剣を両腕一杯を使って大切に抱いき、カイルの部屋へと駆けていた。
月明かりだけの暗い廊下だが、披露宴の饗宴はまだ続いていて、
部屋の前を通ると、明るいあかりと楽しそうな声が聞こえて来るが……
気にしない。
カイルの部屋に行けば、披露宴でだされるどんな出しモノよりも、刺激的で、濃密で、優美で、甘美で、アダルトで、官能的で、アダルト!! アダルトで!! アダルトな!!
……夜が待っている。
(ふふっ。姉様よりも先に禊ぎをしてしまう。悪い子なミリナをお許しください。うふふ)
と思いつつ、実は全く悪いと思っていない。
……本当に悪い子なミリナだった。
溢れる幸福感にニヤニヤが止まらない。
走る! 走る! 走る! カイルの元まで、何も見ずに……
ガンッ!
「っ!」
が、しかし……前を見ずに走っていたせいで、背の高い男とぶつかってしまった。
突然の強い衝撃に、反動で吹き飛ばされ、カイルの剣を落としてしまう。
チャリン。チャリン。
「はぁっ! あっ! ……申し訳ありません」
(カイル様にお預かりしている大切な剣が!!)
カイルの剣が乱雑に落ちてしまった。
ミリナはその不注意を泣きそうになるほど後悔した。
何故なら、剣をカイルから取り上げるとき、
『ミリナなら大丈夫だと思うけど……大事な剣だから大切にしてね?』
と、言われていたから。
だからミリナは、今日まで、毎日三回は欠かさず剣を磨いていた。
落とした事など一度もなかった。
なのに……剣を落とし、カイルの信頼を裏切ってしまった。
それがミリナには許せない。
自分の不徳の行動を取り返すために、すぐに剣を拾い直し両腕に抱いた。
(カイル様……お許しくださいませ……はしゃぎ過ぎました)
一気に悲しい気持ちになったミリナが、もう一度カイルの部屋を目指そうと足を進めると……
バン!
「えっ?」
再び……同じ男と衝突した。
今度は剣を離すことは無かったが、それでもお尻を付くほどの衝撃だった。
「……っ!」
一度目は前を見ていなかった。
しかし、二度目は反省し前を見て歩いていた。
それなのに、男がミリナの目の前に急に虚空から現れてぶつかってしまった。
《空間転移》能力!!
普通の十歳児なら思考停止する所だが、ミリナは何があったかを冷静に分析した。
そして……そうだとするなら、男は故意的にぶつかってきたということになる。
「どういう……つもりですか? 貴様は誰ですか? 私が誰か知ってやっているんですか?」
ミリナは警戒を強くし、姉譲り……いや、大陸最強軍事国家ローゼルメルデセス王家の血を引く者として、高圧的に威嚇する。
「お? 見た目よりも強気なお嬢ちゃんやな。俺はそういう性格の女をモノにするのが好きなんよ。今からどうだい?」
「っ……! 下劣な人は嫌いです。それに、今夜のお相手は決まっています。消えてください」
暗いせいでミリナに男の顔は見えなかったが、言葉だけで不快感は充分過ぎた。
だから、高潔に断る。
だが……そんなミリナの態度に……
「じゃあ、死ぬかいな?」
「っ!」
素人のミリナでも、廊下の温度が、数度下がる錯覚をするほどの濃厚な殺気が満ちた。
強烈な殺気が無防備なミリナの喉を締め付ける中、それでも揺るがないミリナの瞳に男は嗤った。
「ふっ……まあいいんや。ここで暴れても、面倒なのに絡まれる。……勇者や魔道神に、あの小娘と三人を相手にするのは分が悪いんや」
「……?」
意味不明の言葉を口走ってから、男はミリナが腕に抱く剣に指をさす。
「その英雄の魔剣。寄越せや。そうしたら見逃してやるかいな」
「っ!」
男の目的は、カイルの剣……
それを知ったミリナはぎゅっと剣を抱き直し、徹底抗戦の構えを見せた。
男が放つ抗えない殺気の恐怖に震えながら……
「そうかい。なら……無理矢理奪うまでよ!!」
更に濃厚な殺気を放ち、男がミリナに手を伸ばした瞬間。
「……」
アンジェリーナの命令で、気配を消してミリナを護衛していた《影》が、五人現れ、男に強襲をかける。
五人の影は、特務部隊の中でも優秀な五人。
その力は、七騎士に及ばないまでも、近い力を持っている。
神速といっていい短剣が、ミリナを襲う男に迫る。
だが……
「へぇ~。強いやん」
男は軽快に笑い……ゆっくり腰の剣を抜くと、
ーー。
音と色を置き去りにして五人の影を……既に真っ二つに斬り裂いていた。
ブシャーーッ!!
