十話 『巫女の決意』
暗く狭い通路。烈しい戦闘音。タッタッタ……と響く、軽快な足音。
そして、ゆさっ、ゆさっと、揺れる感覚。
「……んっ」
強制契約解除の影響で、気絶していたソプラが目を覚ました。
そうして、一番始めに呟く言葉は、愛おしい人に囁くように、
「カイル……お兄ちゃん」
艶やかな声で、あった。
そんな声に反応して、
「ソプラ」
「っ! アルトお兄ちゃん?」
ソプラの薄い胸の下から、慣れ親しんだ兄の声が響く。
丸く蒼い瞳を拡げ、確認し、ソプラは自分が、兄の背に担がれているのだと知る。
そこから、一度辺りを見回して、更にもう一度、ぐるりと首を回してから、疑問を一つ。
「あれ? どうなったの?」
ソプラの最後の記憶は、カイルが《望叶剣》を握っていた場面で止まっていた。
そこから、今、どういう道筋を辿って、自分は、暗い洞窟の道を駆ける兄の背中に担がれているのだろうか?
……と、言う問い。
「兄ちゃん達が、ソプラのことを助けてくれたんだ」
「……え? ……あっ」
一瞬、何を言われたのか解らず、固まってしまった。
だがすぐに、ソプラは、己の肩が何時もより軽い事に気がつく。
……いや、気が付かないようにしていただけ。
本当はもう、気付いていた、自分に、《望叶剣の精霊》との繋がりが消えていることに。
それはつまり、数百年もの間、受け継がれてきた世界を守る役目が、失われたということだ。
(じゃあ……今頃、世界中で――)
「――ソプラ」
悲劇を想像しようとしたソプラの思考を遮るように、アルトが声を挟む。
「もう、終わったんだ」
「……っ!」
そのひと言に、どれほど多くの意味が含まれているかは、血の繋がった兄妹にしかわからない。
……何も考えなくていい。
アルトはいつだって、ソプラのことを一番大切にしてくれた。
可愛い妹の身に降りかかる悲劇を振り払おうとしていたのだ。
カイルたちが動いたのだって、元を辿れば、アルトが秘密を漏らしたからである。
「……うん」
兄の気遣いに甘えて、感傷は捨てる。
……起こってしまった結果は、もう変えられない。
今、することは、過去を後悔する事よりも、未来を見据えること。
「ね、お兄ちゃん。カイルお兄ちゃんは?」
グッと、お腹に力を入れて、口を開いた。
思い出したように『達は?』と、付け加え、恥じ入るように頬を紅く染める。
「兄ちゃん達は……」
足を止めずに駆けながら、アルトは答えた。
ソプラが気絶した後、《クリスタル・ウルフ》が目覚め、交戦し、どさくさに紛れて逃げてきたことを。
「お兄ちゃんっ!」
「仕方なかったんだ!」
妹の避難の声をアルトは遮った。
……もちろん、知っている。
ソプラが、カイルを憎からず想っていたことは。
出会い頭に命を救われ、《魔法》の知識を授けてもらい、《精霊の巫女》としての役目からも解放してもらったのだから当然であろう。
兄としても、間違った想いとは言えない。むしろ、応援する気持ちだってあった。
――それでも、《クリスタル・ウルフ》は強敵過ぎた。
冒険者教会が定めた危険度Aという目安は、《小さな国なら滅亡する》ということと同義である。
だからこそ、数百年前、《精霊の巫女》の始祖は、《望叶剣》の力を使って封印したのだ。
そんな怪物を相手と交戦し、生き残れる可能性は限りなく低い。
……たとえ、百万人に一人という確率で、聖剣に戦いの才能を見出された《勇者候補》だとしても。
「残ってたって……足手纏いにしかならいだろ」
「……」
それは、ただの言い訳であった。
恩人であるカイル達を見捨てた都合の言い訳。
だが、事実でもある。
現に、アルトは知らないが、《クリスタル・ウルフ》と激闘を繰り広げるカイルは、二人の姿がないことに胸を撫で下ろしたものだ。
――それでも。
ガッ!
