一話 『勇者との邂逅』
一章またまた改稿しました。
なお、一章と二章で話数がズレますが修正量がすんごいのでご容赦を。
「……また、来てくれたんだね、カイル」
目が眩しくなるほどの、純金の輝きを放つ、長髪の可憐な少女。
何時も、同じ場所にいて、同じ微笑みで迎えてくれる。
でも、何時もどこか辛そうで、笑っているのに泣いている気がして……儚さを身に纏っているように見えた。
優しくて、暖かくて……心が少し空いていく……そんな微笑みだ。
少女は俺に会うと何時も同じ事を言った。
「ごめんね……カイル。君が許してくれるなら、ずっと一緒にいたいな……」
俺にとってとても大事な……
……ゆさゆさ、ゆさゆさっ。
身体を揺さぶられ、黄金の夢が遠ざかり、意識が引き戻される。
「カイル! カイル! しっかりしなさいよ! もうっ」
緑が茂る森の中、暗い鋼色の髪を持つ、齢十の少年が眠っていた。
そんな少年カイルを、少女が乱暴に揺すり起こそうとしている。
「……ユウナ?」
カイルが夢から目覚め、瞳を開けると、黄色と白色を上手く混ぜ合わせた綺麗なクリーム色の長髪が映った。
……世界で一番、大切な家族の一人、ユウナだ。
血こそ繋がっていないが、二人の絆は、本当の家族にも劣らないだろう。
正確な誕生日を認識していない二人だが、カイル達の年齢は近い。
よく、どちらが歳上かで喧嘩するが、頼れる姉であり、兄であり、可愛い妹であり、弟でもある、そんな関係性であった。
「何よ? まだ眠いの? 仕方ないわね。ほら、来なさい。私が胸を貸してあげるわ」
まだ、意識が完全に覚醒せず、ぼぅ~~っとしているカイルの頭をユウナが胸に押しつける。
ユウナ的には、柔らかい胸でカイルに心地良い眠りを提供しているつもり……なのだが、
かちかち……。
残念なことに、ユウナの胸は、膨らみがない。
そして、大人の男に負けず、肉体を鍛えているため、まな板のようであった。
……拷問だ。
「ユウナ……離れて」
カイルは不快な気持ちを顔と言葉に出さず、やんわりとユウナの拘束から逃れる。
すると、ユウナは、手を差しのばした。
「立つの? ほら、掴まりなさいよ?」
「……」
面倒見の良い、お姉ちゃん……みたいな言動だが、普段はむしろ、我が儘で自分勝手な性格の人間だ。
……ここで、手を取らなかったら、暴れ出すに違いない。と、カイルは思い、従順にユウナの手を取ろうとした……その時、
キラリ。
風が吹いたのか、背丈の高い木々が遮っていた日差しが差し込み、ユウナを照らす。
逆光を浴びるユウナは、元々整った顔立ちをしていて、とても可憐である。
……なにより、
「金髪……綺麗だ」
「えっ? か、カイル? い、いきなり、何するの?」
光のさじ加減で、ユウナの髪が、金色に輝いていた。
その美しい輝きに、思わず手を伸ばす。
さらさらの質感、長い髪、入念に手入れされている質感、清らかな香り……
「すーはーっすーはーっ……」
「ちょっ、カイル……こんな……場所で……(赤面)」
ぺろりと舐めれば、舌触りも良い、
「ちゅぱっちゅぱっ」
「だめ……こんな……いきなり……なんて……ダメ……」
……金髪は最高だ。
そう思いながら、立ち上がり、ユウナの腰を抱き寄せ、髪に指を絡めて堪能する。
――が、しかし。
再び風が吹いたのか、日差しが途切れ、ユウナの髪が白黄色に戻った。
「……はっ!」
「えっ? なんで? やめちゃうの? もっとやっても良いのよ?」
一瞬で我に返ったカイルは、ユウナから全力で離れる。
そのまま、手近な樹に右手を添えて、
「ウロロロロロロロ……」
嘔吐した。
金髪じゃない、髪を口にしてしまった副作用だ。
「ユウナ……だましたな! 最低だ!」
「何もだましてないのだけれど!?」
「……五月蠅いな。金髪じゃない、女の子に価値はない」
「それは、異常金髪愛好者のカイルだけでしょ!?」
毒素を全て吐き出したカイルは、口元をぬぐって、歩き出す。
……ユウナの隣を素通りして、
「ほら、ユウナ。何、サボってるの? 早く、薪を集めないと、日が暮れちゃうよ?」
「~~ッッ! あんたにだけは言われたくないわよ! 私の純情ッッ! 返しなさいよぉぉッ!」
スタスタと歩いていってしまう。
さっきまで、居眠りしてサボっていたのは、他でもないカイルなのだが、自分は真面目にやっていたと言わんばかりだ。
「ユウナの怒声が聞こえたが……カイル。どうかしたのか?」
そんなカイルの隣に、黒髪の少年が立ち並ぶ。
もう一人の大切な家族、レンジだ。
「いや、ちょっとユウナに騙されただけ」
「だから、騙してないでしょ!?」
やはり、レンジも、カイルやユウナと血の繋がりはなく、歳は変わらない。
されど、レンジは二人にとって兄のような存在であった。
それには、ユウナも異論はない。
「また、カイルの『発作』が出たのよ。髪がベトベトよ……別にカイルのだし、イヤではないけれど。後でお風呂に入って洗ってよね?」
「え? イヤだよ、めんどくさい」
「ふっ。仲良しなのは良いことだが、この辺には『魔物』も出る。何か、異変があったら、すぐに言うんだぞ?」
「魔物……か」
小さく呟いたカイルは、腰に差した子供用の剣を指で撫でる。
魔物、魔法生物とも言われ、人間を襲う習性がある怪物だ。
なぜ、人間を襲うのか? その理由は解明されていない。
世界中どこにでも生息しているため、護衛なしに村の外を歩くなら、武装は必須である。
年間、一千万人以上の人間が、魔物によって殺されているのだ。
「レンジ。大丈夫よ。カイルは私が守ってあげるんだからね♪」
ユウナが意気揚々とそんな事を言いながら、カイルとレンジの間に身体をねじ込んで、二人の腕を抱きしめる。
べたべた、べたべた……。
……兄妹の距離感だ。
カイルは、今、この距離感で振る舞ってくれるユウナは、特別だと知っている。
