晴れて、練習生
練習生の暮らす部屋は、四階建ての館の一階。十五の個室が並ぶうちの一室が与えられる。
渡り廊下で繋がった別棟は、一階に湯殿や薬方さんの医務室があって。上の階には、住み込みの裏方さんの居室もある。
ちなみに、三の方さまより上位の歌君と副の媛さま、水の媛さまは、最上階に住んでおられる。単純に計算して……練習生の部屋の三倍くらいの広さの個室になるらしい。先代さまと引退した歌君たちは、他の館の方々と共に、精霊の館と呼ばれる特別棟に。
晴れて練習生となった私に割り当てられたのは、一階のちょうど真ん中、八号室だった。
おおまかに館の案内をしてくれたのは、補修・整備を担当する繕方さん。
「お一人でお仕事をされているのですか?」
「まさか」
並んで歩きながら色々と説明してくれた彼女は、お父さんが大工の棟梁で。本人も小さな頃から物作りが得意だったところを見込まれて、この仕事を任されたという。
「『繕方』は、『薬方』と同じように部署の名前ですね。作業用のエプロンが目印です」
そう言って、革のエプロンの裾をドレスのように広げてみせる。
館の中で暮らす人は基本的に、“館着”と呼ばれる緩やかなブラウスとズボンを身につけるらしいけど、繕方さんが履いているズボンは、動きやすいように裾が縛ってあった。
現在、私が着ているかぶりのシャツと巻きスカートは、寝間着を兼ねた“部屋着”だとか。
「じゃあ、他の繕方さんとはどう区別して呼べば……」
「いいんですよ、区別なんて」
「はぁ」
「『繕方』と呼んでいただければ、その時その場で手の空いているものが応対しますから」
名前が判らなくって頼めない。では、本末転倒だというのが、彼女の言い分だった。
歌君を支える裏側仕事の人は皆、そうやって部署で呼ばれるのが慣わしで。
水の媛さまや先代さまも、そういう意味では同じことになるらしい。
翌日から、練習生としての生活が始まった。
火の要素を抜くために他の子よりも数日遅れた事情は、『体調不良で寝込んでいた』ことにされていた。
朝は夜明け前に起きて身だしなみを整えてから、中庭の精霊樹の前に並んで、朝の歌を聴く。水の日だけでなく、毎日。
朝ご飯の後は、館の一階にある部屋で、私を含めた三人の新入りが、念入りな発声練習から始まる半日の練習をうける。
「次は早く。はいっ」
「一音ずつ音を切って。鋭く、短く!」
“練方さま”と呼ばれる方の手拍子に合わせて、歌のテンポや歌い方を変えていく。
指導にあたる練方さまは、引退した歌君の方々で。一旬ごとの当番制で交代しながら、指導に来られる。この方々も、繕方さんや薬方さんと同様に、個人を区別せずに呼ばれている。
伸ばして、切って。高く高く、低く低く。
ゆっくりとうねらせて。素早く駆け抜ける。
練方さまの指示のもと、私達の声が練られていく。
お昼の鐘が鳴るまでが、練習の時間で。
朝と同じように昼の歌を聞いたあとは、翌朝まで歌うことを禁じられる。
そうして夕方の鐘が鳴るまでは、生活のための時間になる。
館に暮らす人たちも霞を食べて生きているわけじゃないから、それなりに生活の糧を得なければならない。
王宮からの援助や、貴族・商家からの寄進も受けてはいるけれども、大きな柱となっているのが歌君たちが織る布地の販売だというのは、最初の日の夕方、部屋へと案内表示してくれた繕方さんから教えてもらったこと。
館で織られる布地は、精霊木から得られた染料で染めた糸が使われている。
風の歌君は黄色の布。
土の歌君は黒色の布。
水の歌君は青色の布
草の歌君は緑色の布。
火の歌君は赤色の布。
それぞれの属性にあわせた色の布地は、織った本人の衣装の色より濃い糸は使えない決まりに従って織り上げられる。更に、使える色数が増えるにつれて、織機の仕組みも複雑になり、難しい模様が織れるようになるため、色の濃さや模様のバリエーションによって、誰が織ったかが判る仕組みになっていて。
織り手の序列で価格が変わり、売り上げの一部は歌君自身の収入にもなる。
通常の布地より高い値がつけられている布地だけど、歌君たちが祈りと歌をこめながら織り上げるため、厄除けと招福の効果がある上に、いわゆる“ファン心理”みたいなもので、『お気に入りの歌君が織った布地』という理由で買う人も居るらしい。