ソプラは、兄の背中を押して離れ、地面を転がった。
……擦り傷だらけになる。
「ソプラっ!?」
立ち上がり、後ろを向き、
「お兄ちゃん……私、まだ、カイルお兄ちゃんに『ありがとう』って言っていない」
駆け出した。
無論、足手まといなのは解っている。
今から戻っても、間に合わないかもしれない。
そうなれば、無駄足で、もっと愚かな結果になるだろう。
……それは、すごく怖い。
それでも、ソプラは戻ると決めた。
自分の意思で戻ると決めたのだ。
「待つんだ。ソプラっ!」
兄の声に、妹の足は止まらなかった。
――一方。
カイル達の戦闘は、更に熾烈なものとなっていた。
「グルルルルルルルルッッ!!」
「吠えるなッ!」
壁を蹴り、天井を蹴り、縦横斜め縦横無尽に飛び回るレンジが脳天に一撃を入れ、
「グルルルルルッッ!!」
「いい加減ッ! 倒れなさいよっ!」
文字通り、旋風と一体化したユウナが横胴を追撃し、
「グルルルルルルルッッ」
「させねぇぇえッ!!」
身体が淡く、魔法の粒子で輝くカイルが、四肢を払って反撃の芽を摘んでいく。
「ムムム……如何にせん」
そんな三人から、少し離れた場所で戦況を見守るアンナは、歯がゆい気持ちで喉をうならせていた。
……今の所、戦況は拮抗、否、押している。
このまま行けば、勝利の女神は遠からず、カイル達に微笑むことになるだろう。
――だが。
それは、このまま行けば、の話である。
確かに今は、三人、カイルに魔法を付与するアンナを入れて四人のコンビネーションが僅かに《クリスタル・ウルフ》の戦闘能力を上回っているが……
……逆に言えば、四人の内、誰か一人でも力尽きたら、その瞬間、壊滅するということだ。
(実際、私の魔力も残り僅か……《総合強化魔法》の維持も、数分が限度、その間に仕留めきれるか否か……)
アンナは性格上、決して表には出さないが、服の下は汗でぐしょぐしょになっている。
当然、限界など、とっくの昔に越えていた。
……いつ、《魔力欠乏症》で倒れてもおかしくはない。
「……くッ」
そして、疲労で言うなら、誰よりも長く最前線で戦い続いていたレンジが、最も疲弊していた。
高速で壁や天井を蹴る度に、背筋が悲鳴を上げる。
(さっき受けた攻撃が地味に利いたな)
「……チッ」
もちろん、ユウナも、長時間の戦闘で、生命線である《剣風》の勢いが落ちていた。
(調子が上がらないわね……カイルが見ているのに)
「クッ……ゴリ押しを選んだけど……失敗だったか?」
全員が限界ギリギリ。
そんな状況に、カイルが苦渋を漏らす。
(よせ、考えるな。反省は後! 目の前の事に集中しろ。俺がミスったら、元も子もない)
「グルルルルルッッ!」
そして、もちろん。
限界が近いのは、一方的に攻められ続ける《クリスタル・ウルフ》も同じであった。
攻撃を食らう度に、身体が軋み、口から荒い吐息が漏れている。
「ユウナ、レンジ、アンナ。耐えろ! 我慢比べだ」
「もちろんよ。カイルの作戦を二度も失敗させたりしないわ!」
「……ああ、気張るぞ」
「グルルルルルルルルッッ!!」
この戦いは、四人が先に限界を迎えるか、《クリスタル・ウルフ》が耐えきるか……のふたつにひとつ。
――だが、先に限界を迎えたのは、カイル達であった。
それは唐突に訪れた。カイルとレンジが、連携して攻撃を仕掛け、それにユウナが続こうとしたときである。
ひゅる……っ……ひゅる……っ……っ……。
遂にユウナが生み出していた《風》が完全に消失してしまったのだ
「っ」
ただの鉄剣と化した一撃では、《クリスタル・ウルフ》に対し、有効打とはならない。
ぎぃぃんっ……と、甲高い金属音が洞窟に響き、ユウナの手が痺れる。
……態勢すら崩せない。
「グルルルっ!」
戦況が膠着してから初めて生れた僅かな間隙。
その一瞬を、《クリスタル・ウルフ》が見逃す筈はない。
鋼を砕く剛毛を逆立たせ、丸太よりも太い爪で、必殺を狙う。