最初、出会った時のユウナは、固く心を閉ざし、触れ合うもの全てを拒絶していた。
それを、何年もかけて、ここまで来た。
どんなに、生意気で、お転婆で、横暴で、金髪じゃないとしても、可愛くて、可愛くて、たまらない存在だ。
……ユウナの為にだったら、死んでも構わない。
カイルは、本気でそう、思っていた。
「……何よ? カイル。その新しい金髪の女を見つけた時みたいな目は? ……私、金髪じゃないわよ?」
「見れば解るよ」
「さっき、間違ってしゃぶってきたじゃない」
ごもっとも。
ユウナの鋭い指摘に、カイルが肩をすくめた……その時。
カサカサッ……カサカサッ……。
近くの茂みが揺れ動いた。
カイルが気付き、足を止める、殆ど同時に、ユウナとレンジもピタリと静止。
「森の動物かしら?」
「……カイル、どう思う?」
レンジに問われ、カイルはピリピリと痺れている首筋を触った。
……無遠慮に放たれた野生の敵意を感じる。
「魔物だよ……きっと。動物だったら、こんなに空気が緊迫しない」
「……ふぅん。 じゃあ、私がやっつけてきてあげるわ!」
カイルの答えを聞いたユウナは、腰の剣を引き抜いて、止める間もなく、茂みへ向かっていく。
「あっ……ユウナ。一人じゃ危ないって! 戻って来なさい」
「ま、そんなに慌てることはないだろう。カイル。この辺の魔物なら、囲まれでもしない限り、ユウナが負けることはない筈だ」
カイルは、慌ててユウナの背を追い、引き止めようとするが、レンジが冷静に諭す。
確かに、普段から、個人的に鍛えているユウナたちは、村の大人より、魔物との戦闘には慣れていた。
……魔物の一体や二体、今更、焦ることでもない。
「怪我してほしくないんだよ……ユウナには」
「ふっ、相変わらず、過保護だな。カイルは」
「そりゃぁ……もし、擦り傷だろうと怪我でもしたら、ユウナはきっと、帰り道、ずっと、おんぶしてとか、いい出すからね」
「あり得そうな話だな……よし。やっぱり俺達も行くか」
それでも結局、カイルとレンジもユウナの後を追う。
……色々、言い訳したが、本心は『ユウナが心配だから』、である。
「キャァァァァァァァッァァァァァァッッ!」
突然、先に茂みに到達していたユウナが悲鳴を上げる。
「「ユウナっ!」」
反射的にカイルとレンジが反応し、駆け出そうとするが……
ドダドダドダドダドダ……。
それよりも早く、ユウナが反転し、脱兎の如く、帰って来た。
……特に怪我はしてないようだ。
「カイルッ!!」
「ぐほぉっ!」
ユウナは、全力疾走の勢いを殺さず、カイルに飛びついた。
ぎゅぅっと抱きついて震えているが、ユウナの頭が鳩尾に入った、カイルは悶絶するしかない。
「ゆ、ユウナ……お前……少しは減速しろよ」
「ムリよ! 滅茶苦茶、怖かったのだもの! 慰めてよ」
「よし、よし。もう大丈夫だぞ。俺が守ってやるからな――で、何がそんなに怖かったの?」
それでもカイルは、恐怖に震えるユウナの背中を柔らかく撫でて、事情を聴いた。
理不尽……だが、こういうことも、慣れっこだ。
「向こうにいた魔物……《ラビット》だったのよッ!」
「ラビット?」
別に魔物図鑑が頭の中に入っている訳ではないカイルが首をかしげて、ユウナが逃げてきた茂みの方角に視線を向ける。
そこには、獲物を追って来たのか、白い兎型の魔物がいた。
大きさは三十セルチ程度で普通のウサギと変わらないが、頭にドリル状の角が一本生えている。
……あの禍々しい姿は魔物で間違いない。
「危険度Dランクの魔物よ。私より強いなんて聞いてないわっ」
「危険度Dって……」
危険度とは、その名の通り、多種多様な魔物を危険度別に分けた値の事だ。
一般的にFが最弱で、E、D、C、B、A、S、SS……と続いていく。
もし、危険度Fの魔物を討伐する場合、武装した大人が十人程度の戦力が必要とされている。
そして、危険度の値が一つ上がれば、前の値と比べて三倍の戦力が必要と言われている。
この危険度システムは、魔物討伐を生業とする《冒険者協会》や、《勇者協会》が設定したものだが、このシステムのお陰で、戦う前から、ある程度、魔物の戦力を分析出来るようになった。
「おかしい、この森にEランク以上の魔物がいるはずは……」
今回、カイルたちの前に現れた《ラビット》は、Eランク。
つまり、大人、九十人と同等の戦力であるということだ。
いくら魔物と戦えるように鍛えているとは言え、まだ十歳の子供だ。
そんな魔物を前にしたユウナが、尻尾を巻いて逃げ出すのは責められない。
「ひゃぁっ……こないで! 私を食べたって美味しくないわ! 食べるならカイルにしないさい!」
「おいおい、俺のこと守ってくれるって話は?」
ジリジリと慎重に、しかし、確実に、近づいて来る《ラビット》に震えるユウナは、するりとカイルの背に回り、盾にする。
……有言実行? そんなことユウナがするわけないのは、最初から解り切っていたことだ。
人は、誰しも、他人の命より、自分の命が大切だ。
「ギィギィギィ……」
隣で何かを思案するレンジも、助ける素振りはなく、遂に《ラビット》がカイルに飛びかかった。
「早ッ! ムリッ」
……もちろん。カイルもユウナと同じで、Dランクの魔物を相手に抵抗する力はなかった。
普段、戦っているのは、Fランクの魔物である。
「カイル~~ッッ!!」
「ユウナッッ!!」
どうすることも出来ず、ユウナはカイルの背中をぎゅっと抱きしめる。
カイルも、そんなユウナの頭を抱きしめて、庇った。
……他人の命より、自分の大事だが、カイルにとってユウナは家族だ。
家族の命は、自分の命よりも大切であった。
「――俺の家族に手を出すなッ!」
――斬。
ラビットの角がカイルを貫かんとした、その瞬間、銀色の剣線が走った。
次の瞬間、ラビットは真っ二つになる。