直後、血の雨が降り注ぐ。
その時、天候が変わり、稲光が起きた。
その光が、男の顔を照らした。
「っ……! 貴様は!? Dブロック代表の魔剣使い……」
「あーあ。見られちゃったなぁ~。まあ、まだ口封じすれば良いだけやかな?」
ミリナを殺すのは勿体ないと思っていた男だが、騒ぎが大きくなると困る事情があった。
だから、ミリナの首をはねるべく剣を振り……
パン!!
そこで、男の頭に何かが当たり……のけ反らせた。
「なんや~?」
パン!! パン!! パン!! パン!! パン!!
更に五回。
男をのけ反らせる衝撃と乾いた音。
それと一緒に、ミリナの前にジーニアスが立ちはだかった。
「はぁ……。僕は今、こういう場面に出くわす気分じゃないんだけどな……」
「ジーニアス様!! どうして……」
「ミリナちゃん……じゃなくて、ミリナリア姫。どうしてとは、僕がミリナリア姫を助ける理由かな? それとも、僕がここにいる理由かな? それは聞かないで欲しいんだけど……」
ジーニアスの乱入に驚くミリナだが、
ジーニアスは、シルフィアにフラれた気晴らしに人の少ない廊下を歩いていた。
ただ、それだけだった。
「仮に、前者だとして答えるけど、いくら落ち込んでいるからって、僕は、あの状況で助けない程、人でなしではないよ?」
「っ! ジーニアス様。ジーニアス様!!」
魔道王ジーニアスの存在は、場を支配していた男の恐怖を打ち消した。
そのおかけで身体の硬直が解けたミリナは、カイルの友人。ジーニアスの足に縋り付く。
……それだけ恐かった。
そんな、ミリナの手から、ジーニアスは剣を取り上げた。
そして、男に投げ渡してしまう。
「っ!」
その行動に、言葉を失ってお尻を付くミリナを無視して、ジーニアスは男に言葉をかける。
「君の目的はその剣なんだろ? それで今日の所は引き下がってくれるかな? 聴いていたよ。ここで戦いたくないんだろう?」
「……」
男は飄々と語るジーニアスを無言で凝視して……剣を構えた。
「ふん。兄ちゃんじゃ、実力不足やな。一瞬で終わるから問題ないな。やられたまま帰るのは性に泡ないんやよ」
ジーニアスを観察して、その実力を見切り切っての言葉。
互いの実力差は、ジーニアスも……解っている。
だが、
「本当にいいのかい? これは君の為の忠告なんだよ? ……《起動》」
「っ!」
ジーニアスの前の空間に無数の光が出現する。
それは全てを消し飛ばす《シックス・マジック》の光。
「ふっ。その光はヤバイ奴やな……。いいやんけ。兄ちゃんの粋な覚悟に免じて見逃やんよ」
「……ふぅ~っ」
男はジーニアスを鋭い視線で見つめてから、闇の中に姿を消して行った。
一見落着……と溜息を付くジーニアス。
パチン!!
だが、そんなジーニアスの頬をミリナがひっぱたいた。
「なんで! どうして! あの剣は! あの剣は! カイル様の大切な! ……」
「……だからかな? 実はね。僕はカイルが嫌いなんだよ。色々あってね」
パチン!!
ビンタ二度目。
おちゃらけるジーニアスに、軽蔑の眼差しをミリナは向ける。
「最低です! 最低です!! 最低ですっ!! だからシルフィアお姉様にもフラれるんです!! ……ううっ……う」
「えっ! ……なんでそれを……それに、泣くのは反則だと思うな」
ミリナの逆鱗がジーニアスの癒えてない傷をえぐる。
ぐりぐり、えぐる。
でも、少女の涙は全てを覆す威力があった。
「助けて……くれると……思ったのに……。優しい……方だと……思ってたのに……ううっ」
『ミリナ!!』
「っ!」
そこで、カイルの声が響き、ミリナの身体が、剣を無くした罪悪感と、緊張でピクンと跳ねた。
そんな心情を知らないカイルは、ミリナの身体を優しく抱きしめた。
「遅いよカイル。君の姫だろ。君が守らなくてどうするんだい。……何をしてたのかな?」
「何って……まだ何もしてなかったよ。何もしてないから、出てくる時シルフィアに怒られたもん」
カイルが、ここに駆けつけたのは偶然ではなく、ジーニアスの魔法で知らせを受けたから。
男として、タイミングは最悪だったが、ミリナのピンチと聴いたカイルは、抱いていたシルフィアを突き飛ばして、最速で駆けつけた。
そんなカイルに、ミリナは恐る恐る……告げる。
「カイル様……カイル様の剣を……奪われてしまいました」
「は? ……望叶剣を?」
ビクン!
