三十三 レンジの始まり
ミリス歴二千年。
正義の傭兵部族が暮らす《ソレド村》の族長の子として、レンジは誕生した。
族長はレンジが一人で立てるようになる前から、剣を握らせ、鍛えあげた。
幼いレンジに、何度も同じ事を言って育てた。
「レンジよ。誰よりも強くなれ......そして、誰よりも優しくあれ。弱きを守るのが強き者の義務だ」
「はい......父上」
幼いレンジに父の厳しい剣の教えは、とてつもなく辛いものだったが、レンジは泣き言を一度もいわ無かった。
なぜなら、レンジの父は剣を教える時は鬼のように厳しいが、普段はしっかりとレンジを愛し慈しんでいたから......
更に、レンジの母は厳しい父とは違い、聖女のように優しく穏やかな性格で、少しでもレンジが成長すると自分の事以上に喜んであげられる人だった。
そして、なにより、レンジの剣の才能は、代々続く傭兵部族のソレド村の歴史の中でも、見たことが無いほどのものだった。
レンジが、五歳になる頃には、剣士の基本にして、極致、《剣気》を操れるようになっていた。
勿論、それには、レンジに剣を教えていた父の教えがあって初めて成し遂げられた事なのだが、僅か五歳にして、剣士の極みにたったレンジの才能は言わずもがな。
父は、通常成人(十三歳)しか入れない、傭兵団に五歳のレンジを特別に入団させた。
入るに当たってレンジには、在団する傭兵団百人と戦い勝つという、厳しい試験が課せられたが見事それを突破した。
傭兵団のメンバーは、レンジの実力を認め、若き天才剣士の誕生を労った。レンジの父も母もそして、レンジ自身も喜びを噛み締めていた。
この時がソレド村でのレンジの幸福の絶頂だった......
間も無くの事だった。
ソレド村の傭兵達全員に、仕事が舞い込んだ。
それは、ソレド村の二つ隣村に、突如現れた。最強最悪と歌われる魔物《週末の三龍》の一体、死の黒龍の討伐。
ソレド村の傭兵達は、黒龍の被害を抑えるために、精鋭を連れて向かった。
その中には、勿論、既に傭兵だった五歳のレンジの姿もあった。
レンジ達が、黒龍に襲われた村にたどり着いた時には、既に村は壊滅状態だったのだが、数人の男達が黒龍を相手に無謀にも戦っていた。
「よし! これ以上被害を広げさせる訳に行かん! ここで打ち倒すぞ! かかれ!」
「「「おおおおおお!!」」」
レンジの父が指揮を取り、約百人の傭兵達が、黒龍との戦闘に入った。
「第一部隊! 戦っている原住民達を一度下がらせろ! 第二、第三は、《剣技》で奴の体力を削り取れ! 第四狙撃隊は、羽を狙って跳べなくしろ! 第五部隊は生き残ってる住民達を探し出せ!」
レンジ達は原住民と協力しながら、徐々に黒龍の体力を削っていった。
最強最悪の黒龍を相手に善戦出来たのはソレドの傭兵達の連携と、なにより、地力の賜物だった。
傭兵達はみな、剣気を操る超級剣士、中でもレンジの父は王級上位の実力者だった。
更に、《瞬動脚》を活かした独自の流派、ソレド流の高速戦闘が黒龍に対して有効で、百人の使い手が集まればもう、恐ろしいと形容出来るほどの攻撃濃度だった。
勿論、レンジも何度も黒龍に剣を突き立てた。
しかし、黒龍の皮はクリスタルより固く、レンジ達の剣の一撃一撃は薄皮を削ぐ程度でしか無かった。
それでも、レンジ達は善戦していた。
このまま行けば勝てるかもしれない、レンジはそう思った......
だが、黒龍が大気を動かすほど大きく息を吸い込んで、
「ギァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!!」
地割れが起きる程の咆哮を放った。
それは、聴いた者の意識を刈り取り、堪える事が出来たとしても、確実に体を金縛りにする威力だった。
ただの咆哮一つで戦況は変わる。
黒龍はまず、数秒動けない数名を巨大な爪で、切り裂いた。
その威力は恐ろしく、一撃で、喰らった全員が絶命した。
次に、気絶した半数以上の傭兵達に、龍の代名詞、龍の息吹を放った。
「いかん! レンジ」
レンジの父は、硬直状態のレンジを掴みブレスの範囲外まで飛び下がる。
範囲内に居たものはその全員が骨となっていた。
死の龍の名前の由来。
黒龍の攻撃は即死属性を持つ、中でも即死属性をそのまま吐くブレスは、文字通り、必殺。
「くっ......やはり......勝てんか」
既に半数以上のソレド村の傭兵達が今の一撃で死に絶えたのを見て、レンジの父はそういった。
「うっ......族長ぉ......助けてくれ......脚が......」
ブレスをかわしきれずに、無惨にも脚を骨にされた傭兵の一人が父に縋り付く。
父は、レンジを降ろして、傭兵とレンジに最後の教えを残す。
「それでも、逃げる訳にいかん! 我々が闘い、弱き者を守るのだ!」
レンジに背中を見せた父は、剣を救いを求める傭兵向けて、無言で合図した。
傭兵も無言で頷いた......そして。
ズパン!
