日を呼ぶ舞
これは……日蝕。
これが……日蝕。
真っ昼間だというのに辺りは薄暗くなってきていて、広場の人々は天を指さしてざわめいている。
前世の記憶のおかげで、何が起こっているのか頭では理解できたけれど……皆既日蝕なんて実際に見たことはなかったから。
背筋が冷える。
本能が恐怖に震える。
前世でお祖母ちゃんから繰り返し聞いた、天岩戸の話が実感として理解できた。
日の神さま。お願いです。
お顔を見せて下さい。
いや、違う。
日の神さまをお呼び申し上げる舞いは
私の仕事。
止まってしまった歌を良いことに、歌君の列から離れる。
石段の一番上。少し広くなった所へと上がった私は、巫女舞いの始まり、古代文字を宙に書く。
記憶のスイッチが入って、お神楽が頭の中で流れ始める。
右足を半歩斜め前方に。左足を揃えて、一拍手。
そのまま合わせた手を、左腰までおろす。
両手の親指と人差し指で円を形作って、他の指も揃えてのばす。
太陽を意味する印を日の出に見立てて、額の高さまでゆっくりと昇らせる。
トン、トン、トンと三回。足を踏みならして。
結んだ印を、宙に放つ。
そのまま合掌した両手を額、顎、胸元へと順に下ろして。
腰から一礼。
音のないお神楽が体を操る。
一区切りを舞い終えようか、という頃。
明るさが戻ってきた。
天岩戸が
開いた。
「静まれ!」
「歌が捧げられるぞ!」
「精霊に歌を!」
「静かに! 静かに!」
広場を警備していた衛士の人たちが声を上げる。
どこか浮き足立ってはいるものの、広場に静寂が戻る。
私も、そっと列へと戻って。
改めて、歌が始まる。
初めての独唱は、日蝕の印象の方が強くって……私自身の記憶には、残らなかった。
翌日、機織りをしているところに、副の媛さまが来られた。
「一三の方。一緒に来てください」
「はい」
使っていた杼を、仮置きの台に置いてから席を立つ。
あと少しだけ待ってもらえたら、きりが良かったのだけど。
連れて行かれたのは、精霊の館の三階。十五歳のあの日、試験を受けた部屋で、あの時と同じように水の媛さまと先代さまが待っておられた
「昨日のことを、少し聞かせてくださる?」
勧められた椅子に腰を下ろす私を待ちかねたかのように、水の媛さまに尋ねられた。
「昨日のことと、おっしゃられますと……」
「『歌の途中で、一三の方が列を離れた』と、衛士の方から聞いたのだけど……」
やっぱり。昨日の日蝕の。
「どうして、ああいうことをしたの?」
どうして、と言われても。
日蝕のメカニズムなんて、理解してもらえるはずがない。
しばらく、考えて。
「精霊に、導いて頂きました」
多分、この答えが。
正解。
「そう。精霊が……」
確認するような水の媛さまの言葉に、力を込めて頷く。
「それは、どのように?」
副の媛さまから、質問が重ねられた。
「……三の方さまの独唱のあとは、私の“出番”だと」
「どうして、その言葉で踊りを?」
あ、おかしいか?
「あの……ええっと……」
「その踊りは、どこで習ったのかしら?」
答えに窮した私に、水の媛さまの救いの手が差し伸べられて。
ありがたいその言葉に、すがりつく。
「習ってません! 体が自然に!」
そう、“ユリアとしての人生”では、習ってはいないんです。
でも、本能が
言いようのない恐怖感が
体を動かしたんです。
「一三の方」
先代さまに呼ばれて返事をした私は
「ここでもう一度、踊ることはできる?」
見せてほしいと、言外に言われて。
頭の中で軽く、お復習いをしてから立ち上がる。
昨日と同じように、頭の中でお神楽を再生して。
日の神さまへの舞いを舞う。
「ありがとう。一三の方」
最後の締めとして、日の神さまのお名前を古代文字で書き上げてから、正面に座る媛さま方に礼をする。
終わりを感じて頂いたらしい水の媛さまから労いの言葉を頂いて、椅子へと座り直す。
先代さまと水の媛さまが小声でなにやら話し合いをしておられる間、副の媛さまから今日もまた、お茶を頂いて喉を潤す。
「見せて頂いて判ったわ」
話をおえた水の媛さまの言葉に姿勢を正す。
「“踊り”と聞いていましたが。これは精霊に捧げる歌と同じものだわ」
「はぁ」
確かに、踊りと舞いでは、微妙な意味合いが異なる気がする。
「あなたの火の要素は、このためにあるのかもしれませんね」
「そういうもの、でしょうか?」
「おそらく、火の歌と相性は良いと思いますよ」
日と火。
似ている二つの存在。
そういえば、この世界には太陽への信仰がない。
日の神さまは、火の精霊と一体化しているのかもしれない。
