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嘆く精霊

 食堂には、水の館に住む全ての人が集まっていた。

 練方(ねりのかた)さまと歌君はテーブルについて、壁際には染の子(そめのこ)さんたちや、館で働く人々が立っている。


 そして、中庭に面するガラス窓を背にした水の媛さまは。

 疲れた顔で、唇を噛み締めていた。


「水の媛さま、全員揃いました」

 副の媛(そえのひめ)さまの声に、食堂のざわめきが消える。 

 目を閉じて大きく息を吐いた水の媛さまが、意を決したような表情で、椅子から立ち上がった。


「皆さんに、集まって、いただいたのは」

 雨音に紛れそうなほど掠れた、水の媛さまの声が。

「……非常に辛い、お話を……」

 言葉の合間に、何度も深呼吸を繰り返されるその姿が。

 異常な事態が起きていることを、暗示しているようで。


 思わず、固唾を飲んで。

 両手を握りしめる。


 先を聞きたくない。


 それでも耳を塞ぐこともできず、じっと次の言葉を待つ。


「三の方が」

 小さく息をのんだのは、誰?

「精霊の裁きを受けられました」


 窓の外に、稲妻の閃きが見えた。



「何の咎で、でしょうか?」

 ざわめく室内から上がった疑問の声は、一の方さま。

 三の方さまとは同期で、仲も良かった方。

 将来、きっとどちらかが次の副の媛さまになるだろうと、噂されているお二人だった。


「先日の水の日、歌で闇を呼んだ、と」

 水の媛さまの言葉に、息をのむ。

 隣に座る八の方と、互いの手を握り合う。


 そんな、

 馬鹿な。     


 あれは、日蝕。

 誰が何と言おうとも、

 三の方さまの咎であるはずがない。



「精霊は、三の方に死を?」

 一の方さまの、涙混じりの声がする。

「彼女が、罪を犯したと?」 

 『三の方に限って、そんな……』『何かの間違いだわ』

 部屋中が騒然となる。


「いいえ。そうではなくって。三の方は……三の方は……」

 一の方さまの言葉を否定しようとして、声を詰まらせた副の媛さまの後を受けて、

「三の方は、亡くなられたわけではないの。ただ、裁きの塔から姿を消された、と」

 水の媛さまが続けられたのは。

 救いの言葉だったのだろうか?


「先日、王宮から『水の日の出来事について、当事者から話が聞きたい』と迎えの使者が来られたの。その直前から、三の方の爪が青く染まり始めていてね」

 三人の媛さましか知らない事実が、先代さまの口からもたらされる。  

「三の方は、『王宮に参るなら……』と、正装を身に着けて館を出たわ」

 歌君を守る衛士の付き添いは、許されなかったという。

「そして……裁きの塔に彼女の痕跡は、何一つ残らなかったそうよ」

 亡骸が残っていたわけではない、と、言外に示す先代さまと、軽く視線を交えた副の媛さまが

「ご覧の通り、“媛”は三人とも揃っています」 

 自分達の存在を、左手を延べて示す。


「意味する事は、一つではないかしら?」

 皆の顔を見渡した水の媛さまは

「三の方は、“歌君のまま”精霊の花嫁になられた、と」

 決して、精霊に罪を問われたわけではないと、言い聞かせるように言葉を繋ぐ。


 媛さまがたが亡くなられたら、それまで着ていた媛の“正装”を死装束に着せる。

 一の方の衣装以上に濃い青で染められ、グラデーションの糸で刺繍が施されたマーガレットストール。その中に包みボタンで止める形のブラウスとゆったりとしたパンツを身につけるのが、媛さまの正装で。

