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生来の巫女

 抜きの儀式を行った二日間。

 気になっていたことがあった。


「ずっと、ですか?」

「ええ。一三の方がこちらの部屋に運ばれてから、一度も雨は止んでいません」

 歌が聞こえないこと、雨音が続くこと。

 儀式の間、鎧戸ごしに外から聞こえる音に、私は違和感を覚えていた。

 そもそも儀式の二日間。医務室の窓が閉められたまま、燭台の灯りだけで過ごすのは、幾度も儀式を受けた私にとっても異例のことで。

 外の様子を尋ねた私に、二日目の夕食を運んできた薬方さんは、潜めた声で答えてくれた。



 寝台の上で正座をして、受け取ったお盆を前に考える。 


 二日間も、儀式をしている場合ではなかったかもしれない。

 舞いを捧げなければ。去年のように。

 でも……穢れた舞いでは、精霊を怒らせるかもしれない。


 始めて都へ来たあの日。

 私の歌に、精霊樹が震えたように。



「去年の水の月とは違って、北西街道が大雨で寸断されたようですし」

 薬方さんの言葉に、お粥を掬うお匙がとまる。

「寸断?」

「橋が流れたとか、崖崩れで道が塞がれたとか」

 北西街道の外れには、故郷がある。

 家は? 家族は?

 村のみんなは、無事だろうか?



 それ以上の無駄話はせずに、黙々と食事を済ませる。

 お盆を下げる薬方さんを見送ってから、そっと鎧戸を開けてみる。


 窓の下には、大きな水たまりが出来ていて。

 激しい風と伴に、大粒の雨が吹き込んできた。


「何をしているんですかっ」

 部屋に飛び込んで来た薬方さんが、窓を閉める。

「ああ、もう。こんなに濡れて」

「精霊が……」

「はい?」

「精霊が怒っています」

 三の方さまの事件の時には嘆いていた精霊が、今夜は怒り狂っている。


「舞いを……」

 捧げなければ。

 精霊樹の元へ行かなければ。


 部屋着のまま部屋を出て、もつれる足で玄関ホールへと急ぐ。

 途中で、腕を掴んで来た薬方さんの手を、振りほどく。


 行かなきゃ、舞わなきゃ、捧げなきゃ



 中庭は暗く、雨が痛い。

 何度か転んで、這うようにして進んでいると、躰にあたる雨が消えて、代わりに地面が明るくなった。

 不思議に思って、ふり仰ぐと、傘を差しかける衛士さんの姿。

 その手のカンテラが弱いながらも、行くべき道を照らしていた。


「一三の方、どちらへ?」

 尋ねる声は、アンディで。 

 傘のうちから、ドングリ目に睨まれた気がした。

「精霊樹に、参ります」

「では、お供を」

 『お一人には、ならないでください』と言われて、仕方のないような気持ちで頷いた。



 精霊樹の周りも、すっかり泥濘んでいた。

 アンディには、『手があたるから』と、少し離れてもらって。


 古代文字で、水の神様へと呼びかける。



 風に煽られ、泥濘に足を取られ。

 儀式で体力も落ちている私は、何度となく転んだ。

 泥に手を付いて立ち上がり、水の神様へと呼びかける。



 精霊樹の周りを、何周回ったのか。

 鎮めの舞いを、幾度繰り返したのか。


 自分自身でも何をしているのか判然としなくなった頃、分かったことがある。


 私は前世だけでなく、過去生の全てを巫女として生きた。

 贄として、若い命を散らした生もあった。 


 私は、生来の

 巫  女  だ。



 ならば、精霊よ。

 今生でも、この命を捧げましょう。


 どうぞ怒りを

 お鎮めくださいませ。



 夢に舞い、現に舞い。

 水の神様のお怒りを慰め、

 雲に隠れる日の神様をお呼びする。



 のちに聞いたところによると、どうやら私は数日間、神懸かり状態だったらしい。

 嵐の中庭で倒れるまで舞い、衛士さんに館まで運ばれる。薬方さんや縫方さんの手で躰を拭かれて、着替えさせてもらって。

 眠りで体力を回復したあと、ぼんやりしたまま流動食を流し込んでは、再び中庭へと向かう。


 医務室まで運ぶ手間や、医務室から出ていく私の体力がもったいないと、館の一階にある染の子さんの空き部屋を一時的な居室にしてくださったのは、副の媛さまの采配だったとか。



