お披露目
水の館に暮らして、三年目も半ばを過ぎようという頃。
ついに、私も歌君の一員となることができた。
とはいっても。
火の要素はまだ、完全には消えていない。一年に一度、水の媛さまに確認をして頂いては、簡単な抜きの儀式を受けている。
そんな私でも十八歳で歌君になれたのは、ひとえに組織的な約束事のおかげだった。
歌君に欠員が生じると、自動的に最古参の染の子が卒業して、“糸方”となる。歌君の序列で言えば、十六位から二十五位までの下級生だけど、水の日には広場で歌うことができる。
同期三人でいうと、一番最初に糸方になったエリーが二十三位で、プリシラが二十四位。最後の私は二十五位となる。
こうして引退や結婚などで歌君の顔ぶれに変化があるたび、染の子の人数も変わっていく。減った人数を補うように、年に一度の試験を受けた子が、新しく館へと入ってくる。
糸方になると、エプロンから丈の短いベストへと“目印”がかわる。そうして、糸を紡いだり、更に上位の歌君である“織方さま”が使う糸の準備を手伝ったりと、糸そのものを扱う仕事をすることになる。
ちなみに織方さまは、自分の織った布で作られたボレロを着ている。
歌君は一日の大半を、織機の置いてある平屋の建物、織殿で過ごす。
今まで過ごした染め室は、火を使うこともある都合上、湯殿のある別棟の二階にあったので、地面に近くなった。
居室も少しだけ広い、一つ上の階へと移った。
精霊の裁きを受けた、あの塔で過ごして以来。
高い所に苦手意識を持つようになった私にとっては、ちょっとのようで大きな差で。
昼間の居心地は良くなったけど、その代わりに居室の窓を開ける時には、ドキドキしてしまうから。なるべく下を見ないように気をつけている。
そして更に大きな変化が。
世俗とのしがらみを断ち切る意味で、歌君は名前を捨てる。
「十の糸さん、今度のお休みにね」
一日の仕事をおえて、糸の子たちで織殿の掃除をしているとき。隣で床を掃いていたプリシラが話し掛けてきた。
「明日、よね? どうしたの?」
「ほら、九の糸さんの実家から……いつもの……」
ちりとりを手にしたエリーが思わせぶりに、言葉を濁すけど。
要は、プリシラの実家から特産品のブドウが届いたということで。食堂を取り仕切る“賄方”さんたちは毎年、それを使っておやつを作ってくれる。
「今年はね、タルトですって」
「八の糸さんの大好物ね」
嬉しそうなエリーをつつくと、大きなガラス窓越しの夕焼けに染まった顔が蕩けそうに笑う。
村にはなかった窓ガラスが、神殿では織殿と食堂の窓に使われていて。前世の日本では当たり前にあった“日当たり”の恩恵を、受けることができる。
お日さまは、偉大だ。
「じゃあ、明日はお茶会ね」
確認した私に、プリシラは一つ頷いて。
「十の糸さん、この前の……」
「お茶?」
「うふふ。お願いしてもいい?」
先月のお休みに外出して買ってきた紅いお茶は、きっとブドウのタルトにぴったり。
エリーの部屋で、時刻は……と、約束が成立する。
名前を捨てた私達は、“歌君の位”で呼ばれる。
糸方は、『一の糸さん』を筆頭に『十の糸さん』まで。
糸方を卒業して織方になって初めて、『一の方さま』『二の方さま』……と呼ばれる。
糸方は染の子と同様に、在籍の長さで序列が決まるけど。織方さまの序列は、精霊と媛さま方による査定で昇格していくことになるとか。
つまり、呼び名によって、互いの実力差が露わになる。
そんな歌君生活が始まって、一ヶ月。
昼の時間が一番長くなる“明の極月”、つまり日本で言うところの夏至の月に、始めて広場で歌う日を迎えた。
それまでは、本格的に歌に慣れるための準備期間で。