レンジが抜刀し、ラビットを切り捨てたのだ。
……つぇぇぇ。
「流石はレンジね!」
それまで、ずっとぎゅーーッと、抱きついていたユウナが、絶命したラビットをぱちくりと見つめ、カイルを突き飛ばし、今度はレンジに抱きつく。
「私を抱いて守ってくれる……ことしかできなかった、カイルとは大違いだわ!」
「酷い言われようだ……まぁ、その通りなんだけど」
一応、義務的にユウナを庇ったカイルだが……
……レンジが隣にいる時点で、こうなるであろうことは、最初から解っていた。
きっと、ユウナも解っていただろう。
「というか、そんなこと言うなら、最初からレンジに助けを求めろよ。無駄に悶絶しちゃったじゃねぇぇか」
「仕方ないでしょッ! 身体が勝手にカイルに助けを求めていたんだから! カイルに守って貰いたかったのよ! 馬鹿カイル!」
「無茶ぶりだ……」
「(ぼそ)……でも、命をかけて守ってくれるのは、かっこ良かったわよ?」
「え? なんて言った?」
「もうッ! 馬鹿カイル!」
「なんでだよ!?」
レンジに助けて貰ったお礼を言いもせず、ぎゃーぎゃーと黄色い声で騒ぐユウナ。
しかし、レンジは、ユウナに抱きつかれているだけで、満足そうな顔になる。
……わかりやすいことこの上ないが、レンジはユウナの事を、家族以上の存在として、愛している。
三人が住む村の人間や、家族達の中で、レンジの気持ちに気付いていないのは、ユウナだけ。
「もう……ほんとうにカイルは『どんかん』なんだから」
「ユウナに言われたくないよ!」
一通り、レンジを抱擁してから、ユウナは離れ、地面に転ぶカイルに笑顔で手を伸ばす。
……守りたくなるようなあどけない笑顔だが、カイルが転んでいるのは、ユウナが突き飛ばしたからだ。
「早く、立ちなさい。また、魔物に襲われるわよ?」
「……うん。解ったよ」
色々と言いたい気持ちを飲み込んで、カイルはユウナの手を取り、立ち上がる。
すると、ぎゅッと、ユウナが、カイルの頭を胸に抱きしめた。
「やっぱり、ちゃんと言っておくわ。カイル。貴方が、まもろうとしてくれたこと嬉しかったわよ?」
そんなユウナに、思わずドキリ……と、してしまう、感情も飲み込む。
その気持ちをカイルまで認めてしまったら、もう、家族でいられない気がしたからだ。
「素直か」
「そこが、私のチャームポイントよ!」
「自分で言うな!」
ぎゅぅぅ~~っ。
「ちょっ……いつまでやってんだよ」
「あっ、なんで逃げるのよ! 恥ずかしいの? 良いじゃない。昔は一日中、裸で抱き合っていたでしょ!?」
「人聞きの悪いことを言うな。風邪、引いた時、ユウナがその方が温まるからって、勝手に、俺の服を剥ぎ取って、監禁したんだろ! (お陰で俺まで風邪引いたわ)それに、もう、そんなことが許される年齢じゃないんだよ!」
「許されるわよ!」
「マーサに、別の部屋で寝なさいって怒られたばっかりだろ!」
「じゃあ、寒いのよ!」
「嘘は下手か」
何時までも、抱きしめてくるユウナから、流石に恥ずかしくなったカイルが、強引に離れる。
ユウナは心底、不満そうな表情で、カイルの腕を代わりに抱きしめた。
……きっと、その行動に特別な意図はないのだろう。
心を許した人には、とことんスキンシップが大好きな子なのである。
「ねえ……大好きよ? カイル」
ドキリ……胸が微かに痛むが、コレもきっと、家族として、という意味だ。
まだまだ、精神年齢が幼いユウナにそれ以上の感情はない。
「……ああ、俺も、ユウナが大好きだよ」
「……ッ。どうせなら、もっと、愛おしそうに言ってほしいわ♪」
「いや、どんな感じか解らないんだけど」
「そうね……白馬の皇子様が、悲運のお姫様に、熱い恋慕の気持ちを囁くように……よ。うふふ」
「乙女の夢を俺で実験しようとするな」
「なんで言ってくれないのよ! 本当に私のことが大好きなの!? 愛しているの? 一生、私だけを想い続けてくれるんでしょ! だったら、私の望みは全部、叶えなさいよ!」
「重いわ。そこまで言ってないし、そんなことするわけないだろ! 金髪になって出直してこい!」
「~~っ! 馬鹿カイル! アンタは許されない事をしたわ。死になさい!」
ずたがたずたがた……。
カイルとユウナの乱闘が起こる。
……何時ものことだと、レンジがそれをニコニコと眺めていた。
これが、仲良し三人の日常。
きっと、この先もずっと、いるのだろう……そう、思っていた。
この日、この瞬間までは……。
……ゾクっ。
突然、カイルの背筋に寒気が走った。
……昔から、良くない事が起きる時には、こうなるのだが、今まで、感じたことが無いほど、すさまじい、怖気。
「レンジッ! ユウナっ! 何か……ヤバいのが来る!」
「また、魔物か?」
「なら、今度こそ、私が倒してやるわ!」
カイルの言葉を聞き、レンジが神妙な顔で剣を構え、ユウナが平たい胸を叩く。
「よせ。ユウナ。さっきみたいに、生やさしいモノじゃない」
「……っ」
また、一人で突撃していこうとするユウナの腕を、カイルは掴んで、引き寄せる。
……絶対に、行かせてはいけない予感がした。
「きゃっ……カイル……大胆ね」
不意に引き寄せられたユウナが、カイルの胸に顔を埋める形になり、無駄に赤面するなか……
ざくっざくっざく……。
これでもかと鈍重な足音が響く。
三人の背後だ。
その足音が近づくにつれ、世界がドロドロに溶けていくような感覚に陥る。
それは、カイルだけではなく、レンジやユウナも同じ感覚を味わっていた。
本能が三人に言う。
……絶対に振り向くな。
そこにいる何かは、カイル達が知る、世界の常識とは全く違う常識をもつ、ものである。
「……っ。何……よ……カイル。なんか……寒いわ……」
大好きなカイルに抱き寄せられ、赤面していたユウナも、肩と腕をガクガク震わせて、身体を抱きしめる。