傭兵の首を切り落とした。
「レンジよ。ここから先の闘いは、作戦も戦略も無いただの乱戦だ。他人を助ける必要は無い。皆、死ぬ覚悟は出来ている。己の限界をただぶつけるんだ! そうすれば奴は必ず倒せる! 生き残れ!」
そういって、父は黒龍に立ち向かった。
「......限界。全力......。俺は......! 今。限界を超える! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーっ! 横断!! 横断!! 横断!! 横断!!」
レンジはがむしゃらに戦った。
もう、周りを気にはしなかった。
救いを求める声をすべて無視した、何度も何度も、剣を黒龍に突き立てた。
いつの間にかに、レンジは一人になって居た、それでも、戦った。
そして、遂に......レンジの気力も底を付き、龍の一撃を避けられなくなった。
「ああ......死ぬ。父上......母上。俺は......何のために、誰のために、戦ったんですか......それが、分からない......」
死を悟り、最後の時に抱いたのが、そんな気持ちだった。
「ギァアアアアアアアアアーーっ!」
レンジに死の一撃が落ちた......
スダァアアアアアン!
「君! 大丈夫か?」
「......っえ? 誰......だ?」
しかし、レンジは奇跡的に、助けられた。
レンジを救ったのは男。
男は、剣気を使い切り身体を動かせないレンジを、黒龍から離れた大木に寄り掛からせた。
そこで、レンジは黒龍と戦っている人達が増えている事に気がついた。
「彼らは冒険者だよ。冒険者達が来てくれたんだ。だから、いくら強くても君はもう戦わないでいい」
「......冒険者?」
戦わないでいいも何も、既にレンジに戦う力は残されていなかった。
極度の疲労で、思考が鈍っているレンジに男は言う。
「危険を省みず、人々の為に戦う人達だよ。ここで休んでな、アイツは必ず僕達冒険者が打ち倒すから」
そういって、男はレンジをおいて、戦場に戻ろうとした、その背中に何かを感じて、レンジは問いていた。
「冒険者は......貴方は......何のために、誰の為に戦う?」
男は、レンジの問いに振り返らずに答えた。
「僕は、妻を、友を、殺された恨みと、逃がした可愛い息子の為に......息子は君と同じくらいの歳だよ」
「俺と同じ.....」
「会うことがあったら仲良くしてよ? 泣き虫だが、強い芯を秘めた子なんだ。あの子の未来を僕は守る! そのために......僕は戦う」
男はそういって黒龍と闘い、そして、死闘の末に命を引き換えにして黒龍を倒したのだった......
その後、レンジの故郷ソレド村は、傭兵達がいなくなった時を狙われ、魔物や盗賊に襲われ全滅した。
それをレンジは後から村に戻ったときに知ることになった。
空虚感しかないレンジは、森をうろつき、そこで......ボロボロの同い年位の少年を見つけた。
どこか、あの冒険者に似ている気がした......
そのすぐ後で、レンジはマーサに拾われる事になる。
そして、ピオレ村で孤児院を立ち上げるというマーサにレンジは言った。
あのかっこ良かった冒険者を思い出しながら、
「なら、俺は......孤児院の子供達を家族として扱う。これから俺は、俺の家族を護るために剣を取る......そして何時か、冒険者に......信頼する仲間と一緒に......」
......レンジが戦う理由を初めて見つけた時の事だった。
■■■
ミリス歴2013年四月初旬。
勇者学校入学式の日。
カイルが、今のローゼメルデセス王国女王アンジェリーナ・ローゼメルデセスと運命の出会い果たし、望叶剣の巫女の住む村、トウネ村へ向かった日。
レンジもまた運命の出会いを果たそうとしていたそんな日。
レンジは、前日のうちに、しっかりと勇者学校概要書を熟読し、大方の勇者学校のシステムを理解していたので、入学式が終わると早速、幼じみの三人でパーティーを組むべく、カイルとユウナを捜しに勇者ギルドまで足を運んでいた。
(......カイルもユウナもこういうのを読む性格はしてないからな......ギルドで騒いで無ければ良いが......)
