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水の館

 水の館。

 それは、水の精霊に仕える歌君達が暮らす場所。


 館を取り仕切る一番偉い人が水の媛さまで、次代の水の媛にあたる副の媛(そえのひめ)さまと先代さまがその補佐をされている。

 歌を捧げる歌君が二十五人に、“練習生”が十人前後。この練習生の位置に、これから私は所属することになる。

 神殿内には他にも、それぞれの館を維持するために働いている人々や、引退した歌君も暮らしているらしい。


「引退した歌君さま……」

「“媛”は死後、精霊の伴侶となりますが、引退した歌君は生まれ変わって精霊そのものになります」

「精霊って、女の人だったのですか?」

 精霊の性別なんて、考えたこともなかったけど。

 さっき『花嫁に……』なんて話をきいたばかりだから、なんとなく男の人のような気になっていた。

「女の人?」

「歌君が転生したなら、女の人……」

 隣を歩く副の媛さまが呆れたようにため息をつくから。

 尻すぼみに口の中へと言葉が消える。


「人間が転生して精霊になるまでには、長い長い時間がかかります。精霊樹の中で魂を磨いて磨いて……」

 副の媛さまはそう言いながら、両手で珠を磨くような仕草をする。

「人格や性別といった枝葉がなくなる。つまり、魂が純粋な核だけになって初めて、転生すると言われています」

「聞いているだけで、気が遠くなりそうです。でも、そうなると、精霊樹にはたくさんの魂が? 歴代の歌君って、かなりの人数ですよね?」

「歌君の多くは、在職中に結婚して館から出ていきます。ですから、引退まで勤め上げてここで一生を終える者は、そう多くはありません」

 そんな説明をしていただきながら、広い中庭を通り抜けて。副の媛さまに連れて来られたのは、湯殿だった。


 旅の汚れをこそげ落として、用意されていた白い服に着替える。

 かぶりのシャツも巻きスカートも、村では着たことのない服装で。今までに過ごしてきた日常とは、かけ離れた世界に足を踏み入れたことが、身に染みる。

 さっき村長さんに合格を伝えた時には、あまり意識してなかったけど。これから、新しい生活が始まるんだ。



 荷物を抱えて湯殿を出たところには、白い割烹着を着た人がいた。

「ユリア、で間違いない?」

「はい。ユリアです」

 水の媛さまと同じか、少し年上に見えたその人は、水の館でお医者さんのような仕事をしている人らしい。

 呼び方を尋ねた私に彼女は

薬方(くすりのかた)、と」

「薬方さま?」

「さま、は要りませんよ」

 裏で館を支える一人ですから、と、軽く笑う。


 薬方さんは、廊下の奥にある扉を押し開けて、私を招き入れる。

 寝床と四角い卓、一脚だけの椅子だけが置かれた内部を見た瞬間、今朝まで過ごした部屋を思い出して、お腹がキューっと縮んだ。


「さて、ここで五日間、“抜き”を行います」

「はぁ……」

 間の抜けた相槌を打つと、薬方さんは

「と言っても、わからないですよねぇ」

 と、一人で頷く。

「通常では、俗世の汚れを抜き取る為に行う儀式的なものなのですが、ユリアの場合は、実際に体の中から浄化する目的で行います」

「それは、火の要素を抜くということですか?」

 水の媛さまは難しいようなことを言っていたけど。

 五日間、浄化の儀式を受ければいいのなら、頑張れる。多分。


「……五日で、できればいいのですけど」

 ところが、薬方さんは私の決意をひっくり返すようなことを言いながら、開いていた窓を閉めた。

「今日は、このまま休んでいただいて。明日から始めます」

「はい」

 頑張ります。と、胸の前で小さく拳を握った私に、目を細めるように笑った薬方さんは。

「では、もうしばらくしたら、お夕食を運んできますね」

 と言って、部屋から出て行った。



 夕方の鐘と、歌が聞こえたあと。

 灯りを持ってきた人に、ご不浄の場所を教えてもらって。

 廊下を挟んだ向かいの部屋で用を足して戻ってきたところに、夕食が運ばれてきた。

 パンとスープ。それから少しの蒸し鶏が入ったサラダ。

 パンはフワフワの白パンだし。スープもジャガイモのポタージュで、仄かにチーズの香りもする。

 昨日までの食事との差に、目が潤む。


 頑張る。ここでなら私は頑張れる。 



 家を出てからの疲れを癒やすように、その夜は夢も見ないほどぐっすりと眠って。

 翌朝、髪を編み直していると、軽いノックの音と共に薬方さんが部屋へと入ってきた。

「おはよう。体調はどう?」

「おはようございます。よく眠れましたし、元気いっぱいでっす」

「そう。顔色もいいわね。じゃあ、さっそく準備しましょう」

「え? あの……」

 朝ご飯は……と聞く間も与えず、薬方さんは再び部屋から出て行ってしまった。

 と、思うとすぐに戻ってきて。手にした大ぶりの湯呑みを差し出した。

「一息に、ぐーっと飲んでしまいましょう」

 ほのかに温かみの感じられる湯呑みを受け取って、中を覗く。

 なみなみと注がれた茶色い液体に、自分の瞳が映る。

「一息に、ですか?」

「熱くはないから、大丈夫ですよ」

「はぁ」

 言われるがままに、ぐーっといきかけて。


 苦っ。


 あまりの苦さに、思わず飲むのを止める。

 飲み下した液体が、お腹の中で胃袋の形に広がるのが感じられた。

「何ですか?! これ」

 涙目になりながら薬方さんに尋ねる。

 干した精霊木の根っこ、との答えに、改めて湯呑みの中を覗き込む。

 薬湯の一種なのだろうけど。こんなに苦いのは、村で飲んだことない。

「精霊木の根っこなんて……引っこ抜いたんですか?」

「精霊のお許しのあった木ですから、心配はいりません」

 おしゃべりしてないで、さっさと飲んで、と。

 悪あがきを見透かしたように言われて、嫌々口をつける。


 まずいっ。

 にがいっ。


 ようよう飲み干した私に薬方さんは

「じゃあ、頑張って下さいね」

 と言って。湯呑みと一緒に持ってきていた陶器の盥を卓上に置いた。

「頑張っ“て”?」

 頑張りましたよ?

