三十話 マリンとユウナの覚醒
四階への階段を背に、ブスリと突き刺さる鈍い痛みで、苦息を漏らす。
「っ......くぅ~っ!!」
もう、体中を貫かれすぎて、血が次から次にボトボトこぼれ落ちていく。
何とか、致命傷だけは回復してきたが、それももう、回復限界で出来なくなった。
マリンは既に立つ力さえ無くなり、地面にはいつくばって血だまりを増やしている。
それでも、何とか水球陣で四階への階段を死守し、頭と心臓だけは矢を喰らわないようにしていた。
夥しい量の矢が、マリンの背中に突き刺さっているのだが、それを抜く事すら今のマリンには出来なかった。
ぼやけて、消えてしまいそうな意識の中で、相手の能力を突き止めていた。
(姿が全く見えないのは、そういう能力。仮に名をつけるなら《透明化》でしょうか?)
そこまでは、戦いながら......一方的に撃たれながら、突き止めた。
けれど、そこから先の勝利への戦略が、マリンには思い付かなかった。
姿の見えない相手に対して、どうやって戦えば良いのか?
既に、マリンは動くことすらままならないほど追い詰められて......
(もう......勝てない......無理ですよぅ......でも、カイルさんなら......諦めないのかな?)
カイル達ならもっと早く、突き止め対抗手段も思い付いたのかも知れないとマリンは思う。
(例えばユウナさんならどうしたんだろう?)
マリンは、痛みすら感じなくなって、手足が冷たくなっていくのを感じながら、尊敬する人達だったらと考えた。
そこに、この状況を打破する何かがあるかもしれないと、諦めるにはまだ早いと。
(ユウナさんなら......きっと、剣技で強引に切りる抜ける......私にはむりだよぅ)
想像して、ユウナはマリンには真似できない違う生き物だと、早々に諦めた。
(なら、カイルさんなら、私にも出来そうです......が。矢傷のダメージを無視して戦いそうです......この状況でも、カイルさんなら立ち上がるんでしょう......)
身体から流れでる尋常じゃない血の量で、マリンはもう四肢に力が入らない。
それでも、カイルなら、立ち上がるんだろうと、予測し、マリンも力を入れてみるが、手の人差し指すらピクリとも動かなかった。
......きっと、カイルも違う生物だとマリンは確信した。
それで......分かったことは、マリンでは、けして炎の射手に勝つことは出来ないという現実だった......
それが分かったマリンの意識が消えてしまう直前に、炎の射手が初めて姿を見せた。
「魔法には、死んでも解けない技があるっス。恐らく姉さんのは、それっス」
「......?」
意外と炎の射手の姿が、マリンよりも幼い少年の姿だった事に、穏やかな驚きをマリンは見せた。
口が少し開き、スゥ~スゥ~と苦しい息を吸い込む。
「それだと、ぼくが困るんっスよ。ぼくは元々奴隷みたいな立場だから、上に追いかけられなくなると怒られるっス」
マリンは、死ぬ寸前だと言うのに、それでも、階段には水球陣を使っていた。
それに、炎の射手は焦りを覚えていた。
このままマリンを殺せば、上に行った進入者を追えないと。
だから、提案する。
「姉さんが、その魔法を解いてくれれば、姉さんの事は助けるッス。勿論、命だけ、なんて言わないッスよ? それなりのいい思いをさせるっス。母国に帰りたいなら帰って良いっす。......記憶は消すッスけど」
「......」
「その魔法さえ解けば、姉さんは死なずに済むッス。命あってのものだねって言うッスよ?」
「......」
マリンが無言で見つめていると、マリンの前に、小瓶を置いた。
「コレは《エリクシール》っていう万能薬ッス。飲めばすかさず全快するっす」
「っ!」
ピクリとマリンの眉が動いた事に炎の射手は気付いて、蓋を開けて一口舐めるとマリンの手に渡した。
炎の射手の少年は、本気で約束を守るつもりだった。
だが《エリクシール》には、飲めば必ず炎の射手との契約を護らなければいけなくなるという、細工をしてあった。
アンナの《アンチ・マインド》は遠距離からの、精神汚染を防ぐ効果があるが流石に、体内からでは防ぐ事は出来ない。
それを知らないマリンは、砂漠でオアシスを見つけたように心が揺れ動いた。
飲めば、助かる。
生きられる。
それが、絶望的状況のマリンにどれだけ、重要な事だったか。
死にたくない。そう思うのは、当然だった。
マリンは、《エリクシール》をゆっくりと口に運んで......
『マリンなら、英雄になれるよ』
ピタリと止まった。
飲めば助かる。助かりたい。けれど、敵からの施しを受けるのは、どうしようもなくカイルを裏切る行為だった。
飲みたい。死にたくない。
マリンは生にしがみつきたかった。
どんな、憧れよりも今はだけは、自分自身の命を優先させたかった。
誇りなんて下らないと、きっとカイルも言うだろう。
生き残りなさい! とユウナは言うだろう。
きっと、誰しもがマリンがここで裏切ってもそれを裏切りとは言わない。
(分かってる。死にたくない。死にたくないんです!)
マリンは《エリクシール》に口をつけ......
『マリンは凄いよ』
恐怖で涙を流しながら、
(それでも......私は......私は!)
《エリクシール》を力一杯投げ捨てた......
バリンとエリクシールの瓶が割れ、マリンの助かる薬が漏れていく、
「なっ! 馬鹿っスか? あれ本物ッスよ!」
マリンは、大の字で天井の先に居るはずのカイルの姿を見ながら、か細い声で、言った。
「ハハハ......馬鹿何です......きっと、カイルさんが怒る選択を私はしたんでしょう......」
「あー! 嘘ッス! 信じられないっス あれ凄く高価だったス......」
「死にたく無い......よ......カイルさん......」
もう、マリンは誰の声も聞こえて居なかった。
マリンは死にたくなかった。凄く死にたくなかった。死にたくなかった! けれど、けれど!