ユウナは避けられる態勢ではない。
「ひゃぁっ」
「ユウナッ」
「いかんっ! カイル。其奴の狙いは――」
「――グルルル」
血よりも濃い絆で結ばれた家族の窮地に、脊髄反射で反応したカイルは責められない。
しかし、《クリスタル・ウルフ》が狡猾なことは、天井を壊して通路を封鎖したときにも体感していたことだ。
ユウナを無視して、勝ち誇ったような瞳でカイルを睨み、《毛針の雨》を放つ。
「クソ……ッ、狙いは俺かよ!?」
「カイル!」
「え……?」
ユウナを助けようとしていたカイルは虚を突かれ、その攻撃を避ける余裕はない。
ユウナが困惑の声を出し、レンジが天井を蹴って、加速し、救助を試みるが……間に合わない。
「ムムムム~~っ。仕方あるまい。《超級防御魔法》!!」
あわや、カイルの死……と思われた間一髪。
アンナが《防御魔法》を発動し、《毛針の雨》からカイルを守る。
「アンナ……っ!」
「喜んでいるところ悪いがな。カイルよ。これで私は《打ち止め》だ」
「……っ」
しかし、そのせいで、少ない魔力でやりくりしていた《総合強化魔法》が解けてしまう。
カイルの身体から、魔法の粒子が消えていく。
……これでもう、カイルは戦力外。
「カイルっ! 無事か?」
そこで到着したレンジがカイルの身体を抱きかかえ、アンナがいる後方まで飛び下がる。
同時に、アンナの《防御魔法》も砕けて消えた。
「レンジ! ユウナは?」
「……ったく。相変わらずだな」
自分の命の灯火が消えかけた事を理解しているのかいないのか?
窮地を抜けたカイルが最初に口にしたのは、ユウナの心配であった。
「ここよ」
すぐに真横から、聞き慣れた、しかし、いつもより元気がない声。
カイルが狙われた後、ユウナはすぐに態勢を整え、ここまで下がってきていたのだ。
それをレンジも確認しながら、カイルを地面に下ろす……。
「ごめんね……カイル」
ユウナが、いつになく泣きそうな面持ちで、ギュッとカイルの胸へ寄り掛かるように掴み、顔を埋めた。
……二度も、カイルの足を引っ張ってしまった。
それは、ユウナの心を強く縛り付ける。
「また……私、失敗しちゃった……」
「そんなことはどうでも良いけど」
「……え?」
「ユウナは怪我してない?」
「うん……」
「なら、どこが失敗なの?」
「っ!」
――が。
カイルは、こういうとき、ユウナの事を一瞬で励ますことが出来る。
だからこそ、ユウナはカイルが――。
「そうね。そうよね! 私は失敗なんてしていないわ♪」
「チョロいな。近年、希に見るちょろインだな」
「ユウナは、アレで、カイルの言うことなら、何でも利くんだ」
見事にユウナが復活し、レンジとアンナが呆れた視線を向けるが……
「――さて。カイルよ。役得にニヤケ顔をしている所に悪のだが、ここから、どうするのだ?」
「……そんな顔してねぇよ」
……状況は何も変わっていない。
否、むしろ、悪くなっている。
「なんでも言って良いのよ? カイルがヤレっていうのなら、猛毒の中にだって飛び込むから」
「じゃあ、飛び込むなって言っておく」
後方は壁、逃げ道は塞がれ、ユウナの強力な風も、アンナの魔力も切れた。
「……」
「よし。俺が、活路を開く。その間に、なんとか退路を造ってくれ」
……最早、満身創痍。
ここから立てられる戦略など、ないのだ。
それをいち早く悟ったレンジが、胸を叩いて剣を構えた。
「私も戦うわ!」
その横に、スッとユウナも並ぶ。
「カイルは私が守るんだものっ」
一瞬前まで、泣きそうだったのが嘘のように凜々しく見えた。
「レンジ……ユウナ……」
しかし、二人の未来は闇に包まれている。
……このまま、戦ってはいけない。
「待って――」
カイルは、そんな二人を止めようと、手を伸したが……あと一寸の所で、
「グルルルルルルルっ」
《クリスタル・ウルフ》が動き出した。
それとほぼ同時に、ユウナとレンジも動き出す。
カイルの手も、声も、届いていない。