レンジは、概要書に執拗に何度も太文字でかかれていた注意文『勇者ギルドは、冒険者ギルドの委託所なので、ギルドの中では絶対に騒いではいけません。問題行為を見つけた場合。武力排除します』の文字を思い出しながら心配を募らせていた......
(いや、流石のカイルとユウナでも、こんなところでは暴れないよな)
そのまま暫く捜しても、カイルは当然として、ユウナも見つけられなかったレンジは、今日はもう合流しようとすることを諦め、ギルドの依頼を受ける事にした。
依頼を探すレンジの目に着いたのは、学園都市の闇組織の一つ、奴隷狩りグループの討伐だった。
普通にお金で人を売り買いすることは、犯罪では無く、どこの貴族や王族も奴隷は持っているのだが、
それはあくまで、大量の借金を返せなくなった人、自分を売ってでもお金を儲けなければいけない人が自ら望んでなるのが奴隷というもの。
だから、無関係な人達を奴隷にする奴隷狩りという行為は学園都市の法律にも、ミリス聖教の禁忌にも触れていた......
だが、レンジがこの依頼に目を止めたのは、安っぽい正義感......では無かった。
(あいつらか......)
レンジは顔絵付きでだされている奴隷狩りを知っていた。
聖剣際の前で、マリンを襲っていた男達がそこには書かれていた。
(たしか......カイルとユウナに因縁を付けていたな。......何かされる前に潰しておくか。結構ポイントも入って一石二鳥だしな)
そうして、レンジは、Fランクにしては高ポイントの、その依頼を受けることにした。
そんな、レンジを、ある視線が見つめているだった。
その視線の主がレンジに声をかけた。
「待つのじゃ、そこの有象無象。その依頼を受けるのなら妾 を連れていくじゃ!」
「......」
声に、ちらりとレンジは視線だけ動かして見ると、そこには桃色の長髪で、男受けのする体つき、更にかなり整った顔の少女が立っていた。
少女は、いかにも高飛車そうで貴族然として、それは、レンジの知る、誰よりも自分勝手で、人の話を聞かない薄黄色の少女の姿に重なるところもあった。
「......」
それだけ確認すると、レンジは少女の前を無言で通りすぎ依頼を受理して貰うために受付に足を運ぶ......
「ま、まてと言っているのじゃ! 何故妾 を無視するのじゃ!」
「......」
華麗に無視された少女は焦りながらレンジの後ろをトコトコ着いて歩きながら、必死に追いすがる。
だが、レンジの態度はどこまでも無視だった。
それは、レンジが少女に興味が全くといって良いほど無く、話す時間も無駄だと思っていたからだったのだが......
「無像よ! 妾 を誰だと思っているのじゃ! 妾 はエリザリーベ・エルカムティ・エルエレン じゃぞ!」
「エルエレン!?」
会話をするつもりの無かったレンジだが、その名前だけは聞き逃せずに足を止めて振り返る。
エルエレン......それは、勇者学校のせいで、学園都市と呼ばれるようになってしまう前のこの国の王国の名だった。
冒険王国エルエレン。
それが、今はもう呼ばれない昔の学園都市の名前。
その名を名乗った少女、エリザリーベ・エルカムティ・エルエレンは。現学園都市の王族、エルエレン王家の血筋ということになる。
冒険王国エルエレン......冒険者になりたいレンジとしては聞き逃せない名前だった。
レンジの反応に、活路ありとエリザリーベはほくそ笑み、胸に付けているエルエレン王族の証、王章を指差した。
「ホッホホ。これを見るのじゃ! どうじゃ?」
「......かなり大きい胸だ。それがどうかしたのか?」
「違う! どこを見てるのじゃ!」
レンジとしては、胸を指差され、どうと聞かれたから、思ったままに答えたまでなのだが、エリザリーベとしては屈辱的だった。
なにより、エリザリーベはそういう下品な事が一番嫌いだった。
だから、レンジに反射的に平手打ちを撃ち込む。
しかし、それを黙って受ける程、レンジはエリザリーベに対して優しくは無かった。
エリザリーベの平手打ちを、逆につかみ取り、脚をかけて俯きで転ばすと、腕を背中に捻って関節をキメる。
「何の真似だ」
「っ~~!! イタッ! 痛い! 痛いのじゃ~! 妾 に触るな不徳者! ......痛いのじゃ! 痛いのじゃああああああああああああああああああああああああーーっ!」
関節が、綺麗に決まっているので、レンジが力を入れなくても、エリザリーベは相当な痛覚を感じていた。
しかし、暴れれば暴れるほど、痛いのが関節技と言うもので......身体は激痛の悲鳴をあげる。
そして、
ボギリ。
「ぎやぁあああああああーーっ! ......」
身体の悲鳴を無視して暴れつづければ当然、関節は外れてしまう。
......エリザリーベはその激痛で意識を失うことになった。
「......」
エリザリーベの自爆とは言え、関節をキメて気絶させたのはレンジだったので、流石に既に無関係と言うわけにはいかなかった。
仕方なくレンジはエリザリーベの外れた肩を入れ直し、疲れた様に溜息を付くと呟いた。
「はぁ......また、面倒臭い奴と知り合いになったな。しかし、どうするか......」
これが、レンジとエリザリーベの運命の出会いだった......