そうして生じる売り上げの差が、人気の差であり……収入の差でもある。
ただし、一の方さまが織られた布地は、国が全て買い取って、王家の衣装に使われたり、贈り物として使われたりするので、一般の人の手には入ることはないとか。
新入りの私達は、まず染料の作り方を習うことから始まる。
ここでも先生は、練方さま。
「痒いー」
夕食のテーブルで、隣に座っているプリシラが掌を擦り合わせる。
食堂は舘の一階。玄関ホールと私達の居室の間を区切るように設けられていて、厨房の向こうは“外”の感覚になる。
ちなみに中庭に繋がる玄関ホールは、隣の草の舘と共用で、入って右が水の館、左が草の舘になる。
「なに? 虫刺され?」
向かいの席のエリーがからかうような声を掛けたけど。
「違うぅ。掌全体が痒いのー」
こんな虫、いないよぅ。
顔をしかめながらも、いつも通り少しのんびりとした喋り方で、プリシラが答える。
この二人が私にとっての“同期”で。この一ヶ月ですっかり仲良くなった。
プリシラが一つ年下の十四歳、エリーが少しお姉さんの十七歳。
「ご飯が終わったら、薬方さんに診てもらえば?」
「うーん」
私の提案にも生返事で、掌を搔いている。掌って、皮が厚いから、搔いてもスッキリしないよね。
かわいそうに思いながらも、
「ほら、プリシラ。とりあえず、ご飯を食べてしまおう」
お姉さんが食べちゃいますよ-、なんて、ふざけて言った私にエリーが
「ユリアこそ。早く食べないと、残っている肉団子を私が食べちゃうよ」
と混ぜ返す。わざとらしく、お指匙(=フォーク)を私のお皿へと伸ばしてくる。
「やめてー。最後の楽しみに置いてあるんだから、取っちゃだめ!」
「三個とも置いておくなんて、実はぁ……嫌いなんでしょ? ほら、私が手伝って上げる」
「嫌いじゃないってー。好きだから、最後にゆっくり食べて、余韻を楽しむの!」
「余韻って……」
言い合う私達のやり取りに小さく笑ったプリシラは、まだ痒そうにしながらも、スープを掬うためのお匙を手にした。
プリシラの痒みの原因は、染料負けだった。付き添いでついていった医務室で、薬方さんに『新入りの誰しもが通る道』だと、教えられて。
水に手を浸して痒みを抑えているプリシラの姿に、自分自身の手も痒くなってきた。
「館で暮らす最初の段階で、皆さんは“抜き”の儀式をしました」
私達三人に対してゆっくりと説明をしながら薬方さんは、水から引き上げたプリシラの手の状態を観察して。
再び、彼女の手を水に浸す。
「浄化した体に精霊木の成分を染み込ませて、歌君になるための体を作ります」
「成分……あ、もしかして染料ですか?」
「そうです。そのために染料を扱う染めの仕事が、練習生の仕事になるわけです」
「つまり、実際に糸を染める作業で、私達も染められている?」
エリーが次々と尋ねる。その質問はどれも的を射ているらしく、どこか嬉しそうな表情で薬方さんが答える。
「そうですね。特に新入りは精霊木に近い原料を扱うことで、濃い成分に触れることになります」
生の糸が染まりやすいように、浄化したての新入りには効率的に染み込む、らしい。
「その時に体が驚いて、痒みがでるわけです。ひどい人は、掌の皮がめくれ上がったりも」
「めく……」
エリーと二人で顔を見合わせてから、プリシラの手を見つめる。
「プリシラは、軽くて済みそうですね。あと少し冷やしてから、薬を塗りましょう」
これでも軽いんだ。
そう思った時、試験で水の媛さまに言われた事が頭をよぎった。
『他の人よりも、大変かもしれない』
火の要素を持っていた私は。
この試練、皮めくれの結末が待っているのかもしれない。
それから十日ほどあとに、エリーも手の痒みを訴えて。最後に残った私は、戦々恐々としながら染料作りに携わる。
剥がした木の皮の内側を、特殊な刃物でこそげては、すり鉢で粉にして。お湯に溶いてから、器ごと日光で乾かす、とか。
葉を刻んで灰汁と一緒に三日間煮込む、とか。
一晩お酒に漬けたあと麻の袋に詰めた実に、重石を乗せて汁を絞り出す、とか。