「ちくしょう! こうなったら――」
――俺も戦う。
カイルが、そう続けようとして、膝を上げようとしたが、
「――待つのだ!」
「っ」
ポンッと、アンナが肩にて置いて、機先を制した。
……力尽くで払おうとすれば、押し払えるだろうが。
こういう時、この金髪の少女が無駄な事をしないということをカイルは知っていた。
二人に続こうとする本能を押さえつけ、首を動かし、相棒を見やる。
「策があるなら良し。されとて、ないなら、無謀ではないか?」
冷静に務めようとするカイルを見て、アンナはニヤリと笑い、叱責した。
その言葉か、笑みか、それとも存在にか、とにかく、その瞬間、カイルのざわつく心が落ち着いた。
「ああ……だけども、万策尽きてる状況で、立ち止まっていても意味はないだろ?」
「策はある!」
「マジ?」
一度、落ち着いてしまえば、如何に自分がどれほどの愚行を犯そうとしていたのか解ってくる。
……アンナに怒られるのも仕方ない。
「ウム。必ずある! 諦めなければな?」
「……で、その策とは?」
「それを考えるのが、カイルの役目だろうて」
「人任せかよっ。……まぁ、いいや。因みにお前の役目は?」
「私はただ見ているだけで、下々の働きの収益を頂くことだ」
「どこの王さま……っ女王様だよ」
「お姫様の方が、響きが美少女っぽくなるぞ? 立場的にはほぼ変わらんからそっちで呼んでくれ」
「そこはどうでも良いんだよっ!」
と、カイルが叫んだ時であった。
――《精霊の巫女が希います》。
……透き通るような声が響いた。
そして、その声に最も早く反応したのは、カイルでも、アンナでも、ユウナでも、レンジでもなく、
「グルルルルルルルルッッ!!」
そう、《クリスタル・ウルフ》であった。
研ぎ澄まされた獣の耳は、人間には、微かに聞こえるだけのその声を正確に聞き取っていた。
……声の発生源は、崩壊させた通路の奥。
レンジとユウナに襲い掛かろうとしていた動きを止め、鈍く光る相貌を向ける。
「《水の中級精霊よ・流水となって・吹き出し給え》――《ハイ・ウォーター》」
途端、天井が崩れ通路を塞いでいた土砂が大量の流水によって流される。
だが、一度壊れた天井は脆くなっていて、すぐに次の土砂が振り注でしまうだろう。
――だから、さらなる声が紡がれる。
「《風の中級精霊よ・爆風となって・吹き荒れ給え》――《ハイ・ウィンド》」
強烈な風が吹き荒れ、水で濡れていた天井を瞬間的に乾かした。
結果、崩壊していた天井が固定化し、土砂の崩落が止まる。
「おいおい……《基礎魔法》を《昇級詠唱》って」
通常、《基礎魔法》を《昇級》させる意味は薄い。
もともと、《昇級詠唱》全般に言えることでもあるが、下位の魔法を、《詠唱(小手先)》で上位の魔法に変換したところで、もともと上位に位置する魔法の方が、威力は高く魔力消費も少ないのだ。
この《詠唱技術》を使うとしたら……
アンナのように変わりが利かない《回復魔法》や《支援魔法》を強化するためであったり、カイルのように《技術》や《勉強》不足で上位の魔法が使えないのを補うためであったりする。
そんな《高等技術》を、《基礎魔法》に使う魔導師は……おそらく、大陸中を探しても、一人しか居ないであろう。
「カイル先生っ! 助けに来ましたっ」
「ソプラっ!」
そう、カイルの愛弟子、ソプラだ。
ソプラは、土砂を排除した通路の奥から、ひょっこりと顔を出し、カイルの姿を見ると、大きく安堵の息を吐いた。
「グルルルルッッ!」
そんなソプラの登場に、誰もが足を止める中、《クリスタル・ウルフ》が瞳に狂気の闇を下ろした。
ソプラが使った魔法の《残滓》。
火の粉が散るように消えていく《魔力》に、色濃く香る《巫女》の匂い。
それは、《望叶剣》から香る《精霊》の匂いよりも、《クリスタル・ウルフ》の敵意を引いた。
「グルルルルルルルルッッ!!」
――なにせ、《クリスタル・ウルフ》を封印していた力の元凶だ。