チラリと、ジーニアスを見るカイルに、ミリナは更に脅える。
「敵の狙いが君の剣だったんだ」
「なんでまた、魔剣なんか……」
「カイル様! お許しください! お許しください!」
呆れた声のカイルの胸に、ミリナが縋り付きシクシクと、悔恨の涙を流しながら謝罪する。
何度も……何度も。
ぺチン。
そんなミリナのオデコにカイルはしっぺを打ち込んだ。
「馬鹿ミリナ」
「ううっ……。すみません。すみません。ジーニアス様に……奪われて……それで」
カイルに嫌われたくない一心で、ミリナは言い訳をする……が。
「ミリナが無事で良かった」
「え?」
心からの言葉だった。
カイルは怒ってなんて居なかった……
それが、人の機微に敏感なミリナには解った。
「剣なんかどうでも良いんだよ。ミリナの安全に比べたら、ゴミ以下だよ。それくらい……解ってよ」
「……でも、カイル様は明日!」
「良いんだよ。それ含めて、ゴミ以下だよ……。恐かったでしょ? 遅れてゴメンね。泣いて良いんだよ? 甘えて良いんだよ?」
「っ! ううっ! カイル様ぁ! カイル様ぁあああああ~!」
カイルの優しい言葉は、ミリナをただの少女に変える。
言い難い溢れる熱い感情が涙となってこぼれ落ちていく……
そんなミリナをカイルは背中をさすって宥めながら……
「ジーニアス。ミリナを巻き込まない様にしてくれてありがとう」
「礼を言われる程のことでもないよ。……たまたま通り掛かっただけだしね」
魔道王ジーニアス程の男が、襲撃者に魔剣を奪われ、そのまま逃がしている。
それは全て、非戦闘員のミリナを戦闘に巻き込ま無いようにしたから。
……敵がそれだけ警戒する必要があったという事でもある。
「で、ミリナを襲ったのは誰なんだ?」
「名前と素性は解らない。でも、明日の本選にでる魔剣士だよ」
「あいつか……」
カイルは披露宴での謎の魔剣士の姿を思い返し、密かに打倒することを決めた。
腕の中のミリナを抱きながら……
(どうせ剣も取り返さないといけないしね。何より、ミリナを襲った事が許せない……)
「カイル。悪いけどあの魔剣士は僕が貰うよ? 邪魔をするなら君を先に伐つ」
「……は? なんで?」
「ミリナちゃんに叩かれたからかな?」
「はぁ~?」
カイルが腕の中でピクンと震えたミリナと、微笑むジーニアスに首を傾げるが、その真意をジーニアスは話さない。
「とにかく。僕には僕の落し前が。カイルにはカイルの落し前があるだろ?」
「……っ! ジーニアスお前……」
「フフっ。君は少し一人で背負い過ぎだよ」
……じゃあ、僕はもう行くからね。
シルフィアにあんまり負担をかけないでくれよ?
ジーニアスはそういって、背を向けた。
「ジ、ジーニアス様っ!! 私……誤解していました。無礼な言動をお許しください」
ジーニアスが、剣を渡した理由が自分を護るためだったと、カイルとの会話から気づいてしまったミリナが、その背中に誠心誠意、謝罪する。
「ふっ。ミリナちゃん。カイルのことが大嫌いって言ったのは本当だよ?」
「っ!」
「それと、プライドを捨ててまで助けた相手に、謝られてもうれしくないかな」
「……っ! 感謝致します」
「ふっ……。たまにはこういうのも悪くないものだね」
ジーニアスは振り返る事は無かったが、ミリナはジーニアスの姿が消える前で最敬礼を続けた……
「ん? 今さらっと、あの野郎! 俺のこと嫌いとか言った!? 俺だって、お前の好きじゃねぇ~よ! ボコボコにされたこと忘れてないからな!」
「カイル様!」
ん?
「ジーニアス様の悪口はやめてください! あの方は、とーっても素晴らしい方ですから」
敬礼を辞めて振り返ったミリナの表情は、とても晴れやかだった。
青天の霹靂か! と突っ込むたくなる程に。
「いやいや! 最初に悪口を言ったのは向こうだよ?」
「我慢してください。ジーニアス様とは長い付き合いをした方が、カイル様の為になりますので」
「……なんかこの展開、可笑しくね!?」
(……そういえば、シルフィアもジーニアスの悪口は怒るんだよな~。
あれ?
俺より、ジーニアスの方が大切にされてね?
慕われてね?
……ヤバくね?)
そして、この後、ミリナを、保護の意味合いも兼ねて部屋へ連れていくと……
ただでさえ、置いて行かれ、むくれていたシルフィアが更にむくれ上がり、
ミリナもミリナで、シルフィアがいることにキンキンと吠え……
その夜は、肩身の狭い想いをして眠れなかったカイルだった。