■■■
薄暗く小汚い、ゴミの腐った匂いが身体に染み付く、学園都市の西部に存在する、スラム街。
そのスラム街一の娼婦エルカムティの子として産まれたのがエリザリーベの始まりだった。
エリザリーベの母、エルカムティは気立ての優しく美しい母で、あったが、身体が弱く、病気がちで、それでもエリザリーベを育てるために、娼婦の仕事に身を費やした。
......そのせいでエリザリーベが、八歳になる前に命を落とした。
その後、たった独りで生きていたエリザリーベの元に、国王の使いが来て、自分が、王族の血を率いでいることを知され、そのまま、王宮に引き取られた。
王宮でのエリザリーベの扱いは酷いものだった。
国王が王妃ではなく、娼婦に産ませた不義の子として、執拗に虐げられた。
王妃が子宝に恵まれた後には、国王すらもエリザリーベを奴隷のように扱った。
「助けて......叩かないで......わたしが何をしたの? なんで......誰も助けてくれないの? わたしの生まれのせいなの?」
エリザリーベの綺麗な身体の服の下には夥しい痣の後があった。
王妃から虐待を受けていたのだ。
エリザリーベは毎晩枕を濡らしながら、娼婦の子として産まれた自分を蔑んだ。
そうするように、何度も何度も、血を吐くほどぶたれた......
「わたしは......汚い......だから誰も救ってくれない。......わたしは世界中で、一人ぼっち。誰からも必要とされない......わたしは......わたしは......ううっ......ううっ」
エリザリーベの辛い時間は、王妃の子が、王の子ではなかった事が発覚し、王妃とその子供が処刑されるまで続いた。
王は王妃の裏切りショックで倒れ、そのまま崩御した。
こうして、エルエレン王族の血が、エリザリーベ独りになってしまった事で、エリザリーベの状況は一変する。
奴隷のようだった、扱いが、毎日、お風呂で身体を洗い、三食昼寝付きに様変わりした。
その頃から、エリザリーベは自分を「妾 」と呼称するようになり、言葉遣いも代わった。
それは、けして自分が、身分の低い女で、生涯孤独を忘れない決意のようなものがあった。
■■■
エリザリーベが目を覚ますとそこは、勇者ギルドの外近くにある、木で作られた縦に長い腰掛けの上だった。
「起きたか? 今度からは関節をキメられたときに暴れるな」
「なっ! 何してるのじゃ!」
「ベンチに直は寝苦しそうだったからな、俺の膝を貸してやったんだ」
寝ているエリザリーベがうなされていたのを見て、罪悪感があったレンジは、楽にしてやろうと、エリザリーベの頭を膝に載せて、優しく頭を撫でていた。
それは、効果があったようで、エリザリーベは寝ながら涙を流すと、苦しそうだった息は安らかになったのだが、寝ていたエリザリーベはそれを知らずに、カンカンに怒ってレンジの腕を払うと立ち上がる。
「嫌な、夢をみたのじゃ......無像のせいじゃ!」
「そうか......悪かったな」
完全に八つ当たりな、エリザリーベの言葉をレンジは静かに受け止めたのは、それがユウナの癇癪に似ていたからと、エリザリーベの顔が言い返すには、つらすぎるモノがあったためだった。
「それと、さっきの依頼を受けておいた。行くんだろ?」
「っ!」
一瞬。エリザリーベはレンジを大きく目を開いて見てから、澄まし顔に戻ると、どこからとも無く豪華な扇を取り出して、口を隠して、
「当然じゃ! 行くとするのじゃ!」
と、ばさりと勇者学校の制服のマントを翻した。
そんな、自信満々に歩き出すエリザリーベに、レンジは聞く。
「行くって......場所はわかっているのか?」
奴隷狩りの討伐と言っても、どこにいるかがわからなければどうしようもない。
そして、件の奴隷狩りは、そのアジトを隠すのが異様にうまく、だからこそ、依頼にまでなり、高報酬設定にされている。
だが、レンジの目に映るエリザリーベの姿に一切の迷いを感じない。
つまり、エリザリーベは奴隷狩りのアジトの場所を知っているという事になる。
そんな、レンジの予想を裏付けるように、エリザリーベは扇を西の方角にばさりと振った。
「無論、調べは着いておるのじゃ! そやつらのアジトは、学園都市西部、スラム街の最奥地じゃ」
「......そうか」
レンジは、静かに頷いて、エリザリーベの後を追ったのだった。
そして、学園都市......西部、スラム街。
普通のスラム街に暮らす人々が住む、通りを抜けると、迷路の様に入り組んだ、地下水路に入った。
学園都市中の汚水が流れる水路はレンジの鼻が曲がるほど酷いものだったが、箱入り娘に見えるエリザリーベは何とも無いように先を歩く。
地図を見ながら、足を進めるエリザリーベの後ろを歩きながら、地下水路の複雑な道が今まで、奴隷狩りの居場所を隠していた事を察していた。