「カイルさんを......仲間を、裏切らない......それが私の目指す......英雄です」
だから、マリンは飲むことが出来なかった。
裏切ることは出来なかった。
「私は......私は......仲間を裏切らない......《勇気》が......欲しかった......」
何一つ、マリンに後悔は無かった。
《その強願。私が叶えよう》
もう、数秒で命が尽きる生死の境で、マリンの精神に直接声が響いた。
《望め! さすれば私が叶えよう》
アクアラ大祭殿三階。
シルフィーが一瞬目を奪われたその場所の名は《剣の間》
名の通り、《望叶剣》の祭られている場所だった。
友情の騎士アクアラが使った友情の剣。
《我が名は水龍丸。友情の英雄よ。望みを言え》
マリンのカイルを、仲間を裏切らないという、強い想いに、友情の望叶剣は今、目覚めた。
マリンは、その声に無意識に答えた。
「私は......死にたくないし裏切りたくない。私は、カイルさんの信頼に答えたい。そのために立ち上がる《勇気》が欲しい!」
《今、契約はなされた》
その声と共に、剣の台座に刺さっていた《水龍丸》が光り輝き、マリンの手元に飛んだ。
カチャリ。
マリンの手に収まった望叶剣は、青く輝いて、溢れ出す癒しの水でマリンの傷を癒していく。
「なっ! なっ! 行きなりなんっスか!」
再び姿を消す炎の射手。
身体の傷が癒える代わりに、次から次へと沸いて来る、マリンの力。
そして、マリンは床に手を付いて、身体を持ち上げ立ち上がった。
マリンの傷はあらかた癒えたが、しかし、失ったと血と、疲労感は回復しない。
それでも、マリンは力が湧いていた。
それこそが、マリンの新たな力。友情の望叶剣《水龍丸》の能力だった。
「なんか、よくわからないッスけど、ぼくには勝てないっス! 姿が、捕らえらないぼくに勝てるわけないっス」
再び絶え間無く四方八方から飛んで来る炎の矢。
それが、容赦無くマリンの身体をえぐっていく。
が、マリンの身体を包む癒しの水がマリンの傷を癒し、力に変える。
その力に、剣気と魔力を載せて、水龍丸にこめ、
「......我流......水魔剣技......《水球縛》」
剣を振った。
マリンが、カイルとの特訓で得た経験を活かし、編み出したオリジナルの二つの技。
守りの《水球陣》そして、攻めの《水球縛》
どちらも、レンジで試したときは恐怖で魔力も剣気もコントロール出来ずに、生み出した自分の水を被り凍傷に為りかけたが、今のマリンは成功させた。
しかも、マリンの考えていた規模を遥かに越えて、
三階の部屋全体が水の球に包まれた。
その中に、透明の炎の射手も勿論入る。
大規模な、水の球体が炎の射手を捕らえて水中に拘束した。
捕らえた者は水圧で動きを封じ、詠唱できないので魔法すら発動できない。
ザブーン!!
完全に捕らえた。
もう後は息の根を止めるだけ。
だが、マリンは少年に魔力を封じる手枷と足枷をカチャリとはめて、《水球縛》解いてしまう。
「殺すッス......。そういう戦いッス......」
潔く、死にたいとそういう、少年にマリンは、剣の鞘を祭壇から取って納めながら答えた。
「私は......そんなの知りません。カイルさんなら、殺すのかも......知れませんが、それは私の目指す英雄ではありません。私が憧れたのは、私に生きる希望を与えてくれた姿です。だから、私も誰かに生きる希望を与えたい」
「......」
「例え、それが敵対する人であっても、私は......」
バタリ。
急に、マリンの全身から力が抜けた。
そして、深い睡魔に誘われる。
「......私は......カイルさんの......明るい場所を......尊敬......」
マリンは意識を失った。
そんな、マリンに冷めた視線を向けた炎の射手は、バリンと枷を壊すと、
「ぼくは......制裁を下す者《制裁者》ッス......姉さんは戦場で情けをかけられる良い人ッスけど......ここではそういう人から死ぬんス......ぼくを殺さなかった......姉さんが、馬鹿ッス」
弓をマリンの額の中に狙いを定め、引き絞り......そして......辞めた。
「馬鹿は......ぼくもっスよ......。姉さんみたいな人に......もっと早く......会いたかった......ス」
「......」
炎の射手は弓を離して、歳相応に涙を流した。
「ぼくも......誰も殺したくなんか無かったッス......もう......嫌ッス......」
透明人間は誰にも気付かれずに、アクアラ大祭殿を後にしたのだった。
■■■
アンナの顔に掛かった鮮血は......クラークの切り落とされた腕から流血したものだった。
「何っ!?」
自分の腕が斬られたことに驚くクラークの目の前で、一人の少女が剣を握っていた。
「娘! 何故......動ける!?」
「......」
少女は凛と立っていた。
その圧倒的な存在感に何故、気付か無かったのか?
クラークは己を叱責するほかない。
ここに居る、四人中で......クラークが一番警戒していたのはカイル、次にシルフィーだった。
しかし、この時、この瞬間。
クラークは確信した。
クラークが知っている全ての人物の中で、一番危険なのは、目の前のこの少女だと。
「......五月蝿いのよ」
少女は言う。
ふつふつと沸き上がる感情をいくら抑えつけても溢れ出す怒りとともに、静かにそれでいて激しく言葉に載せて、
そんな少女の名を、カイルは呼んだ。
「ユウナ!」
「うるっさい!」
が、カイルはユウナの怒りに触れて、回し蹴りを顔面に喰らうと、そのままアンナを巻き込んで壁に激突した。
「ぐっは......っ!!」
「何故......私まで」
動けないカイル達はダメージをもろに受け巻き込まれた、アンナに至っては、女の子として可哀相な程の様を晒すことになった。
が、動けない。
「有り得ない! 俺っちの魔法に掛かってるのに!」
シルフィーに問われ、そして、突然。結界に拘束され、カイルがクラークの剣に殺されそうになったその時。
ユウナの悩みは......爆発した。
(私が弱い?