……さっきの《ラビット》の時のようなおふざけじゃない。今、この場所を支配しているのは、本物の恐怖だ。
「カイル……カイル……」
「ユウナ……。レンジ……どしよう?」
そんなユウナの肩をカイルはしっかりと抱きながら、頼れる兄、レンジに視線を向けた。
三人の中で、一番、荒事に長けた人物だ。
……レンジはいつも、正しい行動を教えてくれる。
「大丈夫だ、安心しろ。俺が、守ってやるからな」
「……レンジ」
恐怖が頭の天辺から、四肢の先端まで凍えさせる極寒の中、レンジの言葉は太陽の様な暖かさがあった。
……そう、こうして、どんな時でも、レンジは守ってくれる。レンジに任せれば何も問題はない。
カイルはそう思い、レンジにこくりと頷くと、ゆっくり、後ろを振り返った。
「……」
すると、そこには、身長、二百セルチほどの二足歩行の『何か』が存在した。
わざわざ『何か』と表現したのは、それが、『人間』ではない、『別の生物』だからだ。
身体の構造、それ自体は、人間と大差はない……但し、瞳が不自然に細く黄色、肌の色は緑で、爬虫類のようにざらついている。また、お尻から大きな尻尾が生えており、にゅるにゅると動いている。
……緑色の肌を持つ人間も、尻尾を生やした人間も、人間の世界には存在しない。
そんな存在しない筈の存在を見て、レンジが呟く。
「……魔人だ」
「まじん……」
……魔人とは、カイル達、人間が暮らす、人間界と言われる大陸から、大海を挟んで北側にある魔大陸、もしくは魔界と言われる大陸の住人のこと。
そして、そんな魔人達は、かつて、人類を滅亡寸前まで追い込んだ歴史があり、人間達は、魔人の存在そのものを恐怖の象徴として、遺伝子に焼き付けられている。
……ユウナが怯えるのも当然だ。
「相当の使い手だな……手負いのようだが、誰かに追われて来たのか?」
「あんな化け物、冷静に分析してないで、逃げようよ……レンジ」
「向こうが逃がしてくれるなら、逃げるが――」
むしろ、魔人を前にして、立っていられる、カイルとレンジの方が少数派である。
「シャーッ! シャァァ――ッ!」
「――そうさせては、くれないみたいなんだ」
カイルが一歩、足を後ろに向けた瞬間、魔人が反応し、駆け出した。
手には、一本の赤黒い槍が握られている。
矛先は逃げようとしたカイル。
「俺の家族にッ! 手をだすなぁぁぁああッッ」
「レンジっ!」
可愛い弟分が狙われた事に激高したレンジが、魔人の動きに反応して、抜刀。
そのまま地を蹴って、駆ける。
あまりの速度に、レンジの姿が霞み、蹴られた地面は大きく凹んだ。
……超人的な速度だ。
ここまでの速度をだせる人間は、世界でも限られてくるだろう。
そう、レンジは十歳にして、既に、人類の中でもトップクラスの実力を持つ、戦士であった。
だからこそ、魔人を前にしても、怯えない、怯まない。
……勝利する自信があった。
――しかし……。
ブスリっ。
残酷にも、魔人の槍はレンジの心臓を貫き、鮮やかな鮮血を舞あげた。
「くはっ……!?」
「レ……ン……ジ……?」
魔人が槍を引き抜くと、レンジが受け身も取らずに転倒する。
……レンジの死。
そんな現実を受け入れる事が出来ず、その場で膝を折ったカイルの瞳から、涙があふれていた。
ぎりょろり……。
魔人の視線が、カイルに向き、ゆっくりと近づいてくる。
……間違いなく、殺されるだろう。
だが、どうしても、逃げる気分には慣れなかった。
そもそも、レンジが勝てなかった的に、カイルが勝てる道理はない。
諦念だけが、カイルの頭の中を締めていた。
「にっ……逃げろ……カイル……」
「……レンジ。生きてっ――」
「――逃げろっ!」
瀕死のレンジが叫ぶ。
その声を聞いても、カイルの足は石のように固まったままであった。
なんにせよ、カイルには……レンジを置いて、逃げれらない。
それほどまでに、カイルにとって、レンジの存在は大きいのだ。
「ふ……お前って奴は……どこまで……」
そんな、カイルを見て、レンジは微笑。
……ここで逃げない選択をしてしまう、優しいカイルが、大好きなのだ。
「――ユウナッッ!」
だからこそ、レンジは残された命、その全てをつぎ込んだ叫ぶ。
「……っ!」
ピクリ。
カイルの隣で恐怖に震えていたユウナが肩をわずかに動かす。
「カイルを守れぇぇぇッッ!」
「――ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああッッ!!」
レンジが今度こそ本当に倒れると、ユウナが絶叫し、立ち上がる。
そのまま、カイルの腕を掴んで、魔人と反対の方角に走り出す。
「逃げるわよっ! カイル!」
「ユウナっ! まって、レンジがっ」
「いいからっ! 黙って付いてきなさい!」
「……」
遺伝子にこびりつく、恐怖を振り払い、ユウナは走る。
……大好きな、カイルを、弟を、家族を、守りたい。その一心で。
「そうよ。私が、私がっ! カイルを守らなくてどうするのよ!」
数秒前の自分を叱咤するように叫び、森の木々を縫って走る。
……だが。
魔人の方が圧倒的に早かった。
数メトルも移動しないうちに、追いつかれてしまいそうになる。
「カイルっ」
それを察して、ユウナは大きな樹を背に足を止め、カイルの事を強く抱きしめた。
……ユウナの震えは止まっていない。
「カイルが五月蠅いから、追いつかれちゃったじゃない」
「……ユウナ」
それでも、ユウナは今まで見たこともないほど、柔らかく破顔し、
「大丈夫。私が守ってあげるって言ったでしょ?」
「何、言ってるの? ユウナ」
「……カイルは逃げなさい」
そっと離れ、剣を抜き、魔人に向き合った。
そんなユウナの後ろ姿を見て、カイルは物思う。
戦うつもりだと、絶対に勝てないと、ユウナが死んでしまうと。
レンジを失い、ユウナまで失うのか? それで良いのかと?
――嫌だ!