そんな、レンジの前を歩くエリザリーベは、二つに別れる岐路で脚を止めた。
右側は罠になっていて、大勢の奴隷狩りがレンジを今か今かと待っている。
それを、エリザリーベは奴隷狩りのリーダーにして、エルエレン王国、近衛騎士長の超級剣士、セイド・カマーセィから聞いていた。
そう、奴隷狩りとエリザリーベはグルだったのだ。
エリザリーベは、近衛長カマーセィと、ある契約を結んでいる。
それは、エルエレン王族の血を残すためにする筈の、エリザリーベが、大貴族デーブとの政略結婚の破棄。
(世界中で妾は独りぼっち......誰もひつようとしない......だから妾も誰も必要とはしないのじゃ! 妾は、妾だけで幸せになるのじゃ、そのためなら、汚いことはいくらでもするのじゃ)
最初から、エリザリーベはレンジをしって声をかけていた。
この時この瞬間レンジを騙すために。
何故、セイド・カマーセィが、レンジを指名したかはエリザリーベは知らないが、大貴族との政略結婚を破棄出来るのならなんでも良かった。
デーブとの政略結婚は、エルエレン王族の血を次ぐためだけのも、そんなところに嫁げは、どうなるかは明白だった。
エリザリーベは、独りで生きていく。これから先もずっと、勇者の剣を抜いて、勇者になることで、エリザリーベの血の呪いから、ようやく解放される。
こんなところで、子供産むだけの女にされるわけにはいかなかった。
男に触られるのは吐き気を催すほど、嫌いなエリザリーベには、娼婦の仕事で唯一愛し愛された母を無くし、エリザリーベ自身も、母から受け継いだ容姿のせいで、嫌らしい視線を浴びつづけ、そして、何人もの肉奴隷を囲っている変態貴族と言われるデーブの元に嫁がなければいけない事が関係してしていた。
「この先のどちらかに、奴隷狩りのリーダーがいる筈じゃ。逃げられる訳にはいかないんじゃから、此処からは二手に別れるのじゃ。有象は左側。妾は右側じゃ」
エリザリーベはレンジに嘘を付きながら有無を言わせずに、右側の道を進んだ。
そんな、エリザリーベの後ろからレンジの声が響いた。
「何かあったら叫べ。すぐに駆けつける」
「......そうじゃな。(有象は此処で死ぬことになるのじゃが......)」
レンジを騙すことになることに、エリザリーベの心は少しだけ傷んだが、
「結局......世界中で妾は独りぼっち。誰も必要としないし、されないのじゃ。妾は妾だけで幸せになるのじゃ」
たった一人で生きてきたエリザリーベはそうつぶやきながら、暗く汚い水路を独りで進んでいくのだった。
一方。エリザリーベと別れたレンジがしばらく進むと、行き止まりの開けた場所にでた。
「......水を溜めるダムか? 嫌な立地だな。奇襲をかけるなら此処だが......」
ドダン。
そんなレンジの言葉を聞いていたかのように、入ってきた道に、水門が重くしまった。
そして、ダムの上の塀から、殺気を感じとり、視線を向けるとそこに大量の奴隷狩りが弓を引き絞っていた。
その数、おおよそ百。
百人の敵に囲まれ、上を取られたレンジは、大量に降り注ぐ矢を見ながら、肩を落とした。
「やっぱり罠だったか......」
レンジは、エリザリーベが騙して居たことに気付いてた。そして、
大量の弓矢が降り注ぎ、レンジが剣を抜いたタイミングで、レンジの耳にエリザリーベの悲鳴が響いた。
『いやぁじゃぁああああああああああああああああああーーっ!』
その悲鳴を聞いたレンジは、目を閉じて剣気を練り上げながら、
「だろうな」
全てを察していたと言うように、吐き捨てた。
地の利を取られ、逃げ道の無いレンジと百人の奴隷狩りとの戦いが始まるのだった。
■■■
レンジと別れた、エリザリーベは奴隷狩りのリーダーにして、エルエレン王国近衛騎士団長セイド・カマーセィの前に来ていた。
大きな椅子に腰掛けて奴隷の女を侍らせるセイド・カマーセィに、汚物を見る目でエリザリーベは言う。
「セイド。これで妾との約束を守ってくれるのじゃな?」
エリザリーベの言葉を聞いた、セイドは口端を吊り上げて、答えた。
「ああ、もちろんです。エリザリーベ姫殿下」
「ウム。では、頼むのじゃ。これで妾が勇者になれば、妾はこの国の子作り奴隷にされなくて済むのじゃ」
一先ずの安心を覚えた、エリザリーベから出た言葉に、セイドはクツクツと愉しさが抑えられないと笑って、愛用の鎖鎌に手をかけた。
そして、ブンッブンッと鎖鎌を回しはじめる。
「ん? 何の真似じゃ?」
「いやね。エリザリーベ姫殿下。今回の《ターゲット》は、俺達に盾突いた、あのガキ共と、ウチのお得意さんの、デーブ・チーン伯爵の指名、姫殿下だったって訳ですよ」
「っ!」
ブン!