五月蝿いのよ!
カイルが傷ついた?
五月蝿いのよ!
悩みを聞く?
五月蝿いのよ!
背中を押す?
五月蝿いのよ!)
カイルの命を刈り取るクラークの剣が、カイルに落ちるその数瞬の間に、ユウナはそう答えを出した。
そして、魔法的に絶対に力の入らない身体で拳を握りしめ、奥歯をかみ砕いた。
(身体が動かない?
五月蝿いのよ!
そんなことは、全部! 関係ないのよ!)
そう、気持ちが爆発するのに、比例してユウナの剣気も爆発した。
ホォーイの結界を、剣も振らずに莫大な剣気だけで吹き飛ばすと、音すら置き去りにして、ユウナはかけていた。
そして、振り下ろされるクラークの剣を、腕ごと切り落としていた。
それを視線で追えたものは居なかった。
その後。カイルの事を蹴飛ばしたのは、また何か、言われるかも知れないと思っての事だった。
カイルに心配されるのは、とても有り難い事なのだが、この時だけは、黙ってて欲しかった。
「カイルが、何と言おうと! 誰が、何と言おうと! 私が、何と言おうと! 私のやることは何時だって、一つなのよ!」
ユウナは誰も追えない神速で、クラークの四肢を全て切り落とした。
「私にとってカイル以外は! 全てがどうでもいい! 私の悩みすら! 絶望すら! どうでも良いのよ!」
更に、そのまま、ホォーイの四肢と首も切断した。
膨大過ぎるユウナの剣気は、本来ならゆっくりと修業によって目指させていく筈のものだった。
それを、ユウナは無理矢理、怒りの感情だけで暴発させた。
勿論。今のユウナがコントロール出来る訳も無く、ただただユウナの身体を蝕んでいく、
何時、ユウナの剣気が身体をバラバラにしてもおかしくない状態だった。
身体中から悲鳴が上がり、全身の皮膚を剥がして炎で炙られる程の痛みの中で、
それでもユウナは、
「私は......カイルを護りたい。だから! 私がカイルを護るのよ!」
更に、剣気を爆発させた。
ユウナの身体から、溢れ出る剣気が、大気を物理的に動かして、風が吹き荒れる。
「それを邪魔する奴は、全て私がぶった斬る!」
その風が、ユウナの剣に集まって、剣の回りに竜巻が発生する。
それが、ユウナの剣気で強化され、壁や床の石版を剥がして巻き込み始める。
ユウナの視線が向いたのは、最後に残ったリンクルド。
この時、リンクルドの準備も終わり、オーランを閉じ込めた《ディメンジョン・ワールド》にユウナ達を引き入れた。
リンクルドの異空間。
そこは、リンクルドが世界の法則を全て支配する。
有り得ない場所から、剣が出現しユウナを容赦なく貫く、更に灼熱の炎がいきなりユウナを包み燃やしはじめる。
氷が、雷が、風が、ユウナの身体をボロボロに痛め付ける。
しかし、ユウナはその全てを無視して、竜巻渦巻く剣を上段に両手で構えると、リンクルドに向かって振り下ろした。
「剣神流剣技、一ノ太刀! 《断絶》 粉みじんになりなさい!」
明らかに、《断絶》とは違うのだが、ユウナの剣から発生した竜巻が、リンクルドの支配する異空間をずたずたに切り裂きながら、リンクルドを襲った。
勿論、リンクルドも粉くそじゃと、異空間を全て使ってその竜巻を消そうとするが、氷は砕かれ、炎は消され、水は弾かれ、雷は砕き、風は巻き込んで、リンクルドの身体を飲み込んだ。
竜巻は朱色に染まり、異空間を破壊し尽くすと、なにも残さずに消え散った。
ユウナは更に、倒れているクラークやホォーイに剣を向け、ヨロヨロ剣を構えた。
「......全員......ぶった斬る......っ」
しかし、そこでユウナの剣気の暴発は終わり、今度は一気にユウナの身体にもどって行く。
それが凄まじい疲労感をユウナに与え、けして倒れることの無かった、ユウナの四肢を揺らがせた。
ダン!
それでも、意地だけで意識を保ち、床を鳴らして踏み止まった。
ホォーイとクラークを、カイルの敵を全員、ぶった斬る。
その時まで、ユウナが倒れることはない。
それだけの強い意思を、持っていた。
そんな、ユウナの身体を、ストンと優しくカイルが受け止めた。
「止まってよ......ユウナ」
「まだよ......まだ......なのよ」
「もう、終わったよ」
カイルの言葉は本当で、既にクラークもホォーイも意識は無かった。
それでも、ユウナにはまだ、クラーク達がカイルを殺そうとしているように見えていた。
だから、まだ止まらない。
ぎゅうっ。
「っ!」
そんな、ユウナの身体に手を回したカイルは、強く熱く、ユウナの身体を抱きしめて、
「ユウナ。俺を守って......何がしたいの?」
「......それはカイルと......」
「だよね。知ってる。だったらさ、今、その命無くして良いの? せっかく、ユウナが頑張って明日に繋いだのに......そこにユウナが居なくて良いの? 今。ユウナが大事にするのは、誰でもないユウナの命だよ。そうレンジが言ってたよ?」
「......知ってるの? 私の気持ち......ほんと?」
「知ってるよ。ずっと一緒に居たんだから、知ってるよ。だから......後は俺に任せてよ」
「......うん......カイル。大好き......任せるから......ね。......私に......カイルは......凄いって......もっと......沢山......言わせるの......よ」
「ん?」
ユウナは、この世界で一番落ち着けて、安心できるカイルの胸と腕の中で、ようやく動きを止めた......
そして、安らかな吐息を発てはじめる。
「......大好きって......意外と初めて言われたかも......! ちょっと......いや。かなり嬉しい。だけどちょっと苦しいな......ユウナがレンジに憧れて、俺を護るって、そう言ってくれるのは知ってるよ......。折角、凄いことしたんだ。ちゃんと生きてレンジに褒めてもらわないとね......」
バシン!