 時の感覚を失った私に体力の限界が訪れ、舞いを止めた日。

 待ちわびた日の光が精霊樹に降った。


 その事実を知らぬまま眠りに落ちた私は、風邪をこじらせて。

 死の淵を覗く日々を過ごした。


 

 温の水月(ぬるみのみずつき)も過ぎて、世間は草の季節に入り。

 ようやく床上げした私は、更に三日の休養をとったあと、薬方さんから機織りの再開を認められて。

 久しぶりに向き合う織機の、弛められていた経糸をしっかりと張り直して、うきうきしながら杼を走らせる。


 そして、いつものように皆と声を合わせて歌い始めた私は、得も言われぬ不快感を覚えた。

 物心ついたときから歌っているはずの曲なのに。私の声は不協和音でしかない。


 それは、他の歌君たちにとっても同じことだったらく、歌が止まる。 

 気を取り直して、もう一度歌が始まって。

 また……止まる


 年明けから新しく織方(おりのかた)になった一五の方の指導をされていた練方さまが異変に気付かれ、私を館へと連れて戻ってくださった。

 そうして、医務室で診察を受けたけれど。


「喉がおかしいわけでは、ないですね?」

「はい。自分では、特に……」

「会話の声にも、問題ないようですし。これは媛さまがたに相談されたほうが良いように思います」 

 薬方さんに匙をなげられて、練方さまと二人で、一階の執務室に居られる副の媛さまを訪ねる。

 そのまま、副の媛さまの前で一度歌った私は、隣の練習室で待つように言われた。



 染の子になる前の見習い時代、練方さまたちと声を練り上げた部屋は、次の新入生が入るまでのお休み期間で、ひっそりとしていた。

 小さな声で、歌ってみる。

 音程が外れているわけでもなく、リズムもおかしくない。

 なのに、どこか異質になってしまった、私の声。


 副の媛さまと一緒に水の媛さまが、入ってこられた。

 媛さま方に促されるまま、一通り歌って。


 出された結論が、『濃くなった火の要素の影響』だった。 


 持って生まれた水の要素も、濃くなってしまった火の要素も私自身の声なので、独唱であればさほど違和感は感じられない。

 でも、他の歌君たちの純粋な水の歌に混ざると、異質さが際立つ。


 例えるなら、青と赤が完全に混ざり合えば紫という”色“になるけど。それは既に、元の青ではない。



「もう一度、抜きの儀式を受けさせて下さい」

 このまま歌えなくなる恐怖に、水の媛さまに縋り付きたくなる。

 その衝動を必死で抑える私に、 

「いけません。これ以上の儀式は無理です」

 副の媛さまの冷たい言葉が、刺さる。


「一三の方、ここまで火の要素が強くなると、儀式では抜けそうにないわ」

 水の媛さまにも、追い打ちをかけられた。

「そんな……」

「病み上がりでもあるわけですし、あなたの体がもたないと思うのよ」

「もたなくても、いいです」

「良くないわ。今度こそ、精霊の怒りで世界が滅びるかもしれないのよ?」 

 なだめるように言われた言葉は、素直に頷けなくて。

 『そんなはずがない』と首を振る私に、

「現に、東の国境地帯は今、大変な被害が出ています」

 と、副の媛さまが話してくれたことによると。



 都から西の地方にかけて大嵐が猛威を振るっていたさなか、スイーズル大公領で大きな地震があったらしい。それを前触れとした、火山の噴火までが起きて。

 地震の知らせに領地へと急がれた大公閣下は、現地を視察中、溶岩流に巻き込まれて亡くなられた、と。


 大公閣下のお子様はまだ幼く、国王陛下の従兄にあたられる公爵さまが、スイーズルの新たな領主になられるとか、なられないとか。 

 私たち下々には分からない王宮内の事情とやらで、命令系統が混乱していて、助かる命も失われているらしい。



「西側は西側で、街道がまだ使い物になっていません」

「そんなに、酷かったのでしょうか?」

 街道が寸断されていると聞いたのは、いつだった?