 館内の用事をされている副の媛さまが時折、館着にロングジレを着ておられる以外、基本的に媛さまがたは正装で人前に出られる。

 それは今日も、例外ではない。


 そして三の方さまは、歌君のローブを身につけたまま姿を消された。

 その事実と水の媛さまの言葉に、部屋のそこここで小さなざわめきと、ほっとしたような泣き声が聞こえる。


 三の方さまは、精霊に連れていかれたに違いない。

 断罪による死であるはずがない。

 精霊が、正装を許したのだから。


 そこにはおそらく

 人智を超えた意志が働いたはず、と。



 でも、私は知っている。 

 断崖に建つあの塔を。

 姿を消したということは……

 つまり……。


 青いローブが大空に舞う光景が、脳裏に浮かぶ。


 想像した光景に、指先が冷たくなる。


 浮遊感と、後悔。

 そして、身を砕く衝撃のイメージがグルグルと渦を巻いて

 息が苦しくなる。



「一三の方? 大丈夫?」

 頭の上から声がする。

 頷くこともできないまま。


 意識が遠くなる。



 気がついたのは、医務室の寝台の上だった。

 どうやら倒れた私は、衛士の方に食堂からここまで抱きかかえて運ばれた……らしい。


「気分はどうですか?」

 薬方(くすりのかた)さんの声に『大丈夫』と答えながら、身を起こす。

 鎧戸の向こうからは、相変わらず雨の音が聞こえて。

 卓の上では燭台の灯りが、頼りなく室内を照らす。



 一度、部屋から出ていった薬方さんは、戻ってくると診察を始めた。

 舌を出して見せて。

 下瞼を押し下げられる。

 頬の張りを確かめた手が、左手を取って脈をはかる。


 一通りの診察を終えて、薬方さんがほっと息をつく。

 どうやら、問題はないらしい。

 枕元の卓に畳んで置いてあったボレロに袖を通しながら、

「夕方の歌は?」

 どのくらい意識が無かったのか判らぬまま尋ねると、薬方さんは無言で首を振った。

「私は、欠席をしてしまったのでしょうか?」

 三の方さまだけでなく、私まで……となると、歌君の隊列は右上が二人分欠けることになる。

 あまりに歪なその様子を思い浮かべて、顔をしかめた私に

「歌は、ありませんでした」

 と、内緒話をするような声が答えた。


「雨が止まなかった?」

 信じられないことを聞いた、と、思わず聞き返した私に、薬方さんは

「止むどころか、大荒れですよ」

 肩を竦めて、窓を見遣る。


 お昼にも鳴っていた雷が、低く唸りをあげている。

「三の方さまが花嫁になったからって、精霊もこんなに張り切らなくってもいいと思うのですけど」

 そう言って呆れたように笑った薬方さんは、室内に響いたノックの音に、腰掛けから立ち上がった。



「夕食を、お持ちしました」

「ありがとうございます」

 扉の隙間から顔を覗かせた賄方(まかないのかた)さんから、薬方さんがお盆を受け取って。

 その後ろから副の媛さまも、部屋へと入って来られた。 


「具合はどうですか?」

「ご心配をおかけしました」

 寝床から降りかけた私を手で制した副の媛さまが、さっきまで薬方さんが使っていた腰掛けに座られた。

 その間に、私の膝の上へとお盆を置こうとした薬方さんに少し待ってもらって。

 正座をしてから、受け取る。


 膝の前にお盆を置いた私は、

「冷めないうちに、食べてください」

 副の媛さまに勧められるまま、スープの入ったお椀を手に取る。

 持ってくる間に冷めないようにと、お椀には少しだけ寸法の合っていない蓋が被せてあった。 



「あの……副の媛さま」

 半分ほどスープを飲む間。

 ずっと無言だった副の媛さまに、居心地の悪さを感じて。

「何か、ご用がおありだったのでは?」

 ただのお見舞い……ではないでしょう?