「痛って......。何すんだよ。アンナ」
「いや。ユウナ殿の代わりに殴っただけだ。気にするな」
「気にするよ!」
カイルが怒ろうとしたところで、アンナがグラリと倒れた。
「アンナ! どうした! おい!」
「むぅ......カイル。色々言いたかったんだがな......、それじゃユウナ殿に悪いし、何より、私が限界だ。私を置いて先に進め」
ユウナの剣気があれほど暴走し、身体が弾け跳ばなかったのは、勿論、運もある。
けれど、一番はやはり、アンナが、ユウナの身体を超回復と超強化を付与し続けたからだった。
勿論、ユウナが異次元の強さを発揮したのは、ユウナ自身の秘められた力で、アンナはただそれで、身体が壊れないようにしていた、だけだったのだが、それは、アンナの残像魔力を使い切る程の行為だった。
「もう......動けないのか?」
「まだ、動こうと思えば動けるが、そうすれば、最低限の《アンチ・マインド》と《テン・オーラ》が危うい。私が無理してもしもがあった時、戦っているレンジ殿達の、強化がいきなり消えたらどうなると思う?」
「......」
一瞬が生死を分ける戦い中で、それは致命的なものになる。
相当無理して、今まで立っていたアンナが、遂に離脱を宣言した時点で、限界はとっくに過ぎていた。
今は、維持するのがやっと......
「そうか............アンナ」
「何も言う必要はない! 行け。後はカイルに任せると、ユウナ殿と約束したのだろう?」
「......ああ」
アンナがここで離脱することは、カイルは仕方ないとそう思う。
しかし、アンナをここに置き去りにするのは、見捨てるようなものだった.....戦闘能力がないアンナを......
「くそっ! 俺はっ!」
「カイル。私は信じてる。下の敵は、レンジ殿が、ジーニアス殿が、マリン殿が、それぞれ打ち倒す。そうだろ?」
「......うん」
「だったら、簡単な事だ、上の敵をお前が倒せば、ここに敵は誰も来ない。どこよりも安全地帯だ。ここでぬくぬくするさ」
「............そう......だね。なら!」
カイルは目を閉じて、眠るユウナが、寝苦しそうにするぐらい、強く抱きしめてから、アンナの横に寝かせた。
「約束するよ。ユウナ。そして、アンナ。必ず、俺がこのちっぽけな絶望ぶち壊す! って。だから、この安全地帯で、待っててくれ。俺が全て終わらせるから」
「ふん。なんだ? 私はおまけか?」
「拗ねるなよ。俺がユウナを置いていくんだ。そこがどこよりも安全な場所だよ」
「......ふん」
カイルがユウナを置いていく意味は、色々ある。
アンナに誓いを残すためであり、自分に誓いを残すためであり、レンジ達の勝利を信じているということでもある。
それがわかっていても、アンナは面白くない。
「逆だ。カイル。ユウナ殿を置いていくから、私が安全なのではない。私の居る場所だから安全で、ユウナ殿を置いていけるんだ」
「......ハハ! お前、どんだけ自身満々なんだよ。それだと、ユウナをアンナが護るみたいに聞こえるぞ?」
「フハハハ! 私を誰だと思ってる! 大陸最強の七騎士が一人! ローゼルメルデセス王国第一騎士団、団長アンジェリーナ・ローゼルメルデセス。いずれカイルの花嫁になる女だ。最強の騎士の私が、騎士として、カイルの女として、ユウナ殿を護ると誓おう」
「......ああ。そうだったな、団長、だったな。任せるよ」
「任された!」
カイルは立ち上がり、背を向けた。
「シルフィー......行こう」
「......はい」
そんなカイルにシルフィーが寄り添って歩きながら、去っていくのをアンナは見ていた。
そして、姿が見えなくなる......直前にカイルは振り返って、
「あ! アンナ。お前さりげなく、俺の花嫁とか言ってたけど、さ。そろそろ、諦めて違う人を見つけろよ......何度も俺にフラせるな!」
それだけ言って、カイルの姿は消えた。
「な! なっぁあああああああああああああ! ふざけるなっ! 私は! カイルと結婚したいのだぁああああ! するのだぁ! 諦めんぞ! 絶対に諦めないからなぁああああああ! 私は! カイルが良いのだぁああああああ!」
アンナの絶叫が四階《友情の間》に哀しくこだました。
そう《友情の間》にけして《恋人の間》では無かった......