……反射的であった。恐怖が無かった訳でもない。
ただ、カイルは気が付くと、ユウナの腕を引き、一歩前に出ていた。
「カイル!?」
その行動に驚愕するユウナにカイルは言う。
「ユウナは、俺が守るんだ!」
「……っ」
覚悟を決めて魔人を見れば、既に距離が無く、槍で貫かんとしている最中であった。
……避ける時間もない。
「ユウナ……ごめん」
「良いのよ。気にしなくて」
ぎゅっ。
咄嗟に謝るカイルの腰に、ユウナは腕を回して密着する。
……どうせ、死ぬなら、カイルと一緒がいい。
そんな気持ちであった。
避けられない死を前に、体感時間が圧縮され、魔人の槍がゆっくり迫る。
そうして、カイルの胸をユウナごと、貫かんとした……寸前。
――黄金の光が煌めいた。
直後、ギィンっっと、魔人の槍が弾かれる。
「……っ?」
「……え?」
カイルと魔人。
奇しくも同時に同じく困惑の表情を出したのは、二人の間に、謎の剣士が一人、現れたからだ。
「よく頑張ったね。もう、大丈夫だよ」
白いマントに、白い鎧、そして黄金に輝く剣を持ったその剣士は、場違いなほど、落ち着いた微笑みを浮かべていた。
短く言われたそんな言葉に、カイルが何かを思う間もなく、剣士はマントを翻し、黄金の剣を凪いだ。
その動きを、殆ど、目で追えなかったカイルだが、剣士の背中が、ひどく流麗に写った。
時を置いてから、ストンと魔人の右腕が落ちる。
更に剣士が、剣を返して、追撃……しようとしたが、
「シャァァッッ――!」
「……あっ、しまった」
魔人は剣士との戦いを避け、大きく飛び下がると、文字通り、尻尾を巻いて逃げていく……
「また、逃げたか……」
剣士はそんな魔人を、苦虫を噛みつぶしたような表情で見て、その背を追おうと片足を浮かすが……すぐに首を左右に振り、黄金の剣を鞘にしまった。
「いや、まずは、人命救助が先だよね」
そのままあっけに取られているカイルとユウナの隣を通り過ぎ……血を流して倒れるレンジに近づいていく。
「《癒やしの最上級精霊よ・聖なる光をもって・彼の者を癒やし給え》」
レンジに近づき、手を伸ばした剣士が口ずさんだのは、《魔法》の詠唱呪文。
それは、この世の物理的な理とは、違う、理を持つ奇跡の術。
「さぁ。黒髪の少年。目覚めるんだ……《オメガ・ヒール》」
途端、レンジの身体が白い光に包まれて、胸の傷がみるみると塞がっていった。
「う……っ」
「「レンジっ!」」
そんな様子を、カイルとユウナが、固唾を呑んで見守っていると、レンジが瞳を開けた。
カイルとユウナの声が重なって、同時にレンジをぎゅっと抱きしめる。
「カイル……ユウナ? 怪我はないか?」
自分が死にかけたというのに、目を覚まして第一声が、カイルとユウナの心配だ。
……レンジが倒れた姿を見た時、もう二度と、聞く事が叶わないと思った声。
その馬鹿みたいに暖かい、レンジの声を聞いた二人は、自然に涙が溢れていた。
レンジの復活にユウナとカイルが、落ち着くまで、白の剣士は、静かに三人の様子を見守っていた。
そんな視線にカイルが気づき、ある一つの、そして当然の疑問を口にする。
「……で。あんたは誰なんだよ?」
前触れ無く現れてカイルとユウナを救い、魔人を撃退、限られた者しか扱えない魔法でレンジの治療までして見せた、剣士。
……そんな都合の良い話、あるのか?
なんとなく、カイルは剣士に敵対心を持ってしまう。
しかし、白い剣士は、カイルの敵意を受けても、そよ風の如く受け流し、丁寧な挨拶をする。
「僕は、ブレイブ。聖剣に選ばれた今代の勇者だよ?」
「……っえ」
そんな剣士、ブレイブの爽やかな挨拶に、ユウナが小さく声を漏らす。
……あっ、コレは。
「キャァ~~っ! 勇者様~~っっ! 私、勇者様のファンなんです」
「え? あ、ありがとう……サイン? うん。いいよ」
「きゃぁぁ~~っきゃぁぁ~~っ」
とてつもなく、嫌な予感がしたカイルの前で、ユウナが、いきなり黄色い声を出し、ブレイブにすり寄って行く。
そう、カイルが異常な程、金髪を愛しているように、ユウナは超つくほど、ミーハーな女の子なのである。
イケメン、王子様、有名人、強者、筋肉……その他、諸々を前にしたユウナは性格が変わってしまうのだ。
……あ~~あ。めんどくさいことになった。いつも通り、ほっとこう。
カイルは、そう思いながら、ブレイブに媚びまくるユウナから視線を外し、隣のレンジを見て、とある疑問をぶつける。
「なるほど……《勇者》か、どうりで、あの魔人を退けられる訳だ」
「――で、レンジ。《勇者》って何?」
しーん。
沈黙が起こった。
ユウナとレンジ、ブレイブまでも、宇宙人でも見たかのように、カイルのことを見る。
それほどまでに、《勇者》という存在は、カイル達の世界で大きい役割を持っているのだが……
「はぁぁぁぁああ!? あんた、なんで、勇者も知らないのよ!」
「いや、だって、金髪関係ないし、生きていくのに必要な知識でしょ?」
「金髪よりは必要よ!」
「はぁぁぁぁああ!? 金髪以上に大切なことなんて、存在するか! 舐めんじゃねぇぇぇぞ!」
「……っ!? じゃ、じゃあ、私と金髪、どっちが大切なのよ!」
「それは、ユウナだな(キッパリ)」
「へっ! ……うへへ、そうよね。うふふ、カイルったら♪」
カイルは、金髪関係とレンジ達、大切な家族に関わる事以外、まるで興味がない男であった。
世界常識が欠落していても、不思議ではない。
「もうっ……しょうがないから、私が説明してあげる♪ 《勇者》ってのは、魔界の王様、魔王を倒すことの出来る、この世界でたった一人きりの人間なの。有り体に言えば、英雄よ」
ユウナが、ミーハーモードを脱却し、ブレイブから離れると、カイルにずいずい寄っていく。
そのまま、さりげなく、カイルの胸によりかかり、肩を抱かれてご満悦。
ミーハーな、ユウナにとっても、イケメン勇者様より、幼馴染みのカイルの方が、大事な存在であった。
「魔王を倒す……あれ? 魔王って、倒されてなかったっけ? 大昔に」
「魔王は復活するの」
「え? 復活するの? どうやって? なんで?」
「そんなこと知らないわ。そういう存在だからでしょ」
「雑だな」
かつて人間を滅亡の寸前まで追い詰めた、魔大陸の魔人達、そしてそれを束ねる王。