水の日には、広場の隅っこで先輩たちの歌を聞くことで、改めて歌と体を馴染ませる。
大きな六角形を描く大神殿の、正面玄関にあたる精霊の館。
その前に開かれた広場は、周りの建物による音響までも計算されつくして、最高の状態で精霊樹へと歌が届くように設計されていると教えてくれたのは、居室の扉の建て付けを直してくれた繕方さんだった。
そんな場所で歌ってしまった、かつての自分の所業を思い出す度に、穴があったら入りたくなる。
なのに。
「言われなくとも、判っておられるでしょうが」
そんな前置きで、『歌の間は、静かに』と私に言ったのは、この広場で最初に歌を聞いたあの日に、私を担ぎ上げたドングリ目の彼だった。
「判っております」
ムッとしながら答えた私に、この三年で副班長に昇進したらしいアンディという名の彼は
「一介の衛士風情に、担ぎ上げられんでくださいよ」
と、さらに追い打ちを掛けてくる。
歌君が神殿の外に出る時には、神殿を警備する衛士の人が、護衛についてくれる。それぞれの館に専属で働く彼らは、制服の裾や袖口に所属と階級を示すラインが施されている。
水の歌君の護衛は、”青の衛士”と呼ばれる青いラインの人たち。
それは、一足先に糸方になったエリーやプリシラと、何度か一緒に外出するうちに、私の中で当たり前のことになってはいたけど。
最初の当番が、よりによってこの人でなくってもいいのに。
副班長、を意味する二本の青いラインの袖を睨む。
今回の歌は、糸方たちの合唱から始まった。
この中に私も混じる日が、すぐそこまできている。
初めて聞いたときとは種類の違う、震えを感じる。
どこに、どう。私の歌は、はめ込まれるのだろう。
そうやって、歌を聞いて。
糸を紡ぎながら、染の子の頃のようにみんなと歌いあって。
ついに、広場で歌う日が来る。
「十の糸さん、緊張している?」
「う……ん」
門が開くのを待つ間、振り返った九の糸さんが声を掛けてくれた。
返事の声が掠れる。
胸が苦しいほど、ドキドキしている。
「始まってしまえば、大丈夫よ。精霊が導いてくださるわ」
聞いていたらしい、隣の十の方さまが微笑みながら、衣装の襟元を整えて下さった。
青色の縁取りがされた、ごく薄い水色のローブ。
憧れの歌君の正装を、そっと撫でてみる。
大丈夫、大丈夫。
私は、大丈夫。
十の方さまが言われたことは、本当だった。
歌い始めると、メロディーのなかに、自分が辿るべき道が見える。
一の方さまの独唱に魂を奪われることもなく。
合唱の中に埋もれることもなく。
私が任されたのは“ここだ”と、自信をもって歌い上げる。
声を磨いて、歌を磨いて。
糸を紡いで、歌を紡いで。
世に幸在れと、祈り続ける生活を繰り返していくうちに、糸方としての序列も上がっていき。
新年と同時に一つ年をとるこの国の数え方で、二十歳を迎えた“新の極月”(=冬至の月)に、私は織方へと進級した。
歌君の十五位、『一五の方』と呼ばれる生活が、始まる
織方となって、練方さまから教わる機織りは、最初に晒を織ることから始まった。
横糸が痙れないように、弛まないように。目が詰まりすぎないように、粗すぎないように。
杼の扱い、打ち込みの強さ。何度も失敗を繰り返して、体で覚える。
覚えながら、歌と祈りを込める練習も重ねる。
練習に織り続けた晒は、さすがに売り物にはならないので、館で消費される。
賄方さんが使う布巾だったり、薬方さんが使う衛生用品だったり。まともに織れるようになってからは、縫方さんたちが肌着や衣服に縫い上げてくれて、歌君をふくめた館の人たちの日用品となる。
そして織方になると、今まで以上に穢れを避けるように、館全体で保護される。