「これからが、本番です。この盥は、好きに使って頂いて構いません。それから、なにか困ったことがあれば、ベルで知らてくださいね」

 とか言いながら、盥の隣にあったハンドベルをチリンと振って見せる薬方さんはにっこり笑ってみせるけど。

 目が、とてつもなく真剣だった。



 薬方さんが部屋をでてからしばらくして、お腹がしぶるように痛みだした。

 慌ててご不浄へと駆け込むけど。

 何も出ないままで、痛みが治まる。


 首を傾げて部屋に戻って。一息ついたら、また痛む。

 部屋とご不浄を行ったり来たりしているうちに、今度は吐き気までこみ上げてきた。

 また、ご不浄へ行っても空振りだろうと、我慢をしているうちに限界がきて。薬方さんが置いて行った盥のお世話になる。

 好きに使ってって言われても。これは……ダメかな?


 恐る恐るベルを鳴らす。

 待っていたかのようにすぐに現れた薬方さんは、顔色も変えずに汚物の処理をして。

 口をすすいだ私に

「飲めそうだったら、水分を」

 と、白くって小さな器を差し出した。

「薬湯、ですか? これも」

「ハチミツ湯よ」

 甘い香りがする液体の正体を聞いて、ほっとする。


 ゆっくりゆっくりと、二口分ほどの中身を飲み干して。

「ごちそうさまでした」

 返した器を受け取った薬方さんは、一つ二つ頷いてから、部屋をでていった。  


 疲れた。

 吐くって、こんなに体力を使ったっけ。 


 ため息を一つついて。

 強ばっているお腹の筋肉を伸ばそうと、背伸びをした。

 その途端。


 新たな腹痛と吐き気に襲われる。



 午前中いっぱい。吐いて、吐いて、吐いて。

 合間に何度か飲んだハチミツ湯すら出ていって、あとは胃袋くらいしか出せるものがないような気がしてきた頃、お昼を告げる鐘の鳴るのが窓越しに聞こえた。


 お腹が空いたとも感じられないくらいに疲れて、寝床に横になる。

 大変、だわ。確かに。

 これが、まだあと四日間……続く。


 うとうとしていた私は、今までにないお腹の痛みで目を覚ました。

 ご不浄!


 午後からは、ご不浄の住人として過ごす。

 吐き気が治まったことが幸いだったと思えるほど、体から水分やらなにやらが出て行く。

 途中で何度か、様子を見に来た薬方さんの指示でご不浄の片付けが行われる少し間だけ、部屋に戻って。

 今度は、ごく薄い塩水を飲まされた。


 そろそろ夕方、の頃合いにやっと、お腹が落ち着いて。

 部屋に戻った私は、寝床に転がる。

 足に力が入らない。

 考えれば、朝から食事らしい食事をとってない。

 って。当たり前か。


 これだけ体内のありとあらゆるものを出し尽くすのだから。

 ご飯は、無駄になる。

 これだけ体内のありとあらゆるものを出し尽くすのだから。

 火の要素も出て行ってくれるよね?


 その日の唯一の食事は、押し麦のお粥だった。

 荒れていそうな胃袋を労るように。

 今日一日を頑張った自分を労るように。

 一口ずつ、よくよく噛んで食べる。


 夕食がお腹に落ち着いたのを確認してから、卓の手燭を吹き消す。

 長い一日が、やっと終わった。



 薬湯を飲んで、体の中を“洗い清める”五日間を過ごして。

 六日目は、休養日と言われた。

「この一旬、お粥しか食べていませんし、吐くことで喉も荒れていますから」

 薬方さんはそう言って、今までとはまた違う香りの飲み物を差し出す。

「甘いけど、ハチミツ湯ではないですよね?」

「花梨のシロップですよ。喉のお薬です」

「へぇ」

 お湯に溶かれたシロップが、喉の粘膜をコーティングしていく。ようなイメージを思い浮かべながら、湯気の立つ器から少しずつ啜る。

 荒れた喉が、癒えますように。


 ご飯もポタージュだったり、リンゴの甘煮だったりと、母が亡くなって以来、病気の時にも食べたことのないほど、“優しい”食事が用意されていた。

 そして、翌日。

 湯殿で改めて身を清めたあと。薬方さんと一緒に部屋を訪れた人の後について、最初に試験を受けた部屋へとむかった。


「体の具合は、どうかしら?」 

 心配そうな水の媛さまの声に迎えられた私は、

「ありがとうございます。大丈夫です」

 と、答えながら、笑顔で元気なことをアピールする。


 五日間、耐えきりました。

 無事に再び、ここに立つことができました。 


 試しに……と,水の媛さまの前で、歌う。

 あれだけ清めたのだもの。火の要素は抜けたはず。  

 祈るような思いで歌いきった私に、水の媛さまは微笑みを向けてくださった。

「ほぼ、消えたようです」 

 の言葉と、ともに。



 完全に火の要素が消えた確証はないので、この先も定期的に水の媛さまからのチェックは受けることになるらしいけど。


 この日から正式に私は

 練習生への第一歩を踏み出すことになった。

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