セイドの投げた鎖鎌の鎖が、エリザリーベの身体に巻き付いて、身動きを封じた。
ニヤニヤとゲスの笑みを浮かべる奴隷狩り達と、セイドの顔で、ようやく、エリザリーベも気付いた。
レンジをエリザリーベが騙し、罠に嵌めている。だけではなく、そのエリザリーベも、セイドは騙し、罠に嵌めていたと言うことだった。
「くっ! ......妾に忠誠を誓ったのは嘘じゃったのか?」
「クハッ! 当たり前だぜ、誰が好きこのんで、ガキに忠誠を誓わなきゃならねぇんだ!」
拘束した、エリザリーベのみぞうちを、セイドは日頃の鬱憤を込めて、つま先で蹴り上げる。
ゲホゲホ、血の混じった吐瀉物を吐きながら、エリザリーベは後ろに転がった。
そんな、エリザリーベの身体に、セイドは跨がると、服をめくりあげ、白いお腹を露出させる。
男に触られる事が苦痛なエリザリーベはそれだけで、更に吐瀉物を吐き出した。
そんな、エリザリーベをゴミを見る目で、元近衛は、面白そうにネタばらしをはじめた。
「笑ったぜ、デーブ伯爵の奴、普通にしてれば手に入る小娘をわざわざ、奴隷にして欲しいって言って来るんだからな」
「っ!」
「しかもだぜ、王宮の大臣共は、誰一人、お前を助けよとはしなかった。むしろ、勇者の剣を引き抜いたお前が、万が一にも、勇者になれば、肉奴隷が逃げらちまうって、こぞって俺に金を握らせやがった」
王宮の誰もが知る、作戦だった。
セイドにとって奴隷狩りはあくまで副業だが、今回は王宮からの極秘ミッションでもあったわけだ。
「ハハハ! 身体だけは、極上だからな、王女は抱けなくても、奴隷にしちまえば、大臣共も抱き放題って訳だ。お前の価値は、結局、その身体と血しかないって事だな」
「ひぃ......嫌じゃ」
鎖鎌には剣気が交じっていて、エリザリーベにはどうすることもできない。
更に、取り囲んでいるのは、奴隷狩りのメンバーはその数、数百。
万事休す。
「これから。お前の行き着く未来は、王宮大臣共と変態貴族達の肉奴隷。毎日可愛がって貰うんだな」
「嫌じゃ! 嫌じゃ! 嫌じゃああああああああああああああああああああああああーーっ!」
エリザリーベの悲鳴は、奴隷狩り達を笑わせる威力しかなかった。
絶対にそうはなりたくないと、エリザリーベが思っていた自体に結局なってしまった。
無関係なレンジ嵌めてまで、エリザリーベは失敗した。
屈辱と後悔とが混ざり合った涙を流す。
(あの時じゃ。胸がいたんだ時。有象を騙すのを辞めていれば......)
エリザリーベがこうならない為の最後の別れ道が、きっとそこだったんだと、エリザリーベは思うのだった。
セイドが、絶対服従の魔法が篭った奴隷の焼き印を熱し始めて、全てが遅かったと気付いた。
(世界中で、妾は独りぼっち、妾は......妾だけで幸せになりたかったのじゃ......)