そのあと二つ三つ、軽い質問に答えて。
織殿に戻った私と入れ替わるように、三の方さまが副の媛さまと出て行った。
そして、三の方さまはそれっきり。
館から姿を消してしまった。
次の水の日を迎えた朝も、三の方さまは館に戻っては来られず。
一人欠けた状態で、朝の歌を捧げる。
普段から私達歌君は健康管理に気をつけているし、体調を崩してしまったとしても、薬方さんが水の日までには治してくれるので、二五人が揃わないことなど、今までになかった。
例外として、新しい十の糸さんが歌に慣れるまでの一ヶ月の間は、一人少ないわけだけど。
隅の一人と真ん中に近い三の方さまでは、その意味合いも見た目の違和感も、大きく異なった。
落ち着かない気分で朝の歌を捧げる私達と同調したのか、歌いすすめるにつれて、夜明けの空は怪しく曇り。
歌を終える頃には、ポツリポツリと雨が落ちてきた。
午前中いっぱい降り続いた雨も、お昼の鐘を待つ頃には小止みになる。
歌を妨げないようにという水と風の精霊の配慮のおかげで、雨期である水の月にも、大風の吹き荒れる風の季節でも、日に三度、鐘が鳴る少し前には雨風が止む。そして歌の余韻を精霊木が味わう余裕をおくかように、天気は緩やかに崩れる。
その恩恵を受けて人々は、最低限の用事をこなして生活を繋ぐ。
それは国内のどこの村や町でも同じだと聞く。
朝と同様、二四人が石段に並ぶ。
私の斜め前、ぽっかりと空いている三の方さまの場所を目の端に見て、心が騒ぐ。
広場の聴衆はお天気のせいか、いつもよりも少なめで。その人々のざわめきが静まらないのは、一人少ない歌君への疑問の現れ、と思うのは……考え過ぎだろうか。
衛士の声掛けで静寂がおとずれた広場に、歌が始まる
朝の歌の時にも感じた。
歌が……物足りない。
三の方さまの歌声が、足りない。
足りない歌声に、精霊も戸惑っているらしい。
『違う、違う』『足りない? 誰?』そんな意思ばかりが伝わってきて。独唱の指示が誰の元にも訪れないまま、あと数フレーズを残すあたりに差し掛かった時。
滝のような雨が降り始めた。
歌の最中の雨という前代未聞の状況に、蜘蛛の子を散らすように人々が広場から姿を消す。私達も、慌てて神殿へと駆けもどる。
歌は……中断したままで。
「夕方までに、雨は止むのかしら……」
激しくなる雨に鎧戸を閉め切った部屋の中で、八の方が呟く。
そう言った本人が、自分の言葉におびえたような表情で私達の顔を伺う。
「それは、止むでしょう?」
当然、と言いながらも、九の方の声が不安に震える。
雷まで鳴り始めた雨空は、止む気配もないまま。時だけが過ぎていく。
雨に濡れた衣装は、手入れのために縫方さんに預けて。早めに支度をしてもらった湯殿で体を暖めて、乾いた服に着替えたあと。
水の月に入ったとはいえ異常な雨に、外の様子を見ようとして、つい窓を開けてしまった私は、三階という部屋の高さに気分が悪くなってしまった。
めまいと不安に潰れそうで。
一人を恐れた私は、廊下の中ほどに住む九の方の部屋を訪ねて。更に二人で隣の八の方の部屋へと押しかけた。
三人で手燭の灯りを頼りに、不安をこぼしあって。
こぼれた不安から、新たな恐れが芽を出す。
空は、水の精霊は
どうしてしまったのだろう。
コンッと扉がなって、思わず体を震わせて。
三人で目と目を見合わせる。
再び、コンコンと音がして。
ノックの音と、頭の理解がおいつく。
「はい、どうぞ」
部屋の主の応えに、そっと扉が開く。
「ああ、九の方さまと一三の方さまもこちらに……」
入ってきたのは、繕方さん。
「副の媛さまから、食堂に集まってくださいと」
伝言です、と言ってペコリと頭を下げる。
「急ぎですので、部屋着のままでも……とも、言っておられました」
「分かりました。すぐに参ります」
「では、よろしくお願いします」
もう一つ頭を下げてから、部屋を出て行く繕方さんを見送って、誰からともなくため息がこぼれる。
部屋着と寝間着を兼ねた、かぶりのシャツに巻きスカートの恰好では、私も九の方もウロウロと出歩いてはいない。ボレロまで含めた館着を身につけているし、八の方にいたっては濡れ髪も緩やかに纏めてある。
そのまま食堂に行ける風体ではあるのだけど、腰が重い。椅子から立てない。
食堂に行けば……良からぬ事が、待ち受けていそうで。
とはいえ。
副の媛さまから『急ぎで』と言われて、いつまでもグズグズしているわけにもいかない。
「行きま、しょうか」
自分に号令をかけるような九の方の声に、エイヤッと立ち上がる。
部屋を出る私達の背後で、鎧戸がガタガタと風に震えた。