■■■
「遂に......二人きりになってしまいましたね?」
「......うん。怖い?」
カイルがシルフィーに最後の階段を登りながら問うと、シルフィーはカイルと腕を絡めて、手を繋いだ。
「いえ......カイルさんが、いれば怖くはありませんよ......?」
「なら良かった。......シルフィー。次の階で戦いになったら、俺は」
「カイルさん!」
「ん?」
カイルは結構、大切なことを言おうと思ったのだが、シルフィーがそれを遮って、
「......何故、アンジェリーナさんに、あんな酷いことを言ったのですか?」
カイルが、アンナに言った捨て台詞を拾って投げつけた。
シルフィーの顔を見ても、カイルにはシルフィーがどんな気持ちで、それを拾って投げて来たのかは分からなかった為に、正直に答えることにした。
「アンナの事は、結構前に一度、ちゃんとふってるんだよ? だから何度でもちゃんと言わないと......」
「......そうですか。では何故。あの時なのですか?」
「......」
カイルは答えずに沈黙を選ぶと、シルフィーは足を止めカイルの腕を両手で絡めとった。
「......何故......ですか?」
「......シルフィー。ここから先は、多分、全力で戦うことになる。この魔剣も使うよ? そういう......事だよ」
「......っ!」
使えば、命を吸われる望叶剣。
それをカイルは使いすぎた。
「今日の戦いで、死ぬって事はないだろうけど、長くない筈だ。それを俺は分かるんだ。だから、未来のない俺を、未来のあるアンナが、好きで居たらいけないんだよ。アイツは俺の死なんて笑い飛ばして、なさなきゃいけない、使命があるんだ」
シルフィーは、涙を流しながら、心を素手で鷲掴みにされているかのような、痛みを感じた。
でも、シルフィーにはカイルを止める事はできない。
ただ、止まっては欲しかった。
その矛盾した心が張り裂けそうなほどジンジンと傷んで、カイルの腕を強く抱きしめる。
「では......何故私には......何も言ってくれないのですか?」
「......シルフィーは、知ってたでしょ? 俺の寿命の事」
「......はい」
「だからだよ」
カイルも、美しく可憐なシルフィーの身体を遠慮がちに優しく抱き寄せて、雪のように白く、流れる小川みたいにサラサラなシルフィーの長髪を撫でた。
「柔らかい良い身体と、艶艷してて良い髪だよ............俺の寿命の事。正確に知ってるのはシルフィーだけなんだ。......どれぐらいか分かる?」
「......恐らく、後、一年半程度かと......カイルさん......ぅぅっ......」
「泣かないで、俺は何も後悔してないし、怨んでもない。むしろ、この剣があったから救えた命も沢山ある。シルフィーとだって出会えた。感謝してるんだよ」
「ぅ......っ。カイルさん......私......」
カイルは、カイルの代わりに涙を流してくれるシルフィーの涙を指で拭って、
「シルフィーには、悲しい思いさせるけど、この事を分かってくれているシルフィーに俺は甘えてるんだ。誰にも言えない俺の秘密。それをシルフィーには言えるから、かなり救われるよ」
「......死んで......欲しくありません......戦って欲しく......ありません」
「分かってる。ありがとう。でも、俺が、残りの命、全てミリナの為に使うって、そう決めてるんだ。もう、止まれない」
「......」
「シルフィーは、俺の秘密を知ってる。隠せない。だから、隠さない。遠ざけないで良い。......こうやって......シルフィーを抱きしめるだけで恐怖が薄れる」
「......」
シルフィーは頑なに何もしゃべることはなく、ただ涙を流しつづけた。
運命を見る聖女は、カイルの未来を見て......そして、見えなかった......
大好きになった大切な人の未来が無いことを知っていた。
一生寄り添うと、支えると決めた人の命が......
「でも、期待させるのは、ダメだよね? はぐらかしてもう少し、シルフィーにいい思いさせて貰いたかったけど、この戦いが終わったら、シルフィーは聖女として、ミリス教のトップになる。今までみたいには行かないか......答えるよ、この前の、プロポーズの返事」
「......っ」
激流の様に流れる感情とぽたぽた落ちるシルフィーの涙は既にその答えを知っているかのようだった。
シルフィーがどこまで未来を見えるのか? それをカイルは知らない。
けれど、ちゃんと言葉で伝えないといけないこともあるんだと、カイルは思う。
「悪いけど。俺はシルフィーと......シルフィアと結婚なんてできない。理由は......シルフィーが嫌いだからじゃないよ? ただ......」
「添い遂げます......!」
答えがわかっていたか、居ないか、シルフィーは、どちらにせよ、同じ事を言う。
「私は......! それでも、カイルさんと、添い遂げます!」
「......泣くことになるよ?」
「カイルさんの為なら......いくらでも涙を流します。結婚......出来なくても、時間が少なくても、カイルさんと添い遂げます。添い遂げさせてください......」
ぎゅうっと、シルフィーはカイルの腕を掴んでいた。
そして、カイルの答えは、
「ありがとう。......想いだけは受けとるよ」
「っ」
そう、想いだけを受けとった。
それ以外は、何も受け取れないと、カイルは言ったけど
それでも、シルフィーは良かったし、カイルは嬉しかった。
「ははは......。結局、俺とシルフィーってどんな関係性なのかな?」
「......恋人と、言うことにしませんか?」
「友達以上、恋人未満でしょ?」
「ふふふ......とても、残念。すん......っ」
「泣かないでって、恋人で良いから! でも、誰にも言っちゃダメだよ?」
「......わかってい......ますよ......っすん......すん......っ。カイルさん......少し、少しだけ、今しか無いから......」
鼻を啜りながら、涙を流すシルフィーの懇願にカイルは、
「良いよ。休もうか」
「......はいっ!」
時間を作るのだった。
シルフィーが、カイルの恋人として、最初で、最後の時を過ごすために。
階段にお尻つけたシルフィーは、カイルに全ての体重を乗せて侍り付き、更に指を絡めて手を繋ぎ、短い時をゆっくり過ごしていた。
「好きって......言ってくれませんか?」
「っえ? ......」
「まだ、カイルさんに、言われていないですので......」
「......」
改まると恥ずかしい、うぶなカイルは、
「......無理」
「......ひど過ぎますよ......! もうっ......!」
「本当に、ごめん」
言わなかった。
それでも、シルフィーは満足だった。
カイルが恥ずかしそうにしてくれただけで、うれしくなっていた。
「身体......」
「ん?」
「私の身体をもっと......抱き寄せても良いんですよ......?」
「......」
カイルに、柔らかい身体と褒められて嬉しかったシルフィーは、そういってカイルの緊張を少し解いた。
シルフィーからは、そっと寄り添って優しくカイルの身体に触って居るだけで、そこから先は、シルフィーも遠慮があり、もう少し、ほんのもう少し、カイルの腕と胸に寄りたいという、小さな想いがあった。
「私の身体をカイルさんの好きにして......良いんですよ? こんな身体では......満足出来ないかも......っ!」
ドザッ!!