親兄弟からの手紙を含めて、外部からの品物は全て精霊からのチェックを受けてから手元に届けられる。副の媛さまが司る儀式によって、望ましくない手紙や送り物は、精霊が排除するらしい。
そして、織方と個人的に会える人も、家族と後見者、それから精霊に面会を許された者に限られる。
当然、外出も極力控えるし、“外界の穢れ”を清めるために、外出の度に“抜きの儀式”が行われる。
「一二の方。では結婚される方って、お相手とはどうやって知り合うの?」
水の日は歌に専念するため、機織りはお休み。そんな休日の昼下がり、私たち同期三人でエリーの部屋に集まって、針仕事をしていた。
染の子に一番乗りで進級したエリーは、先輩も一人追い越して。私が織方になった時の査定で、一二の方へと昇格していた。
「一五の方は、気になる?」
いたずらっけの滲む声で一四の方、プリシラが尋ねてきて。
チラリと私の顔を見た後、パチンと糸を切る。
「一四の方は、気にならない?」
「うーん、まあ……気に、ならなくもない、かな?」
「でしょ?」
歌君のまま、引退まで過ごす人は少ないらしいし。
二十歳と言えば。母が、私を生んだ年だ。
外出というものをしなくなった私達が、休日にしているのは刺繍。
広場で歌う時に着るローブには、目立たない色で刺繍をすることが認められている。媛さま方の衣装のような水紋を象った刺繍を各自で工夫するのが、細やかなおしゃれで、楽しみでもある。
せっかくの刺繍をしても、昇格で衣装の色がかわったら? と、歌君になってすぐには思ったけど。
昇格に合わせて、縫方さんが染め直しをしてくれるので、問題はない。
手を動かしながらの、私達のやりとりに、
「それが、“精霊に許された人”らしいわよ」
七の方さまから聞いたのだけど……と、一二の方が言うには。
意中の歌君あてに、『会いたい』と手紙を書いた男性が精霊のお眼鏡にかなえば、歌君の元に手紙が届く。
歌君の方に応える気があれば、面会の約束が交わされて、精霊の館にある応接室での逢瀬が実現するらしい。
「そういえば。その七の方さまが……」
一四の方が、何かを思い出したように、小さく手を打ち鳴らす。
「なぁに?」
「縫方さんに、縁取り用の生地を渡したから、良かったら余り布で髪飾りでも作ってもらって、って」
「ええっ、本当に? いいの?」
一二の方が、嬉しそうな顔で口元に手を当てる。
「うっわぁ、うっれしいぃ」
私もつい、歓声を上げてしまった。
七の方さまは、私が初めて広場で歌ったあの日、『大丈夫』と励まして下さった先輩で、人柄の表れたような肌当たりの優しい布地を織られる。
七の方さまの織る布は、街でも一、二を争う人気商品らしい。
刷り込みを受けたヒナ鳥ではないけど、私にとっては憧れの先輩で。
そんな人から頂いた生地で髪飾りを作ってもらえるのは、最高の幸せ!
三人ではしゃぎながら、どんな髪飾りを作ってもらおうかとか、八の方さまが先週していた新しい編み込み髪は、一体どうやって編んだのかとか。
話題は尽きることなく、続いていく。
それから二回、昇格の機会に恵まれて。
私は一三の方になった。
そしてそれは、暑さの盛りも越した“火の季節”、最後の水の日だった。
お昼の歌を捧げていて私は、精霊からの『三の方の独唱のあとに、あなたの出番』という、声なき導きを授かった。
独唱、だ。初めての。
でも、大丈夫。
三の方さまは……あの、憧れの先輩だもの。
精霊も、導いてくれるもの。
三の方さまの独唱に心を澄ませて、耳を傾けているとき。
静寂が守られているはずの広場で、ざわめきが起こった。
日が
陰る。
真昼だというのに
辺りが
暗 く な る。