カイルたちと渡り合っていた時にみせた、聡明さを全て忘れ、怒りと憎しみがあふれ出す。
そのまま、全身の毛並みを逆立たさせ、
「いかん。《毛針の攻撃》だ」
「っ! ソプラ! 逃げろぉぉぉぉ」
「え?」
アンナの警告。
カイルの勧告。
それと同時に、《クリスタル・ウルフ》は、《毛針の雨》を放った。
「クソっ! 間に合わん。――ユウナっ! 吹き飛ばせ」
「今は無理よ!」
即座にレンジが駆け出すが、疲労で、空中を飛ぶ《毛針》に追いつける程の速度がでない。
唯一の希望は、ユウナの《剣風》だが、本人でさえ、力の使い方を理解していないのだ。
この土壇場で、もう一度、《剣風》を起こせというのは無理がある。
「っ!! 《土の中級精霊よ・塊土の壁となって・我が身を守り給え》――《ハイ・サンド・ウォール》」
そこで咄嗟に、ソプラが《防御魔法》を発動した。
瞬く間に、地面が膨れ上がり、物理的な壁が築き上げられたのだ。
土属性を選んだのは、咄嗟にカイルの背中が浮かんだからである。
――しかし。
そうして、造られた《土の防壁》は、《毛針の雨》によって悉く破壊されてしまう。
「アンナっ!」
「ムムム……ムムっ! 《オメガ・ウォール》!!」
無茶を承知で、カイルが叫び、道理を無視してアンナが《魔力》を練り上げる。
……が、不発。
魔力暴発や、魔力欠乏は起こらなかったが、苦しそうな吐息を漏らし、膝を付いた。
「くっ。魔力が足りん!!」
「っ!」
……このままじゃ、ソプラが死ぬッ!
数瞬後に起こるであろう、確定的な悲劇。
最早、誰にも変えられない運命だ。
――それでも。
「ふざけるなっ」
カイルは、諦めず、叫び、疾駆し、手を伸した。
その手には偶然か、運命か、《望叶剣》が握られている。
「こんなっ! こんな運命ッ――」
願いを叶えるという《望叶剣》を掲げたまま、カイルは渇望した。
「――認められるかぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
その魂からの叫びは、眠れる伝説の剣を呼び覚ますのに十分であった。
――ドクン。
カイルの手に握られている《望叶剣》が脈動し、カイルの頭の中に直接、声が響いた。
「《資格ある者よ、何を望む?》」
「っ!」
それは、《望叶剣祭》の最中、ソプラに問われた問いである。
……あの時は、なんと答えたっけ?
今のカイルは思い出す余裕もない。
――だが。
今のカイルは、どんな不確かな可能性にだって、喉から手が出るほど欲していた。
だから、《何を望む?》と聞かれれば……
「俺は……全てを守れる力が欲しいッ!!」
途端、《望叶剣》に魔力の光が淡く輝き、ばぁりんと粉々に弾けた。
「《契約は今、成された》」
「……え?」
驚きの声を上げたのは、カイルか……それとも、近くで見ていたアンナか……それとも。
とにかく、弾けた《望叶剣》の破片が高速で移動し、毛針を追い抜き、ソプラの前に集まって行く。
そうして、集まった破片は、収縮し、結合し、変形して、一枚の壁を形成した。
「鉄の……壁」
そう呟いたのはカイルか、アンナか、それとも、ソプラか……。
確認する間もなく、《鉄の壁》と、《毛針の雨》が衝突した。
「……」
火花が散り、弾け、砂煙が上がる光景に、《クリスタル・ウルフ》を含めたその場の全員が沈黙。
しかし、場には、断続して、金属同士の烈しい激突音が響く。
「……」
だれも、何も言わず、微動だにせず、視線を向け、結果を待った。
ゆっくりと……砂煙が晴れていく。
「嘘……でしょ」
驚愕の声はユウナである。
続けて膝を突いていたアンナが立ち上がり、
「カイルよ。薄々思っていたが、貴様は美丈夫だな」
「っ!」
カイルの肩をぽんと叩いた。
レンジも「ふっ」っと、息を吐く、その視線の先。
砂煙が晴れた場所には、幾千万の毛針を止めてもなを、堂々と無傷でそびえ立つ《鉄の壁》の存在があった。