絶望の誓いと共に涙があふれて止まらない。
フラッシュバックする記憶が、エリザリーベの後悔を刺激する。
あらがわずに最初から、デーブと結婚すればよかった。でもそれでは、結局デーブの肉奴隷として、子供を孕まされるだけの人生になってしまう。
じゃあ、母が死んだ後、王宮に行かなければよかった。でもそれでは結局、エリザリーベは子供時点で、死んでいた。
じゃあ、あの時! では、あの時!
次から次へと浮かび上がる、選択の瞬間を、エリザリーベは思い出す。
しかし、何度、検討しようとも、エリザリーベは同じ答えを選ぶしか、人間として生きていく道は無かった......
だから、人間がおわり、奴隷に成り下がる瞬間、エリザリーベは叫んだ。
「なら! 妾はどうすれば良かったと言うのじゃあああーーっ!」
それに、セイドが醜く笑いながら、熱した焼き印を押し当てる前に答えた。
「さっさと、あの王妃のように俺の奴隷になれば良かったんだ」
「っ! そうか......あの子らの父親はっ!」
「ハハハ。まあ、デーブの奴に渡す前に、俺が、たっぷりと可愛がってやるよ」
「......」
エルエレン王国は腐っていた。
王妃も王も、大臣も騎士も、そして......
「妾も腐っていたのじゃ、妾に選択なんて無かったのじゃ、妾は結局、何も選べる立場に無かったそれだけことじゃった......」
エリザリーベの瞳から、明るい色が消え、真っ黒な闇に染まった。完全に絶望の闇に堕ちて、肌を焼かれる恐怖すら感じなくなった。
「それは、違うぞ! エリザリーベ!」
そこで、声が聞こえた。
「お前が、するべき事は、たった一つ。仲間を信じて、俺に頼ることだったんだ!」
「......っ! 有象!」
そこには、レンジがいた。
一本の剣を握っているレンジが、瞬動脚を使って、一瞬で近付き、エリザリーベを拘束する鎖を切り裂いて解放した。
そのまま、エリザリーベを抱き上げて後退する。
「何故じゃ! 有象は死ん......それより、妾は有象を騙して、それなのに何故妾を助けるのじゃ!」
「同じ依頼を受ける仲間が助けを求めた。それを助けるのが冒険者だ」
「冒険者じゃと! それだけで、裏切った妾を助けると言うじゃと?」
レンジはエリザリーベを下ろして、二百人近くいる奴隷狩り達を観察しながら、かつて、助けを求める仲間の声を見捨てたことを思いだし、
それがレンジの心を今も蝕む、くさびになっている事を知っていた。
でも、レンジはそれで良い。
「俺は、もう仲間の助けを求める声を見捨てない。それが......あいつらの家族となると誓ったその日に立てた誓いだから!」
揺るがぬ決意がそこにはあった。
だが、エリザリーベはレンジに、
「妾は、有象に助けを求めてないのじゃ! それどころか、有象の仲間になったつもりもないのじゃぞ! どうしてじゃ! 妾をどうして見捨てないのじゃ」
「......悲鳴を聞いた。何かあったら叫べと、言ったからな」
「っ!」
それだけで、レンジは駆けつけた。
でも、エリザリーベが聞きたい言葉はそれじゃ無かった。
だから、もう一度、
「何故妾を助けるのじゃ......妾は......独りぼっちなのに......」
「俺は! どこかあいつらに似ている。お前を仲間として連れてきた。わからないのか? ならはっきり言うぞ、お前だから助けに来たんだ! エリザリーベ・エルカムティ・エルエレン!」
「っ!」
母が死んでから凍りついていた、エリザリーベの心の氷が、涙となって溶け出した。
声にならない、声で泣くエリザリーベに、レンジは言う。
「泣いている暇はないぞ、俺も少し無理をした。お前を守って戦うのは無理だ。だから、お前も立ち上がって戦え、守られるだけの奴になるな! 何かを変えたければ、まず自分が変わるんだ! 今、限界を越えるんだ!」
レンジはそういって一番厄介そうな、セイドと切り結び始めた。
そんな後ろ姿を、エリザリーベは見つめて、涙を袖で拭くと、豪華な金の扇を持って立ち上がった。
「有象無象共! かかって来るのじゃ! 妾はもう、独りじゃないのじゃ」
エリザリーベが扇を振ると、竜巻が起こった。
それは、大量の奴隷狩り達を巻き上げで吹き飛ばす。
エリザリーベ専用魔武器《魔扇風》
エリザリーベが魔力を混めて振ることで、暴風を生み出す武器だった。
決定打にならないが、それでも、対多数のこの戦闘には適していた。