精霊木の部位や工程の差が、様々な青色を作り出す。
練習生の先輩たちが染める糸は更に、糸の太さや材質、染め方の違いで色の数を増やして。
出来上がった糸が収められた箱の中を覗いた時の感動といったら……青の一言で表すことしかできない自分が、もどかしいくらい。
そんな中、午前中の練習で、エリーの歌声が変化した。
今までも、三人の中で一番高い声を出せる彼女だったけど。
その高い声に芯が通ったのが、聞いていても、判った。
「喉が、かっと開いた?」
お昼ご飯を食べながら、エリーに話をきいたけど。私にもプリシラにも、さっぱり判らないことをエリーが言う。
「かっ、というか……とにかく、声の通り道が新しく出来た感じ?」
「通り道って、喉じゃない」
「喉なんだけど。あぁぁぁ。説明できなーい」
突っ込んだ私に、エリーが頭をかきむしる。
隣で聞いていた先輩たちが
「体験しなきや、判らないわよ」
「体験しても、説明はできないわよね」
くすくす笑う。
「エリーはこれで、染め室でも歌えるようになるわね」
「名実共に、“染の子”ですもんね」
おめでとう、と小さな拍手が周りから起きる。
「あの、染の子って何ですか?」
聞いたことのない言葉に、三人を代表してエリーが尋ねる。
先輩たちが口々に説明してくれたことによると。
練習生は、正式には『染の子』と呼ばれるらしい。つまり、薬方さんや繕方さんと同じように、『染色に携わる人』ということで。館着の上から、青く染まったエプロンを身につけている。
エリーのような歌声をマスターした染の子は、歌い続けていても喉を傷めることがないので、好きなだけ歌うことができる。
糸を染める作業をしながら、楽しそうに歌で掛け合いをしている先輩たちのように。
そして、エリーが歌えるようになった三日後。
私は、強烈な痒みで目を覚ました。
来た! とうとう、来た!
と。自分の成長に喜んだのもつかの間。掌に現れた痒みが、肘の辺りまで広がった。
朝の歌を聴く間は、それでもなんとかガマンした。
でも、朝ご飯の時には、どうしようもなくなって、食事もそこそこに薬方さんの元へと駆け込む。
「あらぁ。ひどいわね、これは」
一目見るなりそう言った薬方さんは、慌ただしく薬の調合を始めた。
棚から出した枝のようなものを、軽くロウソクの火で炙って。まな板にしか見えない台の上に置くと、木槌でまんべんなく叩く。次に、油のような、どろりとした液体を垂らして、また叩く。
そんな作業を眺めながら、大きな盥で手を冷やす。一度に両腕は漬けられないので、片手ずつ。それも、肘の辺りを冷やすには手首から先は水から出ているし、手首を沈めるためには肘が出る。
やがて出来上がった油薬を柔らかい布に塗りつけた薬方さんが、注意深く私の腕に貼り付けていく。
あー、ヒンヤリとして。
腕に籠もった熱と痒みが、吸い取られる気がする。
プリシラたちに症状が出た時と同じように、その日の染料作りはお休みにしてもらって。
籠に入った材料を運んだり、出来上がった染料を棚に片づけたりと雑用で過ごす。
幸い、範囲が広いことと、完治に時間がかかっただけで、皮が剥けるような重症にはならずに済んだ。
数カ月が経って、草木が芽吹く“草の季節”を迎える頃。
やっと私も、“本当の染の子”になれた。プリシラは、一足早く年明けになっていたので、私が最後だった。
水の媛さまから大変だとは聞いていたから、覚悟はしていたけど。
この調子だったら、染の子を卒業して歌君になるまでどのくらいの年月が掛かるのかと思うと、気が遠くなる。
そして、それから一旬が経った頃。
水の媛さまの元で、火の要素が再び出てきていないかの確認検査が行われた。
結果は……アウト。
「最初の時に比べると、僅かではあるのよ?」
水の媛さまが慰めて下さる。
「もう一度、“抜き”を受けるわけですよね?」
「今度は……一日だけで、様子を見ましょう」
「……はい」
あの苦痛の日々を思い出して、返事が遅れる。
次の水の日、医務室で一日を過ごす。
今回は、最初に飲む薬湯が半分くらいだった分、少し楽ではあった。翌日の休養日も必要なかったし。
火の要素も、その一日だけで消えた。消えてくれた。