シルフィーが、悲しい声を出したので、カイルはすぐに、ユウナを抱くように、シルフィーの腋の下に手を通し、背中で腕を交わし、自分の胸に押し当てるように強く抱きしめた。
「っ!」
シルフィーは、一瞬、ビックリしてピクンと痙攣したが、すぐに頬をほんのり朱に染めて、両手をカイルの胸板に沿えながら、身を任せた。
敬愛しているカイルの匂いが、シルフィーの鼻を通り、身体全体を循環して、シルフィーの全てをカイルが包んでくれている気がして、とても和やかな気持ちになっていた。
「シルフィーは、卑下しちゃダメだよ?」
「......ぁぁ」
天国の姿を見たりと、幸せの絶頂を味わい、シミでてしまう悦びの声を出しているシルフィーの頭を、カイルは自分に押し付けるように撫でながら、伝える。
「俺、今、凄くいい気分なんだ。可愛い過ぎて、綺麗過ぎて、神聖ささえあるから、きっと、誰もシルフィーを抱きしめられないだろうけど......」
「はぁぁぁ......ゎん」
「......」
抱きしめて見ると、カイルの鼻を砂糖菓子のように甘く、涼風のように爽やかな香が、カイルの鼻を幸せにしてくれた。
更に、シルフィーの身体に回した腕からは、むちむちとした肉感と、マシュマロの様な柔らかさを兼ね備えていて、カイルに、女の身体とはどういうものかを、教えていた。......それを規準にしてしまったら、いけないことをカイルは知らない......
「抱きしめたら、なんかね、凄いよ? 凄い......えっと......凄いよ。本当、幸せ感じる」
「ふふふ......カイルさんの......語彙の豊かさに......脱帽しました。ですので、カイルさんの気持ちは伝わりました。カイルさんにそこまで言わせるこの身体とても、良いものなのでしょう。......ふふふっ。幸運でした」
「......うっ」
しかしながら、言葉にして、シルフィーを褒めることはカイルには出来なかった。
「本当なのになぁ......じゃあローゼル風に言おうかな? すごく股間が疼く」
「......」
「っう......?」
折角、伝わっていたのに、カイルは無駄なことを例えてしまうのだった。
そのせいで、シルフィーにジーッと見つめられてしまう。
カイルを無言で見つめたシルフィーは......
「......ふふっ。わぁっ......! カイルさんの......大きいんですね?」
「ちょっ!? シルフィー!? どこ触ってんの!」
「......カイルさんの太い指です。ですよね?」
「......うん。それ指。ハハハ。指だよね......ハハハ」
から笑いで、ごまかすカイルにシルフィーは更に、身体を押し付けて、カイルの指を、優しく摩りはじめる。
「ひゃっ! シルフィーさん!?」
「カイルさん。......どうせ褒めてくれるなら、殿方悦ぶという、こちらも......そうしたら私は......自分に自身が持てます」
「っう......指......やめて」
「カイルさん......ダメ......ですか?」
「うっ......ううぅ......っ。分かったよ......」
太い指の先を、シルフィーは細長く冷たい指で挟んで、優しく丁寧に摩りながら、不安を表情にするので、カイルは仕方なく、他意もなく、シルフィーの柔らかい場所に五指を当てた。
「んっ! ......どうですか? んっ。もう少し.....ちゃんと触らないとわかりませんよ......よ?」
「は......ぁぁっ!!」
カイルは、既に、シルフィーの声が聞こえていなかった。
カイルが五指で、掴んでたぷんと余る位の肉の量。
少し力を入れただけで肉に沈み込む、溶けて居るのかと勘違いするほどの柔らかさ。
それでいて、しっかりと手に力を入れると、凄まじい弾力感。
カイルは、人体の神秘に遭遇していた。
「んっ......ぁっ......ふふっ......満足させられたようですね......? ぁっ......。では、私も初めてなのですが......上手く出来れば......良いのですが......」
カイルは、けして触れてはいけないパンドラの乳に触れてしまった。
触れたら最後。その魅了に取り付かれてしまう。
シルフィーは、たぷんたぷんと、肉をカイルが触っていることを、感じならゆっくりと、カイルの太い指に小さな口をつけ......舌を絡めた。
トロトロトロ......
とても、濃厚なカイルの味を、シルフィーは舌で堪能しながら、丁寧にそして、激しく、舌を絡め合わせた。
トロトロトロ......
「ぁぁぁぁ!! シルフィー!! っシルフィぃいいいいいいいーー!! ぁああああーーっ! ハァ......っハァ......ハァ」
ビクンと、カイルの腰が砕けて、いつの間にか大の字で天井を見上げていた。
シルフィーは、そんなカイルの腕を枕にしながら、身体にぺとりと密着し、
「スッキリ......しましたか?」
「......うん。......指だけどね......なんか凄く官能的だった。おかしいなぁ......因みに俺は太股触ってたんだよ?」
「ふふふ......」
含みのある、微笑みでカイルの胸板に頭をひょいと乗せたシルフィーは、身体をぎゅっと密させて、
「カイルさんが望むなら......私は何時でも、カイルさんだけの聖女になりますよ?」
「......」
「もう少し......このまま、お戯れを......このまま......」
「......うん」
カイルは、シルフィーの願いを聞いて、肩をそっと抱き寄せたのだった。
「......よし。行こうか?」
「......はい」
ほんの、数分間。
それが、シルフィーに取って一番大事な時間だった。
「カイルさんは......どうして戦うのですか?」
「また、難解だな......」
カイルは既に、切り替えて、遅れた分を取り戻すために、シルフィーを背負って階段を駆け登りながら、シルフィーの問いを考える。
「究極は全部俺の為なんだけど............」
「そういうのは、良いですから......」
「だよね。知ってた。えっと......最初はシルフィーの為だった」
カイルが戦う理由。
この戦争を起こした理由は、一つだった。
シルフィーをミリス教の暗殺の危険から解放する。
「でも、アンナが四国同盟って言い出してからは、ミリナの為にもなったかな?」
世界初、超大規模な遠征軍発足。そして、ミリナの呪いを解く鍵かもしれない、魔界王討伐。
その足かがりがこの戦争の勝利に繋がっている。
「それで、七騎士達に命を捧げられてからは、それだけでも無くなった」
騎士の主の重みを知った。
カイルが起こす戦争で、血を流す騎士の命を知った。
カイルにとって、その全員が、尊重すべき大切な命だった。
だから、無謀と知りつつ、敵軍にユウナと単機で突っ込んだ。
「そして、今は、残って託してくれたジーニアスやレンジ、信じてくれたマリン。皆の想いを背負ってる」
もう、カイルだけのたたかいではなくなった。
負ければ、全滅する。
そういう戦いになっていた。
「勿論、ユウナとの約束や、アンナの事もある。ここまで......来れたのは、皆がいたからだしね?」
「......はい」
「ま、今はシルフィーが隣に居てくれるって事が結構大きいね」
「そういう事は、言えるのに......何故。好きとは言えないんですか?」
「......恋人未満だからかな?」
「......恋人でも......良いって......すんっ......」
「ああああ! 泣かないでって、俺が全面的に悪いけどさ」
「......はい」
■■■
タンタンタンタンっとカイルは、軽快に階段を登っていく......