魔王を打ち倒し、人類を再興させたのが、勇者である。
世界を救った勇者は、その後も魔人達に対抗するため《勇者協会》なる組合を立ち上げ、人間大陸の秩序を守ってきた。
……だからこそ、ユウナのミーハーが発動したのである。
「なるほどね……まぁ、なんとなく、解ったよ」
言葉通り、勇者が凄い人間だということは解った。
……だが、だからこそ、カイルに新たな疑問が生まれる。
「じゃあ、その魔王を倒す勇者さまが、なんで、こんな辺境の森の中にいるんだ?」
「それはっ……それは……きっと、色々、あるんでしょ。なんたって、勇者さまなんだからっ」
「勇者に対する信頼が揺るぎないな」
「うふふ、カイルの方が上よ」
ブレイブはカイルの問いに、涼しい微笑みで答える。
「この森には《魔人》を追って来たんだよ。そしたら、たまたま、君たちが襲われていたのを見つけたんだ。よかった、大事にならなくて」
……レンジが死にかけたのだ。
大事になっているだろう……と、カイルは思いつつ、更に、
「《魔人》を追って来たって、それは、さっきの魔人――」
「――よせ、カイル。俺達は命を救われたんだ。失礼だぞ?」
「……だよね」
そこでレンジに窘められ、カイルは追求するのを止める。
それでも、なぜか、カイルは命を救われた筈のブレイブに警戒心を持っていた。
……なんとなく、本当のことを隠しているような気がしたからだ。
(まぁ、俺らみたいな子供に、全て話す訳もないか……)
「あれ? 僕、なんか、嫌われてる? 人を助けて善意を疑われることは良くあることだけど……君の場合は……そう、何か、隠して――」
カイルが強引に納得すると、今度は逆に、ブレイブの瞳が鋭くなった。
……腹の内を探る瞳だ。
そんな視線を、さっと、ユウナが遮って、守るように両腕を拡げる。
「……カイルはね! 私が大好きなの! 愛してるの! それはもう、熱烈にっ、強烈にっ」
「おいっ、ユウナ、なに、言ってるの?」
「私がちょぉぉっと、ブレイブにくっついたから、嫉妬しちゃったの。だから、カイルをキライにならないであげて」
「なんで、俺、プライドが高いせいで、友達と溝を作っちゃう、めんどくさい子供みたいな、扱いになってるんだよ」
「その通りでしょ!」
「どこが?」
キッと、ユウナの瞳がブレイブを貫く。
カイルを守ろうとして出た言葉は、子供らしいが、その目は獅子の如く、猛々しかった。
「ふふ……。安心してくれ。カイル君。いくら可憐なお嬢様が相手でも、僕は、一回り以上離れた幼女を相手に恋愛しよとする趣味はないんだ」
「きゃぁ。カイル、世界一可愛いって言われちゃったわ。どうすればいいの?」
……好きにしろ。
ともかく、
「そんな心配してねぇぇよ。というか、ユウナと恋愛しようと、ブレイブの自由だろ」
「ッ! カイルの馬鹿っ」
ばっちぃぃん☆
ユウナがカイルの頬を平手で叩き、レンジに方へ行く。
……何も間違ったことは言っていない筈だ。
「ふふ、カイルくん。君は、将来、たくさんの女の子を泣かせそうだね」
「別に、どんなに女の子が泣こうと、ユウナが一人、笑っていてくれれば、どうでもいいよ」
カイルがさらっと答え、ブレイブが瞳を丸くし、ユウナが顔を赤く染める。
しかし、カイルには、自分で言った言葉も、ブレイブの言葉も、表の意味しかない。
……本当に、たくさんの女の子、泣かせそうだ。
ブレイブはそう思いながら、尻餅をつくカイルに手を伸ばした。
「とにかく、そう警戒しないでくれよ。僕は、世界を救う、英雄なんだから。君たちが世界の敵じゃないかぎり、僕は味方だよ?」
「世界の前に……俺のほっぺたを救って欲しい」
「それは自業自得の怪我だろ。……しっかり、痛みを知っておくのも大事なことさ」
「回復魔法……」
「ダメ。勇者の魔法は安売り出来ないからね」
伸ばされた手を取ると、ブレイブはカイルを立ち上がらせ、
「さて。僕はあの魔人を追わないと――」
ぴたっ。
その言葉の途中で、静止し、真顔でカイルを凝視する。
続けて、レンジとユウナのこともゆっくり凝視。
「……ブレイブさん? どうかしたのか?」
不自然な行動に、レンジが首をかしげてブレイブの名を呼ぶと、思い出したように、爽やかな微笑みを浮かべた。
「――と、思ったけど。それは、仲間達にまかせるとして」
「職務怠慢だな」
「あたりが強いね、カイル君。勇者は自営職なのさ。特に決まった業務義務もない。大体、どんなに汗水流して働いても、給料だってでないんだよ?」
「現金だな」
「一番大事なことさ。世界を救ったところで、今の平和が続くだけ。つまり、世界が劇的にかわることはない。僕が特別、感謝されることもないんだ。一度、滅亡しかけてから救った初代は、美味しい立場だと僕は思うよ」
「勇者どうこう以前に、性格が最低だな」
――とにかく。
ブレイブはそう言って、腰の剣を、鞘ごと抜いて、カイルの前に出した。
「ちょっと、この剣を抜いてみてくれないか?」
「剣を?」
カイルはブレイブの意図が分らなかったが、断る理由も無く、そのまま剣を抜く。
鞘から解き放たれた黄金の刀身が輝いた。
「(魔人の情報を掴んで来てみれば……まったく。これも運命か)」
「……っ」
その瞬間。
ぞくりと、背筋に悪寒が走り、カイルは剣を離して、後ろへ飛んだ。
「カイル? どうした?」
レンジに問われ、カイルが鋭くブレイブを睨む……が、特に変わったことはない。
嫌な感覚も消えている。
「いや……気のせいみたい」
「そうか……」
そんなやりとりを短く交わしていると、ブレイブが、同じように、レンジとユウナにも、黄金の剣を抜くように言う。
二人も、首をかしげつつ、やはり、断る理由も無く、それに従い、剣を抜いた。
そのあとで、ブレイブは剣を納め、三人を見つめて、
「ちょっと、君たちの親に会わせてくれるかい? とっても大事な話があるんだ……君たちの将来を、そして、運命を左右する話が」
そう言ったブレイブの表情からは、微笑みが消えていた。
――しかし。
いくら真顔で親に会わせろ……と、言われても、カイル達に、親はいない。
「私たちはみんな、実の親を五年前《黒龍》に殺されているわ」
結構、重めの悲劇をさらっと説明するユウナだが、言葉とは裏腹に、その瞳はくすんでいる。