「あちらこちらで行方不明がでたほどには、酷い有様です」

 そう話しながら副の媛さまが、チラリと水の媛さまと目を見交わしたのが、分かった。

「神殿に入り込んだあの子爵さまも、街道を単騎で通行中に……」

「では、お二人ともが?」

「そうなります」

 

 偶然の一致、ではないだろう。

 でも、二人を葬り去るために、これだけの被害を出したのなら……。

 精霊の怖ろしさに、肌が粟立つ。



「では、私はもう神殿から出ていくしかないのですね?」

 八年、か。

 たったの八年で、歌君としての私は消える。消えてしまう。


 短かった神殿での暮らし。

 プリシラやエリーとも、この先、気軽には会えなくなる。

 都に住むことも、ままならず、故郷へ戻ることになるだろうし。


 でも、八年の不在は長すぎる時間でもあり。

 二十三歳なんて、田舎では行き遅れとされる年齢になった私の居場所は、実家にあるだろうか。


「ここを出て、行く当ては、あるの?」

 水の媛さまから問われて

「田舎に帰り、ます」

 のろのろと答えた私の手を、副の媛さまの柔らかい手がそっと包み込む。


「一三の方の故郷は、もう……」

「はい?」

「大洪水で、村は壊滅したそうです」

 そんな、まさか。


「生き残った人が居ないわけではないようですけど、村としてはもう残っていないと」

「私の、家族、は?」

 掠れた声に、無言の応えが無情な事実を告げる。 

 握り絞めた拳を撫でる優しさが、涙を呼ぶ。 



 年末に送りあった新年を祝うカードが、家族との最後のやり取りになった。

 私が家を出た時にはまだ幼児の面影のあった弟も、もう十三歳で。“新しい弟”と共に、父の手伝いをして一人前に家族を支えていると。

 新しいお母さんとの間に生まれた“妹”も、そろそろ手習い処へ入学すると。

 そんな家族の様子が書かれていたのに……。

 

 “水の館 歌君ユリア様”。そんな宛て書きで届く、故郷からの手紙は、もう来ない。


 お父さん、マーシュ。

 新しいお母さん、弟。

 会ったことのない妹。


 村長さん、ダイナおばさん。

 一緒に育った友人たち。


 みんな、みんな。居なくなってしまった。



 二人の媛さまは、私が泣きやむのを、じっと待っていてくださった。

 貸していただいたハンカチが絞れるほど、泣き続けて。


「一三の方」

「は、い」

「身の振り方は、改めて相談しましょう? 精霊にもお伺いを立てなければならないの」

「精霊に、です、か?」

「歌君の全ては、精霊の意志できまるのよ。昇格と同じく、退職もね」

 近いうちに、また。と言われて、練習室を辞する。 



 神殿にこのまま、置いてもらえるだろうか。

 引退扱いで練方さまに、というのは……おこがましい、か。

 縫方(ぬいのかた)さんか賄方(まかないのかた)さんの、下働きくらい、させてもらえれば……。  



 先行きの不安に胸を焦がしつつ。

 機織りをするわけにもいかないままで、一旬が過ぎる。 


 水の日の歌も欠席して、迎えた次の風の日。


 夕食の席で、副の媛さまから発表があった。


「次の水の日から一三の方には、歌に合わせて舞いを捧げてもらいます」

 『できますね?』と確認されて、小さく頷く。

「序列の変更はありませんが、一三の方の織殿は別棟にします」 

「別棟を、建てるのでしょうか?」

 七の方(エリー)が、尋ねる。その手がテーブルの上で、私の手に重ねられて、きゅっと力が込められた。

「一三の方が皆と一緒に歌えないわけですが、歌を伴わずに織り上げた布が、はたして“歌君の布”としての価値が認められるか、わかりません」

 精霊の加護のない布地は、ただの布。

「せっかく織り上げた布地が売り物にならない事態は避けなければ」

 分かりますね? と、目で尋ねる副の媛さまに、七の方と一緒に私も黙って頷く。


 隣に建つ土の館の織殿との間に、簡単な造りで私専用の織殿が建てられて。糸を分けて貰ったり、経糸の支度に糸の子さんたちを呼びにいったりするときにだけ、今までの織殿へ入ることができるようになるという。


 そして、織りかけで機に架かっている布地は、一度糸を切って、売り物にならない端切れとなる。そうして、新しい織殿へと織機が運ばれて、経糸を用意するところから、新たに織り始めることになる。



 夕食の間、隣に座る友人たちは言葉少なく、私の境遇を嘆いてくれたけど。

 私は一人、安堵の思いに胸をなで下ろしていた。



 よかった。

 どんなかたちであれ、

 歌君として、まだここに


 居  ら  れ  る 。

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