その間、シルフィーは、感情の闇鍋状態で、スンっと鼻を啜りつづけた。
「ねぇシルフィー?」
「すん......なんですか?」
折りを見てカイルは切り出した。
「俺さ、ジーニアスに負けてダサかった時......シルフィーが、俺に手を指し述べてくれたの、凄く嬉しかったんだよ......天使かと思ったし......」
「ふふふ......全然、違いますよね?」
「いや......今もその気持ちは変わってないよ。とにかく! 俺が言いたいのは、シルフィーに俺の悩みを聞いて、そして、救ってもらった。だから、今度は......俺にシルフィーの悩みを聞かせてよ」
「......悩み......ですか? しいて言うなら、カイルさんが......」
「あ、俺のせいで発生してる悩みは辞めて、どうしようも無いことばっかだから」
シルフィーの悩み。
シルフィーが思いつくのは、カイルの事ばっかりだった。
でも、それ以外と、カイルは言った。
「......もっとシルフィーの本質的な事だよ」
「......すみません。何を言っているのか......わからないのですが......?」
本当に、分からないシルフィーは、そう返すのだが......
カイルは、シルフィーの闇に気づいていた。
「......シルフィーの心に残る、絶望があるでしょ?」
「......」
「シルフィーの深層心理に焼き付いて、消えることが無い、シルフィーの聖人性を生んでいる、その大元......」
「......」
最初から、シルフィーの瞳に宿る、カイルやユウナやレンジと同じ、真っ暗な闇の絶望。
全てを諦めきっていた、レンジに出会う前の、カイルとユウナに、シルフィーの瞳は似ていた。
カイル達よりも、成長し、上手く心の奥底に隠して微笑みを浮かべているけれど、カイルは分かる。
その微笑みに、暗く冷たいものが雑じっていて、不純物があることに、儚さを秘めている事に。
「シルフィーは、人を幸せにしようとするのに、何故。シルフィー自身は幸福になろうとしてないの? アンナやユウナの悩みを聞いて、それを晴らせるのに、シルフィーの瞳は何時でも空虚だった」
「っ!」
「俺は、その理由が知りたい。自分を大切にしないで良いとそう思う何かがシルフィーにはあるはずだ」
カイルが、目の前で、全てを黒龍に焼かれ絶望を知ったように、
レンジの負ける姿を見て何も出来ずにただ泣いて、ユウナが犠牲になりかけた事を、絶対に忘れらない様に。
シルフィーにも、心に刺さる刺がある。
「マリンには、仲間が死ぬのが恐いから戦える......とか、格好つけたけど、俺が本当に恐いのは......仲間が死にかけている時に、また何も出来ない俺になることなんだ......俺は、何時でも俺の為に戦っている」
カイルは本音を明かして、対等になってから、もう一度シルフィーに聞いた。
「シルフィーはなんで? それだけ強い意思で......全てを救い、そして受け入れる覚悟をしたの?」
「それは......」
シルフィーはようやく、カイルが言っている意味が分かって、
しかし、それ以上の言葉が紡げなかった。
なぜならそれは、シルフィーの生きる理由そのものだったから......
「......俺は、話してほしいな? ちゃんと聞くから」
「......私は......カイルさんと居るときは、本当に......幸福を感じます」
「うん」
ゆっくり、丁寧に、シルフィーは奥底の気持ちを言葉にしていく。
それを、カイルは茶化さないし、ふざけずに真摯に耳を傾けた。
「でも、本当は私が幸福になって良い訳は無いんです......」
「......」
「この世に生を受けたその瞬間から、全ての命は等しく幸せになる権利があります。でも......私には当てはまりません」
「......うん。なんで?」
そう思っているであろう事はカイルは予測していた。
シルフィーの言動で、何と無くわかっていた。その理由が知りたい。
そして、出来れば救いたかった。
「私は、十二年前に死んでいる筈だからです」
「......うん? 関係あるの?」
「はい......私は、処刑されました。ですが、私は生きています」
「うん」
「それは、何故か知っていますか?」
「確か......身代わり......っ!」
それで、カイルは解ってしまった。
シルフィーが、どうしてそこまで、他人を幸せにしようとするか、どうして、シルフィーの表情に儚さがあったのか、
「そうです。十二年前に死ぬはずだった私の代わりに、何の罪も無い無垢な赤子が......私が、生きるために......犠牲になりました......」
「......」
「誰しもが、平等に生を謳歌する権利が有るはずなのに......私の生きる代わりに......犠牲になった。......赤子は......私が生きる権利を奪いました」
それが、どうしようもなく、シルフィーが、心に抱える闇であり刺だった。
もちろん、シルフィーが望んで、誰かを犠牲にしたわけではない。
しかし、確実にシルフィーの代わりに、その命は奪われている。
シルフィーには、その赤ん坊の犠牲を......しょうがないと言って割り切る事は出来なかった。
そして、カイルもまた、そんな絶望の内に、何も出来ずに聖女シルフィアの代わりに命を奪われた、赤子を簡単には割りきれなかった。
「......この罪は、私が生きている限り続きます。私は、この罪を一生かけてでも償わなければいないのです......」
「そんな......シルフィー......それは流石に救いが無いよ......」
償うも何も無い、シルフィーが、償いたい相手はもうこの世にいないのだから......