エリザリーベの瞳に、暖かい光が戻っていた。
鎖鎌使いセイド・カマーセィと、剣士レンジの闘いは、そこにいた、ほかの奴隷狩り達にも、エリザリーベにも、手を出すことのできない、一つ上の次元の闘いだった。
レンジが瞬動脚で近付き、剣気を篭めた剣で、必殺の一撃を振るうが、それを、セイドは、鎖鎌の鎖の部分を盾にし、防ぎ絡めとると、レンジの死角から、鎌の一撃が、急所を鋭く狙う。
レンジは、絡め取られた剣を一度、離して、脚に剣気を篭めて上空に素早く高く飛び上がる。
それで、死角からの鎌の攻撃を、紙一重で回避しながら、目の前を通り過ぎる鎖を掴み、引き寄せた。
レンジの介入で、絶妙に鎖を操っていた、セイドの支配が揺るぎ、鎖にからめとられていたレンジの剣が弾かれる。
それは、地下水路の天井に脚をつけたレンジの手の中に吸い込まれる。
《列断斬り!!》
数十メトル上空の天井から、レンジの必殺技が炸裂する。
通常の数十倍に剣気で強化された剣激が、速度を威力にそのまま変換させて、音速で落ちて来るレンジの《列断斬り》を、今から避けることは、ほぼ不可能。
それこそが、レンジがこの技を必殺技に選ぶ理由でもある。
だが、レンジが上空からの落下攻撃をするのは、セイドにとっても都合が良かった。
セイドの鎖鎌は《魔武器》で、魔力と剣気を込めることによって、物理法則を無視して自由自在に動かすことができる。
それは、鎖の長さも変えられるということだった。
一方向からしか攻撃が来ないと分かっていれば、鎖使いには美味しい状況でしか無かった。
レンジが天井に着地している間に、セイドの準備も整った。
セイドの魔力で、大量の魔力の鎌が現出し、鎖が蜘蛛の巣の様に張り巡らせる。
《剣魔化乱舞》
大量の鎌がレンジを襲い、レンジの攻撃は張り巡らせた鎖で守る。
それが、セイドの狙いだった。
レンジはセイドの狙いに気付いたが、瞳は真っすぐセイドを見下ろして、いつも通りに、瞬動脚を発動した。
音速となったレンジは、襲い来る全ての鎌より早く、阻む全ての鎖を切り裂いた。
最後に、セイドの事を真っ二つに両断したのだった。
もう、事切れているセイドにレンジは一言呟いた。
「お前は良い使い手だが、鎌技は、俺も出来るんだ。それがどんな技かは、知っていた」
ありとあらゆる武器に精通している事が、レンジの強みと言って良かった。
相手の奥の手を知っているか居ないかは、大きく勝敗に関わってしまう。
レンジの標的が次に移った。
「俺の仲間を狙った罪。今ここで、命を持って償って貰う! 瞬動流! 《連続横断斬り》」
セイドが、敗れた今、奴隷狩り達にはレンジの超速連激攻撃に、対抗出来る者は居なかった。
五分後......
血で赤く染まったレンジは、幾百の屍の上に立っていた。
そして、その隣には、レンジを守りレンジと共に戦った、エリザリーベの姿があった。
流石のレンジも、二戦連続での戦闘で、疲労していたが、それをおくびにも出さずに、同じく疲れて倒れるエリザリーベの身体を支えてあげた。
「俺は、仲間を見捨てない。そして、一緒に戦ったエリザリーベは今から俺の仲間だ。お前が今するべき事は?」
くたくたなエリザリーベは、レンジに触られているのに気持ち悪くならず、逆に心地好い事に驚きつつ、安らぎの中で、レンジに身を任せ、意識を落としながら、今までなら絶対にしなかった事をした。
「有象......いや。レンジよ。妾を助けてくれるか?」
ポロリと綺麗な雫を瞳から流して、初めて人を頼ったエリザリーベに、レンジは即答した。
「ああ。任せろ。お前の敵がなんであれ、俺の身内の敵ならば、必ず斬ると約束する」
まどろみの中に沈みながら、初めて安心して瞳を閉じられた。
ゆっくり、夢の中へと落ちていく、そんなエリザリーベは無意識に呟いていた。
「......ああ。ここが妾の居場所じゃ。妾はもう、独りぼっちじゃないのじゃ......レンジが、居るのじゃ......」
エリザリーベが、レンジへの特別な感情に気付くのは、目を覚ました後だったという。
その後、レンジは、約束通り、デーブ・チーン伯爵家に乗り込んで、討ち滅ぼし、メルエレン王宮の腐った大臣達を粛清した。
こうして、エルエレン王国から、膿を全て取り除いたエリザリーベは、夫も取らず、女王に即位し、その地位を確立したのだった。