五年という長い年月でも、ユウナたちの心には、まだ深い悲しみがこびりついているのだ。
「君たち《黒龍襲来》の遺児……か。すまない、辛い、事を思いださせてしまったね」
五年ほど前、危険度SSSランクの魔物、《黒龍》が辺境の村々を襲った事件は有名だ。
いくつもの村や国が《黒龍》の襲撃によって地図から消失し、万単位で人々の命も失われた。
世界的にみても、凄惨な事件の一つといえる。
カイル達はそれぞれ、その事件に巻き込まれ、天涯孤独の身となっている。
「別に……良いわよ。今の私には、カイル……そして、レンジもいるから、全然、辛くなんてないもの」
「俺もユウナに同じだ。気にする事はない。(そもそも、俺に関しては……自業自得ともいえるしな)」
気を遣おうとしたブレイブに、ユウナとレンジがキッパリとそう言った。
……二人はもう、《黒龍》に全てを奪われた悲劇を乗り越えている。
「俺はあんまり、その話はしたくない」
「あっ……カイルは……そうよね。ごめんね、嫌な話を持ち出して」
「別にユウナが謝ることはないけど……」
もちろん、カイルも、ユウナやレンジと同じように、自分なりに、消化している過去だ。
ふたりと違うのは……
「憎いんだね。黒龍が。でも、憎しみは――」
「違うわ、ブレイブ。そうじゃないの……カイルは、心がとっても優しいから……大切な人を傷つけた存在を許せないのよ……」
「憎しみは……大切な人の為……か」
ユウナの言葉で何かを納得したブレイブが口を閉じる。
ほんの数秒、重たい沈黙が流れた。
「――ともかく。そんな感じで、俺達に《親》はいない」
そんな沈黙を打ち破るように、カイルは意識して、とりわけ明るい声を出した。
「でも、《マーサ》がいる」
「《マーサ》?」
「俺達をここまで育ててくれた、《母親》みたいな女性だよ」
当然、マーサとブレイブが会う流れになった。
――数刻後。
カイル達は、ブレイブを連れて、三人が暮らす、ピレオ村という、村に戻ってきていた。
……総人口、百人強の小さな村だ。
「あっ! レンジお兄ちゃんたちだ!」
そんな村の外れにある古びた教会が、三人が寝食を共にしている場所である。
教会の表扉をあけると、数人の幼い子供たちが、すぐに寄ってきた。
……弟妹たちだ。
「おかえり、レンジお兄ちゃん~~っっ」
「おお、ただいま。良い子にしていたか?」
「カイルお兄ちゃんっ。まってたよ。あそんでっ、あそんでっ」
「おいおい……昨日の夜も、今日の朝も遊んであげただろ。少しは休ませてよ」
レンジとカイルに子供達がわらわら集っていき全力で甘えだす。
そんな中、一人の女の子が、ぽつんと取り残されているユウナの存在に気がついた。
「あっ……ユウナお姉ちゃん。も、おかえり……マッテタヨ」
「別に、気なんか遣わなくて良いから、好きな人に甘えなさい」
「あ……うん……カイルお兄ちゃん~~♪」
シッシっと手で払ったユウナの元には、子供たちは一人もいない。
……こういう所で、人望が露見してしまう。可哀想だが、これは、自業自得である。
「思ったより、《家族》が多いんだね」
「マーサは、私たちみたいな、子供たちを保護しているから……」
「カイル君たちは、人気者なんだね」
「そうよ。カイルとレンジは、この教会の最古株で最年長なのよ。レンジはもちろん、面倒見の良いカイルも、みんなに、兄として、慕われているのよ♪」
「君は?」
「……私は途中から、だから……もごもごもご」
「なんか、僕、地雷をふんじゃったかな」
そんな喧噪が暫く続いていると、
「レンジ! カイル! ユウナ! 良かった。無事だったのね」
「「「マーサ!」」」
黒く清楚な修道服に身を包んだ、細い体つきの女性、マーサが現れて、
ぎゅっっ。
三人を同時に抱きしめる。
「薪を拾いにいったきり、帰ってこないから、心配したわ」
「あっ……薪っ! 忘れてた! どうしよう、レンジ。俺達、今年の冬越せなくなっちゃうよ」
「色々、ありすぎたからな……まぁ、備蓄はあるんだ。明日また、集めに行けばいいだろう」
「マーサ。私、お腹が減ったわ」
「……君たち、僕のこと、紹介してくれる気はあるかい?」
……あ、忘れてた。
カイル、レンジ、ユウナの三人は同時に同じことを思ったのであった。
――閑話休題。
しばし、間を置いて、マーサに事情を説明した。
魔人に襲われたと、報告した時には、まだ若く整った顔を盛大に老け込ませていたが、ブレイブの話を聞くと、また、凜々しい顔に戻る。
「勇者様。改めまして、私は、この教会を営んでおります、修道女のマーサです。子供達のこと、重ねて感謝を申し上げますわ」
「ふふ、感謝されるのは、嬉しいけれど。僕は勇者だからね。当然のことをしたまでさ……と、言わなきゃいけない立場なんだ」
「語尾がまるまる蛇足だな」
幼い子供達を教会の奥へ、人払いし、マーサとブレイブが会談の席を設けた。
その場には、ジト目でブレイブにツッコミを入れるカイルや、レンジ、ユウナもいる。
それは、この会談の本題が、子供達、三人のことであるからだ。
「ミリス聖教の修道女なら、僕が来た理由、説明するまでもないのかな?」
「……」
「いや、説明しろよ」
沈痛の表情で押し黙るマーサに変わり、カイルがぴしゃりとツッコんだ。
カイルのツッコミは、教会で、ユウナを含めた年下のやんちゃな弟妹達の世話をしながら磨かれたものだ。
「じゃあ。先ずは簡潔に。カイルくん。ユウナくん。レンジくんの三人には、《勇者》になる高い適正があります」
「「……っ」」
マーサが更に苦虫を噛みつぶしたような表情になり、ユウナとレンジが驚愕に口をぽかんと開ける。
されど、カイルは平常運転で。
「《勇者》の適正?」
「《勇者》というのは、《聖剣に選ばれた人間》のこと、なんだよ。もっと、正確にいうなら、《聖剣を扱う人間》かな?」
言いながら、ブレイブが、黄金の剣を抜き、カイルに見せる。
……これが、聖剣だ、と。
「つまり、本体は剣ってこと?」
「もともこもないけど、そういうことだね。《聖剣》にこそ、《魔王を倒す力》があるから」
ブレイブの説明に、レンジが肩をすくめる。
……いや、剣よりも、お前が強いんだろうと。
しかし、可愛い弟分が喋っているとき、出来るだけ、水を差さないのがレンジという少年であった。