「もし、私の代わりに死ななかったら、その子は私なんかでは比べものにならない偉業を成し遂げたかも知れません。だから、せめて、私は、私が、手を伸ばせる全ての人に手を伸ばしたい......それが、私の生きる理由です」
「......でも、今、俺の前に居るのはシルフィーだろ......って、俺には言えないや。シルフィーの今と、シルフィーの代わりに死んだ、その子の未来とでは、確かに無限の可能性があった、向こうの方が......」
「......はい」
シルフィーの絶望を知ったカイルは、小さく拳を握った。
「それでも、きっと何時か、シルフィーのその絶望を壊してくれる人が、必ず現れるよ」
「......カイルさんは......壊す方法があると言うのですか?」
「......簡単だよ。シルフィーを世界中の誰にも負けないほど幸せにすれば良いんだ、死んだ赤子が絶対に到達出来ないほどの幸福をシルフィーに与えれば、それで、君は救われるはずだよ?」
「っ......」
そして、そんなことは簡単で、ユウナやレンジがカイルに与えてくれた、有り触れた愛情をずっと与えてあげれれば、それは、シルフィーだけの特別な誰にも負けない、比べる必要が無い幸福になる。
言われて、シルフィーは暗い洞窟の光が見えた気がした。
そして、その光を与えてくれるのは......きっとカイルなんだと、そう思った。
だから、シルフィーはカイルに強く惹かれて居たんだと......カイルと居るときは楽で居られたんだと......
「......絶望なんて簡単に壊せるんだよシルフィー。でも......シルフィーを救うのは......俺じゃない。俺には出来ない......そういう巡り会わせだった」
「......まさか、ここでもう一度......ですか? ......そんなの。悲しすぎますよ......!」
カイルは五階の大扉を前にしてシルフィーを背中から降ろすと、肩に手を置いた。
「シルフィー。希望は必ずある。シルフィーをその檻から出してくれる人は絶対居る。......俺が......やりたいぐらいだし......引く手数多だよ」
「............カイルさん......幸福になるなら......カイルさんが......私は......あなたが......あなたが騎士になってくれるなら......それで.....」
シルフィーは瞳を濡らして、光に縋り付く。
ようやく見つけた希望の光が目の前にあった......喉から手が出るほど欲していた救いを、カイルなら......シルフィーは共に居る、それだけで受けられる。
「俺は......ミリナの騎士なんだ。眠って待っている。あの子の未来を救いたい」
「......なら、もう! 内縁の妻でも、妾 の一人でも、なんでも! 良いんです! あなたの傍に置いていただければそれだけで!」
「だから!」
カイルは、声を荒げてシルフィーを遮り、そして、子供に言い聞かせるように、言った。
「俺の未来は......無いって......シルフィーが、一番知ってるでしょ......俺には......無理なんだよ」
「......っ」
カイルだって出来ることなら、恩人で、ユウナ以外に初めて愛情を抱いた人を救いたかった。
しかし、だからこそ、カイルの救いは救いにはならない。
感情を抑え切れずに肩を揺らしているシルフィーを最後にもう一度、しっかり抱きしめて、
「シルフィー。ごめんね。でも、大丈夫だから、俺が簡単って言うぐらいだ、そんな絶望、誰だって壊せる」
「......カイルさんにしか......無理ですよ......」
シルフィーもカイルの胸板に手を沿えた。
「そうだったとしても、絶望なんて簡単に壊れるよ。シルフィーが、思っても無い様な事で、簡単に壊れる。そして、シルフィーはシルフィーの人生を歩むんだ。その未来が俺には見えるよ。だから希望を捨てちゃいけない、諦めちゃいけないよ?」
「未来覗のスキル......ですか?」
「まさか......? ただの勘だよ」
「......ふふふ、すんっ......勘ですか......すんっ......ふふふ、分かりました。信じましょう。私の騎士様の勘ですから」
鼻を啜ってカイルの心臓の音と、暖かい体温を感じながら、シルフィーは覚悟を決めた。
(やっぱり、私の《背徳の騎士》はカイルさんしか居ません......だから、例え救いが無くても、私はカイルさんを想い続けます)
カイルから、教えてもらった簡単に救われる方法を、シルフィーは選択しないことを、決めた。
そして、胸板に沿えていた、手をカイルの背中に回して、
「カイルさん。私の騎士様は貴方だけです。だから......《私の騎士様に神の祝福を》......私の想いを貴方に......」
「シルフィー!? 君が救われるには、俺じゃ駄目だって......」
「いえ。それは気のせいです。このスキルが、あなたに宿るのが何より、私があなたに救われている証拠です。私を救うのは......私に......愛情を注ぐのは、私の《背徳の騎士》、カイルで無いと、ダメなんです」
シルフィーは大切な人にしかかけられない《女神の移し身》の加護をカイルに与えたのだった。
そして、そっとカイルから離れると、
「行きましょう......私の騎士様。全てを終わらせて......もっとゆるりと言葉を交わし、先程の続きをいたしましょう」
「......アンナも......ミリナ......ユウナも俺の言葉なんか聞やしないけど、まさかシルフィーも聞かないとは......」
「ふふふ、カイルさん。ミリス聖教にはこんな教訓があるんですよ? 『幸福は歩いて来ない、だから人は歩いて行くんだ』と」
「......それ、何の暗喩だよ......全然わかんねぇ」
「人はけして止まらない......私もけして止まりません。あなたが嫌がろうと、あなたと添い遂げますから」
シルフィーは涙をいつの間にかにとめて、朗らかに微笑んでいた......
その笑みに暗いものは何も混ざっては居なかった。
だから、
「まあ......良いか、役得だし......じゃあ、後悔しても知らないよ、もう少し、シルフィーにいい思いさせてもらうことするから......」
「......はい! 私はカイルさんの聖女ですから」
「行こうか」
そうして、カイルは決戦の扉を開いたのだった。