「え……この《力》っ! まさかっ」
もちろん、その後ろで守られたソプラも無事である。
再び《鉄の壁》が砕け散り、破片がカイルの手元に戻って来る。
「なるほど、形を変える魔剣か」
シュルシュルと魔力を帯びて光る破片が、元の刀の形に戻って行くのを見て、アンナが冷静にそう分析した。
偶然、契約した《魔剣》、それも《望叶剣》の力など、契約者であるカイルも把握していない。
……ぶっつけ本番で試すかしかない。
「まったく、その力は使うなといったであろうに。使うなら私のにしろ」
「えり好み出来る状況じゃなかっただろう。というか、お前はガス欠だろうが」
「否定はせんが、おなごの最も大事な機能は、ねっとりとした内側だぞ? そこには自信がある!」
「おい、お前、そろそろいい加減にしとけよ」
そっと前に出るカイルに、アンナが何時もと変わらぬ茶々を入れる。
いや、カイルの瞳を見て、いつもと変わらぬ茶々を入れられた。
「ぐるるるっ」
ソプラに向けられていた《クリスタル・ウルフ》の視線が、カイルに移る。
その目には理性があり、全身の剛毛を逆立たせているのは、強い警戒の現われだ。
「しかし、どんな願いでも叶えられるのであろう?」
「謳い文句としては、そうだったな」
そんな状況でも、二人の声は軽やかであった。
「であれば、『最強の力を手に入れて美少女にモテモテになりたい』とか『大金持ちになって美少女を沢山侍らせたい』とか『世界を救って世界中から選りすぐった美少女を手籠めにしたい』とか、そんな願いもあったであろうに……健全な殿御なら」
「いやそれ、全部『美少女にモテたい』じゃねぇーか」
「はっ。つまり、世界一の美少女である私にモテたいのだな? 愛々しいやつめ」
「お前が世界一の美少女なら、俺は世界一の美少女にモテなくてもいいやって、今思った」
それは、この二週間、続けてきたカイルとアンナのいつも通りで、
「にもかかわらず、望みは『全てを守れる力』……か、ふっ」
「何だよ? 馬鹿にしたように笑いやがって」
「いや……やっぱり、カイルは美丈夫な殿御、だと、思ってな?」
「何ソレ、告白してんの? ちょっと本気っぽいよ?」
「ウム? 何を言っているんだ? 私はわりと、初めから、『見初めた』といっておったどろ?」
「おい……冗談はよせよ」
「まだ、本気で冗談だと思っておるのか?」
「……冗談はよせ」
それは、二人が育んできた、最大源の親愛と信頼の証であった。
「因みに、『見初めた』というのは、『戀を初めた』ということでな」
「語るな語るなよせ。その辺の話は後でしよう。……望み薄だがな」
「むぅっ」
一歩後ろから、不満の声を漏らす少女の存在に、カイルは思う。
……アンナは、最高の相棒だ。と。
そしてそれとほぼ同じ事をアンナも思っていた。
「グルグルグルグルっ」
「何くっちゃべっているのっ! カイルっ! さっきの攻撃が来るわよっ!」
「……ちっ」
ユウナの警告とほぼ同時に、《クリスタル・ウルフ》が《毛針の雨》を放つ。
ソレを見て、助けに戻ってこうようとするユウナとレンジの間を、カイルは、縫って駆けた。
チラチラと、カイルの後から糸を引く様に、銀色の輝きが散っている。
「もうこれ以上……」
一度は防いだとは言え以前、驚異に変わりない《毛針の雨》を正面にして、カイルは《望叶剣》を下から上へ斜めに振り上げた。
「誰一人、俺の仲間は傷つけさせやしねぇっ!」
その剣線をなぞるように、銀色に輝く鉄の塊が生れ、《鉄の壁》が形成される。
――二度目の激突。
やはり、《鉄の壁》が破られることはない。
「俺が全て守り切るっ!!」
そう、高らかに宣言するカイルの背中は、実物以上の大きく見えた。
どくんっ……と、ユウナの胸が小さく痛む。
(やっぱり、カイルは凄いわね。また、置いて行かれちゃったみたい)
ランクAと、神級の精霊を宿す《望叶剣》を持ったカイルの戦いが今、始まろうとしていた。
……最終決戦だ。