「ようするに、カイルくん、《勇者》の適正が高いということは、《聖剣》に選ばれた。ということなんだよ」
「聖剣に選ばれる?」
カイルが普通に疑問をぶつけると、良い質問だね。とブレイブは顔を綻ばせ、剣を前に出す。
「この剣、普通の人間には抜けないんだ」
「抜けない? そんな訳あるか」
「ふふ……そう思うだろうね。君たちは……。マーサさん」
ブレイブに名を呼ばれたマーサが、小さく「はい」と答え、剣に手を伸ばし、引き抜こうとする。
……しかし、剣はビクともしない。
「いやいや……マーサ。なにやってるんだよ」
見かねたカイルが、マーサの手の上に自分の手を重ねて、抜いて、引き抜こうとした。
……しかし、剣はスンともしない。
「あれ?」
「カイル君。いくら、力を入れても、無駄だよ。適正のある者にしか、その剣を抜くことは出来ないから」
「うふ。私、そう言われると壊してでも抜きたくなるのよねって……っ、本当に抜けないわ」
カイルの手の上から、更にユウナが手を重ねて力を入れるが結果は同じ。
ユウナとカイルがきょとんと瞳を合わせ、首をかしげた。
……どうやら、ブレイブの言葉は本当のようだ。
「でも、適正者しかって言う割には、こんな田舎の仲良し三人組を狙いうちだから、しっくりこない話だな」
「ああ……その聖剣は。割とだれでも抜けるんだ。そして、抜ける者達は引き寄せ合うのか、一カ所に集まっていることは、別に珍しいことでもない」
「……でも、勇者はたった一人なんじゃ?」
「――さて。ここまで理解して貰ったところで、ここからが本題なんだけど」
「前置きが長い、ユウナが飽きて、居眠りはじめちゃったじゃん。……俺の膝で。『えへへ、仲良しだってぇ。カイルぅ……大好き。むにゃむにゃ』……わかったから、涎垂らすの止めて」
「……聖剣に選ばれた君たちには、学園都市……王都にある、《勇者学校》に入学する資格が生まれるんだ」
ブレイブの話を纏めると、《勇者学校》に入学して、勇者を目指さないか……というような話であった。
「《勇者学校》は、身分を問わず、大陸中の様々な才能を持つ、聖剣に選ばれた者達……勇者候補が集めて、次代の勇者を育成している場所なんだ」
「次代の勇者……」
それが何を意味しているのか、カイルは、理解できた。
だからこそ、その言葉は暗い声で、誰に向けられたモノでもなかった。
「もし、僕の身に何かがあった時、《勇者学校》の在校生または卒業生から、次の勇者が選べられる」
流石にカイルも、言葉を挟む気にはなれず、沈黙を選んだ。
カイルが口を閉じた事で、変わりレンジが口を開く。
「色々と、説明して貰って悪いんだが、ブレイブさん。俺達には、《冒険者》になって、迷宮攻略して暮らすっていう、夢があるんだ。《勇者》になるつもりはない」
因みに、《冒険者》は、三人の夢ではなく、レンジの夢だ。
しかし、カイルもユウナも、レンジに付き合って、将来冒険者になるために、剣の特訓をしてきた。
それなりに、剣術が使えるのは、これが理由である。
「私は、《冒険者》にも、《勇者》にも、興味はないけれど、カイルと……レンジと、ずっと一緒にいられればそれでいい……カイルはどうなのよ?」
突然、瞳を開け、レンジに追随し、自分の考えを述べたユウナが、カイルに振る。
……話は聞いていたのか。
「俺もユウナと大体一緒だよ……」
と、言ったが、カイルはユウナよりもう少し現実的に物事考えていた。
――ずっと一緒。
それが出来れば幸せだろうが、いずれ、別々の道を辿ることになるだろう。
……そもそも、冒険者などになりたくない。
カイルは、命をかけて一攫千金の浪漫を求めるよりも、どんな田舎でも良いから定職に就いて、細々とした幸せを掴みたい派の人間であった。
「そう、ふふん♪ そんなに私とずっと一緒にいたのね。カイルがそこまで求めるなら、ずっと一緒にいてあげから、安心なさい」
「ずっと、俺に面倒見させるつもりなんだろう?」
「もちろん」
「おいこら」
ともかく。三人は《勇者》になるつもりはない。
……そういうことだ。
魔人の襲撃に始まったこの一連の物語は、ここで幕。
そう、三人は思った。
――しかし。
「レンジくん。勇者学校からでも冒険者にはなれるんだよ?」
「なに?」
ブレイブは引き下がらない。
レンジが、三人の中で強い決定権を持つと見抜き、口説き落としに行く。
「勇者学校に入れば、様々な特権が与えられる……。その中には《冒険者》の資格も含まれる」
「……」
「低級の資格なら、入学するだけで与えられるよ」
冒険者の資格は、取るだけでも、死ぬほどの苦労を強いられる代物だ。
それが、勇者学校に入るだけで貰えると言われたレンジの心が、大きく揺れている。
それを好機とみたブレイブが更に追い打ちを掛けた。
「何より、今のままの君たちじゃ、冒険者になっても死ぬだけだ」
「……っ」
同時に三人は、魔人の記憶を思い出す。
「僕は、迷宮にも入ったことがあるけど、あの魔人よりも凶悪な魔物が、たくさんいたよ? 今の君で二人を守れると思うのかい? レンジ君」
「……っ」
大切な家族を守れなかったレンジ。
「そんな魔物達を前にしたとき、また、見ているだけで終わるのかい? カイルくん」
「……っ」
大切な家族が戦っているのを見ていることしか出来なかったカイル。
「恐怖に打ち勝っても、か弱い少女のままじゃ何も守れれない。それを痛感したんじゃないのかい? ユウナくん」
「……っ」
守る、守ると息巻いて、結局、何一つ出来なかったユウナ。
三人が同時に沈黙させられた。
考えないようしていた後悔が、胸の奥を焼き付くと暴れ出す。
ブレイブの言葉が心理を突いていたからだ。
「「「……」」」
「……さて。僕が導けるのは、ここまでだね」
苦渋の顔で下唇を噛み、押し黙った三人を見て、ブレイブはそういうと、
「勇者学校に入学できる最低年齢は、十三歳からだ。もし、考えが変わったら、学園都市の《聖剣祭》に参加することだ」
話を纏めて、去っていく。
その直前、ブレイブは、カイルだけに口元を寄せて、小さく囁いた。
「……きっと、君は、誰よりも、過酷な運命を背負うことになうだろう」
この言葉の意味を知るのは、まだずっと先のことである。