「一三の方と、しばらく二人に」

 副の媛さまに席を外すように言われた薬方さんは、卓上のハンドベルを指して

「私は、隣におりますので。何かあれば、ベルを」

 と言って部屋を出ていく。

 彼女の後ろ姿を見送った副の媛さまは、扉が閉まるのを待って私の方へと視線を戻した。


「一三の方。あの踊りを、また踊ってもらうかもしれません」

 一度お匙をお盆に戻した私に、硬い声が告げた。

「舞いを……とは、精霊が?」

 私の意識がない間に、何らかのお告げがもたらされたのかと、尋ねたけれど。

 副の媛さまは、榛色の瞳を窓へと向けた。

「今、精霊には、それだけの余裕がないかもしれません」

「は?」

 余裕って?


「この雨は、異常です」

 止まってしまった食事を再開するように勧められて、温サラダの入ったお鉢を手に取った。

 削ったチーズのかけられた茹でキノコを、お指匙で刺すようにして掬いあげる。

「少なくとも、先代さまの記憶にもないそうです。歌えないほどの雨が降ることは」

 鎧戸に叩き付ける雨音が、激しくなる。


 その音が私には

 三の方さまの死を悼む、精霊の泣き声に聞こえた。


「精霊が……」

「はい?」

「精霊が、哀しんでますね」

 これは、三の方さまの死を悼む、弔い雨。


 そして、そう考えた自分の言葉に、首を傾げる。

 三の方さまは、精霊の裁きで亡くなられた。

 なのになぜ?

 精霊が、その死を悼む? 



「そうですね。三の方は、優しい方でしたから。裁きに耐えられなかったのでしょう」

 そう応えた副の媛さまと目が合って。

 形容しがたい想いが、互いを繋ぐ。

「裁きに耐える、ですか?」

「そうです。裁きは、耐えるものなのです」


 これは、内密に。

 そんな前置きで、副の媛さまが話を始めた。


「五色の精霊の実を乾かしたものは、人の心に作用します」

「はぁ」

 心に作用、なんて、したかしら?

「ひどく心を乱して、死への誘惑が大きくなるそうです」

 裁きの塔のあの部屋。

 死へと向かおうとする心を、必死で引き留めた。


 思い出したくないあの一日を思い出して。

 動悸が激しくなる。


「それをさらに助長するように、尋問の名のもと、精神を傷めつけるような問答が行われ」

 蘇る恥の記憶。

 手にしていた鉢とお匙を、お盆に戻して。

 静かに深呼吸を繰り返す。

「極め付けに、ナイフやロープといった自殺の為の道具が無造作に置かれた部屋に一日閉じ込められる」

 それが、精霊の裁き。


 ナイフ、は。

 あったような気がする。 

 ロープは……覚えがないけど。


「百人のうち助かるのは、一人か二人と」

「私と村長さん……後見者は、それを潜り抜けたわけです、か?」

 十年近く昔のことだけど。自分が通ってきた道の危うさに、背筋が寒くなる。

 二人ともが生き残れたことは、奇跡だ。

「あなたの場合は、まずあなただけが受けたそうです。その間に、後見者の方には背後関係などの、通常の尋問があったようですね」

「背後関係、なんて……」

「子供の悪戯か、それとも神殿や国家に対する何らかの悪意か、と」

 “音痴テロ”とでもいうような事態であることを、警戒したらしいけど。


「子供の悪戯だったら、どうするんですか! 下手したら死ぬわけですよね?」

「あなたが死んだら……それもおそらく、後見者の方の心を傷つける材料に使ったでしょうね」

 なにがなんでも、罪を負わせる気か。


「そして、あなたは生き残った。だから、子供の悪戯と判断された」

「……」

「ただ……世間的には、“あの時の子供”は、死んだことになっています」

「はぁ?」 

 素っ頓狂な声が出てしまった。

「私は死んでいるわけですか?」

「身元は、伏せてありますよ。ただ、精霊の歌を邪魔をしたものは、裁きで死を賜る、と」

 私のような子供が二度と現れないようにと、戒めに使われたらしい。


 真相を知っているのは

 神殿や国家の偉い人と、当日のアレコレを見ていた衛士さんの一部。



 そして生き残った私は

 三年の、染の子時代を経て。


 世間から忘れられたころに、

 歌君としての初舞台